第二十九話 旅立ち前夜、それぞれの想い②
ーー異端討滅機構本部、七聖の間。
ぎぃい、と重苦しい音を立てて扉が開いていく。
七聖の間に足を踏み入れたジークは、複数の刺すような視線を感じた。
「……来たか。我らを待たせるとは良い度胸だな、ジーク・トニトルス」
「お待たせしました」
苦笑するジークの視線の先、五人の男女がそれぞれの椅子に腰かけている。
同僚であり仲間である七聖将の面々だ。
聖地を発つ前に挨拶をしておこうと、ルナマリアに集めてもらったのである。
(姫様は居ないようだけど……)
「……よぉ、後輩」
最初に声をかけてきたのは緑髪を揺らしたシェンだ。
使徒化の師匠である彼とは『協力者』に逃がしてもらった以来である。
なんとなく気まずい思いでいると、彼は見透かしたように頭を掻いて、
「あー。まぁそんな固くなんなよ。逃げたことも、あんま怒ってねぇから」
「そうなんですか? てっきり、めちゃくちゃ怒っているかと」
「……お前を逃がした奴が……いや、なんでもね。俺っちはこの件では何も言わない」
けど、とシェンが見るのは、ジークを見て真っ先に腰を浮かした女だ。
鋼の腕を持つ女は先ほどから射殺すようにジークを見ている。
「アンタ……よくもワタシたちの前に顔を出せたわね」
「……こんばんは、ラナさん。リリアたちがお世話になったようで」
二コリ……と笑うジークだが、内心は複雑だ。
ジークがエルダーを逃がしていなければこうはなっていないので何も言わないが……。
もしも彼女が仲間たちの誰かを傷つけていたら、絶対に許さなかった。
「フン」
ラナは不機嫌そうなまま、椅子を蹴り上げるように立ち上がる。
むすっとした表情のままジークに近付きーーその横を通り過ぎた。
その瞬間、
「次に会った時、もしもあんたが向こう側にいて見なさい」
ぼそり、と後ろ目でラナは告げる。
「その時は……アタシが手ずからぶち殺してやるわ。裏切り者」
「どうぞ。知っての通り、僕はそう簡単にやられはしませんから」
彼女は眉を下げた。一拍の間を置いて、
「……否定しないのね。ほんと、残念だわ」
そう言って去ろうとするラナの背中に、
「おい、ラナ」
「顔は見せた。姫様への義理は果たしたわよ」
シェンが声をかけるが、ラナは一方的に言って立ち去った。
バタン、と重い音が響くと、シェンが諦めたようにため息をつく。
「悪いな。あいつは……まぁ大体あんな感じだ。分かるだろ」
「はい。むしろ攻撃されなかった分、びっくりしました」
ラナの性格であれば、一目見た瞬間に飛び掛かってきてもおかしくはない。
七聖将の立場でエルダーを逃がすとは、きっとそれだけ大きな事だろう。
無論、ジークは後悔もしていないし間違っていたとも思わないのだが。
「ふぃ~。ラナも帰るならあたいも帰るかね。あたい、眠いんだよ」
「イチカさん」
大柄な女性は軽快に笑う。
「よぉジーク。災難だったな。見かけによらず、結構ヤンチャなことすんじゃねぇか。
ま、漢だかんな。譲れねぇもんの一つや二つあるもんさ。気にすんな」
意外な反応に、ジークは目を丸くした。
「……イチカさん、怒ってないんですか?」
「別に? あたいは悪魔に恨みがあるわけでもねぇしな。ただ葬送官だから戦うってだけだ。可哀そうだとは思うが容赦はしねぇ。お前がそっちの味方すんなら、あたいは戦う。それだけだ」
むしろ、と彼女は好戦的に口元を吊り上げた。
「お前が向こうに着いたら、あんときの決着がつけられたのにな。ちっと残念だ」
「……イチカさんらしいですね」
苦笑すると、
「まぁな。あたいはあたいの好きなように生きる。お前がそうしたようにな。
だから、なんだ。好きな時に戻って来いよ。敵になったらぶちのめすから覚悟しろ?」
そんな事を言いながら肩を叩いて、笑いながらイチカは去った。
好きに生き、好きに笑う。彼女らしい在り方だ。好ましくすらある。
とはいえ、敵になれば強敵だろう。そうならないように祈るばかりだ。
「二人とも帰るならウチも帰るよ~。新作の開発途中なんだよね~」
「トリスさん」
周りに迎合して腰を浮かせた小柄な女性。
七聖将第六席、トリス・リュートは眠たげに手を挙げた。
「ジークちゃん、おっす~。あの時はまんまと逃げてくれたねぇ」
「いや……正直、僕も何が何だか分からないまま連れていかれたというか」
トリスたちの前から逃げ出せたのは『協力者』とやらのお陰だろう。
さすがのジークも、魔剣無しで七聖将をまとめて相手出来る自信はない。
彼らには使徒化という手段があり、その能力は未知数だ。
(ていうか、今まで考えなかったけど。考える暇がなかったけど。
七聖将二人の前から僕を連れ出せるような『協力者』って、一体……)
「ウチはイチカ派でさ~」
思考に沈みそうになるジークを、トリスが引っ張り上げた。
眠たげな彼女は「ふぁぁ~」と欠伸をしながら、
「ウチは、好きなものがいじれればそれでいいわけ。だからジークちゃんにも怒ってないし~、罪だとか罰だとか~、あんまり興味もないかな~。馬鹿なことしたねぇ~とは思うけどぉ」
「……そうですか」
「うんー。だからさ~、ウチらは今でも、友達なわけでしょ~」
ニカ、とトリスは歯を見せて笑った。
「何か頼みがあるなら頼ってよぉ。面白そうなら手伝うからさぁ~」
「……!」
予想だにしなかった言葉を受け、ジークは胸の中が熱くなった。
非戦闘員のエルダーを逃がした事。それは葬送官たちにとっての禁忌だ。
当然、葬送官の頂点である七聖将は許さないと思っていたのだが、
(イチカさんやトリスさんみたいに、気にしないって人も居るんだ)
無論、ラナのように烈火のごとく怒るような者もいるだろう。
しかし、葬送官全員がエルダー全てを憎いと考えてはいないようだ。
そのことはジークにとって希望であり……世界を変える足掛かりになる気がした。
(まぁ自分の好きな事以外に興味がないだけかもだけど……それでも、)
「ありがとうございます。トリスさん。じゃあ早速何ですけど……」
ジークはかねてより欲していた通信デバイスを注文する。
やりたいことなどを伝えていると、トリスは「うんうん~」と何度か頷き、
「おけけ。それくらいなら余裕かもぉ。監獄島に届けさせるね~」
「ありがとうございます」
「いいって事よ~」
トリスは楽しそうな足取りで去って行く。
あっという間に人が減った室内、残されたのはシェンとアレクだけだ。
椅子に背を預けたシェンは「どいつもこいつも……」と嘆息。
「勝手ばっかりしやがって。後輩、お前もだぞ」
「あはは……すいません」
「ん。まぁいいけど。もう何も言わないって言ったしな。まぁ、あれだ」
シェンは立ち上がり、ジークの肩に手を置いた。
「後輩。お前の目指す道が何なのかは知らねぇけど……たぶんそれ、茨の道だぜ」
「分かってます」
「それでも進もうってのか。そんなに世界が大事か?」
「いいえ。僕は僕の為に戦います。僕が気持ちよく過ごせる明日の為に」
「……そか。なら、いいや」
シェンは満足げに笑った。
そうしてジークの横を通り過ぎ、
「一生の別れってわけでもねぇ。仰々しいのもなんだしな。話せてよかった。
あれだ……俺っちはどんなことがあってもお前の先輩だかんな。
トリスと同じように、何かあったら頼れ。エルダー関連以外なら手伝ってやる」
「色々、ありがとうございます、シェン先輩」
「おうよ。じゃな」
振り向かず、手を振って去って行くシェン。
カルナックで一番世話になった先輩の後ろ姿を、ジークは腰を曲げて見送った。
そして最後に残ったのがーー
「……やれやれ。私がお前と二人きりになるとはな」
「……アレクさん」
ジークは冷や汗を流しながら振り返る。
眼鏡をかけた男の表情は影になっていて見えないが、怒っている気配はびんびん伝わってくる。
そもそもアレクは規則や葬送官としての姿勢に一番厳しいのだ。
カルナックに来た初日、オズワンを馬鹿にした葬送官を殴った時の事は忘れない。
怒鳴られる覚悟をしながら、ジークはこわごわと表情を伺い、
「せっかく事務が出来る七聖将が増えたと思った矢先にこれだ。全く……」
(あ、あれっ?)
なぜだかアレクは全く違う方向に怒っていた。
てっきり、エルダーを暗黒大陸へ逃がした事を怒るかと思ったのだが、
「いつになったら私の負担が減るのだ。どいつもこいつも……」
「あ、あの、アレクさん?」
「何だ」
「怒ってないんですか?」
先ほどと同じ問い。
しかし、問いを投げたジークの覚悟は雲泥の差だ。
他の親しげな七聖将と違い、アレクだけは上官を前にした軍人のような緊張感がある。
そんなアレクはスッと目を細めて、眼鏡を上げた。
「三十二パーセント」
「はい?」
え、何のこと?
「分かるか?」
「いえ、全く……」
「葬送官になって一年未満の人間が非戦闘員のエルダーを見逃す確率だ」
「……!」
ジークは愕然と目を見開いた。
アレクは聖杖機を操作し、投影画像を表示させながら、
「このグラフを見ろ。私が極秘裏に集めたデータだ。新人の葬送官がエルダーを見逃した回数と葬送官を続けた年数の比例を表している。葬送官を続けていくにつれてエルダーを見逃す回数が激減しているのが分かるか?」
アレクの示したグラフでは、ほぼ三年目以降からは数字がゼロになっていた。
だが、逆に言えば三年目まではエルダーを見逃した人間が相当数居る事になる。
呆れたように、彼はため息をつく。
「言うまでもないが、貴様のしたことは異端討滅機構にとって許されざる悪だ。
七聖将としてはもちろん、葬送官としてもやってはいけない事ではある」
だが、と。彼はジークにまっすぐ向き合いながら、
「貴様は特別でも何でもないのだ。今回の監獄島行きは、元老院による姫様と貴様への警戒に起因しているが、貴様は葬送官育成学校も出ておらず、葬送官となって半年ほどしか経っていない異端の新人。おのれの立場を忘れ、愚かにも非戦闘員のエルダーを見逃したとしても何ら不思議はない。繰り返すが、許されざることではある」
淡々と言葉を紡ぐアレクをジークはぽかんと見つめていた。
誰もかれもがそうだ。ジークの思った反応をしたのはラナただ一人。
けれど、他の七聖将たちはジークの事を叱りもせず、ただ仕方ないと割り切っている。
あの厳しいアレクがこんなにも優しく接してくるなど、一体誰が思うだろう?
「あの……失礼を承知で聞くんですけど、熱でもあるんですか?」
「熱ならあるとも。姫様に対する崇拝と奉仕への情熱が」
「あ、良かった。いつも通りだ」
アレクのルナマリア好きはジークもよく分かっている。
熱は出ていないようだし、本気で言ってくれていると見てよさそう。
そんな風に納得したジークに、しかし、アレクは厳しい目で、
「何度も言うぞ。私は貴様が正しいとは言っていない」
「はい」
「葬送官にとって、ましてや七聖将がエルダーを見逃すのは言語道断だ。
ラナの反応は正しく、貴様の行動を知れば憤りを覚える者は多いだろう」
だが、それでも。
「よくやった、ジーク」
「……!」
「浮かない顔を続けていた姫様が久しぶりに笑顔を見せた。充分な戦果だ」
ルナマリアは神々を通じてジークたちの思惑を知ったらしい。
胸がすいたように笑うルナマリアの笑顔は、天使のように愛らしかったのだとか。
褒められる箇所が全く違うが、褒められて悪い気はしないジークである。
「……ありがとうございます。短い間でしたがお世話になりました」
「待て、まだ戻ってくる可能性もある。それまで事務の仕事を忘れるなよ」
「それは保証できませんけども」
数ヶ月も離れれば事務仕事はすっかり忘れている自信がある。
よっぽど人手不足なんだなと苦笑しつつ、ジークは周りを見渡した。
「それで……あの、アイリスさんっていらっしゃいませんか?」
「奴は任務だ」
「また……?」
ジークは眉を顰めた。
七聖将第一席と呼ばれる女性『アイリス』。
彼女について知っているのはその名前だけで、姓も姿さえもジークは知らない。
調べても写真にさえ残っていないのだから、ハッキリ言って異常だ。
そんなにも姿を記録されたくない事情が彼女にあるのだろうか。
(それに、なんだか避けられてる気がする……気のせい?)
七聖将として忙しいのは分かるが、これだけ聖地で見かけないのも解せない。
戦争の時に姿だけでも見られればよかったのだが。
「僕、まだ挨拶出来ていないんですけど……なんとかならないですかね」
「何を言っている。貴様は既に……」
アレクは何かを言いかけて、そして首を横に振る。
「いや、いい。まだその時ではないのだろう」
「アレクさん……?」
「とにかく、私からの言葉は以上だ。監獄島行きの件、しっかり務めるように」
「あ、はい」
「それから……」
「ーージィィイイクゥ――――――――」
「うわ!?」
突然、影が飛び込んできた。
慌てて受け止めると、胸の中に収まったのは白髪の姫君、ルナマリアだ。
「姫様!」
「会いたかったぞ会いたかったぞジークよ! よくぞやってくれたな!」
「えっと……」
「手のひらで動かされている事も知らず、あの元老院どもの威張り腐った顔ときたら!
ぷふッ……今思い出しても笑いが止まらん。本当によくぞ……無事で戻ったな」
ぴたりと動きを止め、ルナマリアは孫を見る祖母の目で言った。
「大変じゃったろう。報告は聞いているぞ」
「はい。色々……本当に色々ありました」
「あの時、気付けなくてすまんかったのう。何か力になれたらよかったんじゃが」
「いえ」
あの時、ルナマリアに言わなかったのはジークの選択だ。
それに、元老院ではジークを庇うように立ち回ったと聞いている。
むしろ彼女には感謝してもしきれない恩がある。
「今日は貴様が護衛任務だ。今回の罰として、寝ずに務めるように」
「ふふっ、存分におしゃべりしようぞ、ジーク!」
「はいっ」
気を遣ってくれたアレクに感謝しつつ、ジークは護衛任務を務めた。
エルダーの事やカリギュラの事、始まりの七人のこと。
話したいことや聞きたいことはたくさんあって、夜が終わるまで話題が尽きる事はなかった。
カルナックで過ごす最後の夜がゆっくりと終わりを告げるーー。
◆
ーー翌日、最果ての方舟拠点。
拠点の前に集まったレギオンの面々は顔を合わせていた。
最後の夜を思い思いに過ごし、彼らの顔は晴れているように見える。
夜通しルナマリアと話をしていたジークは、少しばかり眠くもありつつ。
「じゃあ、しばらくお別れだね」
五人の間に言葉はない。
信頼のこもった眼差しで自分を見る仲間たちの顔を、ジークは順番に見回した。
「必ず迎えに行くから。待ってて。リリア、オズ、カレン、ついでにヤタロウ」
「はっ。拙者はこの地で後片付けと仕込みを行ってからそちらに向かいまする」
「ま、おれらは気長に待ってるぜ」
「すぐに会えると言っても、寂しいものですわね」
冥界に行って以来、オズワンやカレンとは毎日一緒だったのだ。
ジークも寂しいのは同じだが、こればかりは仕方がない。
「ルージュ、ジークのこと、お願いしますね」
『ませといて! お姉ちゃんの代わりに、あたしがお兄ちゃんと寝てあげるから♪』
リリアは微笑み、
「ルージュも、朝ご飯はちゃんと食べるんですよ。野菜はちゃんと残さず食べて……」
『分かってるよもう! お姉ちゃんこそ、寂しくて泣いちゃわないようにね』
「泣きませんよ。寂しくても、すぐに会えるって信じてますから」
「そうだね。すぐに会えるよ」
ジークとリリアは視線を交わした。
言葉は要らなかった。
全幅の信頼を置き合う恋人たちは、既に語るべきことを語り終えている。
今はただ、互いにやるべきことを。
「じゃあ、行こうか。『最果ての方舟』、出発!」
『応!』
そうして、六人の仲間たちはそれぞれの旅路を歩み始める。
東西南北へ別れて歩くレギオンの者達は、誰一人として振り返らない。
ーー離れていても、心は一つ。
半魔、人、天使、悪魔、獣人、種族は違えど、志は同じだ。
世界をあるべき姿に戻す。そのために、彼らは迷わず突き進む。
その先に望むものがあるとーーそう信じて。
第二部第二章『紅娘の祈り』了
第二部第三章『獣王の帰還』始
第二部第二章 作者あとがき
ここまでお読みいただきありがとうございます!
本章は本作で一番ダークな部分でかなり重い話ではありますが、
この世界を描く上で、決して避けては通れないテーマでした。
人と悪魔。葬送官としての立場と、英雄としての信念。
そして妹と女の間で揺れたルージュの想いと葛藤……。
時に迷い、足掻き、苦しみ、それでも前へ進もうとする。
理不尽な世界に立ち向かう彼らの生き様が、少しでも伝われば幸いです。
刺さる人には心臓抉るくらい刺さるように書いてるので、伝わってればいいなー。
本作は全三部構成となっていまして、既に半分と少しが終わったことになります。
読者の皆様が応援してくださるおかげで、なんとかここまで来れました。
最終部までのプロットは出来てまして、残すはあと四章。
彼の旅路がどこに行き着くのか。その果てを共に見守っていただければ、
作者としてこれ以上の喜びはありません。なんとか今年中に完結させたいところですね。
今後とも応援のほど、よろしくお願いいたします。
追伸:感想やレビュー、ぜひぜひお待ちしております!
あ、出来れば甘口でお願いします。辛口だと作者が死ぬから!
では、閑話を挟んで、第二部第三章開始です!
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