第十九話 持たざる者の意地
闘技場の観客席は静まり返っていた。
兵士たちに誘導されるように一ヶ所に固まった彼らは俯いている。
恐ろしい悪魔に怯え、震え、身近な誰かを守る事で精一杯だった。
兵士を統率するイラ・シベリアンは主の傍に居ない自分を恨む。
傍に居られないどころか、主の命を全うする事も出来ない有様だ。
「せめて民だけでも逃がしたいのに……!」
ただでさえ、陽力を持たない獣人は悪魔の魔力が切れるまで戦うしかないのだ。
非戦闘員を逃がせば兵士たちに余力が出来るし、悪魔の討滅も可能となる。
ーーしかし。
「第二部隊壊滅! 重傷者多数です!」
「第一部隊半壊! 凶悪な悪魔が暴れており、手が付けられません!」
「く……ッ、被害状況はもっと正確に言え! 何人死んだ!?」
「それが……」
部下は困惑気に、
「だ、誰も死んでおりません……大怪我をしていますが、治療すれば治る範囲です」
「……!?」
イラは驚きに目を見開いた。
もちろん死者が出ていないことは喜ぶべきことだが、誰も死んでいない?
人を殺すことに何の躊躇いも持たない冥王の傀儡がそんな間抜けをするだろうか?
ありえない、とイラは断じる。
神殿と巫女の力に守られた獣王国では悪魔はすぐに葬魂される。
しかし、神殿から離れればその限りではなく、イラは何度も悪魔になった仲間を殺してきた。だから分かるが、彼らはこちらが死ななくて済むような大怪我を負えば、迷わず追撃を仕掛けてくる。かつての仲間であろうと恋人であろうと、躊躇う事などあり得ない。
「……まさか」
ハッ、とイラは部下と戦う悪魔を見る。
全身に汗をかいた薄緑の体躯。しかし、よく見ればその緑の肌が僅かに剥がれている。
腰に付けた尻尾もどこか作り物のように見えてきた。
むしろなぜ今まで信じていたのだろう。
まるで誰かに認知を歪められたかのようだ。
「……!」
電撃的な思考がイラの脳裏を駆け巡った。
国境警備隊からもたらされた奇跡の英雄の入国情報。
主との彼の関係、誰も死んでいない獣人たち、そして主と戦う仮面の男。
「--仮面、そう、そうだ。本当に我らを殺すつもりなら、顔を隠すのは何故だ?」
人の姿に紛れる事が出来ない悪魔たちにとって、顔を隠す理由などないだろう。
それなのに仮面をつけているのは、そうしなければいけない理由があるからだ。
例えば、本当は悪魔じゃないのに、悪魔の振りをしなければいけないとか。
「まさか、あの悪魔は……!」
しかしそれならそれで疑問が残る。
あの悪魔たちから感じる、禍々しい瘴気の理由が分からないのだ。
一体、何がどうなっているのか……。
「ま、負けないで! 兄さま!」
「……!」
声が、耳朶を叩いた。
見れば、王族専用の控室から出た、一人の幼子が叫んでいた。
部下に引き止められてなお、幼き第三王子は涙を流して叫んでいる。
「第三王子……!」
「がんばれ、がんばれっ! そんな奴やっつけちゃえ!」
魔獣と戦う前に気絶した臆病者が、逃げずに残っている。
強敵と戦う兄の背中に声をかけ、弟はあらん限りの力で叫んだ。
「兄さまは! 何度もわたしを助けてくれた。
いじめられても、暗殺されそうな時だって、政敵のわたしを助けてくれた!!」
この国を、救ってほしい。
――……ズドンッ! と。
鈍い音が、イラの耳朶を叩いた。
否、イラだけではない。
誰もがその音を聞き、思わずといった様子で顔を上げる。
血まみれに立つ男が見せた、ただ一つの意地。
強大な力をみせる悪魔を、おちこぼれの男がぶん殴った音。
「王子……」「殿下、まだ戦って」「あんな姿で」
まだ、彼は諦めてはいなかった。
声高く名乗りを上げ、凶悪な悪魔に突っ込む男の姿に誰もが胸を打たれた。
ーー弱虫王子。
それがオズワンが受けていた獣王国での評判だ。
二人の兄に貶められてもやりかえせず、姉の後ろに立つしかない腰巾着。
継承の儀である程度払拭できたものの、未だに彼らにその印象は根強く残っている。
お披露目の儀で魔獣相手に腰を抜かした話は有名だ。
そんな彼が今、身体を張って悪魔と戦おうとしている……。
「がんばれ」
自然と、呟いていた。
幼き頃から知る友であり主に、イラは涙を流しながら叫ぶ。
「がんばってください。勝ってください、殿下ぁ!!」
一人が叫ぶと、また一人、一人と叫びだした。
「そうだ、がんばれ、がんばれ、がんばれ。オズワン様……!」
「王子様、頑張って、お願い。その悪魔を倒して!」
「俺たちの希望はあなたしか居ないんだ。お願いだ、頑張れ!!」
頑張れ、頑張れ、と波紋のように伝播する応援の声。
最前線で身体を張る王候補に心を打たれて奮起する兵士だが、
「ーーいと尊き地母神よ、獣王国に祝福を!」
闘技場全体が揺れるような轟きが国民を襲う。
観客席に突き立つ無数の柱。
形勢が不利と見て逃走を図っていた悪魔たちは見る間に倒された。
突然現れた変化に誰もがどよめくなか、イラは闘技場の外壁に立つ女の姿を認める。
気高く、美しいその立ち姿は。
「カレン、様」
「ーー獣王国の民よ、地母神の信徒たちよ。刮目なさい!」
観客席で戦っていたトニトルス小隊を土の柱で潰したカレン。
もちろん中は空洞で彼らはぴんぴんとしているが、そんな事はおくびにも出さず。
自分に視線が集まっているのを確認して、巫女は叫んだ。
「今、あなた達のために戦っているのが誰なのかを。
あなた達が馬鹿にしていた王子が、誰のために血まみれになっているのかを!」
『……っ』
国民はオズワンを見た。
巨大な魔獣を一刀両断した怪物と、オズワンは渡り合っている。
誰もが逃げ出し、誰もが自分の事しか考えていなかったのに、彼だけは身体を張っている。
幼き弟の為に、姉の為に、そしてーー自分たちの為に。
「『真の恐怖に立ち向かう者にこそ、地母神の祝福は与えられる』。
そなたらを襲う悪魔を葬魂したのは、彼の行動に心を打たれた地母神の導きである!」
はからずともオズワンが自分たちを救っていたことを、国民は知る。
王族のほとんどが逃げ出しても、ただ一人、兵士に指示を出し、身体を張る漢を彼らは見た。
「ぁぁああああああああああああああああ!」
「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
闘技場の中心でぶつかり合う男と男のぶつかり合い。
縦横無尽に動き回り、互いの位置を入れ替える二人に誰もが目を奪われた。
その瞬間だった。
「お、おい、あれ!」
一人の獣人が宙を指差すと、上空を覆っていた空が二つに割れる。
光のヴェールが降り注ぎ、その中から一人の女神が現れた。
栗色の髪を揺らし、穏やかな眼差し男を虜にするその美貌。
獣王国の者達なら誰もが見ている、透き通ったその御姿は。
『地母神、ラークエスタ様……!』
ふわり、と女神は言葉なく微笑んだ。
彼女は口の前に手のひらを出して、ふぅ、と吹きかける。
その瞬間、闘技場の地面に緑が生い茂り、戦う二人の足元に大輪の花を咲かせた。
『ぁ』
それは、誰よりも弱く臆病だった男の羽化に対する、地母神の祝福。
それは、敵うはずのない敵に立ち向かう王に対する、女神の応援だ。
女神は満足そうにそれを見ると、ふ、と姿を消した。
『…………』
現れた時間は十秒にも満たない。
しかし、その行動だけで、地母神がオズワンの背後にいると推察することは可能だ。
豊穣を約束する女神のエールは、国民たちの王族に対する不信を吹き飛ばす。
他の誰でもない。
オズワンこそが王たる器であることを彼らは確信した。
「がんばれ」
先ほどと同じ、いや、それ以上の興奮が観客席を包み込む。
数十人ではない、獣王国八万人の熱が、一人の男に集まろうとしていた。
「がんばれ、オズワン様!!」
改めてみると、その戦いはすさまじかった。
目にも止まらぬ速さで数十手を交わす二人の武に誰もが目を奪われる。
元来、闘技大会という文化のある獣人たちが興奮の渦に落ちるのは必然だった。
「にいさま!にいさまあああ!」「オズワン様ーー!」「オズワン様、がんばれぇえ!」
「殿下ーーーーーーっ!」「殿下、殿下、殿下ーーーーーっ!」
弱虫王子と呼んできた男の意地が神を動かし、闘技場を巻き込む。
持たざる者が張り続ける、底知れない執念が恐怖を吹き飛ばした。
興奮のあまり、闘技場の出口が解放されている事も気付いていないようだった。
「……フン。お兄ちゃんは本気出してないだけだし。いい気にならないでよね」
「まぁそう言うな、ルージュ」
壁に背を預けてふてくされたルージュに、オリヴィアが苦笑する。
二人はトニトルス小隊が殺されないように立ち回るサポート役だ。
影や空気の層に隠れて暗躍していた二人は、役目を終えて戦いを見守る。
「大罪異能を使って悪魔に扮している現状、あれが今のジークの本気だ。
雷を使っていないとはいえ、あの動きについていけるオズワンの技量も卓越している」
「……そんなの分かってるし。毎晩稽古していたの、見てたし。
あたしはただ、お兄ちゃんが悪者になってるのが気に入らないだけ!」
「はは。ルージュは兄想いなのだな」
「むぅうう」
わしゃわしゃと頭を撫でられてルージュはふくれっ面だ。
そもそも、自分と彼女は嫌い合うような関係だったはずだが。
こんな風に言葉を交わすのは初めてで、その声もどこかおかしい。
ルージュは顔を上向け、そのことを問いただそうとしたのだが、
「ねぇ。オリヴィ…………あなた、泣いてるの?」
「む?」
オリヴィアの両目からは止めどない涙が流れていた。
「いや、これはだな……」
涙のヴェールが彼女を覆い、あふれんばかりの熱が胸を打つ。
慌てて涙を拭きながら、オリヴィアは首を横に振った。
「ぐす。すまない……」
きっとそれはルージュに向けた謝罪ではない。
今、闘技場の中心で戦っている、一人の男に対しての謝罪だ。
拳と拳のぶつかり合いが、その拳に込められた本心が、オリヴィアの心を解きほぐしていく。
ーーおれを見ろ。
誰よりも才能がなくて誰よりも臆病で守られるばかりだった。
憧れを追いかけるばかりで自分を見ていなかった男が、今、叫んでいる。
ーーおれを見ろ。おれはここにいるぞ!
持たざる者が天才に対してどこまで食らいつけるのか。
ただの意地だけで鍛え上げた武が、どこまで美しく在れるのか。
彼の拳が、蹴りが、熱が、言葉よりも雄弁に訴えかけてくる。
他者に対する憧れではない。
弱い自分を認め、受け入れ、意地を貫く通す。
たったそれだけの事を、一体どれだけの人間が出来るだろう。
『下心まるだしのクソガキ』
それがオリヴィアの第一印象だった。一面だけ見ればそれは真実だ。
けれど、それがオズワンの全てではないのだ。
カルナックでの別れ際、彼は自分を励ますためにわざと悪役を演じたのだと、ようやくオリヴィアは気付いた。誰よりも弱い者の心が分かるからこそ、同じ持たざる者を励まそうと、自ら悪者になって、あんな風に。
「私は……何も、見えていなかったのだと、思ってな」
「……はぁ」
ルージュは仕方なさそうにため息を吐き、うんと背伸びしてオリヴィアの頭を撫でた。
「本当に……姉妹揃って泣き虫なんだから」
「ぐす」と嗚咽を漏らす姿は、ここには居ない姉を想起させる。
やっぱり血のつながった姉妹なんだな、とルージュは少しだけ寂しくなった。
「今はもう、見えてるんでしょ。だったら見なよ……見てあげなよ、あのバカを」
「ルージュ……」
「あいつはスケベで変態で馬鹿だけど、遊び半分で女に告白する奴じゃない。
きっとあいつ、あなたが見てるから意地を張れるんだよ。だったら……逃げちゃダメ」
言われて、オリヴィアは闘技場の中心を見る。
大輪の花が咲き乱れる花畑の中で、男は爪牙を閃かせていた。
血まみれになりながらもその動きに陰りはなく、どんどんキレを増している。
彼が切り裂かれるたび、目をそむけたくなるような衝動がオリヴィアを襲った。
なぜか分からないけれど、胸が締め付けられて、今すぐ駆けだしたくなる。
その身体が地面に倒れるたび、今すぐ全てをめちゃくちゃにしたくなる。
「逃げちゃダメ……か」
ぐっと奥歯を噛み締め、彼女は瞳から最後の涙を流した。
「ルージュ……お前は、厳しいなぁ」
「妹は姉に厳しいんだよ。知らなかった? オリヴィアお姉ちゃん?」
オリヴィアは目を見開き、ふっと破顔する。
「……リリアはもう少し私に甘い気がするが……そうか、お前は、そうなんだな」
レイピアを闘技場の床に突き刺し、彼女はその前に座り込んだ。
女座りをした彼女はルージュの両脇に手を伸ばし、膝の上に抱きかかえる。
「なら、姉妹で見届けようか。持たざる者が行き着く果てを」
「それは良いんだけど。あたし、人形じゃないんだよ? この扱いはどうかと思う」
「む。幼いころ、リリアはこうすると喜んだのだが……嫌だったか」
「…………別に、嫌じゃないけど」
唇を尖らせ、恥ずかしそうに頬を赤くしたルージュ。
そっと手を重ねてきた妹にオリヴィアは口元を緩める。
それから闘技場の中心を見ると、小さく呟いた。
がんばれ。
◆
ーー身体が熱い。
「うぉおおおおおおおおおおおお!」
視界の中に赤と黒が入り乱れ、痛みが熱に変換されていく。
溶けるような頭の熱は血が抜ける事によって少しだけ冷まされる。
野性と理性を両立させた竜人は友の輝きを追い続けた。
何度も血が噴き出したおかげで見た目もさることながら、身体の中もボロボロだ。幾度となく殴られたせいで内臓はぐちゃぐちゃだし、肋骨は何本も折れている。当たり所が悪ければ肺に刺さって死んでいるところだ。そうなっていないのはジークの技量故だろう。
それでもオズワンは倒れない。このタフさだけが、ジークに勝る唯一の武器だ。
「…………フッ!」
双剣の軌跡が弧を描き、オズワンの肘を一閃する。
筋肉を断ち、動けなくするつもりだ。しかし、オズワンは閃く銀閃を無視して前に出た。血しぶきが舞う。無視だ。皮一枚くれてやる。
本命は、
「ぉらあぁあああああああああ!」
拳を振り抜くと同時に放たれた尾撃が、ジークのみぞおちを捉えた。
拳を避けられることは織り込み済だ。背中に隠れた尾こそが本命。
ジークは二、三、ステップを刻み、後ろへ飛び下がろうとする。
ーー全て読んでいる。
「これでも喰らえぁあ!」
「なッ」
オズワンは足元に転がっていた瓦礫を蹴り飛ばした。
赤子の頭くらいはありそうな、小さな岩だ。
蹴り飛ばされると同時に粉砕し、それはジークを襲う無数の弾幕と化す。
もちろんこの程度、双剣で全て防がれることは目に見えている。
彼が立っている剣術の高みは達人のそれだ。
しかし、時に凡人の意外な一手こそが、達人を上回ることもある。
ジークが弾幕を防ぎ切った先、オズワンは居なかった。
どこに、後ろ、いや、上か!
ーーガキンッ!!
咄嗟に上向けた剣と鋼鉄の拳がぶつかり合う。
ビリィイイ! と、互いの腕に衝撃を走らせ、二人の男は距離を取った。
転瞬、膝に力を溜めたオズワンが、ばね仕掛けのように突っ込んだ。
紅い弾丸のごとき彼の体当たりに身構えようとするジークだが、その直前、彼は地面に尻尾を突き刺して急停止。目を見開く英雄の眼前で身体を伏せ、回転と共に繰り出された蹴りがジークの足を崩す。不安定な体勢となったジークのみぞおちに、恐ろしい蹴りが直撃した。
「…………っ」
(速い……いや、それだけじゃない。なんだ、この違和感は!?)
目の前で戦っているのはオズワンだ。
尾と爪を活かした拳闘術は攻撃のたびにキレを増し、自分を追い詰めている。
しかし、それでは説明のつかない得体の知れなさが彼にはあった。
そう、それはまるで、自分と戦っているかのような。
「どれだけ、憧れたと思ってる」
「……!」
目の前にオズワンが居た。
「どれだけ、お前と戦ったと思っている!」
何度も、何度も、この瞬間だけを夢見てきた。
来る日も来る日も、毎晩欠かすことなく稽古に励んできた。
想定する相手は他でもない、ジークだけだった。
ーーずっと見てきた。
敵を薙ぎ倒す背中を。
人語を絶する剣技を。
類まれなる対応力を。
彼の一挙手一投足、全てを思い描き、何度も自分と戦わせてきた。
想像の中で打ちのめされた回数は一万回を超えるだろう。
それでも、オズワンは諦めなかった。
いつか追いつくと決めた背中。いつか並び立つと決めた横顔。
その全てが、今、目の前にある。
「ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
燃えろ、燃えろ、燃え上がれ、おれの魂よ。
立て、進め、抗え、足掻き続けろ。
思考を捨て、理性を捨て、攻撃を繰り出す竜となる。
頼るべきは培った経験と反射のみ。それ以外は要らない。全部捨てる。
意地を張らなくていい。強がらなくていい。ただ信じるんだ。
愚直に努力を重ねてきた、ありのままの自分を!
「おれは、お前を超えていく!!」
ーーだから、おれを見ろ。
ーーおれを見ていてくれ。
ガンッ、と。
おのれを見定めた竜人の拳が、音高くジークを捉えた。
「……っ」
顎に直撃を入れられ、たたらを踏むジーク。
魔力の消耗と大罪異能による疲労で身体が思うように動かなかった。
その隙を、オズワン・バルボッサは逃さない。
「これでも、くらえぇええあああああああああああ!!」
拳撃の乱打。
弱虫から王の器へ昇華した男の一撃は、英雄の防御を食い破る。
腹に肩に膝に肘に頭に、骨が砕けるような一撃がジークを襲い続ける。
「この……!」
咄嗟に振るった本気の斬撃が衝撃波と化し、花畑を切り裂いた。
オズワンの肩から腰が切り裂かれ、滂沱の鮮血が噴き出す。
舞い上がる花々、立ち込める土煙、ぴたりと止む歓声。
世界から途絶された戦塵のなか、二人の男は向かい合う。
「ハァ、ハァ……!」
「ぜぇ、ぜぇ……!」
ニィ、とどちらからともなく口元を吊り上げ、構えた。
二人は拳と剣に力が集まっているのを感じる。
もはや互いにほとんど力は残っておらず、この一撃が最後だと直感。
ーーならば、ありったけを。
「大罪異能、解除」
おのれの姿を欺瞞する力を解除し、ジークは雷を身に纏う。
まごうことなき本気の英雄に対し、オズワンは目を見開き、そして笑った。
転瞬、ジークの姿が消える。
目にも止まらぬ高速攻撃。
しかし、憧れを追い続けてきた男が想定してきたのは、このジークだ。
目の前に迫ったオズワンの拳に、ジークは笑みを見せた。
ーーあぁ。
「おれの」
ーーやっぱり君は強いね、オズ。
雷を纏う英雄の懐に元弱虫は入り込んでいた。
ゼロコンマ一秒が生死を左右する光の世界で、竜人の拳が降りぬかれる。
「勝ちだぁああああああああああああああ!」
一点突破。
英雄の本気を、オズワンは真っ向から打ち砕いた。
音高くとらえた拳が腹を抉り、突き抜ける衝撃が戦塵を吹き飛ばす。
ーー……ぐしゃり、と。
一瞬で大罪異能を発動したジークは、地面に倒れた。
倒れ伏した悪魔に対し、静まり返った国民の視線が突き刺さる。
誰もが悟る、決着の一瞬。
「や、やった……?」
「倒した、のか。あのバケモノを……!?」
血まみれのオズワンは息を荒立てながらジークを見る。
動く様子はない。動けるのか、動けないのか分からない。
それでも、確かに『捉えた』感触はあった。
ーーその時だ。
ズガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!
天から落下した土柱が、ジークの身体を押しつぶした。
突然の事態に国民たちが驚愕するなか、彼らの中から叫び声が上がる。
「神の怒りだ! 地母神の怒りが下ったぞ! 殿下の勝利だ!!」
「ぉ、ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
歓声の鯨波が闘技場に広がっていく。
土柱が消えると、ジークの姿は既になかった。
悪魔が死んだ、そう確信した国民の熱はとどまることを知らない。
オズワンは、聞き覚えのある声がした方向に目をやる。
誰も周りの者達と感動を分かち合うなか、一人、その獣人は暗がりに消えていく。
暗がりのなか、丸眼鏡が光に反射していた。
「……バカタロウめ。今度会ったら覚えとけよ」
どいつもこいつも、と。
呆れと感謝をないまぜにしたオズワンはバタン、と倒れた。
誰かが駆け寄ってくる気配。
「殿下! 殿下!」と側近の聞きなれた声を聞きながら、
口元を緩めたオズワンは意識を手放すのだった。
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