第五話 天界の冒険
ーー翌日。
ーー天界。『天涯鍛冶領域』
「えぇ~~~! もっと居ようよぉ。むしろずっと居ようよぉジークちゃん~~!」
「ダメです! 姫様に連れて帰るって約束したんですから!」
「いやだぁあ~~! ウチはここでイリミアス様の妹になるんだからぁあ~!」
「何言ってるの!?」
神殿の柱に張り付いて離れないトリスをジークは引っ張っていた。
どんだけイリミアス様が好きなんだ……と呆れつつ、力を籠める。
徐々に、しかし確実にトリスの手が柱から離れていく。
「ふんっ」
「ぬ~……こうなったらぁ~~」
引きがされそうになったトリスは袖の中からドライバーを取り出す。
しゅばばばばっ!と音を立て、柱の表面がトリスを縛り付ける鎖に変わった。
(は!? どういう仕組みなのそれ!?)
思わず手を離すと、トリスはどや顔で、
「ふっふっふ。『地平線の鍛冶師』の本領、舐めないでよねジークちゃん!」
「才能の無駄遣い過ぎる!」
「べぇー! 用があるなんて嘘ついて呼び出したジークちゃんが悪いんですぅ~~!」
子供みたいに舌を出して抗議するトリスである。
引きはがすのを諦め、はぁああ、と特大のため息を吐いたジーク。
「ふっ、勝ったな」トリスは決め顔でそう言った。
こいつ、殴りたい……。
後ろに居たリリアが苦笑して、
「トリスさん、こんな方だったんですね……」
「アレクさんは七聖将で一番変わり者って言ってたよ……ていうか七聖将、みんな個性強すぎ……」
「あはは……まぁ、ジークも人の事言えませんけどね」
「リリア!?」
視線を逸らしながら呟いたリリアである。
反論したいが、反論したら反撃されそうなのは気のせいだろうか。
僕は普通に生きたいだけだよ、と言いつつ、ジークは空を仰いだ。
ーー見上げるほど高い、尖塔がある。
どれだけ遠くから見ても果てが見えない尖塔。
これがイリミアスの住まう神殿であり、彼女が作った住まいだ。
本人からの言によれば「どこまで行けるか試したかった」と言う事だが。
ジークたちが居るのは尖塔の一番下。
何万本もの柱が立ち並ぶ、神殿の入り口であった。
アステシアと共に夜を過ごした翌日の朝。
アウロラの領域に寄ってリリアが生活していたところを見せてもらった後、二人でトリスを迎えに来た形だ。
周りでは何人もの天使たちが物珍しげに通り過ぎ、中からはカンカンと槌の音が聞こえる。そんななかーー
「アンタたち、何を騒いでるの?」
「ぉ」
神殿の入り口から、鍛冶神イリミアスが現れた。
燃えるような夕陽色の髪を揺らしながら、彼女は歩いてくる。
「イリミアス様!!」
トリスが叫ぶ。
ざわ、と周りの天使がざわめいた。
「イリミアス様だ……!」
「最上階から降りてきたのか……!? 珍しい……!」
「アステシア様といい、イリミアス様といい、運命の子には引きこもりの神を引っ張り出す異能でもあるのか!?」
好き勝手にいう天使たちである。
頬を引きつらせるジークをよそに、一人の天使が剣を持ってイリミアスに近付いた。
「あ、あの。イリミアス様、これ、私が作ったんですけど、良かった見て頂いて……」
イリミアスは剣を一瞥し、
「全然だめね。芯がない打ち方が甘い炉の温度も低すぎるし魂がこもってない。
あんた、五階まで登ってたわよね? 基本を忘れてる。一階からやり直しなさい」
「はぅ……!」
天使は崩れ落ちた。
なぜか恍惚とした顔をしているのは気のせいだろうか。
気のせいだといいなぁとジークは思った。天使の威厳も何もあったものではない。
「イリミアス様、昨日ぶりですね」
「おはよ、ジー坊。何、あんたもう帰んの?」
「はい。部下たちを待たせていますから。あんまり長居は出来ません。
無事にリリアとも合流しましたし……一緒に下界に帰ろうと思います」
「じゃあこんなとこで何してるのよ」
「イリミアス様に頼みがあって」
「……へぇ。何かしら」
イリミアスの瞳が鋭く光る。
ジークは訊いた。
「この塔の柱、斬り倒していいですか?」
「ダメに決まってるでしょ!?」
やっぱりだめか……。
「むしろなんで『良い』って言われると思った!?」
「だって……あなたの眷属が駄々をこねるんですもん」
指を差すと、イリミアスはトリスを見てため息をついた。
「はぁ~~。トリス。アンタねぇ……またいつでも来たらいいじゃない」
「イリミアス様、ウチが呼んでも答えてくれないじゃないですかぁ~。
今回はジークちゃんが来るから仕方なく出てきただけでしょぉ~?」
「…………」
イリミアスは気まずげに目を逸らした。
ジークはじと目で、
「ちょっと、そこで言いくるめられてどうするんですか。
そんなだからイリミアス様はイリミアス様なんですよ。全く……」
「何ですって!?」
やれやれ、と首を振ったジークの首を絞めて来るイリミアスである。
途端に息が詰まって「苦しい! ギブ!」というが、「アタシを馬鹿にした罰よ!」などと鍛冶神は宣う。何よりまな板のような胸が痛いのだが、さすがに口にしたら殺されそうなので言わない。
姉弟のように戯れる二人にリリアが苦笑して、
「イリミアス様、そろそろ許してあげてください。ジークも反省して……ませんけど」
「してないの!? リリア、あんた妻なんだから夫の教育はしなきゃだめでしょ!」
「つ、妻……!」
電撃が走ったように、リリアは愕然と目を見開いた。
やがてもにょもにょと口元を緩ませ、朱に染まった頬に両手を当てる。
「えへへ。わたし、まだ正式に婚姻はしてないんですけど……妻。いい響きですよね」
「なんでノロけてんの!?」
「ほら。あなた。ちゃんとイリミアス様に謝らなきゃだめですよ、めっ」
「めって、リリア。子供じゃないんだから……」
なんだか天界に来てからリリアがお馬鹿になった気がするのは自分だけだろうか。
いや、そういう姿も可愛いんだけど。というか『あなた』って最高の響きだな……。
そんなことを考えたジークは苦笑して、
「で、ほんとのところは何のために降りてきたんですか。
まさか騒ぎを聞きつけてやってくるイリミアス様じゃないですよね?」
「無駄に鋭いわね……ジー坊。そうよ。あたしはアンタに用があってきたの。まだ帰ってなくてよかったわ」
「僕に?」
「ん。出しなさい」
イリミアスがジークの下半身を指差して言った。
「な、ナニを!?」
「イリミアス様!? ジークはわたしの夫なんですから、手を出しちゃダメですよ!?」
「アンタたち何言ってんの? アルトノヴァを出せって言ってんの」
「あぁ、そういう……」
言っている意味を理解し、リリアは恥ずかしそうに俯いた。
自分も同じことを想像してしまったので何も言えないジークである。
大人しく鞘ごとアルトノヴァを渡すと、イリミアスは鍛冶神の目になった。
キン、と鞘から抜いた魔剣を見つめる。
「……っ」
一切の曇りない澄んだ眼差し。
それはおのれの作品を見定める鍛冶神の目だ。
思わず息を呑んだジーク、リリア、トリスの前で、彼女は大仰にため息をついた。
「……ハァ。やっぱり、アンタ相当無茶してるわね」
「わ、分かるんですか?」
「武器を見りゃそいつがどんな戦い方をしてるか分かるわよ。自分が打った剣なら尚更ね。あんたの急激な成長にアルトノヴァが悲鳴を上げてるわ」
「え。昨日は元気に飛び回ってたけど……」
「そりゃあそうよ。主に心配をかける神獣がどこにいるのよ」
イリミアスは首を振って、思案げに顎に指を当てた。
「そうね……ジー坊、あと一日ここに居なさい。
ちょっとアルトノヴァを癒すから。トリス、あんたも明日には帰りなさい。命令よ」
「うぅ、分かりましたぁ~……」
「その代わり、今日は隣で見学させてあげるわ。特別よ?」
「!?!? ほんとですか!? やったやったあ! イリミアス様愛してます~~!」
トリスは自分を縛り付けた鎖をまたたく間にほどいた。
飛び上がって喜ぶ弟子であり眷属を、イリミアスは苦笑しながらあやしていく。
「ほんとにしょうがないわねこの子は……。
ジー坊。そういうわけだから、明日になったら此処へ来なさい。いいわね?」
「ん……分かりました」
「良い機会だから、秘境領域にでも遊びに行ったら?
お姉さまも今、ゼレオティール様に呼ばれてるんでしょ。リリアと二人で行ってきなさいよ」
じゃあね。そう言って、イリミアスはトリスと共に去って行った。
残されたのは、大量の野次馬の視線にさらされたジークとリリアだけだ。
二人は顔を見合わせて、
「……せっかくですし、行きましょっか」
「そうだね」
他の主神のところに遊びに行くのもいいが、
せっかく天界に来たのだし、普段は行けないようなところに行ってみたい。
ラークエスタの時のように、下界でも各神殿に行けばそれぞれの神域には行けるのだ。アステシアによれば魂の位相をずらしているという話だったが、ジークにはよくわからない。
「よーし、冒険だ!」
「ぉー!」
昼食の準備をしてから、リリアと二人で共存領域を出て秘境領域へ向かう。
昨日の秘湯とは逆方向に向かうと、そこには森のように生い茂る樹々があった。
むせかえるような緑の匂いは地上と同じだが、あたりを飛び交う魔甲虫や光霊、くすくす笑う妖精たちなど、天界ならではの光景が楽しめた。色が変わる植物、ひとりでに膨らんではしぼむキノコ。時々、ユニコーンや小さな竜など、神獣たちが様子を見に来ては去って行って、二人を飽きさせない。
「なんだか、こうして二人で歩くのは久しぶりですね」
「ん、そうだね……サンテレーゼ以来だっけ」
「はい。随分遠くまで来たものです」
言って、リリアは手を重ねて来る。
さらりと絡ませてきた指。恋人繋ぎをしてきたリリアを見ると、彼女は照れくさそうに笑っていた。ジークも微笑み返して、冒険を再開。『大いなる森』と呼ばれる秘境を歩いて行く。
時折、なわばりを荒らされに来たと勘違いした神獣が襲ってきたが、ジークが少し威嚇すると逃げていった。決して命尽きるまで戦おうとしない神獣たちに、毒気を抜かれた気分でジークは呟く。
「……昨日からずっと思ってたけど、いいとこだね。天界って」
「そうですね。ここには悪魔も居ませんし……。
秘境に行かない限り、戦いとは無縁の場所ですよ。本当に平和なものです」
ともすれば地上の状態を忘れてしまいそうになる。
地上では今も死んだ人間が悪魔になり、身近な人間を殺す悲劇の連鎖が繰り返されている。こうして冒険している今も、誰かが……。
「……変えなきゃね、僕たちの世界を」
「はい」
穏やかな時間を過ごしながらも、決意を新たにする二人。
とはいえ今はアルトノヴァを癒してもらってる最中だ。
今だけは全てを忘れて楽しもう、という事で、昼食にする。
天界、西方。『大いなる森』にある泉のほとり。
冷たい雪を張って神獣避けにしてから、二人は持ち込んできたシートを敷いた。
今日のお昼ご飯は、リリアお手製のサンドイッチ。
一つは虹色トカゲのステーキに、新鮮なレタスを挟んだもの。
もう一つはゆで卵だけを挟んだシンプルなサンドだ。ジークの好みド直球である。
「ん~~~~~~! ゆで卵の甘さと塩加減が最高だね!
あと、ステーキも焼き加減が丁度良くて、肉汁がいっぱいでてくる! パン生地もサクサクしてるし……めちゃくちゃ美味しい!」
「ふふ。まだまだありますから、どんどん食べてくださいね」
リリアはちびちびと食べながら、新しい風呂敷を広げる。
イチョウの木で編まれた弁当箱の中にはたくさんのサンドイッチが詰められている。
何種類か作られていて、どれだけ食べても飽きなかった。
食べながら聞いたところによると、料理の元となった動物たちはラークエスタの眷属である獣神エストが天界で飼っているものを、必要に応じて天界中に配っているのだという。獣神は地上の人間が供物として奉じた動物の魂を元にしているから、地上と変わらない料理を食べられるのだとか。
そんな事を話していたら、あっという間にサンドイッチが無くなった。
「ふぁぁ~~…………僕、もう死んでもいいかも」
「もう……ばか。そんな事言ったら、めっ。ですよ」
満腹のお腹をさすりながら、ゴロンと寝転ぶ。
すると、リリアが頭を持ち上げて、ふっくらとした膝に乗せてくれた。
後頭部に感じる、沈み込むような感触と、少しだけむちっとした弾力にジークの頬は蕩けてしまう。
「ん……ありがと」
「はい。どういたしまして」
視線を遮る豊かな胸を超えて、リリアが顔を覗き込む。
聖母のように微笑む恋人の、暖かな眼差しが心地良い。
ゆっくりと額にかかった髪を払われて、頬を愛おしそうに撫でられる。
「「……」」
樹々の間から降り注ぐ木漏れ日が、二人を暖かく包み込んだ。
さぁ、と風が流れて、熱を持った肌を冷ましてくれる。
ーーあぁ。いいな、こういう時間。
見たことがない景色を見て、親しい人たちとおしゃべりして。
たまには恋人と水入らずで出かけたり、持ち寄ったお弁当を食べたりする。
それは、ジークが望んだ普通の暮らしそのものだ。
ーーこんな時間が、ずっと続けばいいのに。
百の言葉より雄弁に伝わる想いがそこにあった。
ーーねぇリリア。いつか、アステシア様も一緒に来ようね。
ーーはい。三人でピクニックしましょう。お弁当、たくさん作らなきゃですね。
ここには居ないもう一人をリリアが考えている事が分かって、ジークも嬉しくなる。
普段は口喧嘩をしたりする彼女たちだが、別に仲が悪いわけじゃないのだ。
むしろ、リリアとアステシアは仲が良い。神と天使の垣根なんて、とっくに超えている。大好きな二人とお出かけが出来たら、どれだけ嬉しいだろう。
ーーでも、今は、二人で。
ーーえぇ。今だけ、ですね。
真珠のような白い瞳と紅玉のごとき赤い瞳がぶつかる。
二人は頬を赤くして、言葉なく見つめ合った。
そしてーー
「睦み合っているところ申し訳ありませんが」
「「!?」」
突如声が響き、二人の時間は終わりを告げた。
弾かれたように起き上がると、泉の上に呆れた顔をした天使が立っていた。
リリアは慌てて跪き、
「れ、レフィーネ様!? どうしてこちらに……!」
創造神の熾天使。
『一なる天使』レフィーネは肩を竦めた。
「地上の英雄に用があったのです。少し、よろしいですか?」