第三話 歓迎界
真っ白な光の中にジークは居た。
先ほど経験したばかりだから分かる。空間転移だ。
二度目の転移はすぐに終わり、ジークは大理石の床に着地した。
「っと、うぅ。転移酔いでくらくらする……」
「ふぉっふぉ。すまんな。ここは空間転移でしか入れぬ場所じゃて」
声が、した。
厳かでありながら優しい声音。
万物の父であり世界の創造主である、ゼレオティールだ。
顔を上げると、玉座に座った主神は暖かな目でジークを見ていた。
「ゼレオティール様。お久しぶりです」
「よく来た。待っていたぞ、ジークよ」
「久しぶりですね。『七聖の儀』以来……あれ? 久しぶりでもないのか」
「数か月も経っていれば久しぶりと言えよう。お主、アステシアやリリアに入れ込むばかりで、儂のところには全く顔を出さぬからのう。別に寂しいとは言わぬが、少しは顔を出してくれてもいいのじゃぞ」
「あはは。何かと忙しくて……すいません」
『七聖の儀』からこちら、戦争が起きたり父に再会したり、
悪魔教団に勧誘されたり吸血衝動に悩んだり、監獄島に行って仲間が出来たり、
最近では獣王国に行って王位継承戦に関わったりもした。はっきり言って濃密すぎる。
「用があったなら、夢の中で呼んでくれても良かったんですよ?」
「用がなくても会いに来てほしいと思うのが神の心なのじゃよ」
「め、めんどくさい……!」
思わず唸ったジークに声がかけられた。
「ジーク・トニトルス。ゼレオティール様に対してその口の利き方はないでしょう」
咎めるような声音。
しゃらん、と耳飾りを揺らして、レフィーネが主神の横に立つ。
「あなたは今や世界に名だたる英雄。その重責を感じているなら、
ゼレオティール様がいかに偉大なお方か理解しているのではないですか?」
「良いのだレフィーネ。儂はこの、飾らない態度で接するジークと話したい」
「……は。出過ぎた真似をいたしました」
頭を下げるレフィーネに「うむ」と返して、ゼレオティールは言う。
「レフィーネ。お主には宴会準備の仕上げを頼んでよいか?
ソルレシアに頼んではいるが、奴だけだと我が子らをまとめるには苦労しよう。
そなたが行ってくれるなら、儂も心置きなく任せることが出来るのじゃがな」
「……主がそう仰るのであれば。すぐに終わらせて参ります」
「よろしく頼む」
深く頭を下げてレフィーネは姿を消した。
「あの、宴会って……」
「無論、お主の歓迎界じゃ」
「なんかニュアンスが違って聞こえるのは気のせいですか!?」
「何をいう。お主が嫌と言おうが天界をあげて歓迎するぞ」
「えぇ……僕、リリアを迎えたらすぐ帰るつもりだったんですけど」
天界をあげてと簡単にいうが、天界は下界と同じ一つの世界だ。
言うなれば、大陸を超えた天使たちがジークに会いにくるようなもの。
そんな歓迎会、どうやっても一日で終わるとは思えない。
(んん~。ちょっと今日のうちに帰るのは無理かな……)
拠点に帰ったらルージュがぷんぷんと怒っていそうで怖い。
彼女の自我を保つための陽力は充分あげてきたつもりだし、
ヤタロウやエマが相手をしてくれるから寂しくはないと思うけれど。
(断るのは…。無理か。僕が普段戦えているのは誰のおかげだと思ってるんだ)
加護を与えてくれた神々が居なければ、ジークがここまで強くなったとはおもえないし、とっくに死んでいたはずだ。日頃から世話になっているのに、彼らの好意を無下にするのは気が引ける。
「じゃあ……お言葉に甘えます」
「うむ。そうするが良い」
そういえば……とゼレオティールが周りを伺うような気配を見せた。
「?」首を傾げるジークに、彼は急いだように言った。
「ジークよ。最後にこうして話をしてから随分経つ。
聞きたいことがたくさんあるじゃろう。聞いてくれれば答えるが?」
「え。あー、そうですね……」
ジークは顎に手を当てて思考を巡らせる。
ーー正直、少し前なら聞きたいことが山ほどあった。
父のこと、母のこと、神造兵器のこと、
ゼレオティールなら知っていたであろうことを問い詰めたかった。
(けど、もう今さらって感じだしなぁ)
自分が兵器であろうが半魔であろうが悪魔であろうが、
大切な人たちに受け入れられているなら別にどうでもいい。
良い意味でも悪い意味でも、あらゆる面で他人とは違うことを自覚しているのだ。
今一番気になっている、終末計画の事にしてもそう。
叡智の女神アステシアが知らないなら、ゼレオティールが知っているはずがない。
それでもあえて、彼だからこそ聞くのであれば……。
「そういえば、ゼレオティール様の加護には三つの力があるって言ってましたよね。雷を操る第一の力、絶対防御の第二の力……あと一つがなんなのか分からなくて。何か目覚めるためにきっかけがいるのかな~とは考えたんですけど……教えてもらうことって出来ますか?」
問いに、ゼレオティールの肩から力が抜けた。
ほっとしたように椅子に背を預け、彼は頷く。
「よくぞ聞いてくれた。第三の力は少し特別でな。加護に目覚めたばかりでは使えぬ」
「そうなんですか……?」
「うむ。この力の発現には条件がある」
「条件……」
そんな加護があるんだ、とジークは首を傾げた。
(いや、そもそも今まで普通に加護を貰ってたけど、
強力な加護って色々試練があるっていうし……今までが楽過ぎたのかな)
そう納得して、ジークは続きを促す。
「それで、その条件というのは……?」
その瞬間、
「七つの光を集めよ」
ゼレオティールが声音を変えた。
先ほどまでの好々爺という雰囲気ではない。それは世界を統べる絶対者の声だ。
ゾクッと震えるほどの威圧感がジークの身体を包み込む。
「七つの、光……?」
「その時、お主は知るじゃろう、お主が生まれた真の意味を。
深淵に隠された全ての謎が明かされた時、その加護は力を発揮する」
「それって、どういう……光って何のことですか?」
ふっと、ゼレオティールは雰囲気をやわらげた。
「儂から言えるのはこれだけじゃ」
「いや、七つの光って言われても、何のことだか……」
意味深な事ばかり並べられても困るだけである。
正直に言って、何も言っていないのと同じだとジークは思う。
「あの、もうちょっと何か……」
「言わないのではなく、言えぬ。分かってくれ」
「……?」
ゼレオティールの声はどこか切迫していた。
先ほどは質問に答えると言っていたのに、なぜそれだけ言えないのか。
(……言えない、か。何か事情があるのかな)
全てを告げてしまうと加護の効果が無くなってしまうとか。
ジークが考えることに意味があるとか……そういう理由だろうか。
分からないが、ゼレオティールがこう言っている以上、こちらが問いただすのも違う気がする。
「……分かりました。いや、全く分からないけど」
「ありがとう」
ゼレオティールは笑って、
「儂からは何も言えぬが、お主のこれまでを振り返れば既に道は示されておる。
よく考え、何事も試し、第三の力を目覚めさせるがよい。その時を、儂は楽しみに待っておる」
「はい。がんばります」
話が終わると、ゼレオティールは天を仰いだ。
やるべきことをやり終えたような、そんな表情である。
その顔にはどこか疲労が滲んでいて、ジークはたまらず問いかけた。
「あの、ゼレオティール様、普段はずっとここに……?」
「ん? あぁ、そうさな。ここから動くことは殆どないのう。
天界の運営はソルレシアに任せておるが、儂も儂で、やることがあるのじゃよ」
「……? 傷を癒すことですか?」
終末戦争でゼレオティールは破壊神や死の神相手に立ち回ったと聞く。
他の神々もその時の傷が原因で天界に帰り人類を見守っているのだから、大物を相手に暴れまわったゼレオティールはさぞ力を使った事だろう。五百年経った今でも傷が癒えきらないほどにーー。
「ふぉっふぉ。傷、か。そうさな。そんなところじゃ」
「……なんて言っていいか分からないですけど……その、ゆっくりしてくださいね。あんまり無理しちゃダメですよ」
「大丈夫じゃ。お主がおるからの」
ゼレオティールは穏やかな笑みを浮かべる。
それは絶対の信頼を宿した眼差しだ。仲間たちから向けられるのと同じ目をしている。
その視線がくすぐったくなって、ジークは思わず目を逸らした。
と、そこへ。
「ーーお待たせしました」
宴会の準備を終えたレフィーネが帰って来た。
主と客を見比べた彼女は首をかしげて言う。
「話を遮ってしまいましたか?」
「いや、ちょうど終わったところじゃ」
「そうですか」
「というか、早いですね。宴会の準備ってそんなに早く終わるものなんですか?」
「殆どソルレシアが終わらせていましたからね。私の役目は神々が勝手をしないように釘を差すだけです」
「そうですか……あの、ソルレシア様にも休みを上げてくださいね?」
ただでさえ六柱の大神のなかで苦労性のソルレシアである。
天界の運営も任されているというし、少々働きすぎではないかと心配になってしまう。
此処に彼が居れば狂喜乱舞したような言葉だが、果たしてレフィーネがそれをを受け入れるかは別問題であった。
「それではお二方。移動しましょうか。向こうも待ちわびていますので」
◆
『地上の英雄に。天界のさらなる繁栄と戦争の終結を願って。乾杯』
「「「「かんぱーい!!」」」」
百万を超える乾杯の音頭が天界の彼方まで響いていく。
天界にある島をまるごと使って作られた会場には所狭しとテーブルが並んでおり、熾天使から下級天使、神々に至るまでほとんどの者が参加していた。なお、この宴会に参加するために天使たちの中で壮絶な席争いが勃発し、ソルレシアの胃がまた痛くなったのは言うまでもない。
一方のジークと言えば、次々と挨拶に来る神々の相手に必死だった。
ジークが座る円卓にはゼレオティールやアステシアを始めとした六柱の大神、トリス、リリアが居るのだが、彼らと歓談する暇はない。
「おれは軍神テュール。ラディンギル様の眷属であり熾天使だ。よろしく頼む」
「あ、はい。こちらこそ……」
「ちょっとテュール! 次は私が話そうと思ってたんだから邪魔しないでよね!」
「そうよそうよ! アステシアが口を挟めない今がチャンスよ!」
「「「「二人のなれそめを聞かせてもらうわ!!」」」」
無遠慮に席に詰めかけ、ジークに問い詰めて来る女神たち。
彼女らの後ろには数百人もの列が並んでいて、これを全て捌くのかと思うとげんなりするジークである。
(……ん? なれそめ?)
慌てたアステシアが「ぶふー!」とお酒を噴き出し「ちょ、何を言ってるの!」と声を上げるが、人の恋路に夢中になった女の前では全てが無意味だ。女神の一人が「だって~」と頬に手を当てて、興奮したように爆弾発言。
「この前の、アウロラの眷属の紹介パーティーで、あんなに惚けたアステシア初めて見たもん」
「!?」
「そうよね。『私の愛しいひと』とか酔った勢いで言っちゃったもんね!」
「!?!?」
「『あの子を思うだけで胸が張り裂けそうなの』」
「『うちのジークは世界一カッコいいのよ』」
「『私、彼を愛してるの』」
「ぎゃぁああああああああああああ! 言ってない、私、そんな事言ってないから!!」
アステシアが悲鳴を上げて女神たちの口を塞ぎにかかる。
しかし、女神たちはころころと笑ってそれを躱し、ニヤニヤと笑うばかりだ。
「あら。じゃああの言葉は全部嘘なの?」
「そ、それは……嘘じゃないけど、でもぉ……!」
アステシアが沸騰したような顔でちらちらとこちらを見る。
お願いだから僕に振らないでほしい。どんな顔をしたらいいか分からないから。
そう思ったジークだが、興が乗った女神はジークの背中を押して、
「ほらほら、ジーク。あなたも何か言う事があるんじゃないの?」
「そうよそうよ、女に此処まで言わせて何も言わないなんて男じゃないわ!」
そう言ってアステシアと向き合わせてくる。
両手で顔を覆ったアステシアが指の間からちらちらとこちらを見ていた。
真っ赤な頬の婚約者に、ジークは照れながらも愛を囁く。
「えっと……アステシア様。僕も愛してますよ」
「「「きゃぁぁ~~~~~~~~~~~~!」」」
黄色い悲鳴が響き渡り、アステシアは思わずと言った様子で顔を俯けた。
真っ赤な耳を覗かせる顔から、もにょもにょと動く口が見えて、
「……私も」
とかき消えるような声で彼女は言った。
お互いに照れくさくて、胸熱くて、それ以上は何も言えないジークである。
そんなやり取りを見守っていたリリアが「もう」と仕方なさそうに、
「アステシア様、ジークの事になるとただの女の子になっちゃうんですから……。
今回の宴会はジークが主役ですよ。しゃんとしてくれないと困ります」
「わ、分かってるわよ」
「とか言いつつ、お主もテーブルの下でジークの手を握っているじゃろう。バレとるぞ」
「ひゃわ!?」
ゼレオティールがそんな風に茶化してくる。
主神に話しかけられたリリアは緊張と羞恥で顔が真っ赤になった。
気丈に振舞っていても内心はちょっと複雑な恋人を察して、ジークは囁く。
(その……心配しなくても、僕はリリアも愛してるよ)
(ジーク……)
(今は話せないけど……あとでいっぱい話そうね)
リリアはみるみるうちに頬を緩ませ、「はいっ!」と華のように微笑んだ。
天界で知り合った天使の友達を紹介してもらったが、みんないい人そうで何よりだ。
アステシアを茶化す女神のごとく、天使たちもリリアを茶化している。
とはいえ、どっちが本命なの?と大きな声で聞くのは本気でやめてほしかった。
そんなこんなで宴会はつつがなく進んでいきーーまる半日が経過した。
雲ひとつない夜空に月が浮かび、真下にいる物たちを照らしている。
アステシアやリリアは眠りの世界に旅立ち、ジークの肩に頭を預けていた。
デオウルスは酒呑み勝負に飛び込み、トリスの方は無事にイリミアスと鍛冶談議に花を咲かせているようである。
他の神々は神獣たちの背に乗り遊んだり、ラディンギルなどは剣術勝負。
ラークエスタなどは男神たちに言い寄られていた。
ゼレオティールの方はちびちびと酒を呑みつつも、時折挨拶に来る神々の相手をしている。
(はぁ。ようやく落ち着いた……んっ、この貝柱めちゃくちゃ美味しい! プリっとしてる!)
そうしてジークも食事を楽しめる段になったころ。
「ふぃ~。ようやく空いたかね。全く騒がしいったらありゃしないよ」
どん、と円卓の上に酒瓶が置かれた。
ラディンギルが居た席に、一人の女神が無遠慮に座り込んだ。
椅子に背を預けてテーブルに足を置く有様である。大神の席にそんなことしていいだろうか。
「ようやく会えたね。全く……もっと早く会いたかったんだが」
「えっと、あなたは……?」
白髪の混じった薄青の髪、引き締まった身体。
皺のある頬は老いを感じさせるのに、その目つきは鋭く、雰囲気は戦士のそれだ。
酒で顔を上気させながらも、その佇まいには品があり、かっこいい女、という印象である。
ひっく、と酒瓶を煽った女神は、酒気が帯びた息を吐いて、
「アタシは空の神ドゥリンナ。こういえば全部わかるかい?」
「ドゥリンナ様…………」
反芻し、ジークの脳裏に電撃が走った。
「あ、テレサ師匠に加護をあげた!?」
「おぉ、そうさ。うちの子が世話になったね」
「いやいや、世話になったどころかめちゃくちゃお世話になって……」
思わず立ち上がりかけたジークである。
両隣にリリアやアステシアが居ることを思い出し、そっと腰を落とす。
「ごめんなさい。本来なら僕が挨拶をしに行かなきゃいけなかったのに」
「いんや。あんた、大人気だったからねぇ。しょうがないよ」
「ありがとうございます。でも、そうですか。ドゥリンナ様、テレサ師匠を覚えてくれてたんですね」
神々にとって人類は矮小な存在で、何千万人といるなかの一人でしかないと思っていた。
けれど、こうして師匠を「うちの子」と言ってくれる神がいると思うと、ジークの胸は熱くなる。
師匠との思い出が泡沫のように脳裏に浮かんでは消えて、思わず視界に靄がかかった。
「本当に、お世話になって」
「だからそれはこっちの台詞だ……あんたには自覚ないだろうけど。
うちの子は、アンタに出会うまで屍同然だった。見て居られなかったくらいにね……。それが、あんたと出会って輝きだしたんだ」
ドゥリンナは頬を緩め、酒瓶を置く。
そして両膝に手を突いて、空の神は頭を下げた。
「テレサの魂を救ってくれて、どうもありがとう。ジーク」
「そんな……! 頭を上げてください! 僕のほうこそ、あの人には感謝してもしきれないくらい恩があるんですから……! そもそも、あの人が死んだのは僕が……」
「いや、テレサが死んだのはテレサの選択の結果だ。そこは履き違えちゃいけないよ」
ドゥリンナは首を横に振って、
「あの子は空のように自由に生き、そして死んだ。
アンタが責任を負うことじゃないし、そこまで負うのはむしろ傲慢ってもんだ」
うちの子を舐めないでおくれ、とドゥリンは言う。
言葉が過ぎたと思ったジークは「すいません」と素直に頭を下げた。
空の女神は「ふふ」と笑って、
「素直なのは良いことだ。うちの子が弟子にしたのも分かるよ」
「……ありがとうございます」
「せっかくだ。聞かせておくれよ。あの子から見たアンタを。
アンタを育てたあの子の旅路を。アタシはずっと、それが聞きたかったんだからね」
「はいっ!」
そうして、ジークはドゥリンナに請われるままにテレサの話をした。
初めて会った日の事。助けてくれたこと、いっぱい叱られたこと。
一度話し出すと思い出があふれ出して止まらなかったし、ドゥリンナの方もテレサの思い出話を持っていたから、話を聞くのが楽しかった。
神と人。異なる種族でも、共通の思い出があればこうして語り合える。
英雄として持ち上げられるよりも、ずっと気持ちがいい。
二人は夜が明けるまでずっと、思い出話に花を咲かせるのだった。
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