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ゴッド・スレイヤー  作者: 山夜みい
第一章 神々の狂騒
183/231

第十話 アステシア

 女ーー一人の女が、居た。

 彼女にとって『識る』ことがこの世界の全てだった。


 なぜ森の樹々は緑なのか。なぜ空は青いのか。月と太陽の関係は。

 なぜ命は人と神々と獣に分かれているのか、人界と天界と冥界の在り方は。


 女は「なぜ」を繰り返した。

 そして砂漠に存在する砂粒を数えるような、

 無限にも思える問答を経て、女はその問いに辿り着いた。


 ーーワタシは、何?


 そもそも、疑問と回答を繰り返す自分という存在は何なのか。

 無限の一人問答を続ける、ただ疑問を抱くだけの女は何なのか。

 そもそもなぜ自分は女で、なぜ自分はこの世に生まれたのか。


 ーー答えはすぐに出た。


 知りたいと思った瞬間には答えが出ている。

 それが叡智の女神の権能であり、女がこの世に生まれてきた本能(意味)だ。

 しかしーーどうしても出ない答えがあった。


「名前」


 それは人界で自然発生した霊長類が編み出したものだ。

 人には名前があった。獣にも、植物にさえ名前がつけられていた。


 ーー自分には、なかった。


 それは自分を意味づけるものだ。

 肉体で守られた魂を区別し、他者と自分を分かち、無限にも思える広大な生命から自分を見つけ出すための、名前。


 女は権能をフルに稼働する。答えは見つからない。

 いつだって自分に答えてくれた本能が応えてくれなかった瞬間だった。


 ーー名が欲しい。


 自分という存在に意味が欲しい。

 あらゆる叡智を極めし権能だというのなら、この問いに答えてほしい。


 女は生まれて初めて苦悩した。

 名を、意味を、ワタシを、ワタシは、ワタシが、ワタシは、


 誰。


「フーッハハハハッ! 全てを見通す叡智の怪物が、おのれの名に迷うか!

 よかろう、ならばオレが名を付けてやろう。いと美しき叡智の化身よ。その星のごとき美貌を由来としよう!」


 それは自分と同類でありながら誰よりも自己を突き詰めていた個体だった。

 女が世界のあらゆることに目を向けるというなら、それは徹頭徹尾おのれに目を向けていた。研鑽の怪物は、高笑いをして告げたのだ。


「貴様の名はアステシア(星の化身)。天界に浮かぶ美しい星の煌めき!」

「あす、てしあ」

「うむ! そして我が名はラディンギル(極めし者)!」


 男は自己を内観し、おのれの存在をおのれで意味づけた。

 名という概念を理解もせず、ただそうあれかしと『願い』を込めて作った。


 男は自分のほかにも神々に名づけをしていたようだった。名を持たず機能を果たす歯車たちは、名づけを経て急激に自我を構築していき、父なる神もまた、それを許容した。あの冷徹なる絶対神が自分の事を可愛がるようになったのは、名を得てからだろう。この男は絶対神を動かしたのだ。


 ーー『すごい』という感情を覚えたのは、この時が初めてだった。

 ーー『ずるい』という感情を覚えたのも、この時が初めてだった。


 否、自分に感情が生まれた瞬間があるなら、きっとこの時だ。

 なぜなら自分は叡智の女神、識ることしか取り柄のない知識の探究者。

 その自分が見つけられなかったのに、この筋肉の塊のような男が答えを見つけるなんて。


「フハッ! なかなかに失礼なことを考えているな。分かるぞアステシアよ!」

「うるさい、と私は思います」

「うむ。まだ固いが……まぁ良い。これから存分に学べばいい。時間はたっぷりあるのだからな!」


 武神ラディンギルはそう言って笑った。


「お前にも愛する男が出来れば、分かるようになるさ」


 それから何かにつけて彼は神域に顔を出してきた。

 ゼレオティールよりも近しい……兄のような、父のような男だとアステシアは思う。


 それが今から、気が遠くなるほど昔の話。

 このことがきっかけで叡智の女神は『識る』以外に人としての機微を覚えた。

 ラディンギルが気まぐれに渡してきた、人間たちが作った『物語』を好み、蒐集するようになった。既存のあらゆるものを組み合わせて無限の可能性を描く彼らの話は狂いそうになる心を癒してくれたのだ。


 彼から感情を教わり、アステシアはアステシアへと成った。





 ーーその男が今、愛しい人と戦っている。



「……」


 名乗りを上げ、勝負の開始を宣言した二人は動かない。

 一向に動かない二人にラークエスタが眉を顰めて、


「二人とも、なぜ動かないのでしょう? とっくに勝負は……」

「いいえ。もう始まっているわ」


 アステシアはじっと二人を見守る。

 よく見ればジークの額からは滂沱の汗が流れており、表情は険しい。


想像(イメージ)の中で戦っている……達人同士が放つ剣気の応酬が為せる技)


 ラディンギルは涼しい顔で受けている。

 アステシア達には分からないが、今、二人の脳内では数多の技の応酬が繰り返されているはずだ。そしてその決着もまた彼らのみぞ知る。やがて。


「……埒が明かないな」


 ジークは舌打ち交じりに呟いた。

 想像の中だけで戦っても、突破口が見つからない。

 ならば自分の持てる全力をもってぶつかる方がいいと彼は考えたのだろう。


『ーーフっ!』


 静寂を破り、英雄と武神は同時に動いた。


「……!」


 光の軌跡がうなりを上げ、同時に衝突する。

 そうと思った瞬間には別の宙に光が描かれていた。

 行き着く暇もない高速移動。

 互いに位置を入れ替え、武神と英雄は剣戟の狂騒曲を奏でていく。


「……あぁ、すごい」


 頬を上気させ、紅潮した頬を抑えるアステシア。

 それは武を極めた者達がぶつかり合う魂の咆哮だ。

 この世の理から逸脱した半魔が、今、武神と対等に渡り合っている。


「これがあなたの力なのね、ジーク……」


 神霊体で見たことはあったが、生身で婚約者の本気を見るのはこれが初めて。

 だが、神霊体を通してみるのと、この目で戦いを見るのでは印象がまるで違う。


「ぉぉッ」

「フン……ッ!」


 懐に入り込んだジークの剣がラディンギルの脇腹を捉えた。

 転瞬、武神は長剣を回転させ、真っ向から攻撃を防御。

 びりびりと手を痺れさせる重い斬撃に、反撃をーー


 もう一本の剣が迫っている。


「あぁ……楽しいなぁああッ!」


 武神が哄笑をあげ、爆発的な威力で地面を蹴った。

 鍔迫り合っていた剣を弾かれ、体勢を崩されたジークに対しラディンギルの足が三日月に弧を描く。直撃すれば死。その予感を抱かせるに十分な一撃を、光がのみ込んだ。


「天雷……っ!」


 迷うことなく(いかずち)を行使したジーク。

 花畑が直線状に抉れ、ラディンギルは重傷を負うはずだった。

 ーー足元に、影が差していなければ。


 武神は空に居た。


「…………っ!」

「フハハハハハッ!!!」


 (いかずち)を超えた超短超速の回避。

 同時に攻撃に移ったラディンギルの剣が、両手の剣を交差させたジークと激突。


 ーー……バリィイイイイイイイイイイ!!


 衝撃と(いかずち)で大気が悲鳴を上げた。

 硬い金属同士がぶつかり合う火花が散る。

 斬、と刃鳴りの音を響かせて、二人は互いに飛び退いた。


「……見違えるほどに強くなりましたね、あの子は」


 ラークエスタの言葉に、ソルレシアが頷いた。


「そうだね。冥王と戦った時は段違いだ」

「……こうして生身で見ると、あの逸脱者の例外ぶりが見て取れるな。全く……」

「でも、さすがに厳しいだろ。ラディンギル相手じゃ」


 ぴしゃり、と流れをぶった切るように空の神ドゥリンナは吐き捨てる。

 神々が見守る眼前、互いの手の内を知る達人同士は意志を交わす。


「ハァ、ハァ、ハァ……」

「フフッ! オレとここまで打ち合える者は本当に久しぶりだ。楽しいなぁ」


 ジークが汗だくで息を荒立てているのに対し、ラディンギルは涼しい顔だ。

 敵対者を呑みこむ、絶対的な余裕がそこにある。


「アタシには、あのラディンギルが負ける所が想像つかないんだがね」


 終末戦争を経て、敵対者を求めたラディンギルに勝負を挑まれた神々は数知れない。されど、彼との数合打ち合えるものがどれだけいただろう。今、ジークがラディンギルを前に生きている事が一つの奇跡だ。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「身体も暖まって来た。そろそろ行こうか!」

「……っ!!」


 ジークの眼前、ラディンギルの姿が消えた。

 一瞬で気配を探るジーク。後ろに振り向きかけ、失策に気付いた。


「ここだッ!」

「……っ」


 真正面から、ラディンギルが突っ込んできた。

 後ろに行くと見せかけて視界から姿を消し、前に回り込んできたのだ。

 巧みに死角を突く鮮やかな手際に、ジークの対応は一手遅れてしまう。


 激突。


「く、ぁ……!」


 すかさず反撃。だが避けられている。

 打ち合った手は痺れていて、刺すような剣気がジークを包み込んでいた。


 ーー怖い。


 久しぶりに味わう強敵への恐怖。

 どれだけ全力を振り絞っても届かない高みへの畏敬の念。

 全てが混ざり合い、心がくじけそうになる。


 武神ラディンギルの恐ろしさは膂力や剣技もさることながら、その引き出しの多さにある。気が遠くなるような年月を経て培われた戦闘経験を前に、ジークなど足元にも及ばない。武神の権能『絶対なる武』の前では、全ての武は見た瞬間にその真髄を把握されてしまうのだ。


 そもそもラディンギルは剣の師匠。

 彼がジークに教えた剣技は全て見透かされている。

 視線を動かした傍から対応に動かれているのが分かる。

 フェイントの癖、足運び、手首の動き、剣先のブレ、全て彼の手のひらの上だ。


 この世のあらゆる武を修めた化身。

 武神の名を冠した男の実力は伊達ではない。



 それでも(・・・・)



「負けるわけには、行かないんだァああああああああ!」


 紫電が弾けた。

 地面を爆砕させた英雄の一撃は、距離の概念を凌駕する。

 すれ違いざまに放ったいくつもの斬撃を、しかし、ラディンギルは全て受け止めた。


「フハッ! こんなものか。こんなものでオレをーー」


 ピシッ、と頬が裂けた。

 静寂。武神はおのれの頬に流れた血に触れる。

 この戦いが始まって以来、初めて負った傷に目を見開き、そして、口元を三日月に歪ませた。


「それでこそだーー英雄ッ!!」


 喜悦の笑みを浮かべ、武神は再び宙に躍り出た。

 徐々に、されど確実に激しさを増していく戦いに、ドゥリンナは渋い顔だ。


「なぁ、あんたはこれでいいのか? あんだけ惚気てたんだ。

 本当に愛しているんだろ。あの子のこと。このままじゃ遠からず死ぬよ?」

「……そうね」


 ドゥリンは苛ついたように、


「それが分かってるなら、なんで止めない!」


 淡々とした言葉にドゥリンナは業を煮やし始める。

 苛立ちまぎれに舌打ちした空の女神はアステシアに掴みかかった。


「おいアステシア。あんたまさか、今までの全部……好きだの愛してるだのも『どういう感情か知りたかったから』なんて理由じゃないだろうね。最近は少しマシになってきたと思ったら……!」

「……分からない」


 アステシアの力ない声音に、ドゥリンナは目を丸くする。

 無感情に告げるでもなく、知識の怪物としての言葉でもない。

 それはアステシアという女が苦悩し、吐き出した言葉だった。


「……最初は、そういう面もあったと思う」


 ラディンギルに名を貰ってからは、理解と観察の日々だった。

 知識として知るだけではなく、おのれの心に落とし込み、理解する作業。

『愛』というものを知ったのは人間の繁殖行動を観察していた時だった。


 人類ーー彼らは口々に『愛している』と呟くが、愛とは何だろう。

 アステシアはずっと、愛とは脳が起こす錯覚であり、繁殖行動の為の本能でしかないと思っていた。そうでなければ恋人に愛を囁く裏で裏切ったり、金なんてもので愛情が消えたりしないだろう。


 ーージークに出会った時も、そうだ。


 ずっと錯覚だと思っていた。

 否、ずっと錯覚だと言い聞かせていた。

 神核が『愛』を知りたいがために理性に働きかけているのだと。


 自分は権能を使えばこの世のほとんどを知ることが出来る叡智の人形。

『識る』『観察する』『理解する』この三つを単純作業としてこなす日々の中で、

 ジークが与えてくれた『権能の働かない未知』は神核にとってこの上ない美味だったはずだ。


 けれどジークが魅せてくれる『物語(冒険)』は、今まで見たどの物語とも違っていた。

 度重なる理不尽に苛まれながら笑顔を忘れず、擦れる事もなく、まっすぐに生きてきた彼。そんな彼が師と出会い、人を惹きつけ、リリアと恋に落ちて。


 そしてついに煉獄の神ヴェヌリスを退けた時、アステシアはどうしようもなく目が離せなくなった。


「いつの間にか、変わってたの」


 世界で起きたことを記録するという役目を放り出し、寝食を忘れて地上を覗き続けた。

 彼が傷つくたびに胸が疼いた。

 彼が眠りに落ちるたびに魂を天界に呼び出し、話を聞いた。


 だんだんと強くなっていく彼が楽しみでしかなかった。

 優しさと謙虚さを保ったまま、神々と対等に接する彼が愛おしくなっていった。

 リリアと夜を重ねるのを見るたび、胸が切なくなっていたのはいつからだろう。


 彼の『物語(人生)』を楽しみする神核(自分)と。

 彼の力になりたい、彼の物語に介入したい理性(自分)

 

 その狭間に揺れて頭がおかしくなりそうだった。

 心から誰かを欲しいと思ったのは初めてだった。


 宴の席で『ひきこもりのくせに』と何度か言われた。

 でも、違う。本当は違うのだ。

 ひきこもりだなんだと言われていたけれど、別に好きで引きこもっていたわけではない。


 叡智の権能は相手の全てを見透かす。

 これまでの事はもちろん、考えている事も、これからの事も、全てだ。

 神々の中には、そんなアステシアを気味悪く扱う者も多くーー

 そのせいで、誰かに触れることが怖くなった。


 ーー本当は寂しかった。誰かと触れ合いたかった。


 ーー誰かに名前を呼んで欲しかった。


 ーーラディンギルやイリミアスのように打算で近づいてくるのではなく。


 ーー対等に、一人の存在として扱ってもらえるような相手が欲しかった。



 そんな時に現れたのがジークだった。


 彼の力になれるならどんなことでもしてあげたい。

 見返りがなくてもいい。彼が他の女を愛していたっていい。

 その無償の献身こそが愛だと、叡智の女神は『識った』のだ。


 わたし(ワタシ)は彼をーー愛しているのだと。


 今回のこともそう。

 武神ラディンギルが狂い始めている事には気付いていた。

 彼がライバルを求めてジークを育てている事など最初から分かっていた。


 でも、アステシアの本能はジークとラディンギルの対決を求めていた。

 だから止めなかった。

 未知の化身と武の化身。勝つのはどちらなのか、今も気になって仕方がない。


 武神ラディンギルはジークが今まで戦った敵の中で間違いなく最強だ。

 本気を出していなかった冥王とは比べ物にならない、武の化け物。

 おのれの研鑽に神生(・・)の全てを費やしてきた強さへの渇望が彼にはある。


 それでも(・・・・)


「いつだってジークはわたしの想像を覆してきた。神々の思惑を覆し、おのれの運命に打ち勝ってきた」


 遊戯の神ナシャフが仕組んだ冥王戦も。

 第三次人魔大戦(ルプス)の時も。

 誰もが負けを断ずるほどの実力差を、ジークは何度も覆してきた。


「あんた……」

「ねぇ、ドゥリンナ」


 アステシアは襟首をつかんでいた同胞の手を取り、強い瞳で言い放つ。


「わたしの婚約者(眷属)を舐めないでくれる?」

「……!」

「あなたの眷属が育て、わたしと契りを結んだ彼はどんな逆境も覆す」


 万が一負けた時、アステシアはジークと共に死ぬ覚悟がある。

 けれど、それ以上に女として信じているのだ。


 未来なんて分からないけれど。権能を使っても未知なままだけど。

 自分が愛した男は、武の化け物に決して負けない、と。


「いや、でも、あれはどう見てもーー」


 ドゥリンナが視線を戦場に移す。

 もはや花畑の原型をとどめない、荒れ地となった戦場に舞う二つの影。


「ハハ、ハハハハハハハハハハ!!!」

「……っ」


 武神の猛攻が続いている。

 目にも止まらない速さで長剣を閃かせ、縦横無尽に攻撃を仕掛けている。

 他ならぬ武神が手数で有利だと断言した双剣のアドバンテージは完全に呑まれている。


 彼が持つ長剣は鍛冶神イリミアスが打った至高の名工。

 彼女をして神生(じんせい)で一番の出来だと豪語させる一振り。


『神剣』ミストルティン。

 その剣は使い手の100%に応え、あらゆる形状に変化する。

 今のラディンギルにとって、長剣こそが最適解という事だろう。


 最初こそ対等に渡り合っていたジークだが、今は押されっぱなしだ。

 そもそも彼の剣は一から十までラディンギルが教えたモノ。

 トニトルス流のどの型も、彼の前では攻略しやすい隙でしかない。


「く、ぁ……ッ」


 右に動こうとすれば左に、左に行こうとすれば右に。

 両方から攻めようとすれば縦横無尽に剣閃がジークを襲う。

 雷撃を放つタイミングをずらしても、彼の剣速は(いかずち)の速度を超えていた。

 ドゥリンナの言うように、このままでは殺されてもおかしくないかもしれない……。


 それでも(・・・・)


「ジーク!」


 激しい戦闘の最中、女神は婚約者に叫ぶ。

 ちらりと視線だけをこちらに向けた英雄に、彼女がかける言葉は一つだ。


「自分の心に従って、ジーク」


 え、と彼の口が動いた。

 激化する戦闘の最中、心に従うという意味が彼には分からない。

 アステシアはくすりと笑いながら、自分の口元を指差す。


「だってジーク、ずっと笑ってる」

「……!」


 ハッ、と彼は口元に意識を向ける。

 この場に居る中でどれだけの神が気付いていただろう。

 アステシアは気付いていた。戦闘が始まってからずっと、彼は笑い続けている。


「人界のこともリリアのこともわたしのことも、気にしなくていいのよ。

 自分の心に従っていいの。()()()()()()()()() ()()()()()()()()()


 アステシアの言葉に、ジークは自問自答した。


 ーー楽しい? 兄のような(ひと)と戦う事が?


 ーーあぁ、そうだ。


 ーー怖いけれど、楽しい。恐ろしいけど、嬉しい。



 だって、()()()()()()()()



「何を、笑っているっ!」


 ガキンッ!!


 激しい金属音が鳴り響く。


 弾け飛ぶ剣戟の火花。

 それはジークが片手だけでラディンギルの剣を退けた音だ。

 心と身体が一致した英雄の顔に、武神は飛び退き、沈黙。そして笑う。


「やはり。お前はオレと同類だ、ジーク」


 言われて。

 はっきりとジークは笑みを自覚する。

 自分は今、どうしようもなく歪んだーー英雄らしからぬ笑みを、浮かべている。


「同類……そうかも、しれない」


 ゼレオティールの力とアステシアの力。

 それを扱うために高め続けてきたジークの陽力は、人界にとって災害に等しい。

 山を消し飛ばすルプスの攻撃を受け切り、街を(いかずち)一つで救って見せる人外の力。


 そんなものを全力で出し切れば、人界がどうなるか想像に難くない。

 ルプスとの戦いでその事に気付いたジークは、無意識に力を抑えるようになっていた。


 けれど、この敵は。


「あなたは、簡単には壊れませんよね」

「あぁ、そうだ。貴様の格上だ」


 ーーあぁ、そうだ。ここは人界じゃない。何を遠慮する事がある。


 ーーここには、壊れて心配するようなものは何もない。


「天界なら……どんなことになっても、なんとかなりますよね?」

「あぁ、なるとも」


 ずっと心が求めていた。

 ずっと本能が飢えていた。


 全力を出し切れる相手を、全力を出し切ってなお倒れない強者を。

 それは高みへと登り続けていつの間にか周りが居なくなっていた、武神と同じ渇望。


あはッ(・・・)


 その瞬間。紅玉(ルビー)の眼光がギラリと煌めき、

 ぶわり、と武神の肌に怖気が立った。


(あぁ、これだ。無限に進化する可能性の塊……! これこそ、オレの待っていた……!)


 武神ラディンギルと同じく、漢なら誰しも持つ強さへの憧れ。

 差別と抑圧に晒された暴力への忌避感が外れ、今、英雄は獣と成った。


 ーー全力を。

 ーー全霊を。持てる力の全てを以て。

 ーー僕はこの敵を、滅ぼしたい。


「ジーク。周りのことは気にしなくていい」


 愛しい人の声が、耳朶に届く。


「あとの事は全部、わたしたちに任せなさい」

「うん」


 血まみれの身体で、無造作に、ジークは剣を構えた。

 それはラディンギルに教わったものはではない。ただ、泰然と構えただけ。

 しかし武神は動かない。その構えに、ただならぬ危険を感じているのだ。


 ジークは最後に、婚約者と目を合わせた。


 ーーねぇ見てて、アスティ。


 ーーこの人に勝つから。カッコいい所、見てて。


 言葉なく意思を伝える眷属に対し、女神はふわりと微笑んだ。


「えぇ、ずっと見てる。約束よ」


 これが最期の言葉になるかもしれない。

 そう分かっていても、もう止められない。


 だって自分も漢だ。

 自分の力がどれだけ強くなったのか、武神相手にどれだけ通じるのか。

 人類最強と呼ばれるようになった自分の全力がどの位置にあるのか……。


 試してみたいに、決まっている。


「いくよ。らでぃんぎる」


 ーー委ねろ、全てを。


 ーー抑えていた全てを、今、解放しろ。


 英雄は理性の鎧を脱ぎ去った。

 そんなもの(理性)は要らない。言葉も捨てる。

 ただ闘争本能に身を任せ、敵を打ち負かす一振り(一体)武器()となる。


「あぁ、来い。我が至高の敵よ」


 武神は獣に応えた。


「お前の全力を、このオレが真っ向叩き潰してやる」


 静寂は一瞬、二つの影は同時に動いた。

 今までの戦いを児戯に思わせる、凄絶な戦いの始まりだった。



 ーー第二ラウンド、開始。



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― 新着の感想 ―
[一言] ジークがいつの間にか戦闘狂に···。次がジークのマジの本気ですかね?ほんとどんだけ強くなったんだろう?楽しみです 次の更新待ってます!
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