エピローグ
「あーあ。もうちょっと観光したかったな~。
せっかく堂々と獣王国に入り浸れることになったのにさー」
のんびりとしたロレンツォの呟きが、パルメギアの荒野に消えていく。
後頭部で手を組んだ部下の気の抜けた声に、ジークは苦笑を返した。
「君にこれ以上居られると獣王国との仲が悪化しかねないからさ……。
ほんと、たった一晩でどんだけの獣人を口説いてるのやら……帰ったら覚悟しなよ」
「ちょ、マジか大将そりゃぁねえよ!?」
「うふ。ざまぁないわね、ロレンツォ」
「クラリスもね」
「うっそ、アタシも巻き添え!?」
ロレンツォの悲鳴にクラリスの声が重なる。
一同がどっと笑い、ギルダーンは「自業自得だ」と二人の肩を小突いた。
「で、でもでも、ジーク大将様。良かったんですか?
結局、オズワン様もカレン様も連れて帰らず……なんだか、何のために来たのか」
「良いんだよ。半年後に監獄島で集合って約束は取りつけたから」
どの道、二人を連れ帰ってもすぐに不死の都へ攻めるわけではない。
リリアを迎えに行くのはもちろんだし、トニトルス小隊の戦力を底上げする為、合同訓練なども欠かせないだろう。オズワンが獣人たちを連れて来るとすれば猶更である。出来立てのチームで不死の都と戦えるほど、冥王メネスは甘くない。
「帰ったらみっちり訓練だね。覚悟しといて」
「まぁ……大丈夫だろ。ギルの訓練でアタシら結構鍛えてるからね。それぐらい……」
「甘いね、エマ。練乳と蜂蜜をかけたチーズより甘いよ。お兄ちゃんの訓練だよ?」
いつも兄の事を追いかけているルージュだ。
彼がひとりで訓練している様を何度も見ている。その上で妹は震えあがった。
「……正直、神霊と戦う方が数倍マシだって思うくらいキツイよ」
「いや、そりゃあさすがに……ないよな?」
「そんなことされたら死んでしまうんですが……ジーク大将様、大丈夫ですよね?」
「さーて。次はリリアを迎えに行かなきゃな―」
「「「大将!?」」」
トニトルス小隊が戦慄するなか、ヤタロウは他人事のように笑う。
「拙者は参謀担当ですからな。皆さま、頑張ってくだされ」
「何言ってるのヤタロウ。君も参加だよ。ていうか普通に剣使えるでしょ。
体力が絶望的に足りないから、とりあえず走り込みだね。三日で島を百周してもらおっか」
「ジーク殿ぉ!?」
悲鳴を上げるヤタロウに対し、ざまぁみろ、お前も道連れだ、いい気味ですぅなど笑いが起きる。今回の旅で絆を深めた仲間たちを横目に、ジークは最後の同行者へ水を向けた。
「オリヴィアさんはどうするの? もしかして天界にまで付いてくるつもり?」
「いや……」
オリヴィアは顎に手を当て、首を横に振る。
「とりあえず今回の事態を報告するため、カルナックへ戻る。
その後の事は保留だ。再び合流する場合は聖杖機で通信を送ろう」
通信がない場合はそのまま別れる形となった。
オリヴィアも獣王国での一件を経て思うところがあったのか、晴れやかな顔をしている。その心が想うのは決闘の約束を交わした男だろう。
二人ともがんばれ、とジークは心の中でエールを送った。
「さてと。じゃあ一旦拠点に戻って、次はリリアを迎えに……」
その時だった。
「~~~~っ、大将! な、なんか
世界が凍り付いた。
叫びかけたロレンツォも、荒野を吹き抜ける風の音も。
世界から全ての色が抜け落ちて、白と黒の世界にジークは取り残される。
「え。これって」
『元気そうですね、運命の子』
転瞬、目の前に黒いローブを纏った女が現れた。
フードに隠れて顔は見えない。声はヴェールがかかったようにくぐもっている。
間違いない。彼女は悪魔教団の件で捕まったジークを助けた『協力者』だ。
「…………お前はっ!」
雷光一閃。
容赦なく振り抜いたジークの剣は虚空を斬った。
振り向けば、『協力者』は何事もなかったかのように佇んでいる。
「……やっぱり、この力……」
ことここに至って、ジークは『協力者』の能力を看破していた。
それは、冥王メネスが使った加護の質と同じものだったからだ。
「時間停止……終末戦争で死んだ時の神の加護を、なぜお前が!」
『厳密には停止ではなく、遅滞です。世界停止など大それた真似は出来ませんから』
「そんな事は聞いてない! お前は誰だ。終末計画ってなんだ。何が目的だ!?」
『とりあえず動かないでください』
ピタリ、とジークは動きを止めた。
彼女の言葉に従ったわけではない。突然、身体が思うように動かなくなったのだ。
動いていないわけではないが、動けと命じて動き出すまでに、かなりの時間がかかっている。
「……!」
『単刀直入に言います。運命の子』
こちらの質問を一顧だにせず、『協力者』は告げる。
『天界へ行かないでください』
は? 何を言ってるんだ?
そう言いたいのに、口は身体と同じく思うように動かない。
彼女はこちらの心を読んでいるかのように言った。
『天界へ行けば、あなたは必ず後悔する』
「……っ」
『疑問に思うのは分かる。私を怪しんでいるのも伝わる。
ですがこれだけは信じてほしい。私はあなたの敵ではない』
敵ではない。が、『協力者』は味方だとも言わなかった。
ますます訝しむジークに、彼女は続ける。
『大いなる運命が動き出そうとしている』
「……」
『今、ここであなたを失うわけにはいかない』
そこで何かに気付いたように、『協力者』は上を見た。
時間です。と舌打ち交じりに言葉を切り、別れを告げる。
『また会いましょう。今度は直接……』
「……いき」
『?』
「ぜ、たい、ぼうぎょ、りょういき……発動……!」
『!!』
遅滞化した時間の中で、ジークの唇は言葉を紡いだ。
止められているわけじゃないなら、遅滞化していても加護の発動は可能だ。
転瞬、世界の時は動き出しーー
「にげ、るなぁあああああああああ!」
ダンッ、と足を踏み込み、『協力者』へ掴みかかったジーク。
コンマゼロ秒に満たない刹那の交錯。反応しきれないはずの速度。
ジークの手は『協力者』のフードを掴んだ。
だが--
「……っ」
手の中に残されたのは、フードの切れ端のみだ。
周りを見渡すが、既に『協力者』の姿は見当たらなかった。
ぱらぱらと、蒼い髪の毛が風に流されて消えていく。
「領域の効果が甘かった。失われた神の使徒……父さんと同じかっ」
と、そこで、
「ーー来る! なんか来るぞ大将……って、あれ?」
時間が動き出したロレンツォが焦ったように叫ぶ。
同時に危機が去ったことを知った彼は戸惑ったように首を傾げた。
「おい、どうしたんだよロレンツォ?」
「いや、確かに何か来て……あれ?」
煮え切らない態度。
他の誰も何が起こったか分かっていない。
だからこそ、彼女と面識があるヤタロウは顔色を変えた。
「ジーク殿。まさかとは思いますが……」
「……うん。『彼女』が現れた」
「「!」」
ヤタロウとルージュが目を見開き、他の面々は首を傾げる。
そういえば話していなかったか、と思い、ジークはため息をつく。
「帰りながら話すよ。僕も色々分からないんだけどね」
ーー結局、天界に行くなという彼女の真意は分からなかった。
分かったのは彼女が蒼色の髪をしている事、
そしてどうやらジークの敵ではなさそうだ、という事である。
もしもこちらの命を狙っているなら、もっと他にやりようはあるだろうから。
(でも、天界には行くよ。リリアも待ってるし、アステシア様にも会いたいし)
きっと『協力者』に悪意はないのだろう。
しかし、正体も意図も隠して願いだけを押し付ける言葉など信用できない。
自分はただ、やるべきことをコツコツ進めていく。それだけだ。
(後悔するかしないかなんて、僕が決める事だ。誰にも決められたくない)
例え天界に行った先に何があろうともーー。
「行こう、みんな」
『応!』
◆
時は少し遡る。
ジークが獣王国へ向かう、少し前の事だ。
ーー暗黒大陸。不死の都。
【きぃいいいい! むかつく、むかつくわ、もうやってらんないかしら!】
玉座の周りに神霊たちが集まっている。
冥界から意思を飛ばす彼らは、同胞のかなぎり声を咎めた。
【サタナーン……うるさい】
【そうだぞサタナーン。アレの統率力を舐めた貴様の敗因だ】
【なによ、なにかしら! あんたたちだって負けたでしょ、エリージア、ダルカナス!】
透明な身体で地団駄を踏むサタナーンである。
なじられたエリージアやダルカナスはどこ吹く風だ。
【まぁ、元より我はアレとアレの仲間たちに敗北した身だ。
本体以外でアレに手を出そうとは思わん。次は魔力を全て奪われて死ぬからな】
【なによ、何かしら! 神の矜持はないの!?】
【そんなものでアレに勝てるなら安いものだ……とはいえ、もうすぐそんな事は全て関係なくなるが】
ぼそりと呟いたダルカナスの言葉は誰にも聞こえない。
と、神霊たちのやり取りを見ていた冥王が玉座から水を向けた。
「ダルカナスの言葉ではないが、貴様らは奴に手を出さなくていい。
下手に手を出して各個撃破されるのが最悪のパターンだからな」
【キヒッ! じゃあここで大人しく待ってるってのか?】
壁に背を預けた紅蓮の男ーー煉獄の神ヴェヌリスは言う。
【異端討滅機構とアイツを敵対させる。そのために動いてきたんじゃないのか?】
「その通りだが、もういい。奴を止められるものなど誰も居ないだろう」
【へぇ……ようやく、出番ってわけか】
「本体で戦うつもりか?」
【当たり前だろうが。今さら神霊なんて出してどうすんだよ。
何のために鍛えたと思ってんだ。奴はーーキヒッ! オレの獲物だ。誰にも渡さねぇ】
獰猛に口元を吊り上げ、ヴェヌリスの神霊は姿を消した。
好戦的な煉獄の神を頼もしく思いつつ、冥王は腰を上げる。
「あら、メネスちゃん。どこかにお出かけ?」
「あぁ。少し出てくる。悪いがルプスを呼び出してくれるか」
「それは良いけど……どうしたの?」
「うむ」
かつん、と靴音を響かせて。
冥王メネスは、一人、歩き出した。
「少し確かめたいことがあってな」
◆
ーー暗黒大陸。黄昏の森。
夕陽に照らされた森の中、咲き誇る彼岸花が風に揺れている。
残酷な色で染まった花畑のただなかに、メネスは佇んでいた。
「お前の息子は強くなった」
ぽつりと、男は呟く。
「我が死徒を撃ち破り、悪魔教団を終わらせ、第二軍団を壊滅させた。
歴史に名を残す快挙と言えよう。さすがはお前の息子と言ったところだな」
メネスの前には石碑があった。
黒曜石で磨き抜かれ、妹の名が刻まれたそれは兄の言葉を音もなく受け止める。
静かな森の中で、ひとりごちるように彼は言葉を続けた。
「奴は準備をして我が元へやってくるだろう。半年前とは比べ物にならない強さを携えてな。このままいけば我々も無事では済まない。あるいは、本当に奴なら私を倒してしまうかもしれない……貴様が負けたようにな、ルプス」
振り向き、彼はおのれの旧友であり同盟者をまっすぐに見据える。
不敵な笑みを浮かべるルプスは応えない。ただ最強の笑みを以て受け止めるのみ。
「貴様の息子の成長は常軌を逸している。奴に比べれば七聖将など目ではない」
「さっきから何が言いてぇんだ。こんな所に呼び出しやがって。ハッキリ言えよ」
「ならば聞かせてもらおう。ルプス・トニトルス。
我が同盟者。我が義理の弟よ。妻の墓の前で、嘘偽りなく答えろ」
白毛の眉根を寄せて、冥王は問いかけるのだ。
「終末計画とは、一体なんなのだ?」
第二部第三章『獣王の帰還』了。
第二部『永遠の約束』完
第三部『終末の化身』
第一章『神々の狂騒』始
獣王国編完。
次回、天界編開始です! 完結まであと三章!
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