第四話 革命の焔
ギルダーンとエマが仲間になったことで、ジークを取り巻く状況は大きく変わった。
今までは気に入らない看守という立ち位置だったが、今では確かな力を持ち、それでいて力を誇るようなこともしない謙虚な英雄という風に変わっていったのだ。
無論、全員が全員そうではないし、未だに気に入らないと言っている者もいる。
ただ表立ってジークと敵対しようとする者は皆無であり、一部の者達からは信頼され始めていた。
囚人たちが集まる食堂の中。
ジークはギルダーンから青年を紹介されていた。
「大将。こいつはラック。戦場に出ない時は料理係をやってもらってる」
「よ、よろしくお願いしますっ、ジーク・トニトルス殿っ!」
ラックと名乗ったのは金髪の青年だ。
袖の長い囚人服で手をすっぽりと覆い隠しており、目の淵にクマが出来ている。
がりがりと指を噛んでいるさまは猛獣に怯えている小動物のようだった。
「よろしく。君、前にも会ったよね」
「はいっ! あ、あの時は不味い料理を出してしまったようで申し訳ありません!」
「いや、何も言ってないけど……?」
そんなに怖いだろうかとジークは自分の耳に触れる。
半魔だからといって怖がられてきたから、今さらなんとも思わないが。
「あ、あの。こちら今日の食事の、ピーマンとゴーヤの炒め物です!」
「……」
ことり、と皿に置かれた料理を凝視するジーク。
一拍の間を置いて顔を上げた彼は「それよりさ」と話題を変えようとする。
「キミは何をやってここに……」
すかさず、ギルダーンが突っ込んだ。
「大将、おい馬鹿野郎。出されたメシは有難く食わなきゃダメだろうが。
この飯は農家や運送係が居て初めて食えるんだよ。感謝しながら食うのが俺たちの義務って奴だろう」
厳しい目をした彼はジークの前の皿をとんとんと叩いて、
「同じ釜の飯を食う仲間って言葉があるが。同じ物を食べることで連帯感が生まれるのはマジだ。大将、あんた、前もメシを食べなかったよな? あれ、かなり印象悪いからやめた方がいいぞ」
「いや、その。別に一緒に食べたくないとかそういうわけじゃなくてね……?」
ジークは気まずげに目を逸らす。
まさかそんな風に思われていたとは思わなかった。
(だから言ったのに。あたし、ちゃんと食べなきゃダメって言ったよね!)
(言ってたけど……だって)
ジークは消え入りそうな声で呟いた。
「………………ボク、ピーマン、キライ」
「は?」
「ニガイ、オイシクナイ」
しーん、と食堂が静まり返った。
どうやらジークたちの会話はこの場に居る全員が聞いていたようだ。
ぽかんとした顔が、気まずげに目を泳がせるジークの視界に入りーー
「「ぎゃっはははははははははははは!」」
大爆笑が巻き起こった。
ある者は腹を抱え、ある者は指を差し、ある者は床で転げまわる。
「おま、看守さんよっ、ピーマンが嫌いって……子供かおい!」
「料理に手をつけなかったのはただの好き嫌いって……ぶふッ、なんじゃそりゃ!」
「色々勘ぐってた俺たちが馬鹿みたいに思えらぁ。なぁ?」
「う、うるさいよ! 嫌いなものは嫌いなんだからしょうがないじゃん!」
かぁ、と顔が熱くなって反論するジークだが、囚人たちの笑いは止まらない。
やんちゃをした子供を見るような、生暖かい視線がジークに突き刺さる。
(お兄ちゃん、コウモリとか蜘蛛とか食べるのになんでピーマルは食べられないの?)
(蜘蛛って揚げ物にしたらカリカリしてて美味しいんだよ。コウモリは鶏肉みたいなものだし。でもピーマンはダメ。あれは根絶すべき)
(基準が分かんない……)
呆れたルージュの声を聞いていると、同じく笑っていたギルダーンが涙を拭いた。
「大将、あんたってやつぁ……くくッ、面白れぇなぁ」
「褒められてる気がしないんですけど!」
「褒めてる褒めてる。そうだな、ピーマンはニガイもんなぁ」
「うぐ……!」
(お兄ちゃん、諦めて食べたら? このままじゃ面目丸つぶれだよ?)
別に面目なんてどうでもいいのだが、確かにやられっぱなしは気持ちよくない。
彼らの笑いは嘲りや馬鹿にするようなものではなく、暖かい笑いだけど。
それでも、部隊を率いる者として威厳は必要だろう。
(分かったよ……僕、食べるよ)
(あ、あれだけお姉ちゃんに言われても食べなかったお兄ちゃんがついにっ!)
ジークは意を決してフォークを手に取った。
ほかほかと湯気を立てるピーマンの、独特の匂いがふわりと香る。
醤油をベースに味付けられたのだろう。緑の野菜がほのかに色づいていた。
「お」
「……いき、ます」
囚人たち皆が見守る中、ジークは何年ぶりかにピーマンを食べーー
「うえ……やっぱり苦い~~~~~~~~~~~!」
どっと、囚人たちに笑いを巻き起こすのだった。
「ーー僕、人を殺しちゃったんです」
料理係のラックはぽつりぽつりと語ってくれた。
彼は大陸中の人々の食糧難を解決するという理念のもと活動していた料理研究家だった。その過程で、魔獣を食材に料理をするということを思いついたのだ。
魔獣はエーテルによって狂わされた動物たちの成れの果ての姿。
獰猛で繁殖力も高い彼らを調理できるようになれば、世界から食糧難は無くなるのだと。
この試みは、最初は上手く行っていた。
ある村からは感謝され、ある街の領主からは専属料理人にスカウトもされた。
けれど、
「僕が調理した魔獣の微量の毒が……ある人に当たってしまって」
アナフィラキシーショックという奴だ。
本来なら人体に害はない程度の毒だが、二度目に摂取すると体内で反応して最悪死に至る。ラックは運悪くその魔獣を提供してしまい、人を殺してしまったのだとか。
「執行猶予はつきませんでした。その、僕が殺した人は異端討滅機構の上層部と繋がっていたらしくて……」
本来は監獄島に送られるような罪ではない。
しかし、例え事故であっても、彼は許されなかったのだという。
遺族の気持ちを考えれば辛い話だが、法律を歪めてしまうのは理不尽だ。
ジークは「そっか」と軽く息をついて、ラックの肩に手を置いた。
「辛かったね」
「……っ」
「キミは悪くない……とは簡単に言えないけど。でも、罪を雪ぐチャンスは与えられるべきだと思う」
そして感情で法を歪めた上層部にも、罰が下されるべきだ。
私怨で理不尽を強いる事を防ぐための法律だろうとジークは思う。
そう告げると、ラックは涙を浮かべながら頷いた。
「へへ。なんか不思議ですね。ジーク様。
あなたといると、喋るつもりじゃなかったことも喋ってしまいます」
「それ、前も言われたよ」
食事を終えたジークに、ギルダーンが新たに人を連れてきた。
がたいの良い男だ。何やらニマァとジークを観察しているようである。
「大将。こいつぁクラリス。俺の………………ダチと呼びたくねぇダチだ」
「あらぁん? そんなつれないこと言わないでよギルったら。
私とあんなことやこんなことした仲じゃない……♪ あの夜は激しかったわよねぇ」
「一緒に戦ったことをそんな風に言えるのはお前だけだろうよ」
見た目とは裏腹な口調にジークは目をしばたたかせた。
「えっと、君、男だよね……?」
「身体は男。心は女よ♪ つまり女ってことね?」
「……そういうものなんだ?」
そういった人間が居る事は母から聞いていたが、目の当たりにするのは初めてだ。
見たところ敵意は感じないから、別に思うところは何もないのだが。
(めっちゃお尻見られてる気がするんだけど……気のせいだよね?)
(お兄ちゃん、このオトコ女、お兄ちゃんに欲情してるよ。殺しちゃう?)
(ルージュ、この島に来てから殺す基準がめちゃくちゃ低くなってない……?)
絶対にやめて、と影を叩いてルージュを牽制する。
とはいえ、ルージュのこれは少し寂しくなってきた証拠だ。
あとで思いっきり甘やかしてあげよう。シャワーは浴びないけど。
「クラリスさん、君も仲間になってくれるの?」
「うーん。それは保留♪」
クラリスは顎に手を当ててにっこり笑う。
「ギルが見込んだ男だし可愛い顔してるから食べちゃいたいくらいだけど♪
命を預けるにはまだ足りないかしら。強い事は分かってるんだけど……まだ隠し事をしてるみたいだし?」
「う」
思わず俯いて影を見てしまうジークである。
ギルダーン以外に、ジークの全てを知っている人間はまだ居ない。
当然のことながらルージュのことも秘密だ。
(早く外に出してあげたいんだけど……まだ、早いかな)
ジークの目的は監獄島にいる囚人たちを仲間にすることだ。
そのためには彼らの信頼を得る必要があるのだが……。
まだ、彼らのエルダーに対するスタンスがよく分かっていない。
直絶聞くのも不自然だし、ルージュの事を打ち明けるにはまだ時間が欲しい。
ギルダーンに打ち明けたのは、彼がエルダーに悪意を抱いていないと確信したからだ。
「……」
ジークとギルダーンは目を合わせる。
やはり彼も同意見なのか、彼は静かに首を横に振っていた。
「話せる時が来たら話すよ。まだ僕たちはそんな仲じゃない。そうでしょ?」
「うふふ。そうね。でも、すぐに仲良くなる方法もあるわよ……?」
クラリスはいやらしい手つきでジークの尻をさすってくる。
ゾクッ! と凄まじい悪寒が背筋を駆け抜けた。
反射的に魔剣を抜き放ったジークに、クラリスが動揺する。
「ちょ、ちょっと、冗談じゃない~。そこまで怒らなくても」
「違う」
ジークの目は、クラリスとは真逆の方向を見ている。
いち早く表情の変化に気付いたギルダーンは「おい、大将」と呼びかけ、
「まさか」
(お兄ちゃん?)
「うん。どうやら、悠長に仲良くなってる時間はないみたい。ルージュも準備して」
一拍の間を置き、ジークは呟いた。
「敵襲だ」
ーー……ブゥウ―――――――ンっ!!
次の瞬間、けたたましい警報音が響き渡った。
◆
暗黒大陸より東へ五十キロ。
魔獣がひしめく死の海に、巨大な竜の姿があった。
絶海死龍。この海に住まう魔獣たちの王である。
その背には、数万体の悪魔たちの船団が乗せられていた。
「冥王様! 陣形の構築完了いたしました!」
『ご苦労』
冥王麾下第二軍団長サタナーン直属、ディン・フェルティン基地長は敬礼する。
目の前にある水晶を神のごとき崇め、船の上で平伏していた。
「まさかご連絡にお返事を頂けるだけではなく、神獣まで出して頂けるとは思いませんでした」
『ジーク・トニトルスが現れたとなれば仕方あるまい。こう見えても、私は全軍団の報告に目を通している。不死の都でふんぞり返っているわけではないぞ?』
「け、決してそのような意味では!」
『冗談だ』
ディン・フェルティンは額に流れた汗をぬぐう。
直接目の前にいるわけではないのに、冥王の存在感をびしびしと感じる。
魔力を通して会話することなく、水晶で御姿を見ているからだろう。
言葉一つでいつ死ぬかもわからない緊張感がディンを強張らせていた。
『さて、ディン。貴様の役割は分かっているな?』
「はっ! 全て冥王様の仰せの通りにいたします」
『うむ。今のジークの相手を出来るのは地上で私とルプスくらいだからな』
ニィ、と冥王は口元に弧を描く。
ディン・フェルティンにより、ジークが何度も基地を襲撃したことは伝わっている。
そして、彼が降伏勧告を繰り返していたことも。
悪魔教団本部で起こったことも、ルプスから聞いている。
冥王メネスは、甥がやろうとしている全てを察していた。
そので上で、世界の頂点に立つ男は告げるのだ。
『我が軍団よ。自分の歩いているのがどれほど茨の道か、あの男に叩き込んでやれ』
◆
「ーー全員、各部隊を招集! 西の要塞の入り口に集まれ!!」
『応ッ!』
腹の底に響くようなギルダーンの声が響き渡る。
本来ならジークが出す指示だが、まだ囚人たちを全員仲間にしたわけではない。
張りぼての指揮よりも慣れている者が指揮を出す方がいいだろうと言う判断だ。
悠長に仲良くなっている時間はもうない。ジークの目にギルダーンは頷いた。
「まずは敵陣営の全容把握。しかる後に敵を迎撃する!」
「まーた悪魔の敵襲かよ。最近なかったのは嘘だったってか?」
「今回は何人死ぬんだろうな」
囚人たちは諦め交じりに頷きながらも武器を取っている。
やはり彼らにとって、悪魔の襲撃とは日常茶飯事なのだろう。
此処にいる何人が生きられるか分からない。それでも必死に生き足掻くのだと。
ーーそんな健気な希望を、冥王メネスは許さない。
「-------------っ!」
リヴァイアサンの慈悲なき咆哮が、監獄島に響き渡った。
警報音をかき消す死を孕んだ声音に、囚人たちの間に動揺が走る。
「こ、この声、あの時の……!」
リヴァイアサンの襲来を、彼らは悟る。
先の戦争で海を進軍した不死の都の軍勢は、監獄島の者達も目撃している。
こちらに向かってこないかと、皆が冷や冷やしていたのだ。
しかし、今、死の海の主が向かっているのは他ならぬ監獄島。
更には。
「なんだ、あの数……!」
要塞のバルコニー。周辺の監視役である男は望遠鏡を覗き込んで呟いた。
ある者は剣を落とし、ある者は尻もちをつき、ある者は天を仰ぐ。
ただでさえ凶悪なリヴァイアサンが海を泳いで進んでいるのに。
「この島は、もう終わりだ……」
ーーリヴァイアサンの背には、数万体以上の悪魔たちが乗っていた。
いや、それだけならまだよかっただろう。
問題は、リヴァイアサンの口の中から大量の悪魔たちが出てきていることだ。
全てを合わせればーーおよそ十万はくだらない。
「終わりだ……俺たちは、もう終わりだ……!」
次々とリヴァイアサンから出てきては船や魔獣に乗り込み、海を渡る悪魔たち。
波音を立ててこちらにやってくる様は死神が歩み寄っているかのようだ。
彼らが上陸するまでおよそ五キロといったところだろうか。
ドンッ、ダンッ、とけたたましい音を立て、沖合に設置されていた五十一口径の大砲が火を吹いた。軍艦に穴をあけるほどの威力を持つ砲弾だ。直撃すればひとたまりもない。
ーーだが。
「-----!」
リヴァイアサンの口から放たれた光は、魔導兵器を一瞬で蒸発させた。
そもそもかの神獣は冥界の神々が扱い切れずに地上に捨てた獰猛な獣である。
好きに泳ぎ回っていたところをルプスが手懐け、今や冥王軍の一部となった。
「まじ、かよ……」
監獄島のまとめ役として要塞の屋上に来たギルダーン。
歴戦の戦士である彼もまた、リヴァイアサンと冥王軍の威容に言葉を失っていた。
ーーあぁ、無理だ。
一目見てそう確信するほど、絶対的な戦力差がそこにあった。
無論、七聖将であるジークが戦えば勝利は可能だろう。
だが、それで生き残るのは極一部だけで、もはや小隊を維持することは敵わない。
それで仲間たちの信頼を得られるのかは、ギルダーンには分からなかった。
しかもーー
「あ、あいつら、この島を取り囲むつもりだ……!」
ロレンツォの恐れおののく声がギルダーンの耳朶を叩いた。
見れば、リヴィアサンから降り立った船はまばらに島を取り囲みつつある。
ばらけて上陸しても一千倍以上の戦力差だ。
圧倒的な物量差に任せて叩き潰すつもりだろう。
ひたひた。ひたひたと。
ギルダーンは死神が自分の背中を掴んだ感触を覚えた。
(あぁ、ようやく、終わると思ったんだけどな)
せっかく賭けてみようと思ったのに。
せっかく死ぬまでにひと暴れ出来ると思ったのに。
「ちくしょう」
理不尽なこの世界は抗う事を許さない。
希望が見えた途端に絶望が笑い声をあげて迫ってくる。
これがこの煉獄の、いや、世界の現実だ。
五百年間続いたこの島も、いまや悪魔の都と化そうとしている……。
玄関口に集まりながら、ギルダーンが諦めかけたその時だった。
「ーーうろたえるなッ!!」
声が、響いた。
誰もがハッ、と我に返り、要塞の入り口を見る。
『神殺しの雷霆』ジーク・トニトルスは、誰もが膝をつく絶望に刃を向けた。
「たかが十万超の軍勢、何を恐れる必要がある!」
「おい、あんた……」
エマが詰め寄ろうとしたが、ギルダーンは手で制する。
この状況、いくら七聖将といえど無理だと彼は判断している。
それでもーーこの程度の逆境を超えねば、世界を変えるなど夢のまた夢だ。
囚人たちを挑発するようなジークの言葉。
エマと同じように黙っていられなかった男が進み出た。
「お、怖れる必要がないのは、お、お前だけだろうがっ!」
ロレンツォ・ストラウドである。
化け物だなんだとジークを揶揄していた男は、恐怖のあまり化け物に立ち向かう。
「あんたが強いからッ! あんたが特別だから! 怖くねぇだけだろうがッ!」
悲鳴のような言葉は、監獄島に住まう誰もが抱いた思いだ。
誰もがジークのように強いわけではない。
誰もが彼のように特別な力があるわけでも、修羅場を超えてきたわけでもない。
ただ生きるために戦ってきた者達の、無力感と絶望がお前に分かるか。
「俺たちはもう無理なんだよ! 分かるだろ!?この島は終わりだ。
生き残るのはあんただけで、他は全員死んで悪魔になっちまう……それが運命なんだよ!」
それはロレンツォだけの言葉ではない。
囚人たちの心を代弁した、彼らの悲鳴だ。
煉獄を生きた弱者の叫びを受け、ジーク・トニトルスはふっと苦笑する。
「死が怖いか?」
「怖い?あぁ、怖いさ。怖いけど」
このくそったれな世界で、死は死以上の意味を持つ。
すなわち、自我を喪った獣となり本能のままに生きるか。
冥王メネスの手駒となり、ゴミのように使い捨てられるかだ。
だが、その二つよりも怖いのは。
「悪魔になった仲間を殺すのは……辛いよね。分かるよ」
「……っ」
囚人たちは歯噛みした。
監獄島に住まう彼らの中には犯罪を犯した者達も多い。
だが、マグマ殺しの刑が発明されて以来、死刑に値する犯罪を犯した者は監獄島に来なくなった。
戦闘経験のない、強姦、強盗、恐喝、そのような犯罪を犯した者達はほとんどが死んでいった。
此処にいる大部分が、異端討滅機構に従わなかったならず者だ。
だからこそ、人の心がないわけではなく。
「あぁ、そうさ……何度も、仲間を殺してきた」
ロレンツォ・ストラウドは悲鳴のように呟いた。
「何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、何度もっ!
同じカマの飯を食った仲間を! 同じ女のケツを追いかけたダチを! この手にかけてきた!」
眦に涙を浮かべ、汚れた手のひらをみながら彼は叫ぶ。
「もう、うんざりなんだよ! どれだけ自分を正当化しても、生き残るためだと言っても! アイツらは仲間だった。ダチだった! 俺たちが何をした!? あいつらが何をした!?」
世界の理に従わなかったのは事実だろう。
それでも、こんな煉獄に落とされるほどの大罪を犯しただろうか?
ただ食って、寝て、悪魔を殺す。そんな人でなしの生活を送る罪があるだろうか?
奴隷のように死ぬまで戦わされる、そんな暮らしを送るために生まれたのだろうか?
ーー断じて、否。
「俺たちは、人間だっ!」
今さら、死ぬことなど恐れはしない。
確かに死は怖いけど、最も怖いのは、『次は自分の番になる』ことだ。
愛した女を、親しいダチを、ムカつく戦友を。
おのれの意志を捻じ曲げられ、おのれの意志かのように疑問が消える。
理不尽に行動を強制される人形に成り果てていく。
仲間を殺すたびに思うのだ。あぁ、次は自分の番になるのだと。
「俺は、それが、何よりも怖い……!」
膝をつき、武器を手に取る気力を失くした男をジークはそっと見つめる。
仲間の死を厭う彼は、軽薄な態度に見えて、誰よりも優しい心を持っているのだろう。賭け事や女遊びに興じていても、根っこのところは誰より人間らしい。
そしてそれは、ロレンツォに限った話ではない。
「……」
顔を上げると、誰もがその瞳に絶望をたたえ、誰もが恐怖していた。
無気力な空気が伝播し、沼の底のような暗闇がその場を支配している。
彼らも、戦えないわけではない。
けれど戦ったその先にあるものが、空虚な未来ならば。
ーー戦う意義など、この煉獄にあるのだろうか?
(……あぁ、本当に。この世界は)
くそったれな理不尽はどこに居てもやってくる。
自分だけの話ではない。彼らには彼らの人生があり、理不尽にさらされてきたのだ。
何度も何度も何度も、心がすり減るまで戦ってきたのだ。
「……よく、分かった」
自然と拳に力が入ったジークは魔剣を振り上げた。
「ならば聞け! 監獄島の戦士たちよ!」
ズガァンッ! と雷が背後に落下する。
けたたましい雷鳴に囚人たちは肩を跳ね、思わずといった様子で顔を上げる。
暗闇の中に差し込む光。
ジークが呼び出した革命の熾火は、囚人たちの目を否応なく惹きつけた。
「今日を以て、この監獄島は終わりを告げる!」
それはそうだろう。囚人たちが殆ど居なくなるのだから。
何を言ってるんだ。ふざけてるのか。
お前だけが生き残るんだ。お前だけが。
怒りすら覚えた彼らの反抗的な眼差しに対し、ジークは首を横に振る。
「だがそれは、お前たちの死を意味するのではない。ましてや悪魔になる事でもない。
五百年続いたこの理不尽な島は、今日を以て、お前たちの楽園に生まれ変わる!」
「ぇ?」
どういう意味だと、誰もがその目に疑問を湛える。
誰も言葉を発さない。否、誰にも口を挟ませない圧が彼にはあった。
口よりも雄弁に問いかける彼らの意志に、英雄は応える。
「なぜならこのジーク・トニトルスが、全てを終わらせるからだ!」
「……っ」
彼らの身体に電撃が走った。
「十万の悪魔? リヴァイアサン? 話にならないッ!
お前たちを率いた、この僕の前では、どんな敵であろうと雑魚同然だ!」
一人、また一人と、ジークの話に耳を傾け始める。
仄暗い絶望の先に光を差した英雄は、剣を掲げて告げるのだ。
「選べ、人の子らよ!」
ズガァンッ! と落下した雷。
今度はこの島ではなくーーリヴァイアサンの背に乗っていた船の一つに命中する。
悲鳴を上げて墜落していく悪魔を一瞥すらせず、ジークは戦士の心に語りかける。
「この煉獄で朽ち果てるならばそれでいい。武器を捨てて去るがいい!
咎めはしない。絶望と恐怖に屈し、おのれが敗者であることを許すならそれもいいだろう」
我の強い囚人たちはムッと眉根を寄せる。
安い挑発だ。口ほどにもない。それでもーーなぜこんなにも心がざわつくのか。
強者の戯言だと一蹴するのは簡単だ。なのにーーなぜこんなにも苛立つのか。
お前は一体、俺たちに何を見せようとしている?
「理不尽に負けるのは仕方ない。この世界は絶望に満ちている。
愛を否定し、友を裏切り、家族を殺す。そんな暗闇を好むなら消えるがいい」
「そんな奴、いるわけが……!」
思わずロレンツィオが叫びかけた、その声に。
「だが、少しでも世界に抗う意思があるなら」
リィン、と。魔剣が嘶いた。
「--戦えッ!」
「……っ」
ぶるりと、囚人たちの肌が一斉に粟立つ。
それは英雄が燃え上がらせた革命の火花。反逆の息吹。
「仲間の死を恐れるというなら、戦え! おのれの死を厭うなら、戦え!
明日の酒の為に今を生きろ! さすれば、この先の景色を僕が見せてやるッ!」
「ぁ、危ない!」
ラックの声。背後から迫ってきた空飛ぶ魔獣がジークに襲い掛かる。
振り向きざま、ジークは剣を振るった。
ーー紫電一閃。
バリィイイいいいいいいいいいいいいいいいい!
鼓膜が破れるほどの轟音が響き渡った。
空を裂く光は魔獣を一刀両断し、そして。
『な!?』
「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
リヴァイアサンの腹を、横一線に斬り裂いた。
皮一枚。あまりに浅すぎる。
だが、五キロ以上離れた場所へ斬撃を飛ばせるものが、世界にどれだけいようか。
「僕は、この理不尽な世界をぶっ潰す」
呟きが、囚人たちの目を惹きつけた。
尋常を逸脱した英雄は、おのれの決意を見せつける。
「異端討滅機構も、七聖将も、葬送官も、
全てがどうでもいい。僕は僕が決めた道をゆく。絶望など、軽くねじ伏せる!」
一人、ギルダーンはジークの前に進み出た。
魂を震わせた元特級葬送官は、揺れる声音で問いを投げる。
「勝てるのか、あれに」
「勝つさ」
「俺たちは、自由になれるのか?」
「お前たちの魂は誰よりも自由だろう。だから此処にいる。違うか?」
ーーあぁ、そうだ。その通りだ。
くそったれな異端討滅機構の規則を無視して。
おのれの心に従った結果、この島に流れ着いたのだ。
自由だ。俺たちは自由なんだ。
奴隷なんかじゃない。戦う意思を持つ、世界に抗う自由の戦士だ!
ギルダーンは愛用の大剣を持ち上げた。
一人、また一人と、おのれの相棒を持ち上げ、その目に光を宿す。
英雄が火をつけた心は絶望を消し飛ばし、魂の奥底から、戦う意思が沸きおこる。
誰よりも優しく、誰よりも臆病なロレンツォ・ストラウドも、また。
「くそ、くそ、くそ。あぁ、わかったよ、やってやるよこんちくしょうっ!
でもお前、あんた、責任取れよ。俺たちに希望を見せた責任、取れよっ!」
「安心しろ」
ニヤリ、とジークは嗤う。
「お前たちが悪魔になれば、僕が絶対に殺してやる」
「……!」
「戦場のどこに居ようが何をしていようが殺す。絶対に殺す。
誇り高きお前たちの魂を、穢させはしない。アステシアの名に懸けてっ!」
ぶるりと、戦士たちの魂は震えた。
武器を握る力に手が入る。未来を見たい欲望が燃え上がる。
一人一人の顔を見ながら、ジークは最後に言い放つ。
「覚悟が出来た者は誇りを示せ!」
『応っ!』
「煉獄に抗う者は意志を示せ!」
『応っ!』
ドン、ドン、と一糸乱れぬ軍靴の音が大地を揺らす。
あふれんばかりの戦意が燃え、今、監獄島に革命の焔が立ちのぼる。
この場に居て武器を取らないものは、誰一人として居なかった。
にぃ。と英雄の口元が獰猛に歪み、
「ならば共に行こう、我が同胞よ、誇り高き戦士たちよ!」
エルダーたちの軍団が監獄島に上陸する。
四方から迫りくる闇の軍勢に対し、ジークは魔剣の切っ先を向けた。
「全軍、突撃! 僕に、続けぇえええええええええええ!」
『ォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
襲い来るは冥王が指揮する第二軍団、リヴァイアサン含む総勢十万超。
迎え撃つはジーク率いる監獄島の精鋭たち、百三十五名。
世界の命運をかけた叛逆の戦。
その前哨戦の火ぶたが、今、切って落とされた。
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