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ゴッド・スレイヤー  作者: 山夜みい
第二章 紅娘の祈り
143/231

第二十三話 愚者の叛逆

 

 戦闘の最中に起こった一瞬の空隙は、長くは続かなかった。


「カカッ! 兄妹ごっこは終わりかよ、オイ?」


 天上天下唯我独尊。ルプス・トニトルスは空気を読まない。

 想いを拒んでなお、絆を紡ごうとする相手を無造作に引っ掻き回す。


「そろそろ俺様も相手してくれよ。まだ遊ぼうぜ。クソガキ」

「……父さん」

「ま、その様子じゃ長くはもたないだろうけどなぁ?」

「……っ」


 ジークは奥歯を噛みしめる。彼の言う通りだ。

 カリギュラ戦、そして先ほど街全体を守った絶対防御領域が仇になった。

 ジークに陽力はほとんど残っておらず、なけなしの力も冥王を退けるのに使ってしまった。今、ルプスに全力を出されればひとたまりもないだろう。


(使徒化を……いや、やっぱりこの場じゃ無理だ。逃げるしかない、けど)


 あのルプスから背を向けて逃げる? 出来るのか、そんな事が。

 何より、自分たちが逃げて彼が街を破壊しない保証がどこにある。

 腹いせに街を全部壊したとしてもおかしくないのがあの理不尽の塊だろう。


(こうなったら、僕が残って足止めするしかーー)


「……お兄ちゃん」

「ルージュ?」


 ジークは振り返った。

 自分に抱き着く妹の、声音が少しだけ変わっていた。

 よく見れば、ルージュの黒髪には赤いメッシュが入っている。


「……どうしたの?」

「アイツを止める方法が、一つだけあるの」

「それは……」

「本当は分かってるでしょ?」


 咎めるような問いに、ジークは喉を詰まらせる。

 ぐつぐつと煮えたぎるマグマのような衝動が、思い出したようにぶり返す。


 ーードクンッ、ドクンッ、ドクンッ。


「逃げないで。大丈夫。お兄ちゃんたちなら立ち向かえる」

「……そう、だね。そう決めたもんね」


 ジークは何度も頷き、ふぅ、とリリアに向き直る。

 いつあの最強が攻撃を仕掛けてもおかしくない。

 オリヴィアもいつまでカリギュラを抑えられるか分からないし、早くしないと。


「リリア。お願いがある」

「……ジーク?」

「血を、吸わせてほしい」

『……!?』


 仲間たちは愕然と目を見開いた。


「……」


 リリアだけは何かを察したように頷き、肩をはだけさせる。

 微笑みを浮かべた彼女の、信頼の眼差しが突き刺さった。


「はい。どうぞ」

「……ありがと」


 何も聞かずに身を任せてくれる彼女には感謝しかない。

 周りの仲間たちは驚愕しているが、今は説明している時間がないのだ。

 真珠のように艶めく、きめ細やかな肌に、ジークは口を近づけた。


 かぷり、と。


「ん……」


 艶めかしい声が響き、リリアの顔が紅潮する。

 ごくり、ごくりと、甘い果汁のような血が、ジークの喉を伝っていく。


 その瞬間だ。


 ーー……ドクンッ!


「う……!」


 ジークの胸が熱く拍動する。

 早鐘を打つ心臓が魔力を生み出し、彼の中にある闇を引きずり出す。


「ぐ、ぅうう……!」


 頭には二本の角が生え、爪は長く鋭く伸びている。

 まるでルージュの時のように、恐ろしい魔力の波動が地面に亀裂を刻んだ。

 彼女と違うのは、ジークのそれは自分自身の魔力である事ーー


「……へェ」


 様子見していたルプスは口元を吊り上げた。


「悪魔の力か。んで? そいつを使って俺様に勝とうってのか?」


 ジークは口を離し、口元を拭った。


「そうだけど……そうじゃない」

「ぁ?」

「戦うのは僕だけじゃない。みんなで、お前に勝つ」


 ジークは振り返った。

 オズワン、カレン、イズナは困惑したように瞳を揺らしている。


「ジーク、お前、それ」

「ジーク様……?」

「うーん。さすがにこれは予想外だよジっくん……」

「説明している時間はないんだ。オズ、カレン。お願い。僕と一緒に戦ってくれる?」


 悪魔のようになった仲間に対し、オズワンとカレンは顔を見合わせた。

 そしてふっと破顔し、


「当たり前だろうが、バーカ。もっと頼れ。ダチだろ」

「姿形がどうであろうと、ジーク様はジーク様ですわ。そこが変わらないなら」


 共に戦うことに、迷いなどあるはずがない。


「……ありがとう。じゃあ、いくね」


 ぐぉん、とジークの影が四方に伸びた。

 影はオズワンに、カレンに、リリアに繋がる。

 心臓が血液を送り出すように、ぐわん、と影がたわみ、ジークの魔力が流れ込んでいく。


「これは、まさか……!」


 リリアの驚愕に、ジークは頷きを返す。


「アイツと同じ力なのは、癪だけど」

「……! まさか、()()()()()()()()()()()


 ルプスはジークのやっている事をすぐに察したようだ。


 そう、今のジークの力は加護ではない。悪魔の力だ。

 しかし、ただの異能ではない。


 それは元第七死徒オルガ・クウェンが使っていた傲慢の極致。

 冥王の魔力によって目覚める、死徒にしか使えない絶対悪。


「『傲慢』の大罪異能(・・・・)『愚者の叛逆』……! 母親の力を受け継いでやがったか!」

(……っ、やっぱりこれは、母さんの)


 計らずともルプスの言葉で答えを得たジークは複雑な気持ちになった。

 吸血衝動が暴走し始めてから、自分の中に眠る力の萌芽をずっと感じていた。

 だからルージュが悪魔になって吸血鬼としての力に目覚めたように、

 自分にも悪魔としての異能が目覚めているのではないかと思ったのだが……。

 まさかそれが母親のものと同じであろうとは。


「カカッ、()()()()()()。面白くなってきやがった!」


 大罪異能は冥王の魔力によって目覚め、担当する大罪によって目覚める力が異なる。

 オルガ・クウェンもまたセレスと同じ力を持っていたが、ジークの場合は話が別だ。

 ジークはセレスとルプスの魂が交わり、ぶつかり合って出来た存在。

 いわばセレスの魂の一部を受け継いでいると言える。だからこそ、大罪異能は受け継がれた。


 そんな理屈をおぼろげに理解しながら、ジークはルプスを睨みつける。


「この力で、お前を倒す」

「カカッ! 馬鹿が。仲間を操った程度で俺様に勝てると……」

「誰が操るなんて言った?」

「……!」


 ルプスの眼前に、オズワンは飛んでいた。

 思いっきり振り上げた剛腕がルプスを襲う。


「ぶっ飛べオラァッ!」

「ハッ」


 ルプスは鼻で笑った。

 コイツは紛れもない雑魚だ。自分がその気になれば一撃で消し飛ばせる存在だ。

 戦争の時に歯が立たなかったのを忘れたのか。呆れる馬鹿さ加減だ。


「オメェには興味ねぇよ。雑魚」


 だからルプスは、指一本でオズワンを受け止めようとして、

 ぐにゃりと、その指があらぬ方向に折れ曲がった。


「ぁぁ?」


 怪訝に眉を顰めたルプスは瞬時に魔力を込める。

 少し舐めすぎていたか。あの時よりは成長したらしい。

 ならばこちらも、それ相応の力で応えるまでだ……。


 ーーその程度で止められるほど、オズワン・バルボッサの拳は甘くない。


「なッ!?」


 ルプスは驚愕に目を見開く。

 オズワンの拳は止まらず、おのれの腕がボキっと折れたからだ。

 折れた腕はすぐに再生するが、その時には竜人の尾が胸に迫っている。

 直撃。


「どうだオラぁぁあああッ!」

「ぐ……ッ」


 尾に吹き飛ばされたルプスは家屋の屋上に激突する。

 身体に空いた穴を再生。むくりと身体を起こし、今の出来事を反芻した。


(……何が起こってる?)


 いくら力を上げてもあの雑魚にこんな力はないはずだ。

 今の攻撃は、ジークが殴りかかってきたそれに匹敵する……。

 いや、待て。待て待て待て。


「……まさか」

「そのまさかですわ」


 目を見開いたルプスの後ろに、カレンは立っていた。

 高速を超えた音速の拳が繰り出され、


「バルボッサ流拳闘術『龍華・八卦掌』ッ!」

「づぁ……!」


 ルプスの心臓に、大地の杭が突き刺さった。

 拳を打つと同時に大地を操っていたのだ。

 ルージュとリリアの戦闘の最中、力を溜めていたのはイズナだけではない。


 血を吐きながら、ルプスは舌打ちする。

 彼らの足元にはジークの影が繋がっていた。


「あのクソガキ……仲間の力を底上げしてやがるのか……!」


 大罪異能『愚者の叛逆』だ。

 オルガ・クウェンは他者を己の思うままに操る為に使っていたが、ジークは違う。

 自らの力を影を通じて仲間に付与することで、強引に同じステージへ引き上げている。

 身体能力を、陽力を、戦闘センスを、あらゆる力を二倍、三倍に底上げしているのだ。


 他者の意志を無視し、『自分の強さについて来い』という意志の発露。

 おのれの立ち位置に他者をかくあるべしと引き上げる傲慢な押し付け。

 かつての敵の能力に違う解釈を与え、ジークは世界最強へ挑むーー!


「僕だけじゃかなわなくても、みんなと一緒ならーー」

「わたしたちは、負けませんッ!!」

「……!」


 ルプスの頭上から、数十もの氷柱が降ってきた。

 いつもなら動かずに弾ける威力だが、ジークの支援を受けた今では。


「……ッ」


 触れた瞬間に皮が裂けた。

 肉が抉れる前にルプスは(いかずち)を発動させ、全てを蒸発させる。


「クソ」


 かろうじて直撃は免れたがーー。

 あのまま喰らっていたら、身体がミンチになっていただろう。

 ジークが、リリアが、オズワンとカレンの横に並び立つ。


「……カカッ、マジかよ。そんなことをしたらどうなるか、分かってんのか、オメェら」


 ルプスの皮肉げな笑いに、ジークは眉を伏せる。

 ーーこの力には代償がないわけではない。

 器の強度が追いつかない状態で、強引に自分と同じような身体能力を与えればどうなるか。


「……みんな、ごめんね。たぶん、後でめちゃくちゃ痛い思いをする」

「ハッ! 気にすんな」


 オズワンは口元を緩めた。


「ダチ一人戦わせてテメェだけ残されるより、数億倍マシだぜ」

「あなたは本当に極々々々たまに、良いことを言いますね、オズ」

「いや、それは言いすぎだろ……おれだってたまにはよォ……」


 オズワンはげんなりと肩を落とす。

 正直に言えば今もずきずきと拳が痛んでいるが、彼はおくびにも出さない。


(この程度……兄貴がいつも引き受けてる痛みに比べたらッ)


 カレンもまた、おのれの力に意識を張り巡らせる。


(これがいつもジーク様の見ている景色……凄まじいですね)


 だが、魔の力を注がれて精霊たちが怖がっている。

 後で時間をかけてケアをする必要があるだろう。かなり時間がかかりそうだ。


 それでも。


「例え代償があったとしても、わたしたちはッ」


 リリアは冥王に弄ばれた妹を思い、唇を噛んだ。

 今もイズナに抱きかかえられている彼女は傷だらけで、立つ事も出来ない。

 頭がおかしくなりそうな怒りがリリアを支配していた。


「わたしの妹を、乙女の気持ちを弄んだあなたたちをッ、絶対に許さない!」


 錫杖を振り上げ、リリアは叫んだ。


「消えなさい、孤高の暴虐(ベルセルク)!!」」


 錫杖の先から放たれる、白と紅が混じり合った光の奔流。

 キュィイイン、と集中した光は、あらゆるものを凍てつかせる吹雪となる。


「『絶対零度の吹雪アブソリュート・グラキエス』!!」


 ラナに放ったものの数倍の威力。

 余波だけで家屋が凍るほどの砲撃が、今、放たれた。

 とはいえ街を壊さないように手加減した一撃だ。対して、ルプスは。


「『破壊の雷デストルーク・トルメギア』!」


 ルプスは迷うことなく、街を壊滅させる一撃を選んだ。

 山を消し飛ばした天の怒りが炸裂し、一同の視界が真っ白に染まる。


 ーーそれでも。


「『黒の、滅塵(ニル、ヴァーナ)』!」


 カクン、と上空から放たれた雷撃は、突如、その向きを変えた。

 恐ろしい力を反転させたのは、他でもない。


「オメェ、まだそんな力が……!」


 ルプスに向けて手を掲げる、ルージュだ。

 彼女の力は重力を加えるだけではない。重力の操作である。

 本来は下方向に向かうはずの重力を反転させ、上方向に引力を向ける事など容易い。

 イズナに支えられながら、彼女は叫ぶ。


「あたしだって、最果ての方舟(オルトゥス・アーク)の一人なんだから!」


 ーー……ドォオオオオン!!


 ルプスの雷が天井に穴をあけ、

 リリアの砲撃は天を裂く光となって、世界最強に直撃する。


「この、ガキ共…………!」


 両手でリリアの光を受け止めるルプスだが、


「追加だ、これも喰らっとけッ!」


 勝機を見たオズワンが地竜化し、大きく口を開けた。

 その口の中に光が収束し、音速を凌駕した光線がルプスに飛来する。

 さらにカレンが大地の精霊に呼び掛け、ルプスの頭上から槍の雨を降らせた。


「な、にぃ……!」

「まだだッ!」


 続いてルージュが重力を操り、動きを固定。

 戦争の光景を彷彿させる動きに、しかし、ルプスは余裕の笑みだ。

 まだ問題ない。例え力を上げたとしても、この程度なら耐えられるーー。


「大罪異能、解除」


 次の瞬間、ルプスは目を見開いた。

 視線の先、自分に向けて手を掲げるジークの姿を見る。

 リリアやオズワン、カレンの既に放たれた一撃は異能が消えても健在だ。

 カリギュラ戦でジークが見せたように、力を切り替えても放出した力は残る。


 大罪異能で倍以上に力を引き上げたレギオンの一撃に、

 ジークの(いかずち)が加わればどうなるか?


(まずい、今の状態でアイツの攻撃を受けたら……アイツ、陽力が切れたんじゃねぇのか!)


「天威の加護、最大出力……!」


 ルプスの推測通り、ジークの中に陽力は残っていなかった。

 だから先ほどリリアの血を吸った時、陽力を取り込んでいたのだ。

 悪魔の力とリリアの陽力が混ざり合い、バチバチと、白黒の雷が迸る。


 ーー放った。


「『荷電粒子砲・極(アルテマ・レールガン)』ッッ!!」


 リリアの、ルージュの、オズワンの、カレンの、ジークの、

 五色の光が一つとなり、世界最強を完膚なきまでに撃破する!


『ぶっ飛べぇええええええええええええええええええええ!!』

「この、野郎がぁああああああああああああああああああ!」


 レギオンの心が一つとなり、咆哮が天高く響き渡る。

 悲鳴を上げたルプスは光に呑まれ、衝撃の余波で暗雲が掻き消えた。


 ーー……どぅん!


 五百年間、常闇の都を覆い尽くしていた闇は晴れ渡り、

 透き通った満月の光が、都市の頭上に降り注いだ。


「ハァ、ハァ、ぜぇ、ぜぇ……」


 がくり、とジークは膝をついた。

 手を動かすのも億劫なほど身体が重い。足が震えて力が出なかった。

 一方、世界最強にリベンジを喰らわせたオズワンははしゃいでいた。


「なぁ、おい、やったんじゃねぇか、仇、取ったんじゃねぇか!?」

「……いや、残念だけど」


 ジークの言葉に、リリアやカレンも同意する。


「やってはいないでしょうね……寸前で逃げる気配がしました」

「致命傷は負わせたでしょうけど……あの男のことですからね。

 たぶん何十回も殺してようやく魔力が尽きるんだと思います。ですから……」


 オズワンは目つきを鋭くして、


「……まだ生きてるって事か」


 さすがは孤高の暴虐(ベルセルク)といったところか。

 世界最強を自負する実力は伊達ではないらしい。

 とはいえ、撃退できたならまだマシだ。今はとてもではないが、続けて戦える状態ではない。


「く……」


 オズワンは糸が切れたように膝をついた。

 カレンが、リリアが、それぞれ胸を抑え、うめき声をあげる。


「みんな!?」

「す、すいません、ジーク」

「来てしまったみたいですわね。代償が……ちょっときついですわ」

「……クソみたいに身体が痛ぇ」


 とはいえ、耐えられないほどではない。

 今すぐは動けないが、しばらく休めば治るだろう。

 大罪異能を使っている時間が短い事が幸いしたらしい。


「……使いどころは考えなきゃね」


 とりあえず大事はないと分かり、ジークはほっと息をついた。

 どさくさに紛れて色々あったが、話したいことがたくさんある。

 早くみんなで拠点に帰ってゆっくり静養しなければーー。


「ーー……ジークッ!」


 瞬間、オリヴィアの声が鋭く響いた。

 ハッと顔を上げれば、視線の先、オリヴィアが血相を変えている。

 そして彼女が抑えているはずのカリギュラはどこにもーー


【動くなッ!!】


 いや、いた。


「お、お兄ちゃん」

「……ご、めん、ジっくん。油断、した」


 首元に刃を突きつけられているルージュと、地面に倒れこんでいるイズナ。

 ルージュを羽交い絞めしているのは他でもない。

 カリギュラだ。


 ぶわり、とジークの頭が怒りに支配された。


「お前……!」

【一歩でも動けばこの娘を殺す。我輩の力なら可能だと知っているな?】

「……っ」


 ルージュの首筋から血が零れ落ちた。

 じたばたと逃れようとしているが、魔力が上手く練れていない様子だ。

 ジークと同じように、破壊神の権能で魔力を分散させられているのだろう。


(まずい……!)


 恐らくカリギュラは、この時、この瞬間の為に大人しくしていたのだ。

 オリヴィアに睨みつけられて大人しくしていたのも、逃げなかったのも、

 全ては一発逆転を狙うこの時の為で、この瞬間こそが奴の狙った勝機。


 ルプスは「助けに来たわけじゃない」と言っていたが、あの父の事だ。

 彼がやってきたのも、ジークたちに力を使わせるためだった可能性が高い。

 大罪異能を使って疲労困憊になったジークたちでは、彼女を助ける事は不可能ーー。


【さぁ、武器を捨てて投降しろ! 信徒たちよ! 彼らを取り囲め!】

「……!」


 カリギュラが声高く叫ぶと、ぞろぞろと信徒たちが集まり始めた。

 忘れていたわけではないが、ここは悪魔教団の本部だ。

 カリギュラの命令には命を捨ててでも従う者達がごまんといる。

 そんな彼らのただなかで、ジークたちは孤立するしかない筈だった。


 ーーだが。


【……? どうした、貴様ら! 我輩の命令が聞けないのか!?】


 信徒たちは一向に動こうとはしなかった。

 ただカリギュラとジークたちを取り囲んで、じっと事態を見守っている。


【動け! 今が好機だ。そやつらを取り押さえろ!】

「……無理、です」


 信徒の一人が、涙を流しながら膝をついた。

 怪訝に眉を顰めるカリギュラに、彼は懺悔するように言った。


「この街を救ってくれた恩人を捕まえるなんて、無理です……!」

【な……ッ】


 目を見開くカリギュラだが、


「そうだ、あの人は俺たちを救ってくれたんだ」「七聖将だけど、敵だけど」

「命を張って助けてくれた」「恩は返さなきゃ」「捕まえるなんて」

「「「無理だよ」」」

【な、んで、貴様ら、どいつもこいつも我輩を裏切って……!】


 カリギュラが動揺したその瞬間だった。


【が……!】


 ざしゅ、と肉を突き破る音が響き渡った。

 ジークは目を見開く。見慣れた剣の切っ先がカリギュラの胸から突き出ている。


【き、さまは……!】

「ーーようやく、隙を見せてくださいましたな、教祖殿」


 丸眼鏡をはずした着流し姿の武人。

 神官服を脱いだ男はギラリと瞳を煌めかせた。


「この時を待ち望んで幾星霜。拙者の大願、今こそ果たされし時」

「え、なんで」


 ジークは魔剣を握った男の姿に目を見開いた。

 彼は自分を悪魔教団本部に導いた信徒のはずだ。

 異端討滅機構にジークがエルダーを逃がした情報を漏らした敵のはず。


 けれど。


【ヤタロウ・オウカ!! 大司教である貴様が、貴様が我輩を裏切ったのか!

 貴様がこのネズミ共をこの都に導いたというのか!】

「左様」


 ヤタロウはぐり、と刃を回転させた。

 うめき声をあげるカリギュラに対し、彼はやれやれと息を吐く。


「大司教、か。ようやくその肩書から解放されると思うと清々するでござるな……。

 拙者は最初から、お主の味方などではない。拙者が信じる神は、今も昔もただ一柱のみ」

【馬鹿なッ! 教団の幹部は我輩に従うよう薬漬けにしておいたはずだ!

 神の力を使って念入りに洗脳を施して……なのに、なぜ、】

「おや、教祖殿ともあろうお方が、拙者の加護を忘れたでござるか?」


 カリギュラは目を見開いた。


【まさか、最初から……!】


 彼が持つ加護『認知干渉(テラメア)』は、あらゆるものの認知を歪める。

 油断していたとはいえ、ジークにすら有効だった加護だ。

 五百年近く生きたカリギュラに対して効いたとしても不思議ではない。

 薬物による洗脳を潜り抜けたとしても、飄々とした彼ならありえると思ってしまう。


「悪魔教団に故郷を滅ぼされて二十年あまり……。

 ようやく、ようやく同胞たちの無念を晴らす事が出来る。

 この大地に沁みついた悪霊よ、潔く散れぃ! 煉獄の底で亡者に揉まれるがいい!」

【貴様などに、我輩が……!】

「拙者には無理でも、たった一つ、それを可能とする武器がここにある」

「……! なんでお前が」


 ジークの視線の先、アルトノヴァがヤタロウに応えている。

 鍛冶神イリミアスの、ジークによる、ジークの為の、ジークにしか使えない剣が。


(いや、そうか。アルは生きた武器。つまり、意思があるから……!)


 意志があれば認知を歪める事も可能となる。

 今、持っているのがジークではなくヤタロウ・オウカであっても。

 ただの一度であれば、その認知を歪める事も可能ーー!


「吸い尽くせ、英雄の魔剣よ!!」

【ぐぁああああああああああああああああああああああああああ!】


 アルトノヴァが蒼く明滅し、カリギュラの魔力を吸い尽くす。

 ドクン、ドクン、と破壊神の力を制御できなくなるカリギュラ。

 黒い腕がぐにゃぐにゃと暴走を始め、瘴気が漂い始めた時。


「扶桑一刀流『天照開岩(てんしょうかいがん)』」

【が……!】


 ヤタロウの引き抜いた魔剣の切っ先が、カリギュラの腕を切り落とした。

 腕から鮮血を吹きだしながら、それでも未練がましく手を伸ばそうとする教祖。

 対し、ヤタロウが呟いたのはたった一言だ。


「約束は果たしましたぞ。()()()()()()()()()

【本当にやり遂げるとは思わなかったわ、人間】

「「「……!?」」」


 ジークたちはさらに驚愕する。

 ヤタロウの背後から、ぬぅ、と黒い人影が現れたからだ。

 それは、冥王と契約した反逆者にして人類の宿敵ーー


「「「死の神オルクトヴィアス!?」」」」

【久しいわね、運命の子】


 黒一色の透き通った麗人。当たり前だが、神霊体だ。

 冥王にしか従わないはずの神がなぜヤタロウの呼びかけに応えるのか。

 まさか、この場で自分たちを殺すためにーー。


【安心して。今、あなた達と戦うつもりはないわ】

「……!」


 ジーク以外の面々がその言葉を聞いただけで膝をついた。

 彼女の発する圧倒的な神気が、常人に立っている事を許さない。


(なんて、恐ろしい魔力……! これが創造神に叛いた死の神!)

(他の神霊とは次元が違う(・・・・・・)。これで神霊だっつーのか……!?)

(だとすれば、本体は一体どれほどの……!)


 仲間の気持ちを察しながら、ジークはオルクトヴィアスの一挙手一投足を見つめる。

 冥界側の神々の言葉を信じるわけにはいかない。

 この場で何かあれば動けるのは自分だけだ。いざとなればアルトノヴァを取り返して……。


【あぁ、ようやく……また会えたね、ネーファ。愛しいあなた……】


 ジークの予想に反して、オルクトヴィアスは何もしなかった。

 ただヤタロウが斬り飛ばした腕を愛おしそうに抱きしめて、口づけを落とす。

 大事なものを胸に抱きしめ、彼女はうっとりした顔で言った。


【五百年、待った。あの時、あなたの身体を持ち帰った人間は残らず灰にした。

 けれど腕だけが見つからなかった……これもそれも、忌まわしいインクラトゥスのせい】


 でも、とオルクトヴィアスはヤタロウに振り返った。


【よくやったわ。人間。私に取引を持ち掛けてきた時はどうしてくれようかと思ったけど……。その働きに免じて褒美をとらせましょう。冥王と同じように、眷属にしてあげてもいいけど?】


 ヤタロウは跪き、


「過分なお言葉痛み入ります。御身のお言葉は身が打ち震えるほどの喜びです。

 ただ……我が望みは今も昔も一つのみ。これは御身と拙者との、正当な取引なれば」


 これ以上の報酬はいただけませぬ。

 そう言って頭を下げるヤタロウを見下ろし、オルクトヴィアスは【そう】と頷いた。


【分かったわ。私は気分が良い。お前の願いを叶えましょう】

「ハッ」


 オルクトヴィアスの視線の先、怯え竦んだカリギュラがへたり込んでいる。

 腕を失った肩を抑え、カタカタと、歯の根が震え始めた。

「ハ、ハ、ハ、ハ」と荒い呼吸を繰り返すカリギュラだが、身体はもう限界だ。


 しゅわ、しゅわぁ……と、魔力の漏出と共に、顔がしわくちゃになり始めた。


「し、死の神オルクトヴィアス……あの、あの時よりも、さらに……!」

【会った事がある? そう、でも覚えていないわ】


 ゆっくりと近づいていく神霊に対し、カリギュラはじりじりと後ずさって、


「や、やめろ! も、もうすぐ私は死ぬ! 死んで悪魔になるのだ!

 いわばあなたの眷属になるのです! お願いです、どうか、どうか……!」

【残念だけど、取引だから】


 オルクトヴィアスが手を掲げる。

 その瞬間、黒い靄がカリギュラの身体に纏わりついた。

 燃えた物体が灰になるように、足先から徐々に黒い粒子となって行く。


「ぁ、ぁぁあ!」

【死を司る化身、オルクトヴィアスがここに宣言する】


 朗々とした声が響き渡る。


【カリギュラ・ゲルニクス。汝の魂は冥府の虚無と一つになるだろう。

 我が権能を以て、汝に死を許さぬ。汝に安寧を許さぬ。汝に輪廻を許さぬ】

「ひ、い、いやだ、いやだいやだいやだッ!」

【未来永劫、汝の魂は煉獄の怨嗟に囚われる。喜べ】


 オルクトヴィアスの口元が、ニヤァ、と弧を描く。


【それは、貴様が望んだ不老不死だ】

「いやだぁああああああああああああああああああああああ!」


 カリギュラの足が消えた。続いて肘が、続いて腕が。

 もはや胴体だけとなったカリギュラは首だけで移動しようとする。


「たす、助けくれ! 誰か助けてくれ! お願いだ!」


 住民たちは動かない。

 気まずそうな顔、目をそむける者、怒りを浮かべる者、

 さまざまな者達がいるが、誰一人動こうともしなかった。

 顔面が蒼白になったカリギュラは、縋るようにジークを呼ぶ。


「ジーク様、ジーク・トニトルス様!」

「……」


 藁にもすがるような思いで、カリギュラは叫んだ。


「お願いです、助けてください、助けてください! あなた様は英雄なのでしょう!

 私が何をしたというのですか! ただ、世界を変えようと志しただけではないですか!

 何も悪い事はしていない! たくさんの者達を救った。それは変えがたい事実でしょう!?」

「そうだね……悪魔教団として居場所を得た人たちも、確かに居ると思う」

「ならッ!」


 でも、とジークは地面に膝をつき、カリギュラの顔をまっすぐ見つめる。


「お前の世界は間違っていたんだよ」

「ぁ」


 許しはしない。許すはずがない。

 たくさんの妹たちを殺し、たくさんの命を弄んだ人間を。

 彼が多くの者を救ったのは事実なのだろう。だが、それ以上に多くを犠牲にしたのだ。


 ジークは立ち上がり、後ろに下がった。


「さよなら。カリギュラ・ゲルニクス」

「ぁ、ぁ、あぁあああああああああああああああああああああああああ!」


 黒い粒子が溶けて消えーー

 五百年間、世界の裏で暗躍し続けた男は虚無へ堕ちていった。

 そしてーー



【さて、じゃあ取引の対価をもらいましょうか】



 次の瞬間、ヤタロウ・オウカの胸に黒い影が突き立った。




Next→8/8 0:00

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[一言] ヤタロウぉぉおおおお!お前は!なんて!ヤタロウぉぉおおおお! いやー色々凄かったです。特にヤタロウが。まさか裏切っていたとは···。やっぱ意表突くの得意ですねw あと、リリアがジークの吸血即…
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