第二十七話 レギオン、離散
ーー『聖なる地』カルナック。
ーー異端討滅機構本部、元老院の間。
「説明してもらおうか」
円形の議事堂の中、ルナマリアは元老院を相手に言い放った。
高みからこちらを見下ろす六人は渋い顔だ。
「貴様らが悪魔教団と繋がっていたことは調べがついている。証拠もある!
ジークを嵌め、英雄から降ろそうとしたことも! 一体どういうつもりじゃ!?」
「全てケリガー議員の独断だ」
椅子の一つに座る女が溜息を落とした。
「我らとて困惑している」
「……そのケリガー議員が行方不明じゃ」
ルナマリアは調べ上げた資料を持ち上げ、
「あの戦争が起こる三日前から姿が見えないらしい。家人も居場所を知らない。
行方を捜してみたが、街の外に出てピタリと痕跡が途絶えている」
まるで誰かが足取りを潰していたかのように。
「これの意味するところは分かるな?」
『……』
「冥王に『鍵』が奪われたのじゃ」
その意味するところを分からない彼らではない。
事の重大さを誰よりも理解する神の巫女は、戦慄と共に呟いた。
「『鍵』があればこの場所に入る事が出来る。ルプスの事もある。
下手をすれば、今、この瞬間に奴らが攻めてきてもおかしくないのじゃぞ!
そうなれば……貴様らの先祖の犠牲も、これまでの戦いも、何もかもが無駄になる!
世界の危機につながるこの問題を、どう解決するつもりじゃ!?」
強烈な批判に対し、元老院の面々はめげない。
「『鍵』はまだ六つある。冥王とてやすやすと此処へ攻めては来れまい」
「我らの守りは万全だ。お前が心配する事ではないだろう」
「ケリガー議員が持つ『鍵』は七つの壁の最も外側だ」
「あぁ、そうとも。心配する事はない」
「私たちには私たちのやり方がある。口出しはしないでもらいたいわね」
「そもそも、何のためにお前が居ると思っている」
元老院は一様に指を差し、神の巫女を見下ろした。
「「「「「貴様が世界の盾となれ、冥王の恋人よ」」」」」
「……っ」
ルナマリアはほぞを噛み、
「ならば! 此度の事態の責任はいかんとする!」
「ケリガー・マックウェル一族を元老院から永久追放。
全資産を没収し、彼が経営する商会は異端討滅機構に取り込むものとする」
ーーつまり、居なくなった者に全て押し付けてしまえと。
元老院の問題をケリガー議員一人の問題として対処し、
あまつさえ彼の資産を我が物としようとする彼らに、ルナマリアは唇を噛み締めた。
「貴様ら、は……」
(いつから、こうなったんじゃ)
始まりの七人。元老院がそう呼ばれていた時代が懐かしい。
彼らの子孫がこのようになった原因が自分にあるのは分かっている。
けれどあの子たちは納得して、その命を捧げてくれたのだ。
それなのに、彼らが守り抜いた未来が、このような腐り果てた組織を生もうとは。
ルナマリアは、かつて自分から離れた一人に思いを馳せる。
(カリギュラよ……お前も、このことが分かっておったな)
ーーあなた様が人類を守っても、やがて彼らは同じ道を辿るでしょう。
ーー自分と富を守る妄執の塊が生まれる日が、組織が腐る時が必ずやってくる。
ーー人類には進化が必要なのです。どうかエルダーを受け入れてください。
あの男はああいったが、彼も彼で権力とは違う妄執に憑りつかれていた。
だからルナマリアは彼を拒絶したのだが、彼の言葉に一理あるのも事実だ。
どれだけ時代が変わろうとも人の本質は変わらない。
いずれ今の元老院のような者達が生まれると、分かっていても。
(それでも、守らなければならなかった……今も、守らねばならんものがある)
ルナマリアが顔を上げたことを契機に、元老院が件の話題を持ち出す。
「ーーケリガー議員の問題は片づけた。残るは」
「『神殺しの雷霆』ジーク・トニトルス。あやつの問題をどうするかだ」
「……」
そう、例え真相がどこにあろうとだ。
ジークが自らの意志でエルダーを逃がしたことは変わらない。
あの時、あの瞬間、彼は人類ではなく悪魔を選んだのだ。
ジークを危険視する元老院が、このことを見逃すはずがなく。
「貴様があれほど強情に保護を叫んでいた者だ。
既に英雄として名は知れ渡っている。この問題にどう始末をつけるつもりだ?」
先ほどの意趣返し。
しかし、ルナマリアは子供を守る母の顔で言った。
「どんな人間にも間違いはある。葬送官ならば一度はやらかす問題じゃ。
間違いを犯し、自らの過ちに気付き、正していく。それが教育というものじゃろう」
何よりも、
「貴様らが既に英雄として祭り上げている以上、
今、ジークを排せば人類の士気が一気に下がる。何より戦力の大幅ダウンじゃ」
いかに腐り果てた元老院といえども、人類を守るという大義は変わらない。
ジークがどれほど重要な戦力かも分かっているだろう。
今、この世界で冥王の力に対抗できるのは、彼をおいて他に居ないのだ。
だから彼らがどれだけルナマリアを脅そうとも、処刑だけはないが。
(あの子だけは何としても守る。ルプス、セレスよ。
お主らを守れなかった妾の、それだけが唯一の償いじゃ……!)
悲壮な決意を固めるルナマリアに対しーー
「我らの方で既に意向は固めてある。これは議論ではなく、命令だ」
元老院に、慈悲はない。
「七聖将ジーク・トニトルスを最前線の『監獄島』に配置換えとする。
以後、同氏は最前線から動くことを禁じ、永久戦犯として任務にあたるものとする」
「なッ!?」
ルナマリアは弾かれるように肩を跳ねた。
「ふざけるなッ! たった一回の過ちで、そこまでする必要があるか!?」
「貴様に無くとも我らにはある。アレをどうしようが我らの自由だと言ったはずだ。
拘束して固定砲台として運用するのもいいが、それだとせっかくの兵器が勿体ない。
どうせなら監視を付けた上で肉体が壊れるまであちらの兵力を削ってもらう考えだ」
ジークに人権はなく、武器としての在り方が相応しいのだと。
声高にそう主張する元老院の間に、異議はない。
「どういうつもりじゃ……お主も同意したのか、セルゲン!」
「それが元老院の総意ならば。私一人が反対したところで意味はないだろう」
セルゲンと呼ばれた元老院の代表は諦めたように息をつく。
少しは良心が残っていると思っていたが、周りに流されるところは相変わらずか。
ルナマリアは奥歯を噛み、反対しようとしたが、
「妾の意見は、」
「アレに情がある貴様の意見など参考にするわけがないだろう。身の程を知れ」
「……っ」
ルナマリアは悔しそうに顔を歪め、俯いた。
元老院の一人は満足そうに息を吐き、背もたれに身体を預ける。
(アレにこれ以上カルナックに居られると、こやつの権威が増す恐れがある。
歴史上いつだって恐ろしいのは無知な民衆の暴動だ。ルナマリアの権威を削ぎつつ、
アレを最前線に配置、しかるのちに冥王と相討ちになってもらえれば上々だろうな)
そこまで上手く行くかどうかは分からないが、可能性はある。
今のジークにそれだけの力があるのは、元老院の誰もが認める事だ。
(私たちの傀儡となるがいい。ジーク・トニトルス。そのためにお前を生かしている)
だが、念には念を入れておこう。
なにせ相手はあの半魔だ。予想外の事をしでかす前に打てる手は打つ。
幸いにも、既に種は揃っている。
「ーーそれと、まだ通達がある」
元老院の一人は口の端に笑みを浮かべて、
「ジーク・トニトルスが犯した罪に伴い、奴の仲間にも連帯責任を負ってもらう。
まず『熾天使』リリア・ローリンズ特別審問官を天界に強制送還。
獣人の姉弟も獣王国パルメギアへ送還。南方大陸に帰ってもらう」
「……仲間を、バラバラにするつもりか。孤独に苦しめと!?」
「フン。監獄にお仲間がいるだろう。我らに歯向かった愚か者たちがな」
「貴様らぁ……!」
怒りに燃えたルナマリアだが、
「少しうるさいぞ、神の傀儡よ」
「うぐ……!?」
直後、凄まじい激痛が全身に走り、身もだえた。
声なき悲鳴を上げ、その場で苦しむルナマリア。
元老院はそんな彼女の様子を、つまらなさそうに眺めている。
「いつになったら学習するのだ。貴様に拒否権はない」
「我らこそ人類の影の守護者。神の巫女などと仰々しい名前があっても、
所詮、貴様もまた人ならざる異形。黙って我ら人類に従っていればいいのだ」
「く、そ……」
ルナマリアが俯くと、元老院の一人が言った。
「そうだ。あの半魔の妹はどうした。アレは処刑しなければなるまい」
「それなら安心しろ。悪魔教団の壊滅と共に半魔が処分したと報告があった。
目撃者も複数人居る。ルージュという特異個体はもうこの世にはいない」
「……ふむ。ならばいい」
冥王の妹の生き写しであるルージュは放置していれば脅威になった。
ジークが妹を処分できるのは意外だったが、それだけテレサの死が強烈だったのだろう。一度身内を処分した手前、暴走したルージュを放置できなかったと言う事か。
そう、納得した元老院。
一方、ルナマリアは俯いて涙を流している。
孫のように可愛がるジークへの悪意を、止められなかった自分を悔いて。
では、ない。
(くくッ……ははッ、あっははははははははは!)
笑いを堪えるのに必死で、涙をこらえているのだ。
腹を抱えているのも、痛いからではなく、おかしくてたまらないだけ。
(やばいのう。これは笑える……くく。手玉に取られているのはどちらなのか。
元老院共め、自分たちの部下にスパイがいる事も気付いていないらしい!
それに……ジークが妹を殺す? 馬鹿め。天地がひっくり返ってもありえんわ!))
奴らは知らない。ルージュの生存を。
目撃者を複数人作り上げ、虚偽の報告をさせたことを。
奴らは知らない。ジークの仲間となったもう一人の存在を。
嘘と真実を絶妙に織り交ぜ、元老院すら欺く裏切り者を。
ーーここまで全て、想定通りだ。
◆
ーー同時刻。聖なる地カルナック。
ーー『最果ての方舟』拠点にて。
「ーー以上が元老院の通達である。謹んで拝命するように」
「……」
拠点に来たカオナシの通達書を、ジークは渋い顔で受け取った。
文句を言える筋合いではないと分かっているのだろう。
エルダーを庇うなんてことをするからだと、カオナシは満足して去って行く。
だがジークがそんな顔になっていたのはカオナシの推測とは別の理由だ。
元老院から通達があったからでも、仲間と離れるからでもない。
ジークが渋い顔をする真の理由。それはーー
「……あのさぁ。本当にお前は何もしてないんだよね?」
この事態を全て予見していた、一人の男の存在である。
拠点の広いリビングの中。仲間たちの視線が一点に集中する。
着流しの民族衣装をまとうヤタロウ・オウカは快活に笑った。
「滅相もない。拙者にそこまでの力はござらぬよ」
「いやでも、ほとんどお前の言う通りになってるし」
ジークは深く長い息をついた。
ーー常闇の都から帰還した、その日の夜である。
帰り道、ジークは自分の処遇がどうなるか話していた。
エルダーを暗黒大陸に逃がしたのだ。十中八九、許されないだろう。
何らかの処罰は免れないと踏んでいたのだが、ヤタロウは言ったのだ。
ーー間違いなく処刑はない、と。
「皆さまは意外に思われると思いまするが……。
元老院は真実、世界の安全を第一にしております。そこは揺るぎませぬ。
相手が何より大事にしているものが分かれば、そこから類推は可能でござる」
陰謀を巡らせる元裏切り者は述懐した。
「まず現状、冥王と戦えるかもしれないのは七聖将のみですが、
そこに孤高の暴虐が絡むとジーク殿が居なくては立ち行かない。
そうなれば人類は敗北です。元老院としてはこの事態は避けたいはず」
「拘束するという可能性もあったのでは?」
カレンの言葉にヤタロウは頷き、
「その可能性もござった。ですが低いでしょう。
拘束して憔悴した兵器が使い物になるかと言われれば五分五分です。
まかり間違って自暴自棄となり、元老院に叛逆されるのは避けたいでござろう。
ならば、監視を付けた上で最前線の監獄島に拘留すれば、相手の戦力を削れると考える。
さらに仲間たちを分断し、遠く離れた箇所で人質扱いにすれば……」
「ジークを御せると考えるわけですか」
「そういうことです、花嫁殿」
ヤタロウは慇懃に一礼する。
「何らかの処罰が免れない以上、元老院としては仲間に手を出すのが妥当かと」
「だから、あたしを死んだことにしたの?」
不満げなルージュにヤタロウは苦笑した。
「あのままであれば不穏分子として処刑……あるいは拘束されていたでござろう。
少しでもジーク殿が抱える爆弾は減らしたほうがいい。あなたも自由になれる」
「……結局あたしは感謝したらいいの? ぶん殴ったらいいの?」
「ぶん殴っていただければ。英雄の妹子に殴られるのは至上の喜び……!
ハァ、ハァ、さぁ、殴ってくだされ。さぁ、さぁ、さぁ!」
「うわぁマジでキモい……」
嗜虐趣味なルージュがドン引きである。
ルージュは嫌がる相手を自分から虐めて欲しくするのが好きであって、
最初から虐めてほしいと寄ってくる相手は好きではないのだ。
そちらも大概やばいと仲間たちは思うのだが、口には出さない。
「つーか、どうやってルージュが死んだって報告させたんだよ?」
「あぁ、それこそ簡単でござるよ」
ヤタロウは笑って、
「カオナシの何人かを買収いたしました」
「「「は?」」」
レギオン全員が目を丸くした。
ジークは慌てて、
「いやいやいや、買収くらいじゃすぐに寝返るでしょ!
ていうかカオナシを買収とか出来るの? 絶対すぐ裏切ると思うんだけど」
「元老院に絶対の忠誠を誓う暗部ですからね。洗脳も受けているでしょうし」
「そんな杜撰な計画でしたの?」
咎めるような視線がヤタロウに集中するが、彼はけろりとした顔だ。
「それこそ問題ござらん。拙者の加護で認知を歪めております」
「ぁー……」
ジークは頭が痛くなってきた。
ヤタロウ・オウカが持つアステシアの加護『認知干渉』。
自分もしてやられた加護だが、まさか絶対の忠誠すら歪めてしまうほどのものなのか。
そんなものを戦闘の最中に使えば無敵に近いのではないか……。
カレンは不思議そうに、
「認知を歪める事が出来るなら。直接忠誠を歪めてしまえばいいのでは?」
「言ったでござろう。拙者にそこまでの力はござらんよ」
皆の心中を察したのか、ヤタロウは苦笑気味に言う。
「『認知干渉』と言っても、歪める認知が大きければ大きいほど負担が増し、
その負荷が一定以上を超えれば加護は解除されてしまうのです。また、同じ相手には効きずらい。ジーク殿のように感覚が鋭い人間ならば、二度目はすぐに分かってしまうでござるよ」
だからヤタロウは元老院の忠誠という大きな認知を歪めるよりも、
『買収は悪いことである』という倫理的な認知を歪めたのだ。
認知を歪める相手もカオナシの中でも忠誠心の薄い、経済的な支援を受けている者達。
そんな相手だからこそ、ルージュが死んだと誤認させることが出来たという。
もちろん、定期的に行われる洗脳を解くための工夫も忘れなかったらしいが。
(……甘く見ていた、かな)
ヤタロウの解説を聞いたジークは舌を巻いた。
極秘とも言える情報をつぶさに集め、相手の状況と心中を推測し、
絶大な権力を持つ彼らを影から操り、自分の意図した状況に持っていく。
いくらアステシアの加護があるからと言って、同じ事が出来る者がいるだろうか?
(少なくとも、僕には絶っっ対無理)
これが、これこそが。
あの叡智の女神アステシアが目的のために選んだ駒であり。
生きる悪霊、カリギュラ・ネファケレスが腹心に選んだ男なのだ。
ーーいわば、世界最高のスパイ。
「なんていうか君ってさ」
「なんでござるかっ?」
ヤタロウは期待に目を輝かせたが、ジークはジト目になって、
「かなーーり、性格悪いよね」
「あ、あれっ? 何ゆえそうなるでござるっ!?」
ここは褒める流れでござろう! と声高に主張するヤタロウ。
しかし、レギオンの仲間たちも似通った反応だ。
「やり方が汚いというか、隙間を突く天才というか……ですわね」
「相手を翻弄するやり方が気持ちわりぃ」
「しかも自分が動くのは最小限ですからね。頭が良いと言えば聞こえはいいですけど」
「変態の上で陰湿で性格悪いってどうなの? また敵になる前に殺すよ?」
「皆さま、散々な言い分でござるな!?」
一同にどっと笑いが起きた。
顔を見合わせた彼らを代表して「ハッ」とオズワンが笑う。
「でもまぁ、ちったぁ胸がすいたぜ。感謝してやるよ、ヤタロウ」
「ですわね。元老院も思いもよらないでしょう。
高みから全てを操っているつもりが、その実、全てこちらの意図通りなのですから」
「ドヤ顔でふんぞり返ってるの見たら、あたし、笑いを堪える自信がないよ」
今まさにルナマリアが笑いを堪えている所とは知りもしないルージュ。
ジークはリリアと目を合わせ、頷きを交わした。
「僕たちがバラバラになるのも想定内……だよね?」
「で、ござるな。そこらが罰として妥当なところと思っておりました。
ですが問題ありません。一度バラバラになったなら、また集まり直せばいいのです」
それこそ、ジークがアルトノヴァに乗れば一日もかからず大陸を横断できる。
リリアは天界という離れた場所に居るが、そもそも彼女は熾天使だ。
ーー異端討滅機構特約二十一条、熾天使は神の代理人として扱い、人類の指示を受け付けない。
特別審問官という立場故に指示が出来ると思っているのだろうが……
そもそも彼女は、元老院に従う義理はない。
問題はジークの吸血衝動だが、こちらは試験管に血を入れてもらえばある程度は持つ。ストックが切れる前に出来るだけ早く合流したいところだ。
(もう、認めるしかないかな)
ジークは苦笑気味に息をつき、
「ヤタロウ・オウカ」
りん、と。魔剣の切っ先をヤタロウに向ける。
ヤタロウは背筋を伸ばし、ジークにまっすぐ目を合わせた。
張りつめた静寂がその場に満ちていく。
言葉を選びながら、英雄を自覚する少年は問いを放つ。
「今後二度と、我らを裏切る事はないと叡智の女神に誓えるか?」
「女神と、我が身命にかけて」
ヤタロウは膝をつき、深く頭を垂れた。
「この命運尽き果てる時まで、あなた様に絶対の忠誠を誓います」
「その魂に穢れはないと誓えるか」
「……穢れは、ござる。これまで手を汚してきた穢れが」
ですが、と。
ヤタロウは顔を上げ、
「あなた様が世界を変えるお手伝いをすることで、この罪の贖罪としたく存じます。
お許しいただけるなら我が知恵、我が命、我が力、存分に使っていただきますよう」
「分かった」
魔剣の切っ先を、ヤタロウの肩に置く。
「僕は、君のこれまでを許す」
「……っ!」
ヤタロウは弾かれるように顔を上げた。
驚きに満ちた瞳。裏切りを重ねてきたスパイの真実がそこにある。
「拙者は」
「言っておくけど、君が仲間を傷つけたことは一生忘れない。ずっと覚えていると思う」
それでも。
「僕は世界を変えたい。そのために冥王メネスを倒す。だから、」
仲間を傷つけた事も、そのためにあらゆるものを利用してきた事も。
『認知干渉』などという不穏な種も、一切合切を無視して。
目的のために禍根を捨てると決めた英雄は、手を差し伸べるのだ。
「改めて言う。ヤタロウ・オウカ。僕の参謀として、力を貸してほしい」
「……あなた様が望む限り、お力になりましょう」
ヤタロウはくしゃりと顔を歪めながら頷いた。
魔剣の切っ先が光を放ち、ヤタロウの肩をジリ、と焼く。
それは彼の罪を雪ぐ浄化の光であり、ジークが彼を仲間と認めた証だった。
◆
「きゅっ、きゅー!」
ヤタロウの禊ぎを終えると、神獣形態となったアルが嘶きをあげた。
張りつめた緊張がふっと緩み、肩に止まったアルが甘えるように頬ずりしてくる。
ジークはごろごろと喉を鳴らす顎を撫でながらヤタロウを見た。
「じゃあ早速だけど、何か案があるなら言ってくれないかな。
レギオンがいち早く合流する為に、そして……冥王を倒し、世界を変えるために」
「はっ。では僭越ながら具申いたします」
ヤタロウは胸に手を当てて一礼する。
「遊撃隊を、結成くださいませ」
「遊撃隊……?」
「さよう。冥王打倒を目的とする第七席特務遊撃隊『トニトルス小隊』です」
「トニトルス小隊……かっけぇ……」
オズワンが思わずといった様子でつぶやいた。
慌てて口をふさぐ彼を横目に、ジークは続きを促す。
「それで?」
「今回、ジーク殿は監獄島に赴任という事になりました。
あそこは異端討滅機構に叛いた者たちが送られる、いわば流刑の地。
その分、カルナックにいる者と一線を画す有能な者たちが何人か囚われています」
カレンは何かに気付いたのか「ちょっと待ってくださいませ」と声をあげ、
「まさかとは思いますが……」
「そのまさかでござる、カレン殿。彼らを仲間にするのです」
「……!」
最果ての方舟一同は驚愕を露わにした。
オズワンは感心したように尻尾を振り、カレンは熟考し、リリアは顎に手を当てる。
大所帯になりそうだなぁと思う暢気なジークをよそに、ルージュが口を挟んだ。
「いや、待ってよ。確かに異端討滅機構に叛いた人たちなら、
お兄ちゃんの理念を理解するかもだよ。でも、その中には犯罪者もいるんだよね?」
「で、ござるな。強盗や窃盗、暴行、強姦などを犯した者たちが」
死んでいなければの話ですが、と肩を竦めるヤタロウ。
ルージュは視線を鋭くして、
「そんな人たちをお兄ちゃんの仲間にする気?
そもそも異端討滅機構に従わなかった人たちが、お兄ちゃんに大人しく従うの?」
「確かに……」
ジークは思わず唸っていた。
人よりも強い自覚はあるが、それだけでついてくるほど人の世は甘くないはずだ。
しかも、ただ付いてくるだけでは意味がない。
崇拝だけではなく、目的のために共に戦う仲間でなければ。
「冥王を倒すためだもんね。そこはちゃんとしたいかな……」
「さすがにそこをどうにかする策は、拙者にはございませぬ」
ヤタロウは苦笑した。
「ただ彼らを仲間にすることが出来れば、大きな力となることは間違い。
ジーク殿の目的は世界の変革、そして冥王の打倒と言う事ですが……
率直に申し上げますと、最果ての方舟だけで不死の都の攻略は不可能でござる」
「それは……そうかもしれねぇけどよ」
オズワンは渋い顔になった。
彼も彼で鍛えてはいるし、接近戦だけなら死徒とも張り合えるだろう。
しかし、獣人故に悪魔を葬魂出来ない枷と、加護が使えない点はいかんともしがたい。
何百万体といる悪魔たちを相手にするというのは、津波に裸で突っ込むようなものだ。
「冥王を倒すためには不死の都と正面衝突は避けたいところでござる。
ハッキリ言ってキリがない。つまり、ジーク殿が冥王を倒せる策は一つとなります」
「暗殺だね」
ルージュの言葉に、ヤタロウは頷く。
そんな二人を横目に、ジークは頭の中でやるべきことを整理した。
(うわ、やることいっぱいだ……)
死の概念が狂ったこの世界を変えるために必要な事。
まず『最果ての方舟』について来れる精鋭を集め、仲間と合流。
そして不死の都に潜入し、襲い来る特級悪魔や死徒を撃破しながら、冥王の元へ向かう。
そこに孤高の暴虐が加わるとなれば、難易度は跳ね上がるだろう。
自分が異端討滅機構に背いた以上、同僚の七聖将たちには頼れないのだから。
思わず、ジークは天を仰いだ。
「……結構、遠い道のりだね」
「いえ。むしろ相当近い方でござるよ。ジーク殿だから最短距離を突っ走れるのです。
普通の葬送官……いえ、他の七聖将ですら、ここまで近道は出来ないですぞ?」
「それは分かってるけど……いや、そうだね。ゴールが分かってるだけいいか」
これから何をすればいいのかはハッキリしている。
段階を踏んでいけば、確実に冥王へ近づいて行けるのだ。
その道筋を示してくれたヤタロウに感謝しつつ、ジークは仲間たちを見渡す。
話すべきことは終えた。あとは、やるべきことをやらねば。
「リリア、ルージュ、オズ、カレン」
視線を返した彼らに頷き、
「僕のわがままでこんな事になってごめん。少しだけ離れ離れになるけど……。
必ず迎えに行くよ。例えどれだけ遠い所に居ても、僕たちの心は一つだ」
ジークが手の甲を差し出すと、仲間たちは顔を見合わせて笑い合う。
まず、リリアの手が乗せられた。恋人であり親友である彼女は口元を緩め、
「わたしも天界で仲間を探してみます。天使たちの協力が得られれば心強いですから。
もう二度とジーク一人に無茶はさせません。絶対に、先に行かないでくださいね」
「うん、ありがと。リリア」
リリアに続いて、ルージュの小さな手が乗せられる。
「ま、あたしはお兄ちゃんと離れないけど。ずーっと一緒だからねー。
お兄ちゃんが無茶しないように見張る事にするよ。みんな、まっかせといて!」
「ルージュも大概無茶すると思うんだけど……?」
「むふふ。その時はちゃーんと守ってね。お兄ちゃん♪」
「……仕方ないなぁ、もう」
死んだことになっているルージュだが、ジークの陽力が必要な体質は変わらない。
お互いに無茶を監視しないとなぁと思いつつ、彼女が居て心強く思うのも事実だ。
最愛の妹であり相棒に微笑みを返すと、オズワンの手が乗せられる。
彼は意を決したようにジークを見た。
「よぉジーク。おれは正直、エルダーを助けるのはどうかと思ってる」
「……うん」
「人を傷つけるエルダーは悪だ。姉貴もやられかけた事がある。
おれはあいつ等を許せねぇ。見かけたらぶっ倒すぜ。そこに異論はねぇな?」
「ないよ。僕も同じ気持ちだ。でも、戦いを望まないエルダーが居たら助けたい。
仲間にするのは無理かもしれないけど……せめて、戦わなくて済むようにしたい」
オズワンは頷いた。
「分かった。おれはお前についていく。だが、やるからにゃあ貫き通せ。
中途半端に放り出すなんざ漢じゃねぇ。このクソッタレな世界、変えてやんぞ」
「ん」
反対の手で拳と拳を合わせるジークとオズワン。
例え信念は異なれど、世界を変えるという志に賛同する友が有難かった。
同い年の男の、まっすぐな目に何度も救われている。
「これからもよろしくね、オズ」
「おうよ」
「ーーわたくしも、忘れてもらっては困りますわ」
カレンの手が乗せられた。
「ジーク様、あなた様と過ごしたここ数か月、夢のような時間でした。
人も悪魔も獣人も、平等に扱うその志は、わたくしにとっては眩しい光です。
その輝きが少しでも増すよう、お手伝いをしたい。わたくしの望みは、それだけです」
「……僕も、カレンにはいつも支えられてるよ」
「ありがとうございます。ただ、わたくしたちは故郷で色々ありまして……。
迎えにいらした時にごたごたしているかもしれません。どうかご承知いただきたく」
「ん、分かった。君たちの国で、また会おう」
「はい!」
再会の誓いを交わすレギオンの仲間を、ヤタロウは眩しそうに見つめていた。
自分は、あの中に入る事は許されない身だ。
それでも、彼らの力の一端となれるなら、これほど嬉しい事はーー
「何してるの?」
「え?」
ジークは微笑み、
「君も入りなよ、ヤタロウ」
「え、ですが……拙者は、部下で」
「言ったでしょ。許したって。過去は変えられない。君が犯した事実はそのままだ。
けれど……君のおかげで、オズやカレンと出会えた。それも、事実だから」
「ぁ」
ヤタロウの眦に涙が浮かぶ。
オズが不満げに尻尾を揺らした。
「さっさと入れよバカタロウ。おれたちぁもう仲間だろうがッ」
「あたし腕が疲れてきたんですけどー。ねぇお姉ちゃん、抱っこして?」
「もうルージュ。あとちょっと我慢しましょうね、後でやってあげますから」
ヤタロウがゆっくりと、恐る恐る手を乗せて来る。
オズが尻尾で背中を叩くと、彼は丸眼鏡を直して涙を拭いた。
「は、はは。まさか拙者にこのような時が訪れようとは」
「感傷に浸ってんなよ。さっさと何か言えや」
「そうですなぁ……」
ヤタロウは五人の顔を見渡し、深く頭を下げた。
「拙者の全てを懸けて、あなた方を支えます。存分にお頼りください」
「えぇ、その陰湿で陰険で腹黒い性格最悪なやり口、頼りにしてますわ」
「あのぅ、もうちょっと言い方をどうにかならぬでござるか……?」
一同に再び笑いが起こった。
ジークは「うん」と気を引き締め、
「みんな、ありがとう。これからもよろしく。
冥王を倒して、父さんと決着をつけて、世界を変えるために……迎えを待ってて!」
『おぉ!』
一同の手が高く持ち上げられ、最果ての方舟は決意を新たにする。
彼らの表情に不安はない。恐れもない。
仲間と一緒ならどんなことでも乗り越えられると、彼らは知っているから。
「よーし、今日は宴会だ!」
そうして夜は更けーー
最果ての方舟は、カルナックでの最後の晩餐を楽しむのだった。
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