閑話 時は移ろい、そして彼は往く
ーー冥界、某所。
「ついに英雄の刃が神に届いた」
白い花畑の中に男は佇んでいた。
彼が見つめる水面には、黒い鎧を纏う男の姿が揺れ動く。
「あなたの懸念は杞憂であったという事かな」
「それはどうでしょうね」
答えたのは、水面の上を佇む少女だった。
蒼い髪を揺らし、黒衣のコートを揺らした彼女は水面に波紋を立てる。
「むしろ私は、これから全てが始まる気がしています。
もはや誰も彼の力を疑う事はない……アレなら、成熟する前にその実を収穫するはず。
私たちも動かなければ、彼を失ってしまうかもしれない」
「終わりの始まり。終末を謳われた予言の子か。皮肉なものだ」
男は兜を脱ぎ去った。
赤髪紅眼。長く鋭い耳。引き締まった騎士のような男がそこに居る。
『真なる悪魔』第一死徒、ニア。
「誰よりも平和を望みながら、その実、変革という混沌をもたらしている」
またの名をーー
「まるで自分を見ているようですか、『紅の英雄』ファウザー」
「……ファウザーは死んだ。今、ここに居るのは第一死徒ニアだ」
「……」
「武神が死んでも計画に変更はない。その点が確認できればそれでいい」
ファウザーは女に背を向けて去って行く。
「全ては終末計画のために」
呟きは、闇に溶けて消えていった。
「愛する姫を救うためなら、僕は冥王と共に世界を滅ぼそう」
◆
天界から帰ったジークは、光の柱の中をリリアと共に降りていった。
七柱の神像がある空間には香の匂いが満ちている。
眼下、魔法陣の中心にはこちらを見上げるルナマリアとメイドが居た。
(たった一週間だけど……帰って来たって感じがするなぁ)
地面に降りると、光の柱が消えていく。
銀髪の姫は両手を上げて、
「ジーク! よく帰った!!」
「はい、ただいま帰りました。姫様」
「うむ。おかえり! ローリンズ殿も久しぶりじゃな」
「ご無沙汰しております。ルナマリア様」
相変わらず、子供のような表情で笑う。
幼女のような姿をしているが、その内面は五百年前に生きた大人の女性そのものだ。
神にその身を捧げた巫女……神の巫女。そんな言葉がジークの脳裏によぎる。
(おじさんは、この人の為に……)
そんなジークに、ルナマリアは目ざとく気づいた。
目を見開き、やがて諦めたように息をつく。
「その顔は……そうか。向こうで全てを聞いたか、ジーク」
「はい。姫様のことも……おじさんのことも、全部」
「そうか」
ルナマリアは寂しげに頷いた。
「妾を……幻滅するか、ジーク」
「……姫様?」
「メネスがやったのは決して許されぬ大罪じゃ。何万回殺されても文句は言えん。
じゃが、そもそも妾が奴を拒絶しなければ、こんな事にはならんかった」
あまつさえ、
「妾は……未だに、あやつを愛している」
ジークとリリアは言葉を失った。
五百年もの間、人類を背負い続けてきた彼女の女としての顔。
決して誰にも聞かせられない言葉には愛おしさが滲んでいた。
「愛しているからこそ、止めたいと思う」
「……」
「奴を止めるために、妾はおのれの全てを懸ける。それが妻である妾の義務じゃ」
「……はい」
ジークは頷き、ルナマリアの手を取った。
「一緒にあの人を止めましょう、姫様」
「……!」
「あの人の気持ちは痛いほどわかる。僕も同じ立場なら同じことをするかもしれない。
けど、それでも、あの人のやり方は間違っている。理不尽なこの世界は、正すべきだと思います」
「……そう、言ってくれるか」
ルナマリアは涙ぐんだ。
「ありがとう……ジーク。ありがとう……」
神の巫女の涙が、七聖の間にこぼれおちていく。
かくして全ての仲間を迎え終えた英雄は、最果ての島へ帰還する。
ルージュが泣き喚いたりヤタロウが文句を言って来たり、トニトルス小隊の面々が茶化して来たりリリアに触れたロレンツォをジークがぶっ飛ばしたりと、そんな一悶着を経て。
ーーそして半年が過ぎた。
第三部第一章『神々の狂騒』了
第三部第二章『英雄の出陣』始




