第十七話 ジークの怒り
今日の陽力訓練は普段の半分ほどで終わることになった。
葬送官として重要な仕事である、哨戒任務へ向かうためだ。
リリアとジークは正式なバディではないが、実戦経験を積むためにテレサが支部へ掛け合ったのである。
戦闘準備を終えて家を出る二人を集め、テレサは言った。
「二人とも、今日はいつも以上に気をつけな」
「どうしたんですか。師匠がまじめな表情をするなんて珍しいですね」
「まじめにもなるさ。大侵攻の予兆はまだ消えていないんだからね」
その言葉に顔色を変えたのはリリアだ。
ジークはどこか緊張した彼女の様子に首を傾げ、
「ダイシンコー? あ、お饅頭を作るときに使うアレですか?」
「それはダイシン粉だよ。じゃなくて、大侵攻。悪魔が街に押し寄せてくるのさ」
「……っ」
ようやく意味を理解し、ジークも顔をこわばらせた。
過去、悪魔に街を滅ぼされた例は数多く、そのたびに多くの葬送官が命を落とした。そうして滅ぼされた街の廃墟を、ジークは数えきれないほど見たことがある。
冥王直下の死徒や、幻級の悪魔たちが率いる悪魔の軍勢。
津波のごとく街を呑みこむそのさまを、人は『大侵攻』と呼んで恐れている。
「大侵攻の予兆は、未踏破領域にそのレベルに見合わない悪魔が出ることだ。森葬領域アズガルドの瘴度ーー悪魔の蔓延るレベルは十段階評価で四。中級から上二級悪魔が巣食ってる。でも先日、とあるレギオンから上一級悪魔の出現報告を受けた」
「ぁ」
テレサの言葉に、ジークは思い当たるところがあった。
というより、忘れられない。
なぜなら自分は当事者だからだ。
「コキュートス……!」
「そう。あんたが遭遇した奴だね。あのレベルがうろついてるから、大侵攻が警戒されてる」
「だから、僕が葬送官なったとき、あんなにピリピリしてたんですね。スパイじゃないかって」
「そうだよ。今夜も充分に気をつけなきゃいけない。ひっく」
最も、とテレサは酒瓶を肩に担ぎ、
「あれから二週間。コキュートスの出現報告は出ていない。偵察のほうも成果なしだ。杞憂かもしれないけどねぇ」
「分かりました。気を付けていってきます」
二人は頷き、緊張を覚えながら出発する。
満天の星々がかがやく空の下、サンテレーゼの照明が闇を退ける。
哨戒任務では街の外と内で葬送官たちが出歩いており、昼と夜の部がある。
ジークたちが今回担当するのは夜の部の外周区だ。
引継ぎのために街に行くと、道ゆく人々の視線が突き刺さった。
「おい、見ろよアレ。半魔だ……」
「横にいるのはあいつだぜ。ほら、ブリュンゲルから追放された……」
「なんで半魔が葬送官なんてやってんだよ。組むほうも組むほうだぜ、クソ」
そんな呟きが聞こえてきて、ジークは申し訳なくなる。
ジークだけなら慣れたものだが、リリアは完全な巻き添えだ。
「リリアさん。ごめんね。僕のせいで」
「気にしないでください。わたしのことも言われていますし」
そう言いつつ、リリアの顔色は芳しくない。
彼女は取り繕うように、
「それよりも、修業の成果が楽しみですね! わたしたち、強くなってるんでしょうか?」
「どうだろう……ちょっとずつ成果は出ているけれど」
ジークはだんだんと剣を避けられる時間が増えているし、リリアもそうだ。
初日は五つほどしか的を破壊できなかったが、今は八つも壊せている。
どうにか悪魔との戦いに生かせると信じたい。
「そういえば、さ。リリアさんはどうして、僕と一緒に頑張ってくれるの?」
「え?」
「いや、気持ち悪くないのかな、って……」
ジークは目をそらし、他人よりも尖った耳に触れて言った。
以前、同じことを聞いたとき、リリアは否定してくれた。
けれどそれは助けられた恩がそう言わせたのであって、本音は別ではないのか。
そんな不安が、ジークの心を常に苛んでいる。
「わたしは……」
リリアは胸を抑えた。
「確かに初めて見た時は怖かったですけど……でも、今はそんなことなくて」
自分の考えをまとめるように、リリアは言葉を途切れさせる。
数秒、そうして迷った彼女は、意を決したように口を開き、
「ーーあ、あ! もう着いたみたい! ほら、早く行こう!」
「え、あ、はいっ」
口にしかけた言葉を遮り、ジークは葬送官支部へ駆け出していた。
(な、なんで止めたんだろ、僕……)
ドキドキと、心臓が高鳴っている。
聞きたいのに聞きたくない、そんなジレンマで胸が苦しい。
俯きながら歩いていると、
「わっ」
「きゃっ」
「ご。ごめんなさ……!」
誰かにぶつかって、ジークは慌てて顔を上げた。
そこにいた人物を見て息を呑む。
「あ、君は……」
「……ジーク」
アンナ・ハークレイ。
ジークに突っかかってきた先輩葬送官が、彼を見下ろしていた。
「どうした、アンナ。っと、お前は……」
後ろからオリヴィアが歩いてきた。
同じようにジークに追いついてきたたリリアは目を見開いて立ち尽くす。
「お姉さま」
「え?」
今なんて言った? お姉さま? でもリリアさんの姓は……。
ジークは二人を見比べた。
言われてみれば、確かに目元が似ているような気がする。
だが、そんな視線はオリヴィアには不快だったらしい。
「じろじろ見るな。気持ち悪い」
「あ、ごめんなさい……やっぱりあんまり似てないですね」
リリアはそんな言い方はしないという意味の言葉に、オリヴィアは眉根を寄せる。彼女の眼は複雑な感情で揺れていた。きつく目を瞑り、冷たく言い放つ。
「まだ葬送官を続けているとは思わなかった。リリア・ローリンズ葬送官」
「ぁ、ぇ、わ、わたしは」
「他人の迷惑になる前に辞めたほうがいい。また以前と同じ二の舞にはなりたくないだろう?」
「……っ」
リリアの表情に激震が走った。
わなわなと口元を震わせ、顔を蒼白にした彼女は両手で胸を抑える。
「フン。臆病者め」
神官服を翻し、旧世界の騎士のようにオリヴィアは去っていく。
リリアは何も言わない。
ただ震える子供のように胸を抱き、きつく目を閉じてーー
「待ってください」
「え?」
ジークはオリヴィアを呼び止めた。
不快そうな彼女の顔に、ピシ、と指を突きつける。
「なんでそんなひどいこと言うんですか? リリアさんに謝ってください!」
「なんだ、お前は」
ジークの心は燃えていた。
リリアが貶められることに耐えられなかったのだ。
「リリアさんは、頑張ってる。今の自分が嫌で、前に進もうとしてるんだ。僕を半魔じゃなくて、人間として扱ってくれた優しい人なんだ。姉だかなんだか知らないけど、そんな風に言うのは良くないと思います!」
「……意味が分からん。不愉快だ。お前などに、何が……!」
ギリ、と奥歯を噛んだオリヴィアはジークに一歩踏み出した。
だが、それを見かねたアンナが割って入り、
「お師匠様が相手をするまでもありません。この無礼者は私の手で」
アンナは特殊な歩法によって間合いへするりと入り込む。
襟首をつかみ、床へ押し付けようとした。
「ふ……ッ」
アンナの序列は千番台。
彼女は若くして上級葬送官に任じられた、将来有望な実力者だ。
地道に実績を積み重ね、オリヴィアの直弟子になるまで成長した彼女の年月は軽くない。
(お母さんの恨み、今ここで……ッ!)
上級の実力を前に、ジークはなすすべもなく倒される。
ーーはずだった。
「なッ!?」
転瞬、ジークの襟首をつかもうとした彼女の手は、逆に掴まれていた。
みし、みし、と骨が鳴る音がする。
(動かない……! こいつ、あの時と別人みたいに……!)
ジークはアンナを見て目を伏せる。
もしかしたら、彼女ともリリアと同じように友達になれたかもしれない。
けれどその未来は既にない。会話を拒絶する彼女にジークが言えることはなかった。
だからジークは、アンナの向こうにいるオリヴィアを見る。
同門弟子を馬鹿にされて、はらわたが煮えくり返っていた。
「不愉快なのも、無礼なのもそっちじゃないか」
「……っ」
「僕の友達を、馬鹿にするな。彼女に謝れッ!!」
リリアは大きく目を見開いた。
そんな彼女の様子に気づかず、ジークは湧き上がる怒りをぶつける。
「自分を変えたい人が頑張ってるのを、否定する権利なんてお前にはない!」
(ジークさん……)
リリアは心臓をつかまれたような気分だった。
つい四日前までなすすべなく倒されていたのに、今こうして彼は姉に立ち向かっている。
こんな落ちこぼれの自分を、ちゃんと見てくれている。
それは、今まで誰もしてくれたことがなかったことでーー。
「誰が謝るか。私は何も間違ったことは言っていない」
「……っ、離しなさいよ、この半魔ッ」
アンナがジークの手を振り放す。
オリヴィアは憮然と言った。
「リリア・ローリンズ下二級葬送官。今夜の哨戒任務。引継ぎ内容は特になし。各自注意されたし。以上」
「あ、はい。あの、お姉さま……ぁ」
リリアが呼び掛けたとき、すでにオリヴィアは支部から出て行っていた。
「……調子に乗らないでよ。これで終わりだなんて思わないで」
通り過ぎる間際、アンナはそう吐き捨てる。
途端、騒ぎを見守っていたロビーの中に喧騒が戻ってきた。
ジークは息を吐いてリリアを見る。
彼女は姉が去っていった方向を名残惜しそうに見ていた。
ジークは何と声をかけらいいか迷い、自分の行動を恥じる。
「ご、ごめん。リリアさん。お姉さんにあんな風に怒ったりして……僕、ついかっとなっちゃって。と、友達とか言っちゃったし」
「……ジークさん」
「リリアさんがいつも頑張ってるの、知ってるから。その」
リリアは首を横に振る。
胸の前で手を組み、頬を赤くしながら言った。
「嬉しかったです。あんな風に言ってくれる人、今までいなかったから」
彼が努力しているのを見ているから、その言葉はリリアの胸に響いた。
ーーそう、そうだ。ジークは努力している。
例え元々の素養が違おうとも、それは間違いないのだ。
自分も頑張らねば、人一倍努力している彼に顔向けできないと、リリアは思う。
ジークは頭を掻いて、
「そ、そう……? なら、いいんだけど」
「はい。明日からも頑張りましょうね」
花が咲いたようなリリアの笑みに、ジークは勢いよく頷いた。
「うん! 一緒に頑張ろう!」