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ゴッド・スレイヤー  作者: 山夜みい
第三章 獣王の帰還
153/231

第三話 精鋭、勧誘

 


 ーー暗黒大陸最東端。


 ーー冥王麾下第二軍団長『魔の神サタナーン』直属基地。


「どういうことだ、説明しろ!」


 ディン・フェルティン基地長は苛立っていた。


 原因は他でもない。

 一夜にして壊滅した最前線の基地の知らせだ。


 西の空へ飛び立った白き竜の姿、暗黒大陸をも唸らせる雷撃の威容……。

 斥候役がもたらした状況は、一人の男の襲来を意味していた。


「七聖将、ジーク・トニトルスが来たというのは本当なのか!?」

「ほ、本当です……! スカージア様の加護を持つ者が影で確認いたしました……!」


 その直後に斥候役の仲間が滅ぼされたという。

 念のため距離を話していた斥候役の一人は、急ぎ基地へ戻ってきたのだ。

 ディン・フェルティンは奥歯を噛みしめた。


「なぜ……よりにもよって、あの島の攻略が目前に迫ったこの時に……!」


 監獄島(アルカトラズ)は元老院において捨て石のようなものとされているが、

 不死の都から中央大陸へ侵攻したい悪魔たちにとって、あの島は重要な戦略拠点となりうる。物資の運搬、戦力の拡充、陣地の形勢、利用価値はいくらでもある。


 その事に気付いているのは人類側で七聖将第二席のみだ。

 密かに囚人たちを送り込み、食糧を充実させているのはそういう理由がある。

神殺しの雷霆(ゴッド・スレイヤー)』が来たとなれば、監獄島(アルカトラズ)の攻略は困難を極めるだろう。

 いっそ不可能といっていいかもしれない。


 だが、そうなれば冥王から賜った至上の命令を遂行できなくなってしまう。

 人一倍冥王を崇拝するディン・フェルティンにとって、それは何よりの屈辱だった。


「基地長、軍団長様に報告を……」

「とっくの昔にやっている! 『あの子は相性悪いから無理』とのことだ!」

「そんな……」

「どの道、戦争の時に敗れていると聞く。期待は出来ん」


 不死の都においてもサタナーンは最強格の神霊だ。

 そんな彼女が敵わないなら、一体だれが敵うというのか。

 絶望の表情を浮かべる部下に対し、ディン・フェルティンは決断する。


「冥王様に連絡しろ! そののちに第二軍団所属の全部隊を招集だ。

 舐め腐った真似をした七聖将に、圧倒的な数の力を見せつけてくれる!」




 ◆



 エルダーの拠点を制圧したジークは監獄島(アルカトラズ)に戻っていた。

 要塞の屋上。空を登り始めた光が二人を照らし出す。


「とりあえず、君には全部話しちゃうね」


 かいつまんでではあるが、ジークはギルダーンに全てを打ち明けた。

 自分の生い立ちや体質、ここへ来ることになった経緯を含めたすべてだ。

 これから世界を変える仲間になるのだから、隠し事をしては信頼関係が築けない。

 それには当然、人造悪魔創造計画のことも含まれていてーー


「ハァ………………」


 全てを聞いたギルダーンは深く長い溜息をついた。

 頭を抱えた彼の反応に困っていると、パン、と彼は額を打ち付ける。


「ちっと待ってくれ。情報量が多すぎてパンクしてる……。

 大将、あんたが死徒と孤高の暴虐(ベルセルク)の息子で、しかも神々の作った兵器で……

 悪魔の体質を獲得していて……それも大罪異能も使えて……そんで七聖将とか」

「幻滅した?」

「むしろ納得したよ」


 あれだけ馬鹿げた力を持っているなら相応の理由があると思っていた。

 最も、死徒と元七聖将の子供で、さらに冥王の甥であるとは予想外だったが。

 ギルダーンはジークから得られた情報を頭の中で整理していく。


(大将がここにきたのが仲間集めってこたぁ……俺の出番もありそうだな)


 そんな風に納得していると、ジークが何か言いたそうな表情になった。

 足元の影とギルダーンを見比べた彼は、意を決したように口を開く。


「あのさ。実は……妹が、近くに居るんだ」

「……さっき言ってた、悪魔になった妹か?」

「うん」


 ジークは気まずげに頬を掻きながら、トントンと足を叩く。

 その瞬間、ぬぅ、と影の中から小柄な少女ーールージュが現れた。

 ギルダーンは「うお!?」と腰を抜かす。

 思わずといった様子で武器を構える彼をジークは手で制して、


「大丈夫。敵じゃない。言ったでしょ。妹だって」


 こわごわと、ギルダーンは呟いた。


「エルダー……マジか。本当に冥王の支配を?」

「うん。他のエルダーには出来ないし、ルージュだけ特別なんだけど」

「はぁ……」

「この子が、僕の妹のルージュ。めちゃくちゃ可愛いでしょ?」


 ジークがそう言っても、ギルダーンは警戒が解けず武器を構えたままだ。

 ルージュはそんな彼を興味なさげに一瞥し、ジークの腰に抱き着いた。


「むふふ……お兄ちゃん成分補充っと♪ あたし、これがないと生きていけないよぉ」

「昨晩までずっと一緒だったじゃん……寝る時もくっついて寝てたし」

「それはそれ、これはこれなの! お兄ちゃんはあたしを甘やかし足りないよ!」

「そうかなぁ……?」


 むしろ可能な限りわがままに応えていると思うのは自分だけだろうか。

 昨日、シャワーを一緒に浴びたいと言われた時はさすがに断ったけれど。

 無理やり入ってきた時はどうしようかと思ったジークである。


(しょうがないから一緒に浴びたけど。リリア、怒らないよね……?)


 そんな事を考えていると、ギルダーンは「あ」と何かに気付いたようで、


「もしかして、大将が独り言を言ってたのって……」

「あ、うん。ルージュと話してたんだよ。もしかして、怪しかった?」

「めちゃくちゃ怪しかったですぜ。俺のダチも怖がってたし」

「まじかぁ……」


 ジークは頭を抱えた。

 そんな兄と対照的にルージュは胸を張る。


「ふふん。姿を見せずお兄ちゃんに余計な虫がつくのを防ぐ……これがあたしの実力!」

「ルージュ、めちゃくちゃ影から出ようとしてたよね? 怒りまくってたよね?」

「当たり前だよ! お兄ちゃんを馬鹿にするやつは誰だって死刑だよ!」

「当たり前じゃないよ! 殺しちゃダメって言ったでしょ!」

「分かってるよ……歩くたびにつま先が死ぬほど痛くなる怪我をさせるだけだから」

「殺すより陰湿!?」


 悲鳴を上げたジークをよそに、ギルダーンは何度も顎を引く。

 囚人たちが聞いていたというジークの独り言、

 そして、何度も足元の影を叩いていた事実……。

 あれは、目の前にいる妹御の相手をしていたからだったのだ。

 暗黒大陸と繋がっているなんてとんでもない。ただ兄妹で話していただけであった。


「大将ぉ……あんた、誤解されまくってんぜ」

「あぁ、やっぱり……そうだよね……」

「ねぇ。今更だけどあたし、思ったんだ」


 ルージュは真剣な顔で顎に手を当てた。


「お兄ちゃんの影の中に入るって、実はえっちなことじゃない?」

「「は?」」

「だって、えっちって部分的に男と女が繋がる行為なわけでしょ。

 でもあたしは全身でお兄ちゃんの影と一つになってる。これ、実はえっちじゃ」

「真面目な顔でナニを言ってるのかなっ?」


 ギルダーンは引き気味に、


「大将……あんた、まさか妹を相手に……」

「やってないやってない! 何もしてないから!」

「そうだよ。お兄ちゃんは可愛い妹の告白を袖にしたんだよ。勘違いしないでよね。

 あたしがどれだけ身体で迫ってもピクリともしなかったんだから!」

「ルージュ、お願いだからしばらく黙ってくれるかなっ?」


 どうにも気が抜けてしまうジークである。

 妹のわがままは可愛いけれど、まだ話している途中なのだ。

 ため息をついたジークは「むー!」ルージュの頭をぐしゃぐしゃに撫でまわし、


「ーーぷ」


 不意に響いた声に振り向いた。

 見れば、ギルダーンが堪えきれないと言った様子で口元に手を当てている。


「ぷっはははははッ! なんだこれ、なんだこれ! 大将よぉ、そりゃぁねえよ。

 こっちは本当に冥王の支配から抜けられたのかって冷や冷やしてたんだぜ? 

 いつ飛びかかられてもいいように身構えてよ。それを……ふはッ」


 ギルダーンは眦に浮かんだ涙を拭き、武器を収めた。


「警戒してるこっちが馬鹿にならぁ」

「えっと……?」

「元より大将に賭けた命だ。俺ぁあんたの事を信じるぜ。ルージュの姐御」


 ジークとルージュは顔を見合わせた。

 まさかそんな簡単に信じてもらえるとは思わなかったのだ。

 ルージュを見せた瞬間、拒絶されることも覚悟の上だった。

 やがて二人の口元に笑みが浮かび、ルージュはギルダーンに向き直った。

 腰に手を当てて、居丈高にビシッと指をさす。


「奥様とお呼び!」

「いい加減にしなさいっ」

「あだぁ!?」


 ジークのチョップに悲鳴をあげたルージュであった。

 その後、すねた妹を相手に抱っこをさせられたのは言うまでもない。



 ◆



 そんなこんなでギルダーンを仲間に迎えたジークたち。

 ヤタロウに続く二番目の隊員であるが、戦力はまだまだ欲しい。

 監獄島の囚人たちを仲間に迎えるべく、ジークはギルダーンの知恵を借りていた。


「大将。あんた堅すぎるんだよ。真面目過ぎると言ってもいい」


 ギルダーンは指を一本立てた。


「いいか? この監獄島に居る奴らは、多かれ少なかれならず者ばっかりだ。異端討滅機構に歯向かった奴、犯罪に手を染めた奴、色々いるが、共通しているのは一つ。どいつもこいつも我が強い上に警戒心がやばい。あんたみたいな立場も実力もある奴が、へこへこと礼儀正しく接して見ろ。一部の馬鹿以外、何か企んでいるじゃないかって警戒されるぞ。実際、俺も警戒してたしな」

「……むぅ。人間関係って難しいね」


 ジークとしては出来るだけ相手を馬鹿にしないようにするつもりだったのだ。

 相手を蔑ろにしていては仲良くなれない。

 だから下手に出て、出来るだけフレンドリーに接する事を試みたのだが。


「逆効果だったな」

「そうだねぇ……じゃあどうすればいいの?」

「おうとも。それで、コイツだ」


 ギルダーンに案内されたのは、要塞入り口にある広場だ。

 兵士たちが集まるような広い場所には、大勢の囚人たちが詰めかけている。

 円状に集まっている彼らは「やれ!」「そこだ!」「ぶっ潰せ!」などと不穏な言葉を叫んでいた。


「えっと、これは……」

「拳闘大会だ。定期的に開かれてる」


 ドン、ゴン、と鈍い音が響き渡っている。

 囚人たちの中心で、囚人と囚人が殴り合っていた。

 要塞の二階から見下ろしていると、すぐ近くでやかましい声が響く。


「うぉーー! やったれルードリッヒ! お前に賭けてんだ! 頼むぞオラ!」

「あ、君、この間の」

「あ? んだよボケ! 今いいとこなんだうぇえええええ!?」


 確か、ギルダーンにロレンツォと呼ばれていたか。

 ヘラヘラしているくせに抜け目がなさそうな男である。

 彼はジークを見るなり平伏して、


「じ、ジーク様ぁあああ! 何故このような場所に!?」

「何って……ちょっとギルダーンに要塞を案内してもらってて」

「ぎ、ギルダーン!? お、おい。おま、ちょっと来い!

 ジーク様、少しお待ちください……! コイツと話す事がありまして……」

「え、うん」


 呆気に取られている間に、ロレンツォは戦友の襟首を掴んで廊下に連れ込む。

 ダン、と友を壁を押し付けた彼は射殺すようにギルダーンを睨め付けた。


(おいギル! どういうことだ!? なんでアイツとつるんでんだよ!?)

(あー。まぁ色々あってな。俺はあの人についていくことにした)

(はぁ!? おま、自分が何を言ってるのか分かってんのか!? 

 あいつがどんだけつえぇのか……ハッキリ言ってバケモノだぞ!?」

(くだらねぇこと言ってねぇで、お前もどっちにつくか決めておいた方がいいぜ。

 分かってんだぜ。お前、異端討滅機構の監視役なんだろ?)

(……っ)


 そうでなければジークの情報をあそこまで入手できるわけがない。

 ギルダーンの指摘にロレンツォは息を呑んだ。


(つまり……何が言いてぇんだよ)


 ギルダーンはニヤリと笑う。


「この監獄島は、もうすぐ生まれ変わる」

「……戦いすぎてついに頭がイカレちまったか?」


 愕然としたロレンツォの言葉を背に、ギルダーンはジークの元へ戻る。


「悪い、待たせちまった」

「ううん、ていうか全部聞こえてたし」

「……マジかよ。大将、地獄耳か」


 ギルダーンは頭が痛そうに額を抑えた。


「大将、悪く思わねぇでくれ。アイツは……」

「いいよそんなの。監視役が分かっただけでも助かったし。

 で、それより。ここに連れてきたのは? まさか賭けるわけじゃないでしょ?」

「あー、それなら簡単だ。大将、アレに参加してきてくださいや」


  彼が指差したのは眼下で行われている殴り合いだ。


「大将が冥王の軍隊を殲滅したのは俺たちしか知らねぇが、そのせいで此処の奴らに欝憤が溜まってる。ちっとはガス抜きしておきたいのと、大将の力って奴を全員に見せつけてやりましょうぜ」

「いいの? たぶん、圧勝しちゃうけど」

「やりすぎはダメだが……まぁあんたにはそれくらいの方がいい。

 奴らが腰抜かすくらい、思いっきりやってくださいや」

「ん、分かった。じゃあ行ってくる」


 ジークは葬送官(そうさかん)の上着を脱ぎ捨て、シャツ一枚で広場に飛び降りた。

 ダン、と広場の中心に降り立ったジークに、囚人たちの視線が集まる。


「あんた……」

「面白そうだね。僕も混ぜてよ」

「あぁ? 黙れ失せろ。テメェなんぞに用は……」

「なんだ、怖いの?」


 白けたような空気に、ピキ、と皹が入ったような音が響く。

 囚人たちの誰もがジークの言葉に反応し、耳をそばだてていた。

 戦っていた囚人の一人は額に青筋を浮かべる。


「今、なんつった」

「怖いの? そりゃそうか。僕は七聖将だもんね。怖気づいて(・・・・・)当たり前だ」

「言わせておけば……!」

「じゃあこうしよう」


 ジークは不敵に口元を歪めた。


「僕は加護も陽力も一切使わないし、武器も使わない。素手だけで戦う。

 この場にいる全員で、僕の身体にかすり傷でも負わせられたら、君たちの勝ちだ」

「…………っ!」


 挑発、というには生ぬるい侮辱の言葉に、囚人たちが殺気立った。

 彼らとて、監獄島(アルカトラズ)という煉獄で生き抜いてきた強者だ。

 ギルダーンのように、元特級葬送官である者も少なからずいる。


 そんな彼らを相手に、この言葉。


「……覚悟は良いんだな、オイ。ボコボコにぶっ殺してやるぞ」

「御託はいいからさ」


 ジークはちょいちょいと指を曲げて見せる。


「さっさとかかってきなよ。雑魚(・・)共」

「「「「ぶっ殺すッ!!」」」」


 囚人たちが一斉に飛び掛かってきた。

 左から一人。右から二人。武器は剣と槍。だが遅すぎる。

 左足を踏み出し裏拳をかます。風切り音を響かせた剣と槍を、素手でつかんだ。


「「は!?」」

「狙いが丸見え。出直しなさい」


 ボキッ、と握力だけで武器をへし折って見せたジーク。

 ぱらぱらと砕け散った欠片を払い落しながら、彼は言い放つ。


「ほら、次」

「この……!」


 矢継ぎ早に飛び出してくる囚人たち。

 ギルダーンの言っていたように、よほど欝憤が溜まっていたのだろうか。

 ものの一分足らずで数十人が飛び掛かってきてーー

 その全員が五秒にも満たない時間で地面に倒れた。


「つえぇ……これが七聖将……!」


 事ここに至って、ジークを見る目が変わった者達も多い。

 宣言通り武器も加護も使わず、陽力すら使っていないのだ。

 しかも、彼は囚人たちに一切怪我を負わせていない。

 それでいて監獄島の精鋭を圧倒するーーこれがジーク・トニトルスの実力!


(お兄ちゃんってさ。あたしに結構言うけど、自分も割と容赦ないよね)

(そう? 僕は時と場合を弁えているだけだよ)

(そうかなぁ……?)


 影の中から話しかけて来るルージュの相手をしつつ、囚人の攻撃をいなす。

「ぶっ殺せ!」「そこだ、やれ!」「今だ、殺せーー!」などと、

 不穏な声はますます大きくなり、だんだんと人も集まってきていた。

 監獄島(アルカトラズ)にいる全員がこの場に集まっているんじゃないだろうか。


(ちょっと暑くなってきたな……)


 さすがは監獄島の精鋭たちだ。

 リエッタ村の時と違い、動いていれば汗をかくほどに手数を強いられる。

 だからこそ部下にし甲斐があるのだと思いつつ、ジークはぱたぱたとシャツを仰いだ。


「ん、ちょっと脱いじゃお」


 じりじりと様子見をする囚人たちを横目に、ジークはシャツを脱ぎ去った。

 少年のような身体をした彼の、鍛え上げた上半身が露わになりーー


「…………っ」


 囚人たちは、一様に絶句する。

 二階で組手の様子を眺めていたギルダーンさえも、言葉を失った。


(おい、大将。そりゃあ……)


 彼の身体中に刻まれた、痛々しいほど深い傷跡の数々。

 拷問というには生ぬるい地獄を潜り抜けた身体がそこにあった。

 七聖将。一握りの天才。選ばれし者。そんなイメージが、音を立てて崩れていく。


「おい、お前……」


 声をかけられた囚人の視線に気付き、ジークは「ぁ」と己の身体を見下ろした。


「ごめん。見苦しかったね。ちょっと暑かったから……」

「別に……」


 囚人はどこか気まずげに、


「その傷、なんだ」

「あー、これ? いっぱいあるよ。人間にやられたのも悪魔にやられたのも、

 父さんにやられたのもあるし……これはヴェヌリスにやられた傷かな」


 ジークは胸の中心に刻まれた大きな跡をなぞって苦笑する。

 あれから半年ほど過ぎたが、あの時の傷ほど痛かったものはないかもしれない。

 今、もう一度かの神霊と戦えばこんな傷は負わないとは思うが。


 そんな事を考えていると、囚人たちが武器を降ろし始めた。

 ジークは目を瞬き、


「あれ、やらないの?」

「……やめだ。あんたと戦っても勝てねぇって分かったからな。看守(・・)さんよ」

「やっと身体が暖まって来たのに……君たち意外と強いからびっくりしたよ」

「バーカ。言ってろ」


 囚人はそう言って去って行く。

 一人、また一人と広場から消えていくのを、ジークは頭を掻いて見ていた。


「やりすぎたかな……はぁ、やっぱり難しいな」

「いや、あれでいい。問題ねぇよ」


 いつの間にかギルダーンが降りてきていた。

 彼は囚人たちの背中を顎でしゃくり、


「あんたの実力はこれで証明された。権力と立場に胡坐をかいて力を振りかざすアホじゃないってこともな。今はあんな感じだが……これからだんだんと、あいつらもあんたを尊重し始めると思うぜ」

「どうしてそんな事が分かるの?」

「決まってらぁ」


 ギルダーンは得意げに笑った。


「俺がそうしたからだよ」

「……納得」


 生き残るために、彼は葬送官たちを統率せざるおえなかった。

 一癖も二癖もある囚人たちだが、力を合わせなければ勝てない戦いがいくつもあったという。拳闘大会に参加して全員をぶちのめすーーそれだけ彼の実力は高いのだ。


「君を最初に仲間に出来て幸運だった、かな……?」

「おう。そこは安心してもらっていいぜ」


 ジークは頬を緩め、上着を羽織り直した。


「よーし。じゃあこの調子で……」

「おいギルっ! あんたその子とどういう関係になったんだい?」


 ジークが身体を伸ばした時、ギルダーンの後ろから女性が現れた。

 褐色の肌をした女性だ。豊かな胸がたぷんと揺れる、露出が多めの服装である。


(ぶーぶー! おっぱい警報発令! お兄ちゃんが他人のおっぱいを見てます!)

(み、見てないし! 何言ってんのルージュ!)

(諦めて白状しちゃいなよ。もうネタは割れてるんだよ、この巨乳好きめ!)

(いや、そりゃちょっとは視界に入って……いや何言わせてんの!?)


 と、二人が兄妹漫才を繰り広げている傍ら、


「おう、エマ。ちょうどいい。お前もツラ貸せ」

「はぁ? アタシはその子との関係を聞いてるんだけど。あんた、昨日様子見に行ってから何があった?」

「俺は大将の下につくことにした。お前もそうしてもらえると助かる」

「……ギル。あんた」


 この場で全ての事情は話せないが、エマはギルダーンの変化に気付いたようだ。

 彼女は戦友の顔をじっと見つめ、見定めるように問う。


「あんたが一夜にして惚れこんだ……それだけの男って事だね?」

「あぁ。俺は残りの一生をこの人に賭ける」

「……なるほど。分かったよ。分からないけど、分かった」


 ふぅ、とエマは深く長い息をつく。

 それからジークに向き直って、


「自己紹介が送れたね、あたしはエマ・コルストーン。見ての通り囚人だ。

 いちおうギルとつるんでいた友人ってやつさ。あんたの事は初日から気になってた」

「ジーク・トニトルスだよ。よろしく」

「うん。それで、あんたはいくら出す?」

「は?」


 エマは口元を吊り上げて、


「このエマ様を従わせようってんだ。まさかタダってわけじゃないだろうね?」

「えっと……」

「こいつは元傭兵なんだよ」


 ギルダーンが溜息をついて、


「エマ・コルストーン。異端討滅機構(ユニオン)を介さず神に気に入られた変わりもんだ。

 神の加護を得て悪魔狩りを生業としていたが、異端討滅機構に目を付けられてな。

 葬送官が異端討滅機構に所属して民を守るのと違って、個人的に金を貰って各地を渡り歩いて税金も納めないのが気にいられねぇってんで、葬送官になるように勧告された」

「断って無視したらカオナシに連行されて豚箱送りってわけさ! あはは!」

「笑いごとなのかな……?」


 ジークは頬をひきつらせた。


 サンテレーゼの姫のように、異端討滅機構を各地に『巫女』を置いている。

 彼女らはルナマリアと契約をした代行者の代行者であり、彼女らを通じて神の加護は会得できる。もちろん試練が必要な場合もあるが、ほとんどの加護は異端討滅機構を通じて得られるといっていい。


 だが、ジークがアステシアに見初められたように、稀に例外がある。

 異端討滅機構を通さずに神の加護を得る者達は、元老院からすれば邪魔だろう。

 そういった者たちが徒党を組めば、異端討滅機構に対抗する組織に成り得るのだから。


「そもそもこの監獄にお金ってあるの?」


 困惑気味に問うと、ギルダーンは頷いた。


「いちおう、ある。囚人たちの間で流通してる貨幣だ。支給品以外の……例えばタバコ、薬、香水とか、そういう嗜好品を取引するために使われている。さっきの拳闘大会でも賭けられてただろ」

「そういうこった! んで、あんたはいくら出す?」


 見定めるような目に、ジークは「うーん」と頭の中で試算して、


「じゃあ、これぐらいでどう?」


 ジークは五本指を示した。

 エマは失望したように、


「あぁ? たった五万? んなもんでーー」

「違う違う。ゼロが三つ抜けてる」

「ーーは?」

「だから、五千万。これでどう?」


 エマ・コルストーンは絶句していた。

 傍らにいるギルダーンも同じく言葉を失くしている。

 それもその筈。

 ジークが示した金額は、特級葬送官が年に支給される給金の約十倍だ。

 返事がない彼らに首を傾げたジークは「うーん」とさらに唸って、


「足りないかな? じゃあこれでどう?」

「ご、五億……!?」


 いよいよ小さな街の年度予算に匹敵する額になった。

 何のためらいもなくそれだけの予算を示すジークに、エマは慌てて、


「ちょ、ちょっと待ちなよ! さすがにそんだけ貰えないよ!?」

「え、そう? でも、お金が欲しいんじゃないの?」

「欲しいけど! それとこれとは話が別だよ!」


 ーーもしかして、底抜けの馬鹿なのか。


 それだけの資産があるなら魔導兵器なりを充実させた方が戦争には有利だ。

 七聖将というからには、あの『地平線の鍛冶師(マスター・スミス)』とも知り合いだろう。


 彼女が発明する兵器の数々は裏社会でとんでもない額で取引されている。

 それらを適当な奴らに装備させれば、下手に葬送官を集めるよりも役に立つはずだ。


「あんた、金遣いがなっちゃいないよ。そんな奴に命は預けらんないね」

「おい、エマ……」

「そう? そんなことないと思うけど」


 何か言おうとしたギルダーンより先に、ジークは持論を展開する。


「だってさ、ギルダーンが君を仲間にしていたって事は、君、強いだけじゃないよね?

 この監獄島に女性の囚人は珍しいけど、いないわけじゃない。もしかして女性の囚人を束ねてる?」

「ーー!」


 エマは目を見開いた。その通りだ。


「そんで、君は彼女たちを率いて戦ってる。ギルダーンが見込むからにはそれなりの部隊のはずだ。そんな人たちから信頼される君をお金で買えるっていうんだから、五億でも安いくらいだよ」

「あんた……」


 エマは初めてまともに話す七聖将の持論に舌を巻いていた。

 確かに彼は立場上、資産も多いだろう。七聖将というからには余裕があるはずだ。

 けれど『信頼を買う』と明言した彼は今まで見たことがないタイプで。


(金で命を賭けろって言うのは簡単だ。それでも、信頼(それ)を口にされるとね)


 異端討滅機構が神の加護を管理する新世界で、信頼はかなり重要な要素だ。

 何しろこちらは、後ろ盾も何もない流れ者。下手なことをすれば通報されて終わりである。

 実際、エマが下手をこいて捕まったのも雇い主に信頼されなかった結果なのだ。

 あの時の事を後悔したことはないがこの世界で金よりも重要なものをエマは知っている。


(ーー試すつもりが試されていたなんてね。さすがギルが見込んだ男、か)


 とはいえ金遣いはなっちゃいない。さすがに五億は常識外れだ。

 もっとやりようはあるだろうが、これが彼の示したものならば。

 エマは苦笑し、降参の構え。


「分かった。金は要らないよ。あたしもあんたについていく」

「え、ほんとに?」

「あぁ。ギルがあんたに賭けたって事はだ。そういうことなんだろ?」


 ギルダーンに目配せすると、彼は頷いた。


 ーー監獄島(アルカトラズ)は、もうすぐ終わる。


「その代わり、欲しいものは何でも買っておくれよ。特に化粧品! この島の補給係は気が利かないんだ!」

「あ、うん、分かった。じゃあ君たち全員分のやつ送ってもらうよ」

「おっしゃあ!」


 エマは拳を突き上げて飛び上がった。

 たぷん、と豊かな脂肪が揺れて、思わずジークは目をそむける。


(……お・兄・ちゃ・ん?)


 影の中でニッコリ笑うルージュである。

 ジークは慌てて、


(今のは不可抗力だから!)

(……お姉ちゃんに報告しておくからね)

(だから違うから!?)




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― 新着の感想 ―
[一言] ジークも男なんだから仕方ないよねー。俺もそんな巨乳見てみたいなぁ〜。
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