プロローグ
蒼き月が赤く染まりし時、運命の子が現れる。
その者、蒼き雷を纏いて世界に問い、問われる者なり。
其に七つの光が宿りし時、光と闇が世界を覆うだろう。
おぉ、心せよ、心せよ!
其は終末の化身! 混沌の申し子なり!
与えるものが救いとは限らぬ。
もたらすものが破滅とも限らぬ。
黒き者とまみえるとき、其は答えを出すだろう。
白き翼をしたがえ、金色の野を原初の使徒がかけゆく。
天と地と、あまねく声をとどけん。
その者、運命の子。
赤き瞳を輝かせ、漆黒の衣をまといて世界を変える、新たな命なりーー。
『予言神メルヴィオの遺言より抜粋』
◆
その場所には全てがあった。
火があり水があり大地があり樹々があり、そして混沌があった。
世界のあらゆるものを内包していながら、招かれた者以外を拒絶する場所。
人界、冥界、天界。
三界に住まう誰も知り得ない場所に、彼の姿はあった。
「あの子がここへやってくる」
王の風格を纏う老人である。
玉座で杖を突いた彼は地上の様子を眺めながら、
「あれから半年……早いものじゃ。あの臆病で何の力も持たなかった子が、今や世界の英雄となった。身近な者達を守る姿を見たか。なんと誇らしい……あれぞ我が使徒に相応しい偉業といえよう」
「その割には、複雑な表情ですね。我が主……ゼレオティール様」
ゼレオティールの傍には天使が控えている。
六枚の翼を持ち、瞳に六芒星が浮かんだ熾天使だ。
さらりとした極彩色の長髪をかきあげ、均整の取れた身体を揺らす。
「加護を与えた使徒が成長したのです。喜ばしい事ではないですか?」
「うむ……そうさな。レフィーネ」
「今の彼なら、あの冥王すら撃ち破れるかもしれません」
「分かっておる。そこは儂も疑っておらぬ」
「ならば何を?」
望んでいた状況のはずなのに素直に喜べない主に眷属は首をかしげる。
ゼレオティールは目を瞑り、絞り出すように言った。
「ーー……アが」
「?」
「アステシアが、お嫁に行ってしまう……!」
レフィーネの目が点になった。
一拍の間を置いて、彼女は首をかしげる。
「…………………………………………はい?」
ドン、とひじ掛けに拳を打ち付け、ゼレオティールは咆哮する。
「あの可愛かったアステシアが……! 無感情で何をするにしても儂の後をついて来ては質問を繰り返していたアステシアが……! ついにジークのお嫁に行ってしまう……それを考えると、儂は嬉しくて悲しくて……やり場のない気持ちにさいなまれるんじゃ……!」
深刻な声音から一点、娘の門出を素直に喜べない父のようである。
主の想いを受け止め切れない眷属は、ただ言葉の続きを待った。
ふぅ。と深い吐息をついて、ゼレオティールは言う。
「……古来、英雄と神が婚姻を結ぶ時というのは、盛大に宴を開くもの」
「はい」
「全ての神々は我が愛しい子供たち……任せたぞ、レフィーネ」
主の主命に、熾天使の中でもトップに立つ女は一礼する。
「我が主の仰せのままに」
◆
ーー天界。某所。
「奴がここへやってくる」
風の吹く丘で声が響いている。
丘の上に立つ男は見渡す限りの雲海を眺めて言った。
「貴様の忠告を待って良かった。たった三か月待つだけでアレは劇的に変化した」
男の言葉に、後ろに立つ遊戯の神ナシャフは肩を竦める。
「それは良かった。それで、どうするんだい?」
「死合いを」
男の声が興奮気味に高鳴っていく。
「互いの命を対価に、誇りをぶつけ、全力で凌ぎ合う。それこそ求めていたものだ」
「彼は強いよ? 俺も殺されかけたくらいだ。君だってどうなるか分からない」
「承知の上だ。我が全てを懸けて敗れるなら本望というもの」
「……そうかい。野暮を言ったね」
ナシャフは男に背を向けた。
「さらばだ、我が友。神々の英雄よ。君との時間は楽しかったよ」
「生きていればまた会う事もあるだろう」
「あるとすれば敵同士だ。こうして、友として話せるのは最後だろう」
そう言ってナシャフは姿を消した。
男の呆れたような声が響く。
「……貴様と友になった覚えはないのだがな、道化」
呟き、男は恋焦がれるように下界を覗き見る。
「あぁ、早く来い。そして戦おうーージーク。我が好敵手よ……」
その声は、誰にも聞こえない。
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