第二話 まだ誰も知らない想い
「ーーバルボッサ流拳闘術『龍頭散華』!」
鋭い声と共に繰り出された拳が魔獣の身体を爆砕する。
血の雨を避けながら、麗しき乙女は次なる標的へと向かった。
が、その背中に。
「グォォオオオオオオオオオオ!!」
「カレン殿! 失礼!」
「!」
カレンの背中を狙っていた獣を流れるような刃が切り裂く。
「扶桑一刀流『桜吹雪』……切り捨てご免」
血しぶきを上げて倒れる獣を踏み倒しながら、着流しの武人は背中を合わせた。
「余計なお世話でござったか?」
「ですわね。あなたが来なくても対処できましてよ」
「……か、カレン殿も女子なのですから、少しは我が身を大切にしてくだされ。部下が置いてけぼりです」
「カレン隊長!!」
そこで現れたのは、カレンが率いる獣人部隊の面々だ。
主に女性の兵士で構成された彼女らは、カレンとヤタロウを守るように陣形を組む。
「カレン隊長~~! 先に行きすぎですよ!」
「いくら実戦が久々で張り切ってるからってぇ~」
「カレン様、ちょっとは自重してください!」
散々な言葉にヤタロウはほら見ろと眉を上げる。
カレンは不服そうに尻尾でヤタロウを小突きながら、部下たちに謝った。
「申し訳ありません。少々滾ってしまいましたわ」
「少々じゃないでしょこれ……」
部下の一人が呆れたように、
「普通十人単位の大隊で倒せる大型魔獣を一人で……しかも怪我もしてないと来た。
カレン様、もしかして獣王国の兵士全員をぶっ飛ばしたってほんとですか?」
「まぁ。そんな事もありましたわね」
「かっけぇ……」
憧れの眼差しを送られてカレンもまんざらではない様子だ。
カレンが率いる獣人部隊の彼女らも、遅れているとはいえSランクの未踏破領域を難なく進んでいる。むしろカレンは、彼女たちがちゃんと自分で対処できるか試すために先行した可能性が高い。それを口に出さないのは、やはりオズワンの姉なのだとヤタロウは実感する。
「ていうか副隊長も! あたしら置いけぼりって参謀としてどうなの?」
「そうよそうよ。バカタロウの癖に」
『ねー!』
「うーむ。拙者の味方はおらぬでござるか……?」
どっと、未踏破領域に笑いの花が咲く。
各部隊で副隊長を受けて回ったヤタロウだが、女だらけの獣人部隊が一番居心地が悪い。実際のところ彼女らに悪意はなく、場を和ませるためだと分かっているのだが。早く拠点に帰りたとうござるなぁと遠い目をした参謀を見かねて、カレンが助け舟を出した。
「冗談はその辺にして、早くヌシを倒して帰還いたしますわよ。ジーク様もお迎えにいらっしゃいますし、待たせるわけにはいきません」
「あ、あたし、今日こそジーク様に褒めてもらうんだ!」
「ふ。私、この前褒めてもらったもんね」
『え、ずるい!!』
その後、姦しい獣人たちはSランクの未踏破領域を踏破し、
ジークの迎えで最果ての島へ帰還して、その日の酒を楽しむのだった。
ーー数日後。中央大陸西部、最果ての島。
ーー最果ての方舟、指揮所。
「どうだった? 女獣人の部隊は」
「文句なく合格ですな。カレン殿が居なくてもヌシを倒せていた可能性が高いでござる」
「そっか」
合格、という判子を押して、ジークは書類を整理する。
机の上にずらりと並べられているのは各部隊の編制表だ。
今や軍隊並みの兵力を持つ『最果ての方舟』には、何十組もの小隊が編成されている。
トニトルス『小隊』と呼ぶことはもう出来ないだろう。
そんな話をしながら、解散したのは夜の十時だ。指揮所の片づけを終え、主だった面々が退室。オズワンやギルダーンはすっかり酒飲み仲間になったようで、今日も晩酌のようだ。
「なぁヤタロウ。お前もたまにはどうだ?」
「いえ、拙者は少し片づけたいことがありますので。どうかお気になさらず」
「そうか」
オズワンは何か言いたげにジークを見た。
「ん……じゃあ僕たちは行くけど、君もほどほどにしなよ」
「ご安心を。拙者にとって仕事は休みでござれば」
ヤタロウはそう言ってにこりと笑う。
ジークたちは顔を見合わせ、肩を竦めて去って行った。
かりかり、かりかり、と書類仕事をする筆の音だけが響いていく。
「ーーお茶を入れましたわ」
ことり、とヤタロウの作業していた書類の上にカップが置かれた。
見れば、そこにはむすっとした竜人の姫が立っていた。
「おぉ、カレン殿。まだ居たのでござるか」
「さっきからずっといましたわよ。集中しすぎです」
言われて、ヤタロウはペンを置く。
香ばしい湯気がたちのぼり、武人の肩から力が抜けていく。
「かたじけない、カレン殿」
「ヤタロウ、あなた働きすぎですわ。少しは休みなさい。ジーク様の指示も無視しているでしょう」
「いやぁ……休んでいますと、落ち着けないのでござるよ」
そう言ってヤタロウはカップの中身を空にした。
早々に仕事に戻るヤタロウにカレンが眉を顰めているのだが、彼は気付きもしない。
カリカリ、カリカリと筆を走らせながら武人は呟く。
「ただでさえ急速に膨れ上がった部隊でほころびが出ています。
獣人の隊員と人間の隊員の間でいさかいもありますし、部隊で数字を扱えるのは数少ないですから」
カレンはそっとため息を吐いた。
「なら、わたくしも手伝いますわ」
「え?」
カレンはそばにあった書類をひったくり、数字を入れ込んでいく。
いきなりの強行にヤタロウが「か、カレン殿?」と戸惑うが、
「二人でやった方が早いでしょう。早く終わらせますわよ」
「ですが……」
カレンは書類を滑らせ、ヤタロウの元へ。
ヤタロウが内容を確かめると、満点以上の出来だ。
くるくるとペンを回すカレンが「フフ」と得意げに胸を張る。
「こう見えて、レギオンに関する数字は一通り頭に叩き込んであります。
あなたが来る前はわたくしの仕事でしたのよ? 少しは信用してもらっていいのではなくて?」
「……失敬した。では、ありがたくお願いし申す」
ヤタロウはふっと笑みをこぼし、書類仕事に戻った。
二人でやると驚くほど仕事が進み、余裕が出てきたヤタロウはカレンに水を向ける。
「今日の探索でも思いましたが、カレン殿は何でもできますな。武術、精霊術、あげくに書類仕事まで……才色兼備とはまさにあなたのためにあり申す。オズワン殿はよく不貞腐れずにまっすぐ育ったものですな」
「……そんないいものではありませんわよ」
カレンは苦笑して、
「わたくしは他の方々より少し要領がいいだけです。物事の肝を掴む力があるのだと思います。それを才能と呼んでも構いません。美貌というのも……まぁそうですわね、容姿は優れている方かと」
「謙遜しないのですな?」
からかうような言葉にカレンは胸を張る。
「下手な謙遜は嫌味でしてよ。わたくしは天才かつ美人。それは事実です」
「ううむ。清々しいでござる……」
「ですけれど。そんなにいいものではありません」
先ほどと同じ言葉を繰り返すカレン。
冗談めかした物言いとは違って、その瞳は物憂げに揺れていた。
「下手に何をやらせても上手くできるが故に、これといったものがない。
皆がのめり込んでしまうようなものがないのです。わたくしには『個』がない」
「……カレン殿」
それはヤタロウが初めて見る、カレンの弱音だった。
獣王国で弟を救いたいと願っていた時とは別の寂しげな表情。
普段はレギオンの屋台骨になっている女の素顔がそこにある。
「わたくしはバルボッサ氏族の巫女として、気高く在れと育てられました。
わたくしはその通りにしました。王女として強くあれと言われました。その通りにしました。病に伏せるまで……いえ、病を治してからも、わたくしには自分の芯がありません」
だからカレンには『弟を守る』事が人生の全てだった。
それは周りから望まれること以上に自分がしたい事であり、カレンが自分を確立できることだった。
周りの期待に押しつぶされそうな自分を。
確たる個がない、貫くべき芯がない自分を。
それを聞いて、考えてみれば当然だとヤタロウは思う。
いかに天才とはいえ、たかが十代の女子が周囲の重圧に何も思わないわけがない。
カレンはオズワンを助けながらも、それ以上に自分を救っていたのだ。
ーーけれど。
「オズはもう姉に守られる必要のない立派な漢です」
カレンの芯は無くなってしまった。
オズワンは獣王国の王となり、体術戦でジークと渡り合うほどに成長した。
今では、世界を変える決戦の為に千人の獣人を率いる大隊長だ。
そのことを誇らしく思うと同時に、少しだけ、虚しくて。
「今のわたくしにはやりたいことも、貫きたいこともない。ただ、エル=セレスタで見た獣人の迫害を忘れられないからここに居る。わたくしを助けてくれたジーク様に恩を返すために……何もないわたくしでも、誰かの役に立てるんじゃないかと……」
一拍の沈黙。
カレンは首を横に振って、
「少し、話すぎましたわね。さて、仕事の続きを……」
「ーー良いのではごらさんか?」
「!」
ハッ、とカレンは顔を上げた。
ヤタロウは眼鏡をくい、と上げ、書類仕事に戻る。
「『誰かの役に立ちたい』。それはそれで、貫けば信念でござろう。
自分を見つめ、出来る事をする。何を謙遜する必要があり申す。あなたは立派な芯をお持ちだ」
「ぁ」
「拙者は天才ではござらんが……理屈として、その苦悩は理解できる。
その上で言いましょう、カレン殿。他者の痛みを理解できる竜の姫君よ。
あなたは十二分に『個』があり、信念がある。仲間として誇らしいお方です」
ヤタロウは冗談めかしてようにペンを回して、
「ほらこのように、拙者も助かっていることですしな?」
「……」
子供のように笑って書類仕事に戻ったヤタロウ。
カリカリと紙を掻く音が響く中、呆然としていたカレンはゆっくりと頬を緩めた。
「……全く。ヤタロウの癖に、生意気でしてよ」
「えぇ。故郷でもよく生意気と言われてござった」
そう言いつつ、ひたすらに書類仕事を進めていくヤタロウ。
机の上にある書類を八割ほど終わらせたところでカレンが切り出した。
「後はわたくしがやっておきますから、あなたは休んではいかが?
「いいえ。決戦も近いのです。そろそろ書類仕事は終わらせねば」
「だからって、休まないのはどうかと思いますが。休むのも仕事の内でしてよ」
「……休む資格など、拙者にはごらさんよ」
思いがけない言葉に、カレンは息を呑む。
着流しの武人は仕事に没頭しており、眼鏡が光っていて瞳が見えない。
自分が心情を吐露したから、だろうか。
普段は絶対に口に出さない本音を、ヤタロウは口に出していた。
「拙者は今でこそジーク殿の参謀としてここに居ますが……これまでの罪は消えません。自らの復讐のために何を犠牲にすることもいとわず……たくさん、無実の人々を見殺し申した」
「……ですがそれは、アステシア様の命令もあったから」
「アステシア様は手段にすぎませぬ。お互いがお互いを利用した。我らの関係はそれだけのこと。もしも彼女の助けがなくとも、拙者はどうにかしてカリギュラに近付き、殺していたでしょう」
それこそ、どんな手段を使ってでもだ。
誰かが死んでいく様を無感情に見ていた。
悪魔教団に同調し、他者を虐げ、親を失い泣き叫ぶ子供を黙って見ていた。
「ジーク殿は許してくれましたが、拙者の中で罪は消えません」
きっとこれからも消えることはないだろう。
否、消えてはいけない。
それは死の神と契約した自分が負うべき罪業だ。
「休んでいるたびに……誰かと騒ぐたびにもう一人の自分が叫ぶのです。
お前にそんな資格はない。人類の為に身を粉にして働け。それが贖罪、だ、と……」
ぐらり、とヤタロウは頭を揺らした。
意識が朦朧とする。喉が震えて声が上手く出ない。
眠気にしては急すぎる。一体何が……。
おぼろげに映るカレンが「はぁ」とため息を吐いているのが見えた。
「ようやく効いてきましたのね。毒の耐性でもありましたの?」
「カレン、殿……」
「ジーク様の命令です。休みなさいヤタロウ・オウカ。働きすぎです」
眠りの神ヒュプノスの加護が込められた特製の眠り薬だ。
いかにヤタロウでも、信のおける仲間から闇の神の加護が効いた毒を盛られるとは思わなかっただろう。うとうとと、またたきを繰り返すヤタロウの頭にカレンは手を置いた。
「ヤタロウ。確かにあなたは罪人です。あなたのこれまでは消えない。
でも、それでも……あなたの身を案じている人はいるのです。それを忘れないで」
「……か、れ……」
ばたり、とヤタロウは机の上に突っ伏した。
眠りの神の加護といえど万能ではない。これほどの効き目を表すという事は、もう何日も寝ていなかったのだろう。
ぐー、と眠りの世界に旅立った仲間をカレンは優しく見つめる。
「わたくしも、その一人ですわ。ヤタロウ」
今、この場には誰も居ない。
カレンはヤタロウの頭を優しく撫でていく。
かつて自分が母にされたように、かつて弟にそうしていたように。
「罪を自覚しながらも止まらなかった愚かな人間。
悪いことだと分かっていても突き進み、復讐を遂げた大罪人……。
でもね、ヤタロウ。そんなあなたの言葉で、救われる者もいるのです」
カレンは大の男を軽々と持ち上げて、仮眠室へ運ぶ。
ベッドの上に優しく置いて毛布をかけながら、丸眼鏡をはずした。
「……他者の事は目ざとく見ているくせに、自分の事になると無頓着。悪役を進んで引き受けようとする自罰的な性格……あなたの欠点、嫌いではありませんわ」
フ、と照明が消え、二人の姿を暗闇が包み込んだ。
「本当に、仕方のない人」
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