第二話 天界の歓迎
「……ん。ルージュも他の仲間と馴染めたみたいで良かった」
アルトノヴァで空を滑空しながら、ジークは一人呟いた。
既に最果ての島は遥か後方に過ぎ去り、今は中央大陸の上空を飛んでいる状態だが、ヤタロウに頼んで繋げてあった通信機から彼らの話は聞こえていた。ジークは通信機の電源を切り、懐にしまい込む。
「ちょっと厳しくしちゃったけど……まぁ大丈夫だよね」
「キュァアアア!」
「え? 甘やかしすぎ? アルは厳しい……ってちょっと! 揺らさないでよ!?」
アルトノヴァは抗議するように身体を左右に傾けさせた。
機嫌の悪い神獣を宥めつつ、ジークは中央大陸の一ヶ所に降り立つ。
やってきたのは聖なる地の裏にある、旧世界の廃墟。ぽつんと立つ民家の一つだ。
「確か、ここから行けるんだよね……」
民家の中には何の変哲もない本棚があった。
そこの左から三番目の棚を押すと、ごごごと音を立てて階段が現れる。
他ならぬ父が聖なる地へ侵入する際に使った、ルナマリア専用の隠し通路だ。
湿り気を帯びた薄暗い階段を折り、地下通路を歩くこと一時間。
異端討滅機構本部の地下室に出たジークは白い息を吐いた。
ーーどうやらここは、悪魔化する前に死んだ葬送官たちの埋葬所らしい。
壁の至る所に遺体を安置する低温の箱が設置されている。
「ふぅ……なんとかバレずに着いた、かな」
元老院は監獄島に追放したジークがここにいるとは思わないだろう。そう思うと悪戯心が沸いてきて、堂々と本部の廊下を歩いてやろうかという考えがよぎるが、実行する前にジークの前に人影が現れた。
「お。ちゃんと居た居た。おっすジークちゃん。久しぶり~」
「トリスさん! お久しぶりです」
七聖将の同僚。
『地平線の鍛冶師』トリス・リュートだ。
薄紫色のサイドテールを揺らし、眠たげな目をこすりながら片手を上げている。
「思ったより早かったね~。約束の時間まで一時間あるにぃ~」
「トリスさんの方こそ。てっきり遅刻するかと思いました」
しかも、何だかいつもより気合いが入っている。
服装も葬送官のものじゃなく、フリルの入ったドレスを着ていた。
「いやぁ~いつも遅刻魔とか言われるけどさ~今日は遅刻出来ないでしょ~」
ニヤ、とトリスは笑う。
その瞬間、ジークは彼女の背後で見えない炎が燃え上がるのを幻視した。
「だってだって、あのイリミアス様にお会いできるんだもん!!」
(あ、やば。変なスイッチ入った)
思わず一歩後ずさるジークだが、トリスは止まらない。
「ジークちゃんから連絡貰った時は発狂するかと思ったよ!? 約束を覚えててくれたのは良いけど、まさか生身で会いに行くなんて!! ウチは神殿で魂を天界に飛ばして面会みたいな感じで想像してたんだけど、喜びが一千倍だよ! ジークちゃん、ウチを喜び死させるつもりなの!? 惚れちゃうよ!?」
「惚れられるのは困りますね……」
(喜び死って何だろう……)
トリスは構わず、
「もう最高っ! 休暇を取って行こうと思ったけど、でもでも、それじゃ滞在できるのも少なくなっちゃうからイリミアス様に失礼じゃない!? だって普通に行けば一週間くらいかかっちゃうし! だからさ、ルナマリア様に相談してさ、異端討滅機構本部にある天界の門を開けてもらう事にしたの! ウチってば超天才じゃない!?」
「……なるほど。それで異端討滅機構本部に来てって言ったんですね」
獣王国から帰ってきてジークが真っ先に連絡したのがトリスだ。
通信越しでも飛び上がるように喜んでいた彼女は「ちょっと待ってて!」と言って通信を切り、そのあとで待ち合わせ時間と場所を伝えてきたのである。それが異端討滅機構本部の地下だと聞いた時は驚いたものだが、予想以上に彼女は気合が入っている。
「ほらほら~、ルナマリア様も待ってるよ、早く行こうよ~~」
「分かりましたから、ちょっと落ち着いて……」
子供のようにはしゃぐトリスに連れられて、ジークは異端討滅機構本部を登っていく。ルナマリアの避難路を兼ねているということもあって、幸いにも他の葬送官たちに見つかることはなかった。アレクやシェンに挨拶でもしに行こうかと思ったが、トリスは「そんなの帰ってから!」と聞かない状態だ。
(まぁいいか……別に帰還命令が出たわけでもないし)
そんなことを考えていると、あっという間に最上階に到着する。
ーー異端討滅機構本部、七聖の間。
重厚な扉を開くと、そこにはーー
「ジークーーーーーーーーーーーー!」
「うわ!?」
いつかの時のように、小さな人影飛び込んできた。
衝撃を殺しながら、くるくると回ってジークは人影を受け止める。
白い髪を揺らす、神聖な気配を纏った女はーー
「姫様!」
「うむ、妾じゃ! 元気にしておったか!? 身体は平気か!? ちゃんとご飯は食べておるか? 部下にいじめられてはおらぬか? 待っていろ、今すぐ何かお茶請けを出すのでな……」
「ちょ、ちょっと。姫様、ちょっと落ち着いて……」
「そうだよ姫さま〜〜。ジークちゃんとウチはこれから大事な用があるんだからぁ」
ルナマリアとジークの間にトリスが割って入り、二人を引きはがす。
まるで浮気を咎める彼女のようにジークの腕を取っているが、トリスの目的は徹頭徹尾イリミアスだ。あの鍛冶神に直接会えるという事で、今日の彼女は普段とは違う態度で、
「ジークちゃんのことが心配だったのは分かるけど~、ちょっと過保護かもよぉ~?
ほらほら、姫様も仕事があるんだから~。早くしないと元老院にバレちゃうしぃ~」
「ぐ、ぬぅ……トリス。お主、覚えていろよ……!」
ルナマリアはハンカチを噛みながらジークから離れていった。
異端討滅機構のトップに立つ姫君のわがままにジークは苦笑するしかない。
「あはは。まぁちょっとくらいいいですけど……でも、なんでこの部屋に?
まさかここから天界に行くってわけじゃないですよね?」
「ん? そのまさかじゃよ」
「へ!?」
ルナマリアは呆れた声で、
「ジーク。なぜこの地が『聖なる地』と呼ばれておると思っておるんじゃ?」
「え? そりゃあ姫様がいるからですよね? 人類と神を繋ぐ唯一の存在だから……」
「それもあるが、それだけではない。この地こそが、妾が冥王に立ち向かう為に決起した場所だからじゃ。思い出してみよ。終末戦争の折、冥界から降臨した神々を、天界の神々が迎え撃ったじゃろう」
ぁ、とジークの口が半開きになったと同時、
「そう。この場所こそが人類と神が手を結んだ地。
地球の歴史上、神が人類のために手を貸してくれた神聖な場所なのじゃ」
故に、
ーー……パンッ!
ルナマリアは勢いよく手を叩いた。
途端、七聖の間にある七体の神像が光を放ち、天に突き立っていく。
光は徐々に大きくなり、神像から神像へ、光の線が繋がり魔法陣へ変わっていく。
それはまるで、ジークが七聖将として『祝福』を受けた時のような……。
そう思った瞬間だった。
「うわ!?」
「あう~」
ジークとトリスを、光の柱が包み込んだ。
天井と繋がっている柱は暖かく、触れているだけで身体がぽかぽかする。
まるで、母の腕に抱かれている時のようだ。
呆気にとられていると同時に身体が浮き上がり、眼下にルナマリアが見えた。
「姫様!」
「トリスの言う通り、元老院に嗅ぎつけられるわけにはいかぬのでな。本来は厳かな儀式があるんじゃが、今回は準備済みじゃ。カルナックについて早々、慌ただしくてすまんのう、ジーク。帰ってから土産話を聞かせるんじゃぞ! あと、トリスの事を頼む。放っておいたら帰ってこんからの!」
「はい! お土産持って帰りますね!」
「うむ。くれぐれも神々に迷惑をかけぬようにな。特にトリス。聞いておるか!?」
「はわわわわわ、もうすぐほんとにイリミアス様に会えちゃうんだ……!
会ったら何を話そうかな。とりあえず新作のアイディアに意見もらって、それで……!」
「聞いておらんし!」
そんなやり取りをしている間にも、身体は徐々に上に上がっていく。
このままでは天井に激突するのではと思ったジークが上を見上げると、光の柱は天井を突き破ってどこまでも続いているようだった。恐らくこの光の柱自体が異空間なのだろう。身体の上昇速度はまたたく間に早くなり、視界が目まぐるしく動き始める。赤、青、白、緑、さまざまな色が混ざり合い、溶けあい、少年たちの身体は光の奔流へ飛び込んでいく。
そしてーー
「「わぁああああああああ!?」」
いきなりの無重力状態。
空間の裂け目から出た場所は雲一つない蒼空が広がっていた。
ぐんぐんと落下していく身体。
「キュォオオ!」と主の危機を察知したアルトノヴァが神獣形態に変化する。
口でジークをちょい、と咥えて背中に乗せ、足でトリスの身体を捕まえた。
「お~。ジークちゃんさんきゅー」
「礼ならアルに言ってください。アル、ありがとね」
「キュァア!」
任せろ、と言いたげなアルトノヴァが翼を広げ、ゆっくりと降りていく。
慣れ親しんだ感覚に身を任せたジークは、不意に顔を上げて目を見開いた。
「うわぁ……」
一面に広がる雲海、その一つ一つに白い建物が立っている。
咲きほこる花畑、宙を滑空する神獣の群れ、鳥たちの囀り……。
人とほとんど変わらぬ姿でありながら、魂の位階が異なる天使たちの営みがそこにある。
「ここが……」
「天界。イリミアス様が居る場所……♡」
「トリスさん。ちょっと今感動してるから黙っててもらえます?」
どうにも気が抜けてしまうジークである。
此処から見える限りは叡智の図書館は見えないが、どこにあるのだろうか。
と、アステシアの神域を探しているうちにアルトノヴァが雲の上に近付いてきた。
とりあえず誰かに聞こう。と考えたジークが下を見ると、
「へ!?」
黒い点が、そこかしこに広がっていた。
黒い点の正体は天使と神々だ。背中に翼をもつ彼らはこちらを見て指差している。
その中には見知った大神たちの姿もあって「来たな」「来たねぇ」と囁き合っている。
そして、その中心にーー
「ジーク! こっちです!」
「ゆっくりでいいからね。落ちついて降りてらっしゃい」
「リリア! アステシア様!」
どくん、と胸が高鳴った。
将来を誓い合った恋人たちが、ジークに手を振っていた。
彼女たちの横にはティアやアウロラも居て、こちらに頷いている。
雲の上に降りると、神々や天使の歓声がジークを包み込んだ。
「な、なんかすごい人だね……何なのこれ」
「ルナマリア様からジークが来ることが漏れてしまったみたいで……。
なぜだかこんな大所帯になっちゃいました。ジーク、人気者ですね」
「騒がしいったらないわ。私の……ごほん。私たちのジークを何だと思ってるのかしら」
「そんな事言って、初めて生身で会えたのが嬉しくて飛び出しそうだったじゃないですか。ほんとこのダ女神は……」
「ティア、余計な事言わないの!」
相も変わらない二人のやり取りに安心してしまうジークである。
リリアを見ると、彼女は華のように微笑んだ。
三週間ぶりに出会った恋人の可憐さはとどまることを知らず、ジークは顔が熱くなってしまう。その時、トリスが「あ、あそこにイリミアス様が……!」と目を見開いて、
「ジークちゃん、どうしよう。ウチ、ご尊顔を拝んじゃった……もう死んでもいいかも……!」
「大げさすぎるでしょ!?」
こっちもこっちで変わらないようである。
おかげでリリアを抱きしめたい衝動が収まったから良いけれど。
ふぅ、と息をついて、周りを見る。
「ほんとにいっぱいいるな……」
「歓迎するぞ、弟子よ!」
「ジーク、また会ったね」
「フン」
「うふふ。獣王国以来ですわね、ジーク」
ラディンギルやソルレシア、デオウルス、ラークエスタが近くにいた。
軽くお辞儀を返して視線を巡らせ、たくさんの神々や天使を見る。
なんだか彼らがこちらに飛び出してきそうなのは気のせいか。
アステシアの顔色をちらちら窺って遠慮しているようだが、放置するとヤバそうだ。
と、ジークの意図をくみ取ったアステシアは頷いた。
「まずは移動しましょう。野次馬がジークに触れそうで気が気じゃないわ」
「落ち着きませんしね。早く行きましょう。まずは……」
「「私の神域ね」」
む、と。
リリアとアステシアは顔を見合わせる。
不穏な空気が漂い、ジークが口を挟もうとするも、時すでに遅し。
「わたしたちの神域の方がジークは休めると思います。アステシア様の神域は本が多すぎます」
「いいえ。私の神域よ。ジークの第二の家だもの。あなた達のところは寒いもの」
静寂は一瞬、二人は笑顔で額に青筋を浮かべた。
「「はい?」」
ーー……こうして、修羅場は始まったのだった。
◆
「あのね、リリアはいつもジークと一緒に居たでしょ?
天界に来た時くらい私に譲ってくれてもいいと思うのだけどっ?」
「どれだけ一緒に居ても居たりないんです。アステシア様の方こそ同じじゃないですか。
ジークは死後そちらの神域に住むことになるんですし、今くらいわたしに譲ってくれてもいいと思います!」
「なによ!」
「なんですか!?」
かれこれ十分以上言い争っているリリアとアステシアである。
もはや止める事を諦めたジークは神々に挨拶回りをしていた。
「アウロラ様、ティアさん、こんにちは。こちらトリスさん。七聖将の同僚です」
「えぇ、こんにちは」
「歓迎。そっちの子も……楽にするといい」
「は、はひ。よ、よろしくお願いします~」
トリスは緊張気味に頷いていた。
次がイリミアスだと思って身体がカチコチになっている。
六柱の大神は固まって話しており、ラディンギルなどは酒を呑んでいる。
近付いていくと、こちらに気付いた大神たちが話を止めた。
ジークやトリスは、大神たちの前で胸に手を当ててお辞儀する。
「ソルレシア様、デオウルス様、ラークエスタ様、ラディンギル師匠、イリミアス様、
お久しぶりです。歓迎してくれてありがとうございます」
「やぁジーク。会いたかったよ。出来ればもっと早く会いたかったんだけど。
君ってば地上で大活躍じゃないか。天界中で君の話題が出なかった日はないよ?」
「フン。六柱の大神を差し置いて先にアウロラと熾天使に挨拶か。偉くなったものだな」
「うふふ。デオウルス、あいさつ程度で怒ると器の小ささが知れますわよ」
「なんだと!?」
何となくデオウルスとラークエスタの関係を察したジークである。
「まぁまぁ」と止めているソルレシア。彼も彼で苦労していそうだ。
「フハハハ! まぁあちらは気にするな。弟子よ。元気にしていたか?」
「はい、ラディンギル師匠。稽古は欠かしていませんでしたよ」
「うむ! 良きかな良きかな、そろそろ良さそうだな」
ラディンギルの好戦的な笑みが突き刺さり、ジークは曖昧に笑う。
天界に居る間の稽古が激しくなりそうだ。お手柔らかにお願いしたい。
そう思っていると、イリミアスがチョップをかましてきた。
「いだっ」
「ちょっとジー坊! いい加減うちの子を紹介しなさい! 放置してんじゃないわよ!」
「う、うちの子……! ひゃわわわ……!」
「何も叩かなくても……皆さん、紹介しますね。こちら僕と同じ七聖将のトリスさんです。
魔導機械を作ることに関しては天才なんですよ。ちょっと抜けてますけど、すごい人です」
うん、よろしく、噂は聞いてますよ、などと神々の反応も好意的である。
イリミアスも誇らしげだ。これはトリスも嬉しいのではと思い、横目に表情を伺う。
すると、
「…………………………………………」
「トリスさん? トリスさーん……? あ、ダメだコレ。嬉しすぎて石になってる」
どうやら許容量を超えたらしい。
そんなに嬉しいのか……。
「イリミアス様、悪いですけど、トリスさんをお願いできますか。
この人、イリミアス様に会いたくて来たんですよ。ちゃんと相手をしてくださいね」
「分かってるわよ。いつまでも変わらないわね、この子は……」
イリミアスはぶつくさ言いながらトリスの頭を撫でている。
なんだかんだで面倒見がいいんだよなぁと感心していると、
「うふふ。それで、ジーク? ここじゃ落ち着かないでしょう?
アステシアやリリアが無駄な言い争いをしている間に、わたくしのところへ来るのはどうですか?」
「へ?」
ラークエスタがするりと淫靡な肢体を懐に近付けてくる。
「今なら、あんなことやこんなことが出来ますよ……?」
暖かな吐息が吹きかかり、艶めかしい手が、ジークの頬に触れてーー
「ーーちょっとラーク! 私たちのジークに何ちょっかい出してるのよ!」
「ラークエスタ様、獣王国でのことは何も言いませんが、それはダメです」
アステシアやリリアがすかさず飛んできた。
「ッチ。気付くのが早いですわね」と舌打ちするラークエスタ。
この神も大概腹黒だな……とジークはげんなりする。
と、そこへ。
「------」
しゃらん、と。
ざわめきを一瞬で沈める、鈴の音が響き渡った。
天界に住まう誰もが顔色を変え、その天使の為に道を譲る。
六柱の大神ですら緊張気味に顔色を変え、天使たちが次々と跪く、その天使は。
「アステシア、リリア。神と天使たるもの、そのような言い争いは見苦しいですよ」
「……分かったわよ」
「も、申し訳ありません」
「……」
恋人たちを黙らせた天使を、ジークはじっと見つめた。
七色に輝く長髪と、白を基調としたドレスに金の刺繍が入った服を着た女性だ。
澄んだ水のように透明感のある肌は芸術品のような美しさをたたえている。
「えっと、失礼ですけど……あなたは?」
「お初に、運命の子。予言に謳われし混沌の申し子よ。
私の名はレフィーネ。ゼレオティール様の熾天使にして全ての天使を束ねる者」
「ゼレオティール様の」
ジークが目を見開くと、レフィーネは頷き、
「ゼレオティール様がお待ちです。付いて来てください」
次の瞬間、ジークの身体は光に包まれた。
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