第十四話 修業②
二人は同時に動いた。
右手に持った剣を振りぬいたと同時に左の剣を動かす。
側頭部を狙った右の剣を防ぐテレサ。視界がふさがれた一瞬の隙に、左の剣が牙を剥く。
「……ふッ!」
硬い金属の音が鳴り響き、攻撃を緩めないジークの剣はテレサに迫った。
酔った彼女には反応できないーー
否。
「甘いね、ジーク」
(身体の回転……回避からの拳……!)
知恵の神の加護により、ジークは刹那の未来を察知する。
すかさず狙いを修正しようと、酒瓶に触れる右の剣を動かそうとした一瞬だった。
「ほえ?」
だん、とジークは強く頭を打ち付けていた。
後頭部に衝撃が走り、割れるような痛みが頭蓋を鳴らす。
「いっづ……!」
「ほら。これで詰みだ」
突きつけられた剣を見て、ジークは困惑を隠せなかった。
「今。何をされたんですか……? 全く見えなかったんですけど」
「そこがあんたの弱点だよ。先視の加護の落とし穴ってとこかな」
テレサは剣を肩に担いで、
「目にとらわれすぎて、見えない攻撃に反応できない。私の足払いに意識すら向けられない」
「足払い……全然見えませんでした」
「そうだろうね。身体をひねって足が見えないようにしたから」
簡単に言うが、おそらくこの上なく難しいことなのだろう。
一瞬でも足の動きを見せれば身体は反応する。
派手に身体の動きを見せてジークの視線を誘導し、そのうえで同時に足を動かす。相手の体格差に合わせた動き、角度、タイミング、一瞬のずれも許されない。
「落とし穴……確かに、気づかなかったです」
「経験不足もあるんだけどね。エルダー以下の悪魔はフェイントなんて仕掛けてこないから」
それと、とテレサはじっとジークの『眼』を見る。
「ジーク。あんたが見えている未来は〇.三秒先の未来だね」
「そうなんですか……? 自分じゃわからなかったんですけど」
「訓練の時、微妙に機械を調整して計らせてもらったんだよ」
「……お酒のんでるだけじゃなかったんですね」
ごちん!
「いだい……何も殴らなくてもいいじゃないですかぁ」
「うるさいよ全く。この馬鹿弟子め。とにかく……〇.三秒じゃお話にならない」
テレサはため息を吐いて、
「〇.三秒じゃ、フェイントを織り交ぜられたり見えないところから攻撃されたり、あんたの反応を上回る速さで攻撃されたら終わりだ。悪魔の中には人間には反応できない攻撃をしてくる奴もいるからね。これを改善する方法は二つ。まず今やっている、あんたの身体能力向上。そして必須なのが、未来予測の延長。つまり〇.三秒の壁を越え、新たな領域に至ること」
「……具体的には、何秒あれば」
「一秒だ」
元序列七十五位。
『千里眼』テレサ・シンケライザは、あらゆるものを見通した目で断言する。
「あんたの身体能力を極限まで上げ、さらに一秒まで未来視を高めることができれば、その魔眼は必殺の武器になりうる」
「ひっさつ」
「あぁ。双剣という手数が多い聖杖機も納得だよ。攻撃こそ最大の防御、だ」
ジークを促し、テレサは再び構える。
「今日から全ての訓練を終えて一時間。私があんたと実戦訓練だ。死ぬ気でかかってきな。じゃないと……」
いつの間にか、テレサが目の前にいた。
「あんた、死ぬよ?」
「ぐ……!」
かろうじて攻撃を防いだジークは、慌てて後ろに飛び下がる。
ーー重い。
攻撃の重さが、積み上げられた修練の重さが違う。
しかも彼女は本気を出していない。遊ばれているのに、この重さ。
我知らず、ジークは口元を吊り上げた。
「……じょう、とう。ですっ!」
剣戟の音が、鳴り響いていくーー。
そして一時間後。
「ハァ、ハァ、ぜ、ぜ、ひゅー……」
ジークは空を仰いでいた。
もはや身体中が青くなりすぎていて、怪我がないところがないくらいだ。
半魔の特性として傷の再生はだんだん行われているが、まったく間に合っていない。
「ジーク。あんた……」
テレサは仰臥するジークを見て目を見開いていた。
訓練開始から一時間が経つも、テレサは汗一つかいていない。
それどころか、一太刀当てることすら出来なかった。
その瞳は驚いているように見える。
普段の酔っぱらいが鳴りをひそめ、葬送官としての顔で、彼女は言う。
「…………あんた、剣術の才能はないねぇ」
ぐさ。
「足運びもデタラメ。剣さばきも並み以下。半魔の特性のおかげで生き残ってきたんじゃないのかい」
ぐさ、ぐさ、ぐさ。
「うぅう~~~~~~、はっきり言いすぎてすよ師匠……!」
「事実だからねぇ……」
テレサは大きくため息を吐いた。
反応速度は、かなり見どころがある。
脳を介さず脊髄で反応しているのだと疑うほど、彼の反応は速い。
しかし、それ以外の全てがお粗末だ。
理性なき悪魔との戦いでは大丈夫かもしれないが、中級以上になると話は別。
「あんたの剣、正直すぎるんだよ。狙いが丸見えだ」
「うぅ……」
剣の位置、目線の動き、足先の向き。
こういったものを見れば、ジークが狙っている場所は一瞬で分かる。
例え未来が見えていようとーー
否、未来が見えていると分かっているなら、それ相応の動きをすれば事足りる。
テレサは剣を捨てて言った。
「今日の訓練は終了だ。よく食べ、よく寝て、明日からまた始めるよ」
ジークは宝石の原石だ。見込みがある。育てれば伸びるという確信がある。
それは確かなのだが、武術の素養だけはどうしようもない。
怪物を眠りから覚ますためのピースが、圧倒的に足りない。
あと一か月で特級悪魔を倒せるようになるのは……
「厳しい、と言わざるをえないねぇ」
誰に聞かせるでもなく、テレサは嘆息したのだった。
◆
まともな晩御飯に、贅沢なお風呂。
この三日間でかなり打ち解けたテレサや、同門弟子のリリアとの交流。
それはこれ以上ないほど望んだ普通の暮らしなのに、ジークは焦っていた。
「うぅ。さい……う、ない……剣が一つ、三つ、うぅ……!」
夢の中で現れる剣、剣、剣、そしてテレサとの特訓。
突きつけられた才能ナシの烙印に抗おうと、夢の中のジークは必死で走り続ける。
けれど、
まるで暗雲を無理やりかきわけて進んでいる時のように、手ごたえは希薄だ。
この調子で特級悪魔を倒すことは無理だと、ジークは気づいてしまっている。
何度も、
何度も、
何度も、
ジークは夢の中でテレサと戦う。
だが、どれだけもがこうともかすり傷一つ付けることは出来ない。
まるで地上から空にある雲をつかもうとしているような、途方もない徒労感。
無理だ。
彼女には勝てない。
訓練には時間が必要だ。
けれどジークには時間がない。
経験が、肉体が、陽力が、
戦いにおける必要なあらゆるものが。
ーー圧倒的なまでに、足りない。
「捕まったら、また囚われ……ぁぁああ」
どうしたらいい。
どうすればいい。
分からない。
分からない。
分からない。
「母さん、父さん……」
その時だった。
『ーー話は、聞かせてもらったぞ!』
声が、聞こえた。
暗雲が晴れる。
雲を切り裂く光がジークの手を引き、やがて光の世界に導いた。
そして。
そし、てーー。
「ーーい、さい、ジーク」
「う、ううん……?」
「起きなさい、ジーク!」
「はひ!?」
肌に触れる優しい風を感じながら、ジークは目を覚ました。
徐々に焦点があってくる。
美貌の女神が、不満そうな顔でジークを覗き込んでいた。
「全く。ようやく起きたのね……」
「あれ、アステシア様……?」
踊り子風の民族衣装を揺らし、アステシアは「えぇ」と口元を緩めた。
さらりと耳をかきあげ、
「あなたの女神よ。起き抜けに見るには良い顔じゃない?」
「はい。可愛いと思います」
「へ?」
アステシアの顔が一気に真っ赤になった。
ジークはつけくわえた。
「性格はいじわるですけど」
「む、ぅ……」
アステシアは頬を膨らませ、
「これは、喜んでいいのかしら。それとも怒ったほうがいい……? 権能が機能しないから分からないわ」
拗ねたようにそう言った。
すると、
「ワーッハッハハハハ! 貴様のそんな表情など、初めて見たぞ、アステシア!」
「え?」
耳慣れない声が聞こえて、ジークは振り向いた。
雲の上に乗った大男が、ジークを見下ろしていた。
「そして貴様が堅物を落とした半魔か! ふむ! 見るからに面妖な在り方よな!」
褐色の肌をした、隻眼の大男だ。
筋骨隆々の体格をしていて、その背には大剣を背負っている。
大男は観察するように目を細めた。
「肉体は現世に、魂を現世と冥界の狭間においてあるのか……? 人間は魂、肉体、名で出来ている…肉体と名が現世に残っているから人間側の色が濃い……? ふむふむ。いや、推測以上のことは分からん! 闇、未知、空白! そして虚無! なんだこれは! なぜこんな者が存在している!? どうして今まで我らに気づかれずにいた!?」
「え、えぇっと……?」
ジークは戸惑い気味にアステシアを見た。
知恵の女神は不満そうに、
「あなたが気になるって言って、強引に入ってきたのよ。迷惑極まりないわ」
「そう嫌そうな顔をするな! かつて共に知識を探究した仲ではないか!」
「千年以上前のことを変な言い方で言わないでくれる? ヴェネリスに求愛したいからどう落とせばいいかって頼ってきただけでしょう」
「ワハハハハ! 手厳しいな! まぁそのアドバイスの結果振られたわけだが!」
「アステシア様。このうるさい人……神さまは誰なんです……?」
「うーん。正直紹介したくないのだけど……」
アステシアの声を遮り、大男は再び笑った。
「うるさい! なるほど正直な若者だ! しかし応えてやるのが神の器量というもの!」
どしん、と雲の上から空に降り立つ大男。
大剣を突き立て、彼はニカッ、と笑って名乗りを上げた。
「我が名は武神ラディンギル! 才気に嘆く若者よ! 武神たるオレが、貴様を鍛えてやろう!」




