第七話 女神の行方
「攫われたってどういうことですか!?」
「……言葉通りの意味です。何者かに拉致されました。私の目の前で」
「……っ」
カッ、と頭に血がのぼった。
淡々としたティアの言葉に耐えかね、ジークは思わず掴みかかっていた。
襟首を持ち上げ、射殺すように睨みながら怒鳴る。
「あなたはっ! あの人の熾天使でしょう! 何をしていたんだ!?」
「やめなさい、ジーク。ティアが何の抵抗もしなかったと思いますか?」
レフィーネに制止され、ジークはハッとティアの全身を見る。
よく見れば彼女の服は汗で濡れるだけではなく、血で汚れている。
ところどころ治癒の跡があるようだが、ジークが掴みかかったことで傷が開いたようだ。じんわりと滲んできた血を見て、力なく襟首を離す。
「……ごめんなさい。取り乱しました」
「いえ」
ティアは何も言わず首を横に振った。
若干気まずい沈黙が流れるが、今は悲しんでいる場合ではない。
自分の心に従うなら今すぐ探しに行きたいところだが、ティアなら既に捜索の手配はしているはずだ。その上で自分を頼って探してきたという事は、相手が強大であるということ。思考を整理して心を落ち着かせた英雄は、パンッ、と頬を叩き、ティアを見据える。
「あの人を攫ったやつは? 姿は見えたなかったんですか?」
「……すいません。あまりの早業で。外套を被っていたので何も見えませんでした」
「……っ、じゃあ、心当たりは?」
「それは」
「『狂神』が生まれたのかもしれません」
ティアを遮ったのはレフィーネだ。
虹色の熾天使は絹糸のような髪を揺らし、深刻そうに柳眉を顰めている。
「くるいがみ……? なんですか、それ」
「言葉通り、狂った神の事です。しかし、もしも狂い神が現れたとすれば事態は深刻ですよ。あの状態になった神はおのれの欲求を満たす怪物になりますから……下手をすれば、アステシアは」
「レフィーネ様」
顔色を変えたジークより先に、ティアが言う。
「まだそうと決まったわけではありませんし、アステシア様の安否も不明です。
そのような状態でジークの不安を煽るような真似は慎んでいただけませんか」
「……確かにそうですね。失礼しました」
自分の分からないところで事態が進行しているような不快感があった。
あたり構わず怒鳴り散らしたくなるような衝動を堪える。
今はアステシアを助ける事だけを考えるべきだ。あの人を喪う事だけは絶対に避けねば。
深呼吸し、ジークは口を開く。
「説明、してくれるんですよね?」
レフィーネは頷いた。
「全て説明します。大神を集めましょう」
◆
ーー天界。大神の議事堂。
「アステシアが何者かに拉致された」
深刻な声が響く円卓の間には、そうそうたる顔ぶれがあった。
天界の最高権力者にして絶対神であるゼレオティール、
進行役として声を発したソルレシアを始め、六柱の大神が座っている。
「現在、ドゥリンナとラディンギルが捜索に向かっている。もうすぐ何らかの報告があると思う」
「犯人はまだ分からないんですか?」
「まだ不明だよ、ジーク。君の恋人も捜索隊に加わってくれてるんだ。焦らないで」
「……はい」
ソルレシアの言葉に、腰を上げかけたジークは口惜しそうに座り直す。
隣にいるティアが肩を叩き、レフィーネがそっとため息をついた。
「闇の神々が侵入した形跡はありません。そうですよね、我が主」
「うむ。警備の者達も何も見ていない。で、あれば答えは一つじゃろう」
六柱の大神の見解は一致しているようだ。
「狂神が生まれたのじゃ」
先ほどレフィーネが言っていた言葉。
狂った神。その不穏すぎる単語にジークの背筋に怖気が走った。
「あ、あのぉ。イリミアス様、狂神って、一体何なんでしょうかぁ~?」
「黙ってなさいトリス。いまソルが説明するところだから」
「狂神を説明するには、僕たち神々がどうやって生まれたかを説明しなきゃいけないね」
苦笑しながら、ソルレシア。
「まず。僕たち神々はゼレオティール様から世界の概念を与えられ、その神核が命じるままに行動する。そうして長い年月を経て神格が出来上がり、今の僕たちのように自分で考えて動けるようになるんだ。いわゆる本能と理性みたいなものだね。でも……」
「神核が命じる生まれた意味には、どんな神々も逆らえない」
ソルレシアの言葉を引き継いで、不機嫌そうなデオウルスが続ける。
「例えば我は『海』を司る。海とは生命を育むこともあるが、時に荒れ狂うもの。もしも我が本能を忘れて全てを守り慈しむようなことをすれば、本能は暴走を始め、やがて理性が崩壊する。そうして生まれるのが狂神だ。身体から光を発し始め、暴走を始める」
「そうならない為にも、神々は本能を上手く律し、神核から湧き出る魔力を放出しなければなりません。人類にはガス抜き、という習慣があるようですね? あれと同じです。溜め込めば風船のように破裂いたします。一度破裂したが最後、二度と元には戻らず、本能は果てのない欲求を満たすために行動を始めるのです」
デオウルスの言葉に補足するのはラークエスタだ。
常におっとりとした彼女に似合わず、深刻そうな響き。
その言葉で記憶を刺激されたジークは「ぁ」と口を開いていた。
「……ラークエスタ様が南方大陸で地母神の神殿を築かせたのは」
「あなたの言ったように信仰を集める理由が八割。残りは魔力を使う為ですね」
「……そうだったんですか」
てっきり自分の為だけかと思っていたので、あの時は言いすぎたかもと思うジークであった。まさか神々にとって魔力を溜め込むことがそれほど大事になるとは思わなかったのだ。
「……? でも、アステシア様はほとんど魔力は使ってませんけど」
「人々の信仰が集まらなければ、魔力も増えませんからね。
こういってはなんですが、アステシアは人類に無関心。今でこそあなたのおかげで信仰が増していますが、いまだに神殿の数も大神の中で最少。加えて、彼女は一度に放出する魔力が桁違いですから。上手くやっているのでしょう」
なるほど、と頷くジーク。
「つまり、今回は身内の犯行と言う事ですか」
「そういう事になるの」
「ゼレオティール様なら、だれか分かるのでは?」
「無理じゃ。儂から離れた時点で、神々は独立した一つの生命。儂にも感知は出来ん」
「……そうですか」
創造神であるゼレオティールなら、と思ったが無理なようだ。
一刻も早くアステシアを探したいジークとしては、時間が無駄に過ぎているようで口惜しい。先ほどから今すぐ駆けだしたい衝動を抑えるので精一杯だ。
ジークは自分を抑えるため、無理やり疑問をひねり出す。
「アステシア様がむざむざ攫われてしまう相手……相応の手練れと言う事ですよね」
「そうなるのぅ……」
ゼレオティールが顎髭を撫でるのを眺めながらジークは事件の経緯を思い出す。
ティアによれば、アステシアはゼレオティールの御所から帰る途中で襲われたのだという。絶対神である彼の御所は天使たちでさえ近づかない、いわば神域の中の神域。人目がつかないという点で言えば、秘境領域並にひと気が少ないらしい。
つまり犯人は狙ってその場を選び、アステシアをさらった事になる。
計画的な犯行に歯噛みしたジークは、不意に違和感を抱いた。
(いや、待て、待てよ。そもそも、なんでアステシア様……アスティが攫われるんだ?
しかも、ゼレオティール様の所に行くことになったのは今朝だ。なんで知っていたんだ?)
「神々の中でも実力者となると……僕たちの眷属かもしれないね」
「笑えない冗談はやめろ、兄者。さすがに自分の眷属の状態は把握している」
「そうでしょうか。わたくしはあまり把握していませんが」
「ラークエスタ、貴様……」
神々が話し合っている傍ら、ジークは犯人の狙いを考察する。
ーー例えば身体が目的なら……アスティじゃなくてもいいんだよね。
神々は人類よりも整った顔立ちをしている者が多いし、美貌ならラークエスタの方が上と言えるかもしれない。
いやもちろんアスティの方が百億倍可愛いし何なら神々の中で一番可愛いけど、なんて言い訳をしつつ、そもそも神々は人間のように性欲のせいで暴走する事があるのかなと首をひねる。
(狂い神はアスティを誘拐した。殺すんじゃなくて、誘拐したんだ。
彼らの行動原理が神核が命じる本能であるというなら、アスティをさらう事で本能を満たそうとしているはず)
つまり、その本能を考察する事が犯人特定への近道だ。
そしてアステシアがゼレオティールの御所へ向かう事を知っていた神物。
アステシアが自分とティア以外に言っていないというなら、彼女の行動を監視していた誰か。
(もしかして犯人は、割と近い所に居るのかも……)
ジークの行き着いた結論など、神々は既に承知の上だろう。
ティアに目を向けると、彼女は頷いて、それから首を横に振った。
(心当たりはない……か。だから神々もこうして集まってるんだ。くそ、振出しに戻った)
思考が堂々巡りするのが嫌になってジークはぎゅっと目を瞑った。
そもそも、無事である保証なんてどこにもないのだ。
犯人の目的が殺す事じゃなくても、彼女を辱める方法なんていくらでもある。
もしそうなってしまえば、自分は後悔してもしきれないだろう。
天界だからと安心せず、ゼレオティールの御所まで送り迎えをしていれば……。
不意に、ジークはある女の言葉を思い出していた。
(……『協力者』は、このことを知っていたのかな)
ーー天界へ行かないでください。
ーー天界へ行けば、あなたは必ず後悔する。
今思うと、知っていたとしか思えない言葉だ。
そうでなければ後悔なんて言葉は使わないし、行くなとも言わないはず。
ーーもしそうなら、だ。
今回の事件は自分にも関係があるんじゃないか?
自分が天界に行ったことが今回の事件が起きるとするなら、『協力者』の言葉にも頷ける。そうであるなら、彼女は今回の事件の結末も知っているのではないか?
例えば、アステシアが死んでしまうという、最悪の結末をーー。
「……ジーク、どうした。顔が蒼いぞ」
ハッ、とジークは顔を上げた。
こちらを心配そうに見るゼレオティールに首を振り、立ち上がる。
「何でもありません。あの、こうして皆さんで話し合っても答えが出ないなら、僕、自分で探しに行ってもいいですか? 共存領域には居ないんですよね? なら、もしかしたら犯人は秘境領域に行っているかもしれないし……一人でも多く探したほうがいいと思います」
しかし、
「ならぬ」
背を向けようとしたジークの背後、一なる神が命ずる。
ピタリ、とジークは動きを止めた。
聞き間違いか、と耳を疑い、ゆっくりと振り返る。
「今、なんて?」
「お主が外に出る事は禁ずる。これは主神としての命である」
「あなた達が見つけられないから、探しに行こうって言ってるんですよ……?
こうしている今も、アスティが傷ついているかもしれない……それなのに、どうして!?」
怒りを隠さず吼える英雄に対し、絶対神の言葉は一つだ。
「お主を喪うわけにはいかぬからじゃ」
その瞬間、背筋に悪寒が走った。
「何の、真似ですか」
いつの間にか、神々が周りに集まっている。
それもただ集まっているわけではない。武器を、突きつけられている。
ソルレシアは首筋に手刀を当て、デオウルスは睨みを聞かせ、ラークエスタは細い指を向ける。イリミアスは愛用の槌を構え、トリスは銃の照準を合わせ、レフィーネが鼻先に錫杖を突きつける。まるで敵対者に取るような行動に、ジークはこめかみに青筋を浮かべた。
「言った通りだよ、ジーク」
「まことに不本意ながら、貴様は冥王を倒せる唯一の希望」
「アステシアを攫う事が出来る実力者なら、あなたに万が一が起こる可能性がある」
「アンタが死ねば下界はどうなるの? 冥王に支配されて、世界は終わりよ」
「ジークちゃん、落ち着こ? ね? 叡智の女神様だよ? きっと無事だって~」
大神と同僚の言葉をまとめ、レフィーネは言った。
「あなたを案じるがゆえです。分かってください……ティア、あなたも動かないように」
密かにジークの援護に向かおうとしていたティアは動きを止める。
俯く彼女を視界の端に捉えながら、ジークは血が出るほど唇を噛み締めた。
「僕の、身体、なんて……ッ!!」
ーー絶対防御領域、展開。
「邪魔を、するなぁああああああああああああああ!」
「「「……!!」」」
六柱の大神が驚愕しながら飛び退いた。
デオウルスは権能を発動。ジークの体内水分を操作しようとするが、無駄だ。
主神に与えられた力は空間を遮断し、あらゆる力を拒絶する。
(馬鹿な……! 発動が早すぎる! 我が睨みを聞かせていたのだぞ!?)
デオウルスは大気中の魔力を水分に見立てて、いかなる揺らぎも観測する。
その観測速度は六柱の大神の中でも随一で、ジークが反抗すれば即座に気を失わせる用意があった。しかしジークは、何万年も生きてきたデオウルスすら凌駕する速度で加護を発動し、攻撃を防いで見せた。
(これがこやつが英雄と呼ばれる所以……! 逸脱者が持つ陽力操作能力か!)
「ちぃ……! 分からず屋が!」
「よっぽどアステシアを愛してるのですね……羨ましいです」
「言っている場合!? このままジー坊が本気で暴れたら、天界が滅茶苦茶になるわよ!?」
「あーあ。また僕の仕事が増える……はぁ……」
「ゼレオティール様!」
レフィーネの叫びに、ゼレオティールが頷いた。
「ジーク。少し止まれ」
「……………………っ!!」
ぴたり、とジークの身体は硬直する。
どれだけ身体を動かそうとしてもーーピクリとも動かない。
雪だるまが熱で溶かされるように、絶対防御領域がドロドロと崩れていく。
(こ、れは……)
「ジーク、分かっておくれ」
優しく、慈しむように絶対神は言う。
「アステシアは大切な我が娘。必ず見つけ出し、無事に花婿の所まで送り届ける。
お主が今すぐ動きたい気持ちは痛いほど分かるが……今は、落ち着け」
でも、見つけられていないじゃないか!
そう叫び出したいのに、口は縫い留められたように動かない。
やがてレフィーネが持ってきた、光の鎖がジークに巻きつけられた。
がちゃん、と錠がかけられる。
大神たちが離れると、やがてデオウルスがやってきて。
「天界で一番高い場所で待て。連れ戻した暁には、一番に貴様の元へ連れて来る」
口が動くことに気付き、ジークは言った。
「……あなたは、僕の事が嫌いなんじゃないんですか」
「初めて会った時から警戒はしている。が、好きだ嫌いだの思ったことはない」
「……そうですか」
頑丈な鎖はどうやっても外れそうにない。
人界のものより遥かに頑丈な拘束。さすがは天界といったところか。
「ジーク。お願いです。今は……」
ティアが懇願するようにこちらを見てきて、ジークは唇を噛み締めた。
これ以上ここで暴れればティアの立場も悪くしてしまう。
そうなれば、アステシアが戻ってきた時に合わせる顔がない。
「分かり、ました……」
ジークは力なく項垂れた。
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