第十五話 継承の儀
ーー南方大陸。
ーー獣王国パルメギア王都。中央区画、闘技場。
「グォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
猛烈な勢いで迫る獣の牙を、オズワンは紙一重で交わし、懐に潜り込んだ。
手ごたえのある打撃が顎にヒット。脳髄を揺さぶられた魔獣は頭を天に突きあげた。
続いてオズワンはさらに足を踏み出し、くるりと一回転。
背負い投げのように牙を掴み、体重一トンは下らない魔獣を持ち上げる。
「ぉぉお!」
裂帛の気合と共に投げ飛ばした魔獣がくるくると宙を舞う。
ドスンッ、と飛び上がりそうになる地響きを立て、魔獣は沈黙した。
会場内が静まり返り、やがて歓声が爆発する。
『うぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
興奮の絶頂に立たされた観客たちは立ち上がり、割れんばかりの拍手を送る。
凶悪な魔獣を退けた王候補への、それは全霊の賛辞であった。
フン、と鼻を鳴らしたオズワンが席に戻ると、『すごい、すごいです!』と放送の声が聞こえた。
『皆さん、ご覧になりましたでしょうか! 継承の儀、第一の試練!
部下を巧みに指揮して魔獣を討伐した第一王子、そして魔道具を頼りに討伐した第二王子、魔獣を前に気絶してしまった第三王子と違い、第四王子はま・さ・か・の! 素手で! あの巨体を投げ飛ばしてしまいましたぁああーーーーーーー!」
放送席に座っているのは『継承機関』の人間だ。
元々は厳かに進むはずだった『継承の儀』ではあるが、
三代目獣王の手で、国民の息抜きも兼ねたほうが経済効果が見込めると考えられ、以後はこのような形となった。
元々、獣王国では国民同士の闘技大会というものが開かれており、
今回の継承の儀もそれに準じる形だ。
規模と盛り上がりはこちらが段違いに上であるが。
「お疲れさまでした、殿下。こちらを」
「おう」
犬顔のイラからタオルを受け取り、汗をぬぐうオズワン。
と、そこへ声をかけてきたのは二つ隣の席に座っていた男だ。
「ーーいやぁ、さすがだね、オズワン。まさか素手で投げ飛ばすとは」
「……」
第二王子、エラム・ドゥリン。
大量の魔道具を傍に置いている男は快活に笑う。
「さすがは初代獣王の末裔ということかな。
それとも、その力こそ君がこの一年で身に着けたものなのかい?」
「るっせぇ。黙ってろ」
「つれないなぁ、僕たちは兄弟じゃないか。仲良くしようぜ。そうだろ兄さん?」
「くだらん」
エラムの誘いに、第一王子は辛辣だ。
「すぐに消える愚物と親交を深めたところで無意味。
幼き弟ならいざしらず、一度逃げ出した愚か者と喋る口は持たぬわ」
「ハッ! 一人で魔獣に立ち向かう勇気もない男は言う事が違うぜ」
挑発的なオズワンに、しかし、ザルキス王子はむしろ強気で、
「王とは他者を従える者を言うのだ。個の力に何の意味がある?
貴様がどれだけ力を持っていたところで、所詮は個。群衆の前に意味はない」
「その理屈はてっぺん張る奴が先頭に立つから意味があるんだろうが。
安全な後ろから指示だけ出している奴に誰がついていくんだよ。アホが」
「貴様……!」
「愚か者と喋る口は持たないんじゃなかったのか? ぉ?」
一触即発の空気が蔓延する王族専用の控え室。
止めるべき従者はむしろ好戦的に相手を睨んでおり、主に従う構えだ。
血のつながらない兄弟喧嘩を眺めていたエラムは内心でため息を吐いた。
(全く……何をやってるんだか。どちらも愚かだねぇ)
言っていることの是非はともかく、まだ継承の儀は始まったばかりだ。
これから七日間、未踏破領域に潜って踏破するというのに、余計な体力を使ってどうするのだ。継承機関から放送が響き、部下たちに闘技場へ集まるように指示したエラムは考える。
(そして、最も愚かなのはこの兄……ザルキスだ。本当に分かっているのか?
いや、分かっているから苛ついているのか。僕らの中でオズワンが一番強いって)
彼が一年間どのように過ごしたのかをエラムは知らない。
知っているのは最近、奇跡の英雄と行動を共にしていたという事実だけだ。
しかし、詳細は知らなくても彼の鍛え上げた闘気は目を見張るものがある。
(継承の儀は第一の試練で魔獣と対決し、第二の試練で未踏破領域を踏破し、
第三の試練で候補者同士の決闘に流れ込む。このままいけば勝つのはオズワンだ)
先ほどの見せつけるようなパフォーマンスもそう。
部隊を指示して手堅く勝つよりも、獣王国の国民は派手な方を好む。
そういう国民性なのだ。
だからこそ、この自分が愚か者と組んで企みをしているのだから。
ザルキスが苛立ったようにこちらを見てきた。
親指の爪と中指の爪を合わせている。実行の合図だ。
(今このタイミングで……? 第三の試練で解放するって算段だったろ。
さすがに今は早すぎる。いや、逆に考えれば今しかないのか……?)
元々は第三の試練で仕掛ける予定だったが、それは王候補の優劣がほぼ拮抗していることが前提だ。しかし、オズワンの力は予想外に強くなっている。継承機関の買収は済んでいるが、このまま国民がオズワンの勝ちを確信すれば世論が反発する。そうなる前に仕掛ける方が賢明か。
(やれやれ……世話の焼ける兄を持ったものだ、全く)
内心で呟き、彼は隠し持っていた通信機で部下に呼びかける。
闘技場の地面が地震のように揺れ始めたのは次の瞬間だった。
揺れは止まることなく続き、ぱらぱらと砂粒が天井から落ちて来る。
「な、なんだ。何が起こっている!」
慌てたように狼狽しながら、ザルキス王子は言った。
部下たちが確認に走り、民衆たちは不安そうに顔を見合わせた。
『皆さん、揺れが収まるまで動かないでください! 闘技場の耐震設計は万全です!』
放送席のそんな声を聞きながら、待つこと数秒。
それはやってきた。
ズガァアアアアアアアアアアアアアアン!!!
闘技場の地面を突き破り、黒い獣が現れる。
高さ数十メートルの闘技場を上回る、巨大な獣だった。
恐竜のような頭部に象のような胴体、口元からは曲がりくねった牙が生えている。
「「「魔獣だぁああああああああああああああああああああ!」」」
『巨獣』。
南方大陸の北方、未踏破領域のヌシである。
ザルキス王子が遠征の際に討伐したヌシの、その子供を闘技場の地下で育てていたのだ。しかし、そんな事は知らされていない国民たちは、我先に逃げ出そうと悲鳴を上げて、
(おっと、逃げてもらっちゃ困るよ。君たちには全部見てもらわなきゃね)
その瞬間、闘技場の入り口で爆発が起こった。
全部で四カ所あった出入口は天井が崩落し、無情に塞がれる。
出口を塞がれた民衆たちは押し合いへし合いだ。
闘技場中が混乱を極める中、巨獣の凄まじい雄叫びが闘技場を震わせた。
「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「「「……!」」」
ビリビリと、大気が震えるほどの咆哮。
逃げ出す勇気すら挫く理不尽の権化は、よだれを垂らした。
そこへ、
「どういうことだ。なんで闘技場の地下から魔獣が現れやがる!?」
「たぶん、闘技大会用の魔獣だろうね」
全てを知る第二皇子はいけしゃぁしゃぁと告げる。
「君も知っている通り、獣王国では闘技大会が定期的に開かれてるんだ。
もちろん国民が参加者して戦うのが一般的だけど、その中には魔獣と戦うのもある」
「はぁ!? だからってあんなデケェのがいるわけねぇだろ! 誰が捕まえられんだ!」
「少し前、魔獣調達部隊の者が珍しい卵を拾ってきた、たぶんそれが孵ったんだ」
「…………!」
オズワンは歯噛みした。
ーーありえない。
闘技場の地下で魔獣を飼っていることはもちろん知っている。
闘技大会にはオズワン自身も参加したことがあって、ズタボロに負けた記憶がある。
だが、これほど前に凶悪な魔獣を飼うにはスペースが足りないはずだ。
それこそ、この魔獣の為に新たに地下空間を作りでもしない限りは。
第二王子がやけに落ち着いているのも気になる。
先ほどの第一王子の慌てようもわざとらしかったし、何か知っていてもおかしくない。
だが違和感を抱いていても、今は。
「王族の警備兵は国民の警護に回れ! 俺たちゃ自分の身は自分で守れる!」
「愚物の言う事にしてはまともだ、ヘリク。お前が護衛たちの指揮を執って住民の警護に」
「了解しました」
「殿下、私は」
「行けよ、イラ。今はいけ好かねぇ野郎と喧嘩してる場合じゃねぇ」
「……了解しました」
王族の護衛官が警備兵をまとめて住民たちを警護しにいく。
王族の三人は突然現れた魔獣と対峙すべく、闘技台へ出る。
突如として現れた巨獣は周囲を威嚇しており、まだ国民たちを攻撃してはいない。
その事にホッとしているオズワンを横目に、第二王子エラムはほくそ笑んだ。
第一王子を見ると、彼は誰に目を向ける事もなく頷き、手のひらの中で何かを操作する。その瞬間、闘技場の外壁の上に次々と黒い影が現れ始めた。
「な、なんだ、あれは……?」
民衆たちの中から指を差すものが現れる。
無論、ザルキスの息がかかった者だ。
しかし、混乱の中に起こったさらなる事態は、民衆の注目を集めるのに充分すぎる。
黒い服の者たちがフードを跳ね上げる。
そこには、ザルキスが用意した悪魔教団の人間たちがーー
いなかった。
「は?」
「あぁ、そう来たか」
ザルキスは呆然と目を丸くし、エラムは一人納得する。
オズワンは眉を顰めてつぶやいた。
「エルダー……!」
そう、黒い服の中身はエルダーだった。
人ならざる紫や蒼といった異形の肌、頭には角が生えている。
なかには好戦的に尻尾を揺らしているものまで居た。
『悪魔だぁあああああああああああああああ!』
冥王軍、襲来。
獣王国始まって以来、初めてとなる異常事態だ。
本来ならいる筈のない者たちに、ザルキスは口をパクパクとさせている。
緊張が走る警備兵たちが注意深く見ていると、エルダーの集団に一人の男が現れる。
エルダーたちが恭しく膝をつく、その男は。
「カカッ! 俺サマを見ろ、獣王国の雑魚どもっ!」
仮面をつけた、男だった。
少年のような小柄な体躯、頭からは二本の角が伸び、禍々しい魔力を帯びている。
目だけを隠す豹のような仮面から紅い瞳が覗いていた。
(まさか、あれは)
何度も見た。見続けてきた。
憧れを一心に追ってきた男は、いち早くその正体に気付いた。
「なんで……」
「--貴様、何者だ! 悪魔が獣王国に踏み入ってタダで済むと思うのか!?
第一皇子ザルキスが叫んだ。
くつくつ、と肩を揺らした仮面の男は、大仰に両手を広げる。
「嗚呼。俺サマが何者か気になるか? そんなに知りたいなら答えてやろう!」
りぃん、とどこからともなく水晶色の剣を取り出す仮面の男。
斬、と飛ぶ斬撃を放って闘技台に亀裂を走らせた男は傲然と告げる。
「俺サマの名は第七死徒ルプス・トニトルス! 冥王の同盟者にして古き友!
英雄殺しの『孤高の暴虐』、天下無双の無頼漢たぁ俺サマのことよ!」
「べ……!?」
先の戦争で暴れた死徒の名は獣王国にも届いている。
誰もが知る名に民衆たちは恐怖し、ザルキスは顔を蒼褪めさせた、
「そ、そんな悪魔が、なぜ」
「冥王の頼みを聞いてな。お前ら獣人共を滅ぼしに来たってわけだ!
いざ、いざ! 戦ろうぜ、血沸き肉躍る戦いを、王を決める戦いを!」
自称死徒はニィ、と好戦的に笑う。
彼は隣に、小さな鬼の部下を侍らせていた。
蒼き雷を迸らせ、水晶色の魔剣を振るった男は告げる。
「さぁ始めようか。獣王国の王子共ッ!!」
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