第五話 雷霆の逆鱗
鉱山都市フォルディンの頭上が残酷な雷に染まる。
味方を巻き込むことを恐れない暴虐に相応しい一撃だ。
事実、ルプスの攻撃で数千体のエルダーが灰燼と化した。
ーーしかし。
「カカッ! まぁ防ぐよなぁ、オメェは」
光の膜が五十騎の赤燐竜を覆っている。
天威の加護第二の力、絶対防御領域。
父が現れた瞬間、こうなることを予測していた英雄の防御は誰にも打ち破れない。
「アレが孤高の暴虐……! マジでバケモンだな」
「っぶねー……死ぬところだったつーか逃げたい帰りてぇ……!」
「大将、俺たちはどうする!?」
ニヤニヤとこちらを見下ろすルプスにジークは歯噛みし、
「作戦続行だ。ギルダーン。左右に分かれろ。出来るだけ遠くに離れるんだ」
「大将は」
「悪いけど、僕はコイツを抑えるので手一杯になる。カバーは出来ない。行け!」
『了解!』
赤燐竜の部隊が遠ざかっていくのを横目に、ジークは背後へ呟く。
「ヤタロウ、指揮は任せた。リリアとルージュは中央に」
「御意。ご武運を」
「……こんなところで死なないでよ、お兄ちゃん」
「無茶しないでくださいね」
リリアやルージュは自前の翼で宙に躍り出た。
続いてジークが宙に浮かび、アルを乗せたヤタロウはルプスの真下、ジークの担当だった戦場のど真ん中に飛び込んでいく。軍団の中に現れた白き龍に、壁を攻めていた悪魔たちは悲鳴を上げていた。
次の瞬間、ジークは魔剣を掲げる。
ーー……ガキンッ!!
不意打ち気味に放たれた強烈な打撃がジークを襲う。
素手で魔剣と渡り合う鋼鉄の拳の主は「カカッ!」と嗤った。
「んだよ。驚かせてやろうと思ったのに、いい反応すんじゃねぇかよ」
「父さんのすることにいちいち驚いてたらキリがないからね」
「そう、かよッ!」
間合いの内から放たれた蹴りが三日月を描く。
顎を狙われたジークは身体を後ろに倒しながら剣を振り、ルプスの肩を切り裂いた。
同時、ジークとルプスは手を掲げた。
「『破壊の雷』!」
「『天雷』!』
双方向から放たれた雷が、赤と蒼の火花を散らせながら衝突。
大気を焼き焦がす光は眼下の悪魔を葬魂しながら、激しくぶつかり合った。
ーー……轟ッ!
衝撃が飛び交い、戦場が大混乱に陥る。
陣形も作戦も何もかもを無意味にする暴力の対決は災害そのものだ。
トニトルス小隊は大将の本気を感じると同時に、相手の実力に震撼する。
そんな周りの反応を一顧だにせず、英雄と暴虐は互いの位置を変えながらぶつかり合った。激しい金属音が木霊し、剣戟の火花を散らす。
「カカッ! まだ強くなってんじゃねぇか。嬉しいぜぇッ!」
「こんな時に、何しに来たんだッ!」
父の言葉を無視し、射殺すような目を向けるジーク。
師の仇である彼は倒すべき敵だ。
純粋な殺意を向けられ、ルプスはむしろ嬉しそうに嗤った。
「決まってんだろうがッ、テメェと遊ぶためだよ!」
「遊ぶ……またそれかっ」
ジークは歯噛みしながらも、相次ぐ破壊の嵐をいなしていく。
だが、ジークはなかなか攻勢に出られない。
ここでルプスと決着をつけるという選択肢もあるが、そうすれば自分は全ての力を使い果たしてしまうだろう。せっかく神々が協力して冥王を倒すチャンスが得られたというのに、この機会をふいにすれば次に回復するまでメネスは待ってくれない。間違いなく自分を潰そうとしてくるはず。
かといって手を抜けば、ルプスは容赦なくこの街を滅ぼすはずだ。
「……ッ、クソッ、父さんはいつも僕の邪魔ばかりする!」
「カカッ! 父親ってのはそう言うもんだ!」
「絶対に嘘だ。お前の嘘はもう信じないッ!」
状況を打開する手段を探し、ジークは魔剣に力を込める。
こうなれば、ルプスの魔力を吸収しながら消耗を避けて戦っていくしかない……。
そう思った時だった。
【君は先に行くんだ、ジーク】
再び激突しようとした両者の間に影が舞い降りる。
瞬間、四方から光の鎖が飛来し、ルプスの全身に巻き付いた。
「これは……!」
透明な身体、金髪を揺らし、線の細い男が眼前に立つ。
体躯から頼りない印象を受けてしまうが、その身に宿す魔力は大神たちの中でも群を抜いている。一部では武のラディンギルと双璧を為すと言われ、天界の天使たちが頼りにする神々の大黒柱。
「太陽神ソルレシア……! カカッ! 神霊を降ろすなんて珍しいなぁ!」
【僕はいつだって忙しいからね。まぁ、今回はしょうがないさ】
「ソルレシア様……!」
長い法衣を揺らす男は肩を竦め、ジークを見た。
【ジーク。僕が時間を稼ぐ。君は先に行くんだ」
「でも、いくらソルレシア様でも……!」
【君は神霊を甘く見ているね? いやまぁ君にとっては雑魚かもしれないけどさ。
本来、神霊ってのはそう簡単にはやられないものさ。まして、足止めに専念すればのなおのことね】
確かに、ソルレシアの神霊は存在するだけで周囲に神気を撒き散らしている。
悪魔の中には上空にいる彼の存在に耐えきれず葬魂された者もいた。
じたばたともがくルプスも、ソルレシアの光に触れて魔力を発揮出来ていない。
【君にはやるべきことがあるはずだーー仲間を連れて、早く行きなさい】
「……っ」
葛藤は一瞬、判断は刹那だ。
「分かりました。トニトルス小隊、戦場を離脱する! 東へ集まれ!」
『了解!』
奇しくも上空であることが幸いし、トニトルス小隊に状況が伝わったようだ。
次々と戦場を離脱し、上空へ避難していく彼らを横目にジークは頭を下げる。
「ソルレシア様。あとはお願いします」
【あぁ、任せなさい】
ルプスとソルレシアに背を向け、ジークは宙を飛ぶ。
眼下、上空へ飛んできた白き龍の背中に飛び乗り、ほっと一息。
背後にいるヤタロウに怪我はないようで、彼は丸眼鏡を光らせて問いかけてきた。
「ジーク殿。お怪我は?」
「問題ない。隊員の状況は」
「……一騎落とされました。負傷者も何人か」
「……っ、そうか」
加護による感知で誰を喪ったのか悟るジーク。
心の中で彼らの名を呟き、哀悼を捧げた。
ちょうどその時、懐の無線機がザザ、と雑音を響かせ、
『ジーク・トニトルス。次の救援地を指示する。そこへ向かえ』
ジークは眉を顰めた。
あまりにも状況把握が早すぎる。タイミングを計っているようだ。
「セルゲン……あなたは僕たちを監視しているのか」
『各都市にある砦から随時情報が送られているだけだ。
ソルレシア様のご助力を無駄にするわけにはいかん。人類の為に、大人しく従え』
「……了解」
ジークは奥歯を噛み締め、トニトルス小隊と共に空を往く。
ルージュやリリアに怪我はないようだったが、彼女らは不満げに呟いた。
「孤高の暴虐……本当に、どこにでも現れますね、あの男は」
「オズみたいな事言うけど、一発殴りたい。殴っていいよね、お兄ちゃん」
「我慢して、ルージュ。今は我慢するしかないんだ」
ジークとてルプスを殴りたいのは満々だが、ここで彼の相手に力を割く余裕はない。
今は人類の命運がかかった大事な時なのだから。
宿命の敵を太陽神に任せ、ジークは自分にそう言い聞かせるのだった。
◆
ーー『水の都』シル=ディア
風光明媚で有名な街は悪魔の巣窟と化していた。
大通りは瓦礫が散乱し、路地裏の隅まで悪魔が徘徊している。
自我を喪った者達は我先にと人類を襲い、喰らい、我が力としていた。
「一人になるなッ! 必ず四人一組で行動しろ!」
『応!』
「民衆が避難するまでの時間を稼ぐ。葬送官支部に近付けるな!」
雷を迸らせながらジークが叫ぶ。
ルプスの手から逃れてきたトニトルス小隊は既に三つの都市を救っている。
救援作戦に手慣れてきたトニトルス小隊は、逃げ遅れた住民たちの救護に成功していた。血と臓物の匂いが風に運ばれ、透き通っていた水路は血の色に染まり果てている。
ジークはゴミ箱の中に隠れていた子供を見つけ、抱え上げた。
「怪我はない? もう大丈夫だからね」
「……っ、あ、あの、英雄さん、あの、お母さんが……!」
新聞か何かでジークの顔を知ったのだろうか。
ジークの顔を見るや否や顔に希望を滲ませ、懇願するようにシャツを握る子供。
小さな指が差した方向には彼女の家があったが、その中は既に悪魔の巣窟だ。
ガラス窓にへばりつく悪魔たちが、今にも窓を突き破ろうとしている。
彼女のいう母はどこにも見当たらなかったーー人の形では。
「……ごめん、間に合わなかった。君だけでも助けるよ」
「そんなッ! お兄ちゃん、英雄なんでしょ!? お願い、お母さんをーー!」
「ごめん」
ストン、と手刀を走らせ、子供の意識を刈り取るジーク。
素早く周囲を見渡した彼は魔剣で悪魔を切り伏せ、葬送官支部への道を切り開く。
例によって踏ん張っていた葬送官たちに迎えられながら、子供を支部の中に放り込んだ。支部を囲む防壁の上に行くと、葬送官が感極まったように、
「救援に感謝を。七聖将様、よくぞ……」
「前置きはいい! 状況は?」
ジークの剣幕に押され、葬送官は居住まいを正して敬礼する。
「負傷者数百名、死者二十名! 悪魔の数はおよそ十万! とても持ちこたえられません! こちらの指揮官もやられました……七聖将様、避難民が逃げる時間を……!」
「分かっている。今、こちらの方でもーー」
ザザ、と通信音が響いた。
ここ数時間で聞き慣れた、聞くのも嫌になる残酷な音にジークは吐き気がした。
叩き割りたい衝動にかられながら通信機を取ると、
『ジーク・トニトルス。私だ。水の都は放棄する。次の街に向かえ』
『!?』
「またか……! 一体いくつの都市を見捨てるつもりだ!?」
『救援可能な都市は救っている。その街はもう駄目だ。葬送官たちにも退避命令を出す。もはや誰にも止められん。貴様には早々に次の街に向かってもらいたい』
「………………………………っ、了、解」
いくつもの罵声が浮かんでは消え、ジークは口をつぐんだ。
目の前にいる葬送官たちの、懇願するような視線が突き刺さる。
「……ごめん、僕は行く」
「そんなっ! 我々を見捨てるのですか!?」
「まだ避難が三割しか済んでないのに!」
「……重ねてごめん。でも、行かなきゃだから」
呟き、ジークは魔剣を振り上げる。
次の瞬間、葬送官支部と街を繋ぐ道に巨大な亀裂が走り、葬送官支部は陸の孤島と化した。支部の地下から地上への避難路があるはずだ。そこに行くまで多少の時間稼ぎになる。
「避難を急いでくだ
『大将ッ! クラリスがッ!』
切迫した声が響き、ジークは弾かれるように顔を上げた。
雷を纏って現場に急行。路地裏の暗い場所に仲間たちが立っていた。
「大将……」
「クラリスさん、クラリスさん! やだ、やだぁああああ!」
ギルダーンの厳しい声。泣き叫ぶファナの目の前でクラリスが立っている。
傍らには、救助したと思しき子供がいて、怯えた表情でクラリスを見ていた。
水路から這い出てきた悪魔に、クラリスの腹は貫かれている。
いつだって女言葉で隊を支える戦士は、力のない笑みを浮かべた。
「……大将、あと、は……ぁ、ぁァアアアアアアアアア!!」
力尽きたクラリスの悪魔化が始まり、ジークはきつく目を結んだ。
もはや手遅れ。彼を助ける事はーー出来ない。
「お疲れさま、クラリス」
紫電一閃。
雷に焼かれたクラリスの身体は崩壊し、ジークは素早く祈祷詠唱。
水路の悪魔を一掃し、天にのぼる魂を見つめた英雄はすぐに表情を切り替えた。
「戦線を離脱する。全員を集めろ。この子は葬送官支部に」
「……っ、了解」
「う、ぅぁ、ぁ、うわぁあああああああっ!!」
ファナが悲鳴が悪魔の巣窟に響き渡る。
人の死に慣れた彼らでも、共に過ごしたこの半年は濃密な時間だ。
特に男色好きのファナにとって、クラリスは兄であり姉のような存在だったのだ。
「……行こう。早く終わらせるんだ」
悲しみに浸る暇もなく、ジークはアルトノヴァに飛び乗った。
ーー『鉄の街』テルノ・ドァンゴ。
「ハァ、ハァ、リリア、周りを囲まれてる! 気を付けて!」
「はい!」
見上げるほど高い工場が立ち並ぶ機械都市。
旧世界のビル群を思わせる摩天楼の中でトニトルス小隊は奮戦する。
クラリスの死を経て前に出ようとするリリアを悪魔たちが取り囲んでいた。
(少しでもジークの負担を減らさないと……これ以上、誰も死なせない!)
内心で決意し、リリアは錫杖から氷の槍を放つ。
触れるまでもなく対象を凍てつかせる直死の槍は、千体以上の悪魔を貫いた。
地面に霜が広がり、建物までもが凍てつく中、そっと白い息をつく。
「ふぅ……不死の都の全軍が中央大陸に侵攻しているのは本当なようですね……。数が多すぎる」
「姐さん! 無事か!?」
「ギルダーンさん、はい。無事です。ありがとうございます」
ギルダーン率いる小隊員にリリアは微笑みを浮かべる。
半年前に合流してから彼らとはいい関係を築けており、今ではジークやルージュと同じくらい親しくしてもらっている。クラリスを喪って悲しいのはジークやファナだけではない。リリアにとっても、トニトルス小隊は大事な仲間だ。彼らの誰が死んでも悲しいし、二度と失いたくないと思って戦っている。
「そちらは? 負傷者は……」
「エッダが死んだ。大将が送ってくれたよ」
「……っ、そうですか」
引っ込み思案ではあるが、竜が大好きな青年だった。
アルトノヴァを見てジークに触らせてほしいとお願いしていたのはリリアもよく覚えている。戦艦に竜舎を作る際も、彼の意見が多く採用されていた。
黙祷を捧げるリリアをよそに、ギルダーンは周りを見渡し、あちこちに雷が迸っているのを見る。ジークが魔剣を振るうだけではなく、加護の力まで多用している証拠だ。
「……仲間が死ぬにつれて大将の我慢がきかなくなってる。
そろそろ何とかしねぇとやばいぞ。ヤタロウの策でもカバーしきれねぇ」
此処までの戦闘でトニトルス小隊が救ってきた都市は十にも及ぶ。
さすがに小隊員たちにも疲労が見えており、犠牲者が増える一方だ。
112人居た小隊員たちが、今や105人に減ってしまっている。
たったそれだけで済んでいるのが奇跡ではあるが、
ジークが力を使えば使うだけ、冥王の思うつぼだ。
リリアがそう考えたその時だった。
ザザ、と雑音が響いた後に、ジークの声が届いた。
『トニトルス小隊に次ぐ。この都市での救出活動は中止。
戦線離脱し、東へ十キロ進んだところにある小高い丘に集合せよ』
「……っ、でもジーク、まだ悪魔たちが……」
『大丈夫。かなり数は減らしたから、後は街の葬送官たちで何とか出来る。
僕たちの戦いは殲滅じゃないんだ。住民たちが避難できればそれでいい』
鉄の街の上空でジークは戦況を見渡していた。
火の海となっている鉄の街の各所でトニトルス小隊の面々が戦っている。
リリアが担当している地区は既に悪魔の寄り付かない神域じみた場所になっていた。
『……ジーク、大丈夫ですか?』
こちらを見上げるリリアを見ながら、ジークは言葉を続ける。
「本当に大丈夫だよ。今回はセルゲンの指示じゃない。僕の判断だ。
さすがに戦いすぎだよ。移動時間が大半とはいえ……みんな、休憩しよう。いいね?」
『了解!』
この街に来るまでも何回か休憩を挟んでいるが、三時間以上の休憩はしていない。
そろそろ休憩しなければ死傷者の数は激増するだろう。
ジークの有無を言わせない口調に小隊員たちが応じ、一同が移動する。
「……」
アルトノヴァに乗ったジークが上空から舞い降りて、集合地点に降り立った。
続いて赤燐竜に乗った部隊が次々と降り立ち、トニトルス小隊は羽を休める。
補給部隊から食糧が配られ、焚火を起こし、簡易的な野営の準備を始めた。
(やっぱりみんな、想像以上に疲労が濃い……そりゃそうだ。
もう十時間以上戦い続けてる。慣れない飛行での疲労もあるはずだし……)
何より、この半年で絆を深めた仲間たちを喪った悲しみは大きい。
監獄島では互いに深く立ち入らない関係だったが、ジークがあの場所を壊したことで、彼らは互いの距離を縮め、家族のように仲良くなっていた。ファナを始め、仲間を喪った悲しみが彼らに押し寄せ、中には寄り集まって泣いている者もいる。
「……お兄ちゃん、大丈夫?」
「ん、大丈夫」
ひょこ、とルージュが顔を覗かせて問いかけて来る。
心配そうな妹の頭に手を置き、陽力を送ると、彼女は「むぅ」と頬を膨らませ、
「全然大丈夫じゃないよ……お願いだから休んで」
「そうですよ、ジークこそ一番休まなきゃ。みんなのためにも」
隣に立ったリリアの言葉に、ジークは大人しく甘えることにした。
丘の上にある一本の木に寄りかかり、背中を預ける。
はぁー……と深く長い息をつくと、どっと身体が重くなるのを感じた。
相次ぐ都市の救出、ルプスとの邂逅、全力で戦えない精神的疲労……。
トニトルス小隊の被害を減らすため、自分で思う以上に力を使っていたようだ。
このまま瞼を閉じれば、いつまでも眠ってしまうかもしれない。
「ジーク殿、お疲れさまです」
「ヤタロウ」
ヤタロウが湯気の立つコップを持ってやって来た。
コップを受け取ると、ほのかな温もりが身体に染みわたってくる。
「拙者特製の蜂蜜生姜湯です。身体が暖まりますぞ」
「ありがとう」
生姜のほのかな香りが身体を満たし、はちみつの甘みが口の中を蕩けさせる。
甘いものを食べたのは何日ぶりだろう。もう随分と食べていなかった気がする。
ほぅ、と息を吐き、ジークはヤタロウを見た。
「君は大丈夫?」
「えぇ、拙者はアルトノヴァ殿に楽をさせてもらっておりますから、問題ござらん」
「身体じゃなくて、心の方だよ」
「それも、問題ござらん」
仲間の犠牲を覚悟した策を考えるのは、根が優しいヤタロウにとって相当な負担のはずだ。彼はジークに少しでも楽をさせるため、多少の犠牲を覚悟した策を実行してきた。
いくら仲間たちも了承しているといっても、その精神的苦痛は想像も出来ない。
(でも、僕がお礼を言うのも、なんか違う、か)
ジークはため息を吐き、
「ヤタロウ。元老院は……セルゲンはどういう基準で都市を選んでいるんだ?」
一瞬の間があった。
「人類の重要拠点、戦略的要地、都市の生存確率などから計算していると思われます」
「……それだけじゃないよね? 何を隠してる?」
ヤタロウの目が一瞬泳いだのをジークは見逃さなかった。
言っている事は事実だし、嘘はついていないが、何かを隠そうとする仕草。
信頼する参謀の目をまっすぐ見つめていると、彼は口惜しそうに肩を落とした。
「今まで救った……撤退命令の出なかった都市は……」
「都市は?」
「元老院の……故郷です」
「は?」
今、なんて言った?
「ヤタロウ」
「元老院はセルゲンを始めとした七人の男女で構成されております。
彼らは全員、始まりの七人の子孫で……」
「そんな事は聞いていない。本当なのか?」
燃え上がるような衝動を抑え、低い声で問うジーク。
ヤタロウは出来れば隠しておきたかったと言いたげに、ゆっくりと首肯した。
「人類の重要な戦略拠点であることも、事実です」
「……分かっている。分かっているけど、それでもッ!」
「!」
ーーゴォォオオオオオオオ!
ジークから迸った陽力が上空に立ちのぼり、暗雲を穿つ。
空の上で激しくぶつかり合う雷と稲妻。
激しい力を感じた隊員たちが何事かと集まり、ジークを見て目を見開く。
「大将ッ! どうした、何があった!?」
「お兄ちゃん……ヤタロウ!? あんた何をしゃべったの!?」
「ジーク、何があったのか知りませんが、落ち着いて下さい!」
「落ち着く……? 落ち着いていられるか、これがッ!!」
溜まりに溜まったストレスが爆発し、陽力へと変換される。
怒りに染まる英雄に呼応し、蒼白い雷の火花が周囲を蹂躙する。
「僕らは、人類のために……罪のない人を守るために戦っていたんだッ!
それがなんだ? あいつら、壁に囲まれた聖地に引きこもっているだけのあいつらが! 大勢の葬送官に守られて! 七聖将に守ってもらっているあいつらが! 自分たちの家族を守らせるために僕たちを派遣していたって!? ふざっっけるなッ!!」
ドンッ!!と足踏みした大地が蜘蛛の巣状にひび割れ、丘の上に激震が走る。
怒りを受け止め切れない大地が悲鳴を上げるが、ジークは気にも留めない。
「クラリスは、エッダは、みんなは……! あいつらの為に戦ったわけじゃない!!」
「大将……」
顔を歪めながら眦に涙を浮かべるジークに、隊員たちは唇を噛み締めた。
彼らとてジークの指示に全て納得していたわけではない。
それでも、この人が一番つらいのだと察していたから。
ヤタロウは諭すように、
「この戦いが終わった後、人類が生き延びるためにはあれらの都市が生きる必要がござった。ジーク殿、気持ちは大変よく分かりますが、『次』を考えましょう。今、この場で無駄に力を消費するのは……」
「また、それだ」
ジークは乾いた笑みを浮かべた。
仲間の死が彼に冷静さを損なわせ、理性の壁を取っ払っている。
「この次、この次、ヤタロウ。僕たちが生きているのは『今』なんだよ?」
「……っ」
「お前が戦いが終わった後を見据えるのは、分かる。それがお前の役目だ。でも、赤の他人の元老院に、自分たちのことしか考えないあいつらに指示されるのは、もう我慢ならないッ!!」
ーー何のために仲間たちが犠牲になったと思っている。
ーー僕の家族は、アイツらの故郷を守るために戦ったというのか?
「『今』、苦しんでいる人たちを見捨てて! 信念に目を背けて!
それでも未来のためにと思ったから、ここまで来たんだ。ここまで来れたんだ!」
「……」
ヤタロウは何も言わない。
リリアもルージュもギルダーンも、軽薄なロレンツォも。
誰もがジークの言葉に耳を傾け、痛みに耐えている。
「ねぇ、ヤタロウ。異端討滅機構って、何のためにあるんだ……? 力のない人たちを守るためにあるんじゃないのか?」
「それは……」
罪のない人を見捨て、戦略などという形のないものの為に救出都市を決める。
それが人類のためというならそうなのだろう。だが、必死に手を伸ばす人々を見捨てて何が英雄だ。そんなものが英雄だなんていうなら、英雄なんて喜んでやめてやる。
ーーあぁ、こんな気持ちだったのか。
ストン、と腑に落ちるものがあった。
一年前、異端討滅機構に憎しみを抱いて死んだミドフォードを思い出す。
人造悪魔創造計画に携わった彼は叫んでいた。
『異端討滅機構……奴らは世界平和と人類種の保存という大義のため、滅びゆく国から葬送官を引き上げる。その国の民を見捨ててな。今までそれで滅びた国がどれだけあったと思う? 奴らが、我がサンテレーゼを同じようにしない保証がどこにある? しかも命令に従った葬送官は生き残りに裏切り者呼ばわりされ、組織の狗と呼ばれる始末だ。両親が葬送官だからと、何の罪もない孫を凌辱され、絶望の末に自殺した息子夫婦の恨みは、どこに晴らせばいい!?』
今回ジークたちが見捨てた国では葬送官が奮闘していた。
命令に従わなかったのか、ジークたちの救援があるから葬送官を引き上げなかったからか……。それは分からないが、元老院が都市を見捨てるように指示したのは事実だ。
ーー今なら分かる。やり方は最低だったけど、分かるよ。
異端討滅機構。
人類種の平和と安全。
戦いの後の未来、そして参謀の言葉。
全てがごちゃまぜになったジークは拳を強く握りしめた。
「僕は……!」
ザザ、と。
嫌というほど聞いた残酷な音に、その場の誰もが注目した。
ジークは懐から通信機を取り出し、声を聞く。
『次の救出地が決まった。『風の街』だ。ジーク・トニトルス。急ぎ向かえ』
「……少し待て」
『……なに?』
ジークは通信機の声が聞こえる部分を抑え、ヤタロウに問う。
「この街は」
ヤタロウは口惜しそうに、けれど無言でうなずく。それが答えだった。
元老院は自分たちの故郷を守らせるため、再びジークを使おうとしているのだ。
プチン、と何かが切れる音がした。
「おい、セルゲン。お前、今どこにいる」
『……何を言っている。カルナックに決まって……』
「分かった」
がしゃんッ!とジークは通信端末を握りつぶした。
嫌な音を立てて地面に落ちる端末。それをさらに踏み潰し、ジークは顔を上げる。
こちらを見守る105人の目が、心配そうに揺れていた。
「大将……どうするんだ?」
ロレンツォの震える声を聞き、ジークは仲間の顔を一人一人見渡す。
全員がそろっているのを見て、息を吸い込んだ。
「聞け! トニトルス小隊!」
びりびりと空気を震わせる怒声じみた声に、トニトルス小隊は居住まいを正す。
実戦と訓練で刻まれたジークへの敬意と少しの恐怖が、大将の言葉を一言一句聞き取っていく。だが、次に放たれた言葉はその場の誰も予想だにしないものだった。
「現時刻を以て、第七特務遊撃隊、トニトルス小隊は解散する!」
『!?』
「各々、自由に生きろ。以上だ」
それだけ告げて、ジークは彼らに背を向けた。
アルトノヴァ、と呼びかけ、ドスン、と羽を休めていた神獣がジークの前に降り立つ。誰もが言葉を失うなか「ま、待てよ」とロレンツォが戸惑ったように、
「いきなり解散って……どういうことだよ!?」
「あぁ、急すぎるよ。それに、尻尾蒔いて逃げるわけじゃないよね。大将の目は」
「ジーク、説明してください」
「お兄ちゃん……」
心配する一同の中からギルダーンが進み出て、
「答えてくれ、大将……俺たち、ダチだろ? あんた、何をするつもりだ」
「……」
ジークは振り向かず、西の方角を見据える。
その先にある場所を悟り、ヤタロウが目を見開いた。
「ジーク殿。まさか」
嫌な静寂を経て。
確固たる決意をにじませたジークは告げるのだ。
「異端討滅機構をぶっ潰す」
第三部第二章『英雄の出陣』→『英雄の叛逆』