第五話 慈悲なき煉獄
監獄島に十万超の悪魔が上陸していく。
要塞に立てこもっていれば物量で押し潰されるだろう。
こちらが勝つには包囲が完成する前に悪魔たちを突破するしかない。
しかし、それには最大の障害が立ち塞がっている。
「--------------っ!」
おのれの誇りを傷つけた英雄を、リヴァイアサンは許さない。
全ての悪魔を運び終えた死海の主はおのれの敵を滅ぼすため浮き上がった。
ジークが相手をしていては監獄島の戦士たちは瞬く間に全滅するだろう。
だからこれは、挑発だ。
ーーさぁ、出てこい。
その声なき声に、魔剣が訴えるように震えた。
「いいよ、行きな。アル」
「ーーキュォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
またたく間に神獣形態となった魔剣アルトノヴァ。
その翼から一枚の羽根をジークに落とし、神獣は宿敵へ突撃する。
リヴァイアサンが光線を吐いた。空気が蒸発し、雲が割れる。
アルトノヴァは応えず、ぐるん、と宙で一回転。
光を避けて素早く滑空した相棒は、宿敵の翼に牙を突き立てた。
「ギュァアアアアアアアアアアア!」
「グォオオオオオオオオオオ!」
空中でもつれ合い、爪牙をひらめかせる二体の神獣。
互いの誇りをかけた彼らの舞台は、やがて雲の上へと変わっていく。
彼らのどちらが勝つかでこの戦争は大きく変わるだろう。あとは託すのみだ。
「……頼んだよ、アル」
呟き、ジークは戦場を見据えた。
監獄島に上陸した悪魔たちは要塞を囲むように四方から迫っている。
小隊ごとに分かれ、一ヶ所にとどまらないような動き方だ。
こちらの雷を警戒しているのか。
(お兄ちゃん、どう動く?)
(とりあえず敵を削る。乱戦になったら僕が率先してエルダーたちを倒す。
あとは……第一の加護で走り回るからサポートをお願い。出来るだけ死なせないで)
(姿を見せてもいいの? 元老院の手駒が見てるかも)
(監視役はロレンツォだけだよ。この二週間確かめたけど、他に彼らの目はない)
(おっけー……そういう事なら)
影の中の妹と打ち合わせたジークは視線を走らせた。
左からエルダーの大隊、およそ百体。
弓矢の雨を降らせてきた相手に対し、囚人たちは加護で応戦し、迎え撃とうとする。
「陣形を崩すなッ! 挑発に乗る必要はない、まとまって動けッ!」
一条の雷がエルダーの大隊を焼き尽くした。
すかさず祈祷詠唱のサポート。これはギルダーンだ。
視線を交わし、彼らは頷き合った。
「こちらをバラバラに引きはがすのが奴らの狙いだ! 遠距離攻撃は気にするな!」
「大将の後ろに続けっ! 恐れるな、進め、進めぇえええ!」
エルダーたちが矢の雨を降らせて来る。
宙を埋め尽くすほどの絨毯攻撃。
ジークは周囲に電子粒子の結界を張り巡らせ、その全てを防ぎ切った。
じゅわ、じゅわ、と結界に触れた矢が溶け、蒸発していく。
「ぉお……!」
どっと囚人たちが沸き立つ。
遠距離攻撃の全ては雷に防がれ、業を煮やしたエルダーたちが迫ってきた。
「ハッハ―ッ! こりゃ楽でいいねッ! やっぱすごいよアンタ!」
「エマ、小隊をまとめて応戦しろ! 動きながらだ、出来るか!?」
「お安い御用だよ、大将っ!」
エマの部隊が炎や氷の矢でエルダーたちに応戦。
ジークの目配せを受けたギルダーンがパチンッ、と指を鳴らした。
「さぁ唸れ、広がれ、嵐の如く!」
ーー爆発する。
ドォオオオオオオオオオオオオオ!!
エマの小隊が放った炎や氷が、風船が膨らむように一気に拡大する。
急速に膨張した炎は爆発のようにエルダーを焼き尽くし、
生き残ったエルダーたちは氷の矢が貫いていく。
ーー嵐の神フラヴィアアドラ加護『雲霞の角笛』だ。
ギルダーン・マイヤーが持つこの力は、小さな種火を嵐のように拡散し、膨張させる。
自力では斬撃を拡張させたり足音を大きく見せたりと目立たない加護。
その割には陽力の燃費が悪く、ギルダーン自身は気に入っていない。
だが、こと集団戦において、彼の力は類を見ない光を放つ!
(なるほど。これが君の力……囚人たちをまとめるのにぴったりだね)
一瞬、迷う。
彼の力でジークの雷を拡大させれば相当な数を倒せるだろう。
その代わり、かなりの集中力と陽力を使うはずだ。
代償としてギルダーンが戦闘不能になる可能性がある。
ただでさえジークとギルダーンが共に戦うのは初めて。今は自分で戦った方が得策か。
「お、おい、来る、来るぞ!」
ロレンツォの怯えた声が聞こえた。
見れば、彼が指差しているのは上空ーー雲を割って現れた黒燐竜の群れだ。
空から魚を狙うアオサギのように、まっすぐこちらへ突っ込んでくる。
ジークが気付くよりも速い反応。さすがだ。
ロレンツォとて、伊達にこの煉獄で生き延びてきたわけではない。
「ナイスだ、ロレンツォッ!」
恐らく陣形を乱すことが目的だろう。
魔剣で雷を放ち、次々と黒燐竜を撃ち落とす。
前方、エルダーの中隊を発見。ジークは地面を踏み込んだ。
ーードンッ!
「~~~っ、皆の者、七聖将だ! 迎撃準備……」
「遅すぎる」
雷光一閃。
すれ違いざまに放った幾筋もの斬撃が、周囲のエルダーをまとめて斬り裂いた。
といっても倒したのは百体前後。エルダーの軍勢はまだまだ居る。
「キリがないな……ヤタロウが不死の都の攻略は無理って言ったわけだ」
(お兄ちゃん、まだ?)
「まだだよ。あと少し」
足元に呟くジークとは裏腹に、囚人たちはジークの力に舌を巻いていた。
「つぇえ……拳闘場でのアレは手ぇ抜いてたってのか!?」
「そりゃそうだろ、加護も使ってなかったんだから……」
「でも、これなら、あの人なら!」
か細かった希望が現実的な目標となって彼らを叱咤する。
口だけではない。先頭を切って敵を屠る大将の姿が何よりの奮発剤だ。
ーー負けてられっか!
「行くぜ弟たちよ!」
「やったるぜ兄者!」
「やってやんぜ兄者たち!」
監獄島では有名なファーガソン三兄弟が獅子奮迅の働きを見せる。
武の神ラディンギルの眷属に見込まれた彼らは魔導武器である斧を変幻自在にかみ合わせ、ぶつかり合った力が火花を散らし、爆ぜ、近づいてきたエルダーを殲滅する。
「うふん。抱いてあげるわぁ、いらっしゃい、エルダーたち!」
「ぼ、僕も、僕だって……!」
クラリスも、ラックも、他の囚人たちも、
希望を見せつけられた彼らの底力は、確かにエルダーたちを押し返していた。
遠距離攻撃はジークが防いでくれる。迎撃と攻めにのみ集中できる最高の環境だ。
戦闘開始から十分が経過し、五千体のエルダーが葬魂されていた。
このままいけば、あるいは全員生還も可能かもしれない……。
◆
【そう上手くはいかせぬぞ、我が甥よ】
「め、冥王様! 奴らの突破力はすさまじいです!手がつけられません!」
【慌てるな、ディン。貴様は私の指示通りに動いていればいい】
「はっ……!」
冥王メネスは部下の目を通して戦場を見渡す。
既に上陸できる全ての部隊は監獄島に降り立った。
包囲網は完了しており、絶え間ない遠距離攻撃が電子のドームに降り注いでいる。
【ジークの力とて無限ではないが……アレには忌まわしい魔剣がある】
鍛冶神イリミアスの打った至高の名工。
彼女をして神生で一、二を争うと豪語させた魔剣の力は人語を絶する。
あの魔剣がある限り、ジークの陽力が切れることはまずありえない。
(選択肢は二つだな)
リヴァイアサンによる遠距離攻撃を仕掛け、その上で全部隊に突撃させるか。
遠距離攻撃を諦め、物量による攻撃で乱戦に持ち込むか。
どちらも捨てがたいが、戦いに勝利するだけなら前者だろう。
いくらジークといえど、リヴァイアサンの余波から仲間を守るには相当の力を使うはずだ。
しかし、冥王が選ぶのは後者である。
リヴァイアサンに捨て身の攻撃をさせれば結界を崩すことは可能だが、そうなればアルトノヴァが自由になり、こちらの強力な手駒を失う事になる。
何よりも後者が魅力的なのは。
【物量による攻撃を仕掛ければ、奴は常に仲間のサポートに回らざるおえまい】
それこそがジーク・トニトルスが最も嫌がる事であり。
この戦争を勝利に導く、たった一つの冴えたやり方だ。
【ジークを殺すことがこの戦争の勝利ではない。むしろ、貴様らに奴を殺すことは不可能だ。しかし……奴の心を虐め抜くことは出来る。守るべきものを失う絶望を、再び味合わせてやれ】
「は。では」
【うむ】
冥王メネスは部下の命をいとわない。
【私にその命を捧げろ。ディン・フィルティン】
ディンは恍惚とした表情を浮かべて頭を下げた。
「仰せの通りに、我が君」
◆
鼻を抑えたくなるような血臭が大気に満ちている。
吹きすさぶ風には臓物が含まれ、葬魂された悪魔の魂が宙へ昇っていく。
血と臓物で湿った地面。残酷な戦場の中にある神秘的な風景。いつ見ても、思う。
最悪の気分であると。
「うぉおおおおおおおおおおお!」
雄叫びを上げながら突貫してきたエルダー。
その首を容赦なく両断したジークは、彼の眦に浮かぶ涙を見る。
母さん、と小さく呟いた彼は、いかな気持ちで飛び込んできたのか。
「……っ」
彼とて戦いたかったわけではないだろう。
二度目の生の中で得るものがあり、あるいは家族が居たのかもしれない。
意志を捻じ曲げ、愛を歪め、おのれの忠誠心へと塗り替える。
それはこの戦争の中にあって誰よりも残酷で、慈悲の欠片もない悪鬼の所業。
「お前が、居るのか」
ジーク・トニトルスは悪魔の中に叔父の強い魔力を感じる。
マグマのように煮え立つ怒りに呼応して、魔剣がバチバチと唸りを上げた。
「ーーお前がやらせてるのか、メネェスッ!!」
【聞こえているぞ、我が甥よ】
エルダーの大隊の後方、妖しく目を光らせるエルダーの一体が呟いている。
魔力を通して身体を操る冥王は、甥の怒りを受けて笑うのだ。
【お前への手向けだ。気に入ってくれたか?】
「ふざけるな……! 人の命を何だと思っている!?」
【彼らの死を逆転させたのは私とオルクトヴィアスだ。
二度目のせいに感謝されこそすれ、与えた命を返してもらうのは道理だろう?】
「この……っ」
エルダーの大隊を屠ったジークを放り出し、冥王は囚人たちを取り囲むように陣形を変える。元より彼らの狙いはジークよりも囚人たちだ。ジークの心を崩すには周りを傷つけることが手っ取り早いと冥王は知っていた。
雨のように降り注いでいた光が止まり、
【やれ】
「「「冥王閣下の為にっ! 不死の都、万歳ッ!」」」
ジークの真反対から、大気を切り裂いて大型の黒燐竜が迫る。
その背には百人近いエルダーが乗っていた。彼らの身体には亀裂が入り、大量の光が見えている。
(この魔力……ヴェヌリスの加護……メネスが大量の魔力を送り込んで暴走させてるのか!?)
いや、今はそれよりも。
「エマぁッ!!」
「分かってらぁ!」
女性のみで構成された部隊が遠距離攻撃で迎撃する。
しかし、捨て身の攻撃を仕掛けるドラグーンは宙を滑空して全てを避けた。
危機を感じたジークが雷を放つ、着弾。
「-----っ!」
大爆発が起こった。
肌を溶かすような超高熱の嵐が戦場を蹂躙する。
ジークは咄嗟に電子の結界を縮め、爆風から部隊を守るように形を変えた。
もうもうと立ち込める黒煙。人の肉が焼ける嫌なにおいが鼻腔を刺激する。
監獄島の部隊が視界を塞がれた一瞬の隙。
それこそ冥王メネスの策であり、彼が見出した勝機だ。
【全軍、突撃】
「ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
世界を揺らす雄たけびを上げ、残る九万の軍靴が足並みをそろえた。
味方を攻撃する事もいとわない物量で押しつぶす原始戦術。
今のジークが最も嫌がる方法なのは間違いないだろう。
「乱戦だッ! 各部隊、四人一組で行動! 仲間の死だけ気にするな! 自分の命を守れ!」
『応ッ!』
「ギルダーン! お前は防御しつつ各部隊の補佐に専念しろ! 悪魔の相手は気にするな!」
「……っ、応っ!」
疑問があっても今は従う。さすがギルダーンだ。
ジークは口元を緩め、爆発的な速度で地面を蹴った。
エルダーの軍団に真っ向から突っ込み、
「ルージュ!」
ぬぅ、と影の中から少女が現れた。
顔まで隠れる深いフードを被った彼女は、口元に笑みを湛える。
「むふふ♪ 待ちくたびれたよ、ダーリン!」
「ダーリンじゃないけど!?」
「そんじゃまぁ」
ルージュの足元から、おびただしい影の触手が伸びていく。
「いっちょ、暴れてやりますかっ!!」
周囲千体以上の悪魔が、一瞬で影の串刺しと化した!
ぐん、ぐんと影を通して血を取り込み、悪魔たちの身体が干からびていく。
すかさずジークが祈祷詠唱。悪魔の魂が天に登り、ルージュはぺろりと舌なめずりした。
ぽっかりと空いた周囲に気圧され、エルダーたちが突撃をためらう。
「ん~、ごちそうさま。でも、やっぱりお兄ちゃんの血が一番美味しいね」
「ルージュ、打ち合わせ通りに」
「分かってる。お兄ちゃんは」
「自分の役目を果たす。背中は任せたよ、相棒」
ルージュは目を見開いた。
返事を待たず、ジークの姿が消える。
唖然としたルージュは腕を振り上げ、飛び出してきたエルダーの首を斬り飛ばした。
にまにまと口元が緩む。胸の中が光で満たされ、全身に力がみなぎっていく。
冥界の時と同じ言葉。
けれど、その声に宿る信頼はあの時と比較にならない。
ーー嗚呼。今なら、どんなことだって出来そうだ。
満開の花が咲くような笑みを浮かべ、妹は兄の意を汲むため地面を蹴った。
「任せてお兄ちゃん。愛してるっ!」
視線の先は、九万の軍勢に囲まれた監獄島の戦士たち。
乱戦に持ち込まれたことで背中ががら空きだ。エルダーの一体がギルダーンの背中を狙った。
殺気に気付くギルダーン。咄嗟に振り向く。大剣を振る。遅すぎた。
吸い込まれるように、胸の中心に矢が突き立つ……。
その寸前だ。
「全く。世話が焼けるんだから」
豪速の矢を切り裂いて、ルージュがギルダーンの背中を守り切った。
たん、と着地したルージュ。
彼女を敵だと勘違いした仲間がギルダーンの助けに向かうが、
「俺は大丈夫だ! テメェらは大将の言う通りにしろ!」
「……っ、応!」
ルージュがフードを被っている事が幸いしたのだろう。
仲間たちが悪魔に気を取られている隙に、二人は背中合わせになった。
ギルダーンは声を潜めて、
「ルージュの姐さんッ! 出てきて大丈夫なんですかい!?」
「ダーリンの判断だから。フードを被ってたらそうそうバレないでしょ」
「いや魔力でバレるだろ……! ていうかダーリンって」
「安心して。混乱させないようにする。あんたたちは命令を実行すればいい」
呟きを残し、ルージュは兄のように姿を消した。
呆気にとられたギルダーンは乱戦の中、人の間を縫うように駆ける影を認める。
仲間たちの背後や、遠距離から仲間を狙う敵を屠っているのだ。
「うわ!?」「なんだ!」「誰だアレ!?」動揺する仲間たちだが、彼らも歴戦の戦士だ。味方ではない可能性を考慮しつつも、敵ではないと判断し、やるべきことをやっていく。
「ほんっとに、あの兄妹は……」
ギルダーンは呆れながら大剣を振るう。
九万体以上の一斉突撃だ。本来なら軍団の波に呑まれて終わり。
しかし今、エルダーたちは散発的にしかこちらを攻撃できない。
それはエルダーの背後で動き回る、恐ろしい雷光が原因だろう。
「こんなにお膳立てされちゃあよ……燃えねぇわけにはいかねぇよなぁ!」
ギルダーンは大剣を振るい、部隊を補佐するために奔走する。
ジークとルージュによって数を減らされ、息を吹き返したように戦う葬送官たちの猛攻で、戦争の趨勢は傾き始めていた。
ーーだが、いかに人外の力を誇るジークとて万能ではない。
陽力は尽きなくても体力は消耗するし、
常に仲間をサポートしていれば集中力だってすり減ってくる。
むしろそれこそ冥王メネスが物量攻撃を選んだ理由であり、
ーー今のジークにとって、突くべき弱点だ。
「ーーラックっ!!」
悲鳴のような声がジークの耳朶を叩いた。
音の発生源は数百メートル先だ。
感知に引っかかっていた陽力が消え、禍々しい魔力が一つ増える。
「ぁ、ぁあ、アアアアアアアアアアアア!!!」
心臓を刺されたラックが一瞬でエルダーと化した。
その変異スピードに、その場にいた囚人全員が目を見開く。
(((悪魔化が速すぎる……!)))
通常、どんなに早くても、死んだ人間が悪魔となるのは一分ほどかかる。
これは世界が人間の死を認識するために必要な時間であり、
オルクトヴィアスの権能が冥界に向かおうとした魂を現世に縛るための時間だ。
しかし今、この場は冥王メネスが見ている。
ジークを疲弊させるため、この場のみオルクトヴィアスの権能を強めているのだ。
だからこそ、ラックは死んだ瞬間に悪魔となった。
全てを察したジークはきつく目を瞑り、そして決断する。
「ごめん、ラック」
電光石火。
エルダーとなった瞬間、ラックの頭に雷の槍が突き刺さった。
雷に焼き尽くされたラックは瞬く間に塵と化し、
「《哀れな魂に、光あれ》ターリル!」
ジークの祈祷詠唱により、彼の魂は天に登っていく。
エルダーとなって生きた時間は一秒にも満たないだろう。
雷の速さで走り回るジークは血を払うように剣を振るった。
「恐るなっ! お前たちを率いるのが誰だと思っている!」
「……っ」
唖然としていた囚人たちに叱咤が飛ぶ。
彼らとて死に慣れていないわけではない。ただ、今日、この戦場における初めての死者だ。七聖将が率いているといっても、ここまで死者が出なかったことは奇跡に等しい。
彼らは思い出す。ここが慈悲なき煉獄であることを。
「誰であろうと絶対に殺してやる。安心して戦え!」
『応っ!』
囚人たちは慌てていつもの調子を取り戻し、戦いに戻っていく。
一人、ラックの近くに居たクラリスはジークの指揮能力に舌を巻いた。
(アタシたちが気づいたとほぼ同時に雷を飛ばしてきた。
常にアタシたちの生存を把握しているんだわ。百人以上いるのに……どんだけよ!?)
死んだら殺してやると言っていた。
お前たちの魂を穢させないとも言っていた。
けれど、まさかここまで徹底するとは思わなかったのだ。
予想の斜め上をいく、ジークの有言実行にクラリスの胸が熱くなる。
(うふふ。あぁ、死んでも絶対に殺してくれる大将が居るって……いいわねっ!)
死がありのままに受けいられる。
おのれの意思を貫いたまま死ねる。それがなんと幸福なことか!
内心でジークを認めた者はクラリスだけではないだろう。
クラリスは女口調をかなぐり捨てて叫んだ。
「行くぞオメェらぁっ! 大将に負けてんじゃねぇぞゴラァぁ!」
「オオ!!」
血飛沫が舞い、一人、また一人と倒れていく。
雷光が悪魔となった同胞を焼き尽くすたび、囚人たちの心は奮い立つ。
「俺たちゃきかん坊……煉獄の亡者よ」
やがて誰からともなく、歌を歌い始めた。
それは戦士への鎮魂歌。自由を選んだ者たちの調べ。
歌はやがて連鎖的に広がっていき、やがて戦場を唸らせる波となる。
俺たちゃきかん坊、煉獄の亡者よ。
呑めや、歌えや、踊れや、最果ての同胞よ、親しき友よ。
明日お前を殺すことになろうと、恨みゃしねぇ。
刺せ、斬れ、潰せ、ぶっ殺せ。俺たちゃきかん坊。
明日お前を殺すことになろうと、今日は歌おう。
親しき友よ、最果ての同胞よ。
俺たちゃきかん坊。エルダーの軍団、何するものぞ。
「ハァ、ハァ……乱暴な歌だなぁ……けど、なんか元気出てきた」
鼻から垂れてきた血を拭い取り、ジークはそう呟いた。
全身に雷を纏う彼の周囲は焼け焦げている。
すれ違うエルダーを全て滅ぼしてきた彼は、滝のような汗を流していた。
それでも、彼の陽力が尽きる様子はない。
「よし……もうひと頑張りだ」
再び走り出した彼を、戦場の端にいる悪魔の瞳が映している。
不死の都で状況を見守る、冥王メネスだ。
「予想以上にしぶとい……もっと早く限界が来るかと思ったが」
絶えずエルダーを処理しながら百人以上の生命反応を感知し遠距離攻撃には結界を展開する。さらには状況に応じて部下に指示を飛ばし、時に背中を叩き、時に導く。脳を酷使しすぎて鼻血すら流している有様だ。
「……自己犠牲。その道の先に光はないぞ、ジークよ」
とはいえ、このままではエルダーを一掃されるのも時間の問題だ。
ジーク、そしてルージュの戦闘能力は第二軍団の総力を上回っている。
使徒化という切り札も警戒しなければなるまい。
監獄島の囚人たちも癖は強いものの、なかなかの粒ぞろいだ。
「突破口は……一つしかないか」
メネスは意識を戦場の上空に切り替える。
こめかみを叩き、旧知の友神へ魔力を飛ばした。
「サタナーンか。あぁ、頼みがある。なに、簡単な話だ」
ニヤリと、メネスは嗤った。
「我が軍団の誇る神獣に、力を貸してやろうと思ってな」
ーー最も早く異変に気付いたのはジークだった。
手の中の魔剣が、寒さに震えるように揺れる。
エルダーを斬ったジークは上空に立ち込める暗雲に目を向けた。
「--グォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
勝ち誇るような雄叫びが響き渡りーー
雲を割って、白き竜が現れた。
その瞳に光はなく、尻尾は力なく揺れるばかりだ。
「え」
アルトノヴァが、堕ちていく。




