第十八話 絶対防御の真髄
【なぜだ、なぜ当たらない……!】
カリギュラは悲鳴を上げた。
触れたものを塵と化す竜巻を、都合百発は放っている。
全方位を囲むように工夫もしたし、不意打ちは何度も試した。
それなのに。
「お前、元は研究者だったんでしょ。元七聖将の中でも武闘派ではないよね」
ーー全て避けられている。
既にカリギュラが与えた傷は完治し、ジークの体には傷一つない。
涼しい顔で宙を滑空する彼の瞳はまっすぐにこちらを向いている。
「終末戦争を生き抜いた割には戦闘経験があんまり見られない……。
つまり結構早めに裏切ったんじゃない? そして破壊神の腕を手に入れた」
必中の攻撃も、全力の一撃も、
絶大な破壊神の権能を使っているにも関わらず。
「最初はびっくりしたけど」
目にも止まらない速さでジークは懐に入り込んでいた。
避ける暇もない高速の拳が繰り出される。
ーー直撃。
「お前、弱いよ」
【が……!】
鮮血を迸らせながら、カリギュラは後退する。
もう何度となく脳裏に過った言葉が、再び心に浮かぶ。
(ありえない……!)
ジークが接近戦に強い事は分かり切っていた。
今や世界に名だたる英雄へと成長した彼の戦闘力は察して余りある。
先の戦争で十万体以上の悪魔を葬魂した戦果はさすがのカリギュラも驚愕したものだ。
それでも、破壊神の権能なら勝てると踏んでいた。
なにせ視るだけで対象の陽力を乱し、あらゆるものを分解する絶対の力だ。
終末戦争を生き抜いたカリギュラは破壊神の権能の凄まじさを嫌というほど理解している。
だからこそ分かっていた。
例え接近戦で迫ってきても、この力は触れた瞬間に対象を破壊する事が出来る。
魔剣を持たないジーク・トニトルスなど怖くもなんともないと。
(それなのに、こやつには破壊神の権能が効いて……いや、これはッ)
【貴様、まさか……!】
「正解」
ジークの額には脂汗が浮かんでいた。
ぽたりぽたりと、カリギュラに触れた右手から、鮮血が流れている。
「触れたら壊れるなら、壊れた上で攻撃すればいい。めちゃくちゃ痛いけどね」
正直に言えば痛いなんてものじゃないジークだが、口には出さない。
この体質になったことで得た尋常ならざる再生力も、痛みまでは誤魔化せないのだ。
ジークは右手に意識を集中する。ぎゅおお、と音を立て、拳は再生した。
「痛いのは嫌だから、早めに終わらせるね」
【……ッ!】
鮮血が迸り、紅色の眼光が軌跡を描く。
どれだけ攻撃しようとも全て躱され、カウンターは再生されて意味を為さない。
どんな傷を負おうとも迷わず突っ込んでくる。まるで小さな怪物だ。
(これが、これこそが、ジーク・トニトルスの真価か……!)
舐めていたつもりはない。カリギュラは全力で準備をしていた。
だが、それでも、警戒が足りなかったと言わざるをえないだろう。
「ぉぉおおおおおおおおおおおおおおお!」
矢継ぎ早に繰り出される拳に、カリギュラは声にならない悲鳴を上げた。
雷撃を纏うその拳は、触れた途端に全身を叩き、衝撃を伝わせてくる。
全身の血液がじゅわ!じゅわ!と沸騰し、傷口から雷が飛び出してきた。
【この、業は……!】
これはルプスが使っていた発勁を応用した技術であり、さらに昇華させたものだ。
ジークとて能力に胡坐をかいて修業を怠っていたわけではない。
寝る前も任務の前も、人目を忍んでは修業をしていたのである。
ーーもう二度と、誰も喪わないために。
ーー冥王を倒し、世界を変えるために。
「こんなところで、負けていられないんだよッ!」
例え魔剣がなくとも、使徒化が出来なくとも。
鍛え上げた加護と陽力は、神の力を凌駕する!
「ぶっ飛べッ!」
叫び、大気を踏みしめたジークが飛び出した瞬間だった。
くい、と身体が引っ張られた。目を見開く。動けない。
なぜカリギュラの顔が目の前にある?
【よもや、よもや……これを使わされるとは思わなかった】
思考の余裕はなく、
カリギュラのちぎれた尾が、ジークのみぞおちを貫いた。
「が……ッ!」
頭の中をひっかきまわされるような激痛。
腹を貫いた尾が権能を発動し、一瞬で肉体を分解する。
真っ白になる視界に火花が弾け、思考の全てが痛みに支配された。
【はじ、けろッ!】
「……が、ぁあああっ!」
生存本能に任せたジークの手刀が、カリギュラの尾を断ち切った。
権能の発動は未然に防いだ。と思いたいが、無駄だ。
右の脇腹は見るも無残に抉れ、内臓がまぼろびでている。
「ひゅー……っ、ひゅー……っ」
掠れた呼吸音。失った腹に手を当て、ジークは再生を意識する。
ぎゅぉお、と身体が治っていく様を見つつ、先ほどの現象を思い出す。
(なんだ、今の)
勢いあまって飛び出しすぎた、という事はない。
油断もしていなかったし、間合いを見誤るほど疲れていたわけでもない。
なのに今、カリギュラの方向に引っ張られていた。
「何を、した」
【フ。フフ。我輩が破壊神の権能だけが取り柄だと、本気で思ったのか】
カリギュラ・ネファケレスは陰惨に嗤う。
【言ったはずだ。我らは光の巫女に見初められた選ばれし者なのだと!】
「……そうか、元々持っていた能力かっ」
破壊神の力を手に入れる前、まともな人間だったころの話か。
その頃から超人的な力を持っていたとしたら、それが使えるのも頷ける。
いや、だとすれば。
(あいつが七聖将だった神の加護……まだ使えるのかな。いや、使えると見るべきか)
ジークがそんな思考をしたのと同時に。
【断罪者の剣】
「……っ」
またも身体が引っ張られ、光の剣が肩を抉り取った。
すんでのところで直撃は免れたが、光の剣は傷口を焼いて再生を遅らせてくる。
(僕がヒュドラにしたのと同じことを……!)
ジークは唇を噛み締めた。
【先ほどは何と言ったか……我輩が弱いと? 言葉を返そう、ジーク・トニトルス】
光と闇。
相反する力を手にしたカリギュラ・ゲルニクスは凄惨に嗤う。
【貴様の方が弱いぞ】
それは人でありながら神の力を取り込みし反逆者にして革命者。
それは己の欲望を押し付ける偽英雄であり、絶対の扇動者である。
悪魔教団教祖。カリギュラ・ゲルニクス・ネファケレス。
元七聖将であり悪魔教団教祖であり超能力者。
その秘めた力は肩書きと同じくーー三つある。
◆
「ハァ、ハァ、ハァ……!」
宙を飛び交うジークを相手に破壊の嵐が繰り出される。
先ほどまで余裕で回避していたのに、不可視の引力が邪魔をしていた。
「この……ッ」
右に避けたと思えば左に引っ張られ、上に逃げようとすれば下に足を引っ張られる。
どこまでも追いついてくる不可視の引力に、ジークは苛立ちを隠せない。
どれもこれもいやらしいタイミングだ。見計らっているのだろう。
右腕がちぎれ飛んだ。
叫びたくなるほどの痛みを堪え、肩口から鮮血の雨が地上へ降り注ぐ。
すぐさま再生。
直後に襲ってきた破壊の竜巻を避けてから、カリギュラを睨みつけた。
「はぁ、はぁ、三つも力があるなんて……反則じゃないの?」
【……貴様と戦った者達は……貴様が、それを言うなと……声を揃えて言うだろうよ】
「……ちぇ」
ジークは舌打ちしつつ、観察を怠らない。
(勝機がないわけじゃないんだよね……)
カリギュラ・ゲルニクス・ネファケレス。
破壊神、超能力、加護、三つの力を合わせた彼は確かに脅威だ。
しかし、今も鼻血を流していることから、きっと無限に使えるわけではない。
だからこそ二つ目と三つ目を同時に見せてまで勝負を急いでいるのだろう。
(そもそも神の腕を人間に移植するってこと自体が、相当無茶なはずだ)
どれだけ特別な人間であろうと、人間は人間である。
七聖将だったとしても根本的に神とは身体の造りが違う。
だから恐らく、このまま戦い続ければカリギュラは倒れるはずだ……。
(でもそれは、僕も同じ)
人を逸脱した英雄であるジークでも、陽力が無限にあるわけではない。
慣れない欠損部位の再生には相当な力を使うし、精神力だって摩耗する。
このまま戦ってカリギュラよりも長く生き残る自信は、正直言ってなかった。
【無駄な思考はまとまったか?】
カリギュラは手を掲げた。
【引力】
「また……ッ」
不可視の引力がジークの身体を後ろへ引っ張った。
振り向けば、光の網を張り巡らせた罠が見える。
【光叉・微塵嵐】
「……っ」
(あれは、やばい……!)
さすがに身体を粉みじんにされて生きて居られる保証はない。
ジークは咄嗟に雷で網の目に穴を作り、何とか危機を脱した。
ほぼ無傷で切り抜けたジークにカリギュラは舌打ちする。
【しぶとい奴め。さっさと沈めばよいものを】
「……しぶとさには定評があるんだ。残念だったね」
(やっぱり勝負を焦ってる……そりゃそうだ。アイツも相当辛いはず)
とはいえ、共倒れになったとしたらジークの負けだ。
あちらは独りのように見えるが、実際には悪魔教団の信徒たちが控えている。
敵陣地の中で一人きり。
完全にアウェイの中、疲労困憊で脱出するのは困難。
(考えろ、考え続けろ。接近戦は不利。攻撃を当ててもこっちの傷が増える)
何より痛い。痛すぎる。
骨が折れるくらいなら耐えられるが、手がミンチのように潰れるのは無理だ。
あそこまで痛いと、痛みで判断力が鈍ってしまい、逆に攻撃を喰らってしまう。
少し無茶をした。と反省しつつ、ジークは攻撃手段を模索する。
(引力を絶対防御領域で防ぐのは……無理か。神もエーテルも関係ない力だし)
では光の力の方はどうか。
これは恐らく太陽神ソルレシアの力だろう。
存命中の神だから防御は可能だが……。
第二の力を使った途端、ジークは空を飛んでいられなくなる。
瞬時に切り替えたとしても、空中で不安定な体勢になるのは一瞬であっても避けたい。何より、雷の力を失えば今も押し寄せてくる信徒たちを止めていられなくなる。
【無駄、無駄ッ! そろそろ諦めたらどうだ!?】
「うるさいッ」
カリギュラは高らかに笑いながら攻撃を仕掛けてくる。
【ご自慢の雷も、絶対防御の力も! 我輩には通じぬ!
絶対防御とはよく言ったものよ、能力を消す事しか出来ないくだらない力だ!
その力も、我が輩のような選ばれし者には通じないのだよ!】
「ムカつく……確かに通じてないけど、そこまで言われる覚え、は……」
喋りながら、ジークの脳裏に電撃が走った。
(待って。能力を消す、確かにそうだ。でも、本当にそれだけなの?)
神の力を否定する。それ自体はすさまじい力だと思う。
だが、あの創造神ゼレオティールが、たったそれだけの力を渡すだろうか?
(僕は能力を消す事に重きを置いて使ってた……でも、そうじゃないとしたら?)
第二の力が目覚めたのは冥王メネスと戦っている最中の事だった。
あの時は死の神オルクトヴィアスの力を否定しなければ、一瞬で殺されていた。
だからこそあの力を否定する必要があって、ジークはそのために力を行使した。
でも、本当はそうじゃないとしたら?
あの力は能力を消すだけじゃなくーー他の事にも使えるとしたら。
最初に覚えた使い方は、使い方の一つであって、本来の使い方じゃないとしたら。
試す価値はーーある。
「このままじゃラチが開かない……なら、一かバチか!」
【何を……!】
ジークは宙を蹴り、天井に向かって飛んだ。
ぐんぐんと迫る常闇の都の天井。高さ数百メートルはある空間だ。
カリギュラを振り切るには、高さが足りなさすぎる。
【馬鹿が】
哄笑が、真下から響き渡る。
【怖気づいたか。逃げようとしても無駄だ! この都のどこにも逃げ場は】
「誰が逃げるって?」
ジークは振り返った。
眼下、数百メートル下に都市が豆粒のように光っている。
その半ばに居るカリギュラに向けて、ジークは笑って見せた。
「逆だよ。この一撃で、全てを終わらせてやる」
言うや否や、ジークは雷の速度で空を走り、直後、加護を消した。
高度数百メートルから落ちる身体が、重力による加速を得る。
だが、宙で身動きのとれないジークは格好の的だ。
【何をするつもりかは知らないが……!】
ジークの能力は全て研究している。
雷が来ないなら宙で自在に動くことは出来まい。
今のうちに破壊神の権能を使って殺してしまえば、後の事はどうとでもなる。
殺した後にどうなるかは分からないが……エルダーになれば冥王に操ってもらえばいい。
(私の道具になるがいい。ジーク・トニトルス!)
【この私の、全力を以て、英雄を堕とす】
カリギュラは破壊神の力に全ての魔力を回した。
この一撃で勝負が決まると、本能的に理解したのだ。
【『森羅万象の崩壊』!】
終焉が走る。
まるでドラゴンの咆哮のように、カリギュラの手から紫の光が走った。
光に触れた大気は消滅し、ぽっかり空いた穴を埋めるようにカマイタチが起こる。
極限まで威力を高めた攻撃を、ジークは避ける事が出来ない。
勝利を確信したカリギュラが口元を歪めたその時だった。
「天威の加護、駆動……絶対防御領域・展開!!」
【は?】
光を裂いて、ジークが落ちて来る。
破壊の嵐に触れているはずなのに、その肌には傷一つない。
光に触れた大気がカマイタチを起こしているにも関わず、だ。
【なんだ、それは!?】
透き通った光の膜が、ジークの全身を覆っている。
カリギュラの権能は膜に触れた途端に弾かれ、ジークの左右に逸れていく。
まっすぐに落下しながら、ジークは無意識のうちに口元を吊り上げていた。
(土壇場だけど……なんとか、形に出来た……!)
天威の加護第二の力、絶対防御領域。
今までは相手に能力を発動させず、力を封じるという使い方をしていたが、
この窮地にあって、ジークは本来の使い方を覚えていた。
(この加護の本質は『力の拒絶』……! 今までは相手の先手を封じていたけれど)
相手に技を発動させないだけがこの力の使い方ではない。
むしろ、一度放たれた技を結界で守る事こそ、本来の使い方と言えるだろう。
だからこその絶対防御領域。あらゆる力は、この加護の前では無意味と化す。
ーーただ、代償がないわけでもない。
ジークの額にはじわりと脂汗が浮かんでいた。
(この使い方、めちゃくちゃ疲れる……あと陽力消費が半端じゃない!)
全身に鎖を巻きつけられているようだ。
身体が殆ど動かせず、神経を張り巡らせていなければ結界が解けてしまうだろう。
この状態で剣を振る事など無理だ。正真正銘、防御にのみ特化した加護。
だが、落下中の今なら姿勢を変える事は可能だ。
ジークは足先をカリギュラに向ける。
最初に雷の速さで加速した身体は重力の力を得てさらに速度を上げ、
隕石じみた速度で落ちるジークの足が赤く光り始めた。
【ふざ、けるなッ! 我輩がこんなところで負けるはずがない!
貴様のような若造に! 我輩の大願を邪魔されるなど、そんな運命認めんぞ!】
「僕の負けが運命だって言うならっ」
ぐんぐんと、破壊の光を裂いてカリギュラへ近づいていきーー
「そんな運命、ぶっ壊してやる!」
一点突破。
「『星砕・流天』!」
【ぐぁあああああああああああああああああああああああ!!】
隕石よりも凶悪な一撃を受けたカリギュラは宙を落下し、地面に直撃。
どぅっ、大地がたわみ、地震のような震動が街全体を襲った。




