第十五話 武神、現る
『その剣は天を裂き、地を割り、あらゆるものを打ち砕く。
その目は万象を見切り、その拳は熱を宿し、その身体は武を極めた誇りの結晶。
力を求めるなら武神を頼るがいい。
戦を求めるなら武神に願うがいい。
だが心せよ。
求める者に与えるのが慈悲とは限らない。
武の神髄を覗くとき、武神もまた、おまえを覗いでいるのだーー』
『ラディンギル神殿経典、第一章・武の心』より抜粋。
◆
「我が名は武神ラディンギル! おのれの才気に嘆く若者よ! 武神たるオレが、貴様を鍛えてやろう!」
「僕を、鍛える……?」
ジークは困惑気につぶやいた。
武神ラディンギル。
あらゆる武術をおさめ、天界の神々全員に勝負を挑んだと言われる戦闘狂だ。
終末戦争で地上に降り立った際は、真っ先に冥府の神に飛びかかったという。
武を愛し、武を広め、武を知ることを喜びとした男神。
そんな相手が、才能のかけらも持たない自分をなぜ鍛えるというのだろう……。
「失敗したわ……ジークを神域に招くときに結界を張っておけばよかった」
「ワハハハハっ! それこそ愚策だぞアステシア! 普段、一切結界を張ろうとしない貴様が一時的に結界を張れば、何があったのか天界中がいぶかしむであろう!」
「それはそうなのよね……あなたに論破されたのがむかつくわ」
ラディンギルは再び大口を開けて笑った。
ジークには何が何だか分からないが、どうやらこの状況はアステシアにとって不服のようだ。
「えーっと……僕、帰ったほうがいいです?」
「何を言っているのだバカ者! このオレが鍛えてやると言っているだろうに!」
アステシアはため息を吐いた。ジークに向き直って、
「ジーク。あなた、武術の訓練で行き詰っているんでしょう?」
「あ、はい。まぁ」
「武術を高めようとする者はラディンギルに目を付けられる。あなたが私の加護を与えた存在だってことを知って、接触してきたのよ」
「うむ! 貴様のような異物、実に興味深い! その武がどこに行きつくのか、非常に興味がある! 故に鍛える! オレと戦おう!」
えっへん、と言いたげに胸を張る武神ラディンギル。
ジークはどう反応していいのかわからなかった。
この状況を理解はしたが、納得はしていない。
アステシアを見て、
「……アステシアさまは、それでいいんですか? なんとなく、こういうのは嫌いそうだと思いましたけど」
未知を好み、未知を探究し、未知を楽しむのがアステシアだ。
目をかけた自分がどのような生き様を辿るのか興味があり、他の神々の干渉は嫌うのだとジークは勝手に思っていたが。
「まぁ、これも一つの道でしょう。私からラディンギルに働きかけたことはないし、不問とします」
「アステシアさまって割とてきとーですよね」
「寛容と言いなさい。とはいえ、あなたには悪い提案じゃないと思うけど?」
「まぁ、そうですね……行き詰ってたのは確かですし……」
特級悪魔に勝つため、ジークはテレサと実戦訓練をする事になった。
だが、その勝ち筋が見えない。
一太刀も浴びせることができなければ、特級悪魔など夢のまた夢だろう。
とはいえ。
「僕、師匠から剣の才能ないって言われてるんですけど、大丈夫ですか?」
ラディンギルに問うと、彼は「ふむ」と顎に手を当てて、
「逆に問おう。少年。貴様のいう才能とはなんだ?」
「え? そんな決まって……」
すぐに答えようとして、ジークは口が動かないことに気づく。
生まれつき持っている力?
潜在能力?
あるいは、神々から与えられたもの?
どれだろう。
どれが正しいんだろう。
硬直するジークを見て、ラディンギルは言った。
「武術を志す者は、才能を好む。あいつには才能がある。俺にはない。そういうものがあるとしていれば、自分が楽だからだ。強くなれなかった結果の原因を、才能のせいにして自分を慰められるからだ」
「ぁ」
「では才能とは何か?
ーー遺伝子の差か? 否だ。
ーーエーテル適合率の差か? 否だ。
身体能力の差? もって生まれた環境? 断じて、否。全て否である!」
だん、とラディンギルは大剣を肩に担ぎ、ジークをまっすぐ見つめた。
「あえて言おう。才能とは、諦めないド根性だ!」
「ど、ド根性……? でも、そんなの、誰でも持ってて……」
「そう、誰でも持っている。誰もが、そんな簡単なことに気づかないのだよ。少年」
ふ、とラディンギルは口元を和らげる。
「才能がないと嘆く暇があるなら、努力が実るまで鍛えればよいのだ!」
「え、えぇぇぇ!? それって脳筋の発想って母さんが……!」
「脳筋で何が悪い!? 鍛えて鍛えて鍛えて鍛えまくって、矮小な己を超えろ! そうすることでしか、おのれを高めることはできん!」
「で、でも僕、時間が……!」
「安心しろ! 結界を張った故、この中は時間の流れが遅い! 思う存分鍛えられるぞ!」
「!?」
ジークは目を見開いた。
ーー正直なところ、武神に稽古をつけてもらえるなら願ってもない話だ。
ジークには時間がない。夢の中でも走り続けなければ、特級は倒せない。
「なんだかズルをしてるような気がしますね……」
「神々の力を頼れるのも己の力だ。気にすることはない」
「そうですか……じゃあ、よろしくお願いします」
「うむ。ここに契約は成った!」
「は?」
ドクン、とジークの胸に光が灯る。
光は全身に染み渡り、揺らめき、やがて消えていった。
「え、ちょ、ちょっと待って。な、な、なにを」
「貴様に加護を与えた! ぶっちゃけ現実には特に作用しない加護だがな! いつでも夢の中でオレと戦える加護だ! うれしかろう!?」
「えぇぇぇぇぇええええええええ!? 加護なんて要らないし嬉しくないですよ! 僕は普通に暮らしたいだけなのに! なにしちゃってくれてるんですか!? 起きたらめちゃくちゃ痛いんですよ!?」
「知らん! 何とかしろ!」
「ダメだこの神もうどうしようもない!?」
頭を抱えるジークに対し、ラディンギルは大声で笑った。
目を見開いたアステシアが肩を震わせて慄く。
「や、やってくれたわねギル……これ以上その子に加護を与えたら、あの方がなんていうか……!」
「え」
ラディンギルの笑みが消えた。
ぎぎぎ、とたてつけの悪い扉のようにアステシアの方を向く。
「………まじ? あの方が関わってんの?」
数秒、神同士の間で沈黙が満ちる。
だらだらと汗を流したラディンギルは、やがて「ワーっハハハハハ!」と笑った。
「俺は知らんぷりする! 後は頼んだアステシア!」
「ふざけんじゃないわよこの筋肉神! あんたも巻き添えよ!」
ぎゃぁぎゃぁと騒ぐ二柱の神々。
よくわからないやり取りを小声で交わす二人に、ジークは天を仰いだ。
「もう帰っていいかな……」
◆
「では話も付いたところで。アステシア。俺の神域に移動してもよいか?」
「構わないわよ」
「うむ、ではーー」
パチン、とラディンギルが指を鳴らす。
その瞬間、世界が切り替わった。
「うわ!?」
見渡す限りの天空から打って変わり、現れたのは石造りの闘技場だ。
直径一キロを超える巨大な闘技場は中心に闘技台がおかれ、周りを観客席に囲まれている。
「天界で催し物をするときにも使う我が神域へようこそ! 歓迎するぞ二人とも!」
「いつ見ても殺風景なところね。もうちょっと何かないの? 眷属は?」
「眷属は下がらせてある! 少年の姿を見られるのはまずいと思った故な!」
「そういうところは気が利くのよねこの筋肉神……」
武神であり見た目が筋肉質なため勘違いしやすいが、彼は馬鹿ではないのだ。
もしも本当に考えなしなら、アステシアも神域へ入ることを許してはいない。
(加護を与えたのも何か考えが……いやそれについてはなさそうね。あとで殴っておこう)
と、そんなことを考えているアステシアをよそに、ジークは問いかけた。
「あのぅ、アステシアさまのところは空だけだったのに、ラディンギルさまのところは闘技場なんですね?」
「ワッハハハ! アステシアの神域とて本当の姿は見せておらんぞ! あれは仮の姿! 本当の神域はご……」
「ご、なんですって?」
にこり、とアステシアが微笑む。
ラディンギルは頬から汗を流して固まり、
「ご機嫌がよくなる場所だからな! 人の子には耐えられない場所なのだよ! ワッハハハ!」
「そうなんですか」
ごごご、とアステシアの背後に揺らめく、怒りのオーラには触れないジークである。
あれに触れたらダメな気がする。うん、放っておこう。
「まぁ戯言はこの辺にして、始めようか」
「……!」
キン、と張りつめた空気が満ちた。
直前までのふざけた顔は鳴りを潜め、武神としての厳めしい顔が現れる。
「貴様の武器は双剣だったな」
ラディンギルが両手を掲げると、ジークのものと同じような双剣が現れた。
彼は剣を振る。
一つ、二つ、振るたびに澄んだ風の音が響き渡る。
それはまるで美しい舞のよう。
ただ剣を振っているだけなのに、ジークはその姿に見とれた。
「……すごい」
「理を突き詰めた柔の業と、数多の戦場で培った直観による剛の業。その二つが合わさったのが武神ラディンギルよ。学ぶべきところは尽きないでしょうね」
不満と感嘆が混ざったよう複雑な表情でアステシアは言う。
ひとしきり剣を振ったラディンギルは、「うむ!」と破顔した。
「では始めよう。まず貴様は、双剣という武器の特性から理解しなければならん」
武神の修業は、ゆるやかな講義から始まった。
双剣を持ち、柄から刃につー、と指を伝わせて、
「双剣は攻防に秀でた優れた武器だ。斬りかかってきた相手を受け流し、そのまま攻撃につなげる速度は他の追随を許さない。だがその分扱いが難しく、極めるのは相当の難度を要求される。高いフィジカルが要求されるのはもちろんのこと、一手間違えれば即死につながる防御性能の低さ。これは盾を持てる片手剣や槍と比べて圧倒的なデメリットだ。ぶっちゃけ言えば、貴様のような素人向けではないな!」
「そ、そうなんですね……」
(時々砕けた口調になるけど、ラディンギルさま、こっちのほうが素なのかな……)
「うむ。そこでだ。双剣……いや、こと剣術において重要なことが一つある」
ラディンギルは指を一本立てた。
「ーーそれは、足運びだ! ……と、人の子は言うのだろう」
「違うのですか?」
「違う! いやそれも大事なのだが……本質は重心の位置! そしてそれを律する心だ! 足運びは重心を運ぶための道具にすぎん!」
「じゅうしん」
「そうだ。いいか、オレと同じ構えを取れ」
ラディンギルは両手を掲げ、左手を前に、右手を後ろに構えた。
足は腕と同じ位置に置き、腰を落として重心を低くする。
「これが攻撃の型だ。速度を重視した切り上げの構え。ラディンギル流双剣術『狼牙』という」
「おぉ……カッコいい……!」
「そうだろう! だが、貴様にはラディンギル流を名乗ることは許さん!」
「えぇ!?」
「出自、体格、能力、全てが異なる師匠からオレに伝えられるのは基本だけだ! 数多の敵と戦い、おのれの能力を組み込み、お前だけの型を作るがいい! それがお前の剣術、トニトルス流になる!」
「……っ、はい!」
自然と胸が熱くなったジークは元気に返事をする。
ラディンギルも褒められて調子が良くなったのか、丁寧に説明を始めた。
(ジークも男の子ねぇ……楽しそうに剣を振っちゃって)
はたから見ていたアステシアは暖かく微笑む。
(ギルも楽しそう……久しぶりに人の子に教えるのがうれしいのかしら)
ラディンギルはジークに足の位置から角度、重心の位置を教え、身体に触れて逐一修正していく。
仲良く剣を振る二人はまるで兄弟のようで、はたから見ていて微笑ましい光景だ。
実際のところ、六柱の大神であるラディンギルが人間に修業をつけることは滅多にない。彼がジークに与えたのは『練武の加護』といい、彼の眷属と戦って修業をつけてもらえるもので、本人は出てこないのだ。
今この時間がどれほど貴重で、他人から見れば垂涎モノの時間なのか。
楽しそうにラディンギルに教えを乞うジークは分かっていないだろう。
アステシアは机と椅子を呼び出し、闘技台の下で優雅に紅茶をたしなむ。
(とはいえ、これなら放っておいてもいいかもしれないわね。私は本でも読んでおこうかしら)
一通りの型を教え、二人は何度か同じことを繰り返す。
ジークに教えるラディンギルは、教えた型を再現しようと苦心する弟子にのどを鳴らした。
(何も知らぬゆえにどんなものにでも化ける可能性。教えを素直に受け取る柔軟さ。そして半魔という世界にとってイレギュラーである『未知』……なるほど。アステシアが目をかける理由も分かる)
はっきり言って呑みこみは悪い。ドゥリンナの子に才能がないと言われるのもうなずける。
だが、彼には呑み込みの悪さを補って余りある根性がある。
出来るまでやろうという気概がある。
それだけで、ラディンギルには充分だった。
ここは師匠らしく、剣の極意を授けてやろう。
「少年。寝るときに剣は抱いているか?」
「え、抱いてないです。だって、危なくないですか……?」
「馬鹿者! 剣はおのれの分身、おのれの命だぞ! 寝るときだろうが湯あみの時だろうが肌身離さず持ち歩け! 剣を手の延長として扱い、手で出来ることは剣で出来るようになれ! 男が剣を離していいのは死ぬか、夜伽の時、おのれの剣を抜くときだけだ!」
「ぶふーーッ!」
アステシアは噴き出した。
ジークは首をかしげる。
「よとぎ……けん?」
「なんだ、知らんのか? 夜伽というのは男と女が……」
「ギ~~ル~~~~~~~~~!?」
だんっ、と紅茶を置き、アステシアはラディンギルに詰め寄った。
「この筋肉神! うちのジークに何を変なこと吹き込んでんのよ! この子にはまだ早いわ!」
「なに? だがもう十五だろう? 立派な大人だ。それともお前がやり方を教えるか?」
「な、な、な……!」
アステシアは耳まで真っ赤になって口をぱくぱくと動かした。
言葉が出ない様子の女神に、ジークは首をかしげる。
「アステシアさま、熱でもあるんですか?」
「ふぇ!? べ、べべべ、別になんでもないわよ……!?」
「そうですか。じゃあその、ヨトギというのは何か教えてもらっても……」
「ば、馬鹿おっしゃい! あなたには十年早いわ! 早すぎるわ!」
「ふ。そういえばアステシア、お前、確かしょ……」
「そういえば、天界では嵐の神フラヴィアドラがあなたとエアゾーナが浮気してできた子供だったのは秘密だったわね。とりあえず私からみんなに報告を……」
「わーわーわー! 待て、待て待て待て! そんなことで三千年以上隠してきた秘密をばらすな! 悪かった! 悪かったから!」
慌てたようにアステシアを引き留めたラディンギルは「ごほん」と咳払いする。
「あー、少年。とにかくだな。男たるもの、剣は肌身離さず持つように!」
「え、っと、はい。分かりました」
ジークは素直にうなずいた。
けれど、一度聞いた単語がどうしても気になって、もう一度聞いてみる。
「それで、ヨトギってなんですか?」
『あなたにはまだ早い!』
「そ、そうですか……」
渋々うなずいたジークは、頭の中でヨトギについてメモをする。
今度リリアに聞いてみよう。
優しいあの人ならきっと答えてくれるだろう。




