第十六話 英雄の答え
「あれが半魔から悪魔になった特異個体、ルージュですか。
いやはや、この目で見るのは初めてですが。なんと可愛らしいことでしょう」
悪魔教団の教祖は微笑ましそうに言った。
整った顔立ちでありながら、その物言いは老成した老人のようでもあった。
ジークは目を細めて、
「カリギュラ……だったよね。お前も、あの計画に加担していたの?」
「えぇ。もちろん。人造悪魔創造計画が実現すれば、世界が変わっていましたから。
最も、主導していたのは我らではなく元老院の一人なのですがね」
人造悪魔創造計画はルージュが生み出される原因となった計画だ。
サンテレーゼで多くの妹たちが命をもてあそばれていた事は記憶に新しい。
こともなげに参加していたと言っただけで、彼への心証は一気に悪くなった。
「歩きながら話しましょうか。あなたには我らの事をもっと知っていただきたい」
「ヤタロウから話は聞いているよ。人を悪魔に進化させる……それが目的なんでしょ」
「それもありますが、それだけではありません。私は世界を変えたいのです」
世界を変える、という言葉にジークはピクリと眉を動かした。
自分と同じ目的だ。
そんなジークの反応を満足そうに見ながら、カリギュラは続ける。
「今の世界はあまりに理不尽だと思いませんか、ジーク・トニトルス殿」
「……」
「望んで悪魔になったわけでもないのに、エルダーになれば人類は見る目を変えて殺しにかかってくる。暗黒大陸へ行こうにも、各大陸から暗黒大陸へはあまりに遠い。これまで何人ものエルダーたちが道半ばに倒れていきました」
「それは、オルクトヴィアスが死の理を歪めたから……」
「いいえ。歪んでいるのは死の理ではありません。
世界の変化を受け入れない、人の理こそが歪んでいるのです」
塔の二階は神官たちが仕事をしている事務所のようだった。
三階は枢機卿と言われる者達の寝所で、四階は赤いネオンが輝く妖しい空間だ。
そこを歩きながら、悪魔教団教祖カリギュラ・ゲルニクスは理想を語る。
「人々が悪魔を受け入れれば、世界は変わります。そもそも悪魔になって何が悪いのですか? 確かに自我を失ってしまう者が居るのは否めません。ですが、彼らは獣となる事でおのれの本能を受け入れ、魂を昇華させたのです。そうは思いませんか」
「……」
「つまり悪魔の存在自体が悪ではない。
自我を喪った悪魔が人を襲う行為が悪と呼ばれている。そうでしょう?」
「そうかもしれない。でも、出来ないことを語っても世界は変わらないよ」
「出来るとしたら?」
カリギュラの自信ありげな言葉に、ジークは目を見開いた。
同時、四階の明かりが蒼く切り替わり、左右に広がる牢屋が現れた。
その中にはーー
「--」
さまざまな容姿を持つ男女がいた。
角が生えた者、大鬼のようになった者、人魚のような尾ひれがついたもの。
異形となった彼らは布切れ一枚のあられもない姿で混じり合っている。
彼らの瞳には理性の光があった。欲望に忠実に生きる、邪な理性が。
「彼らは元々、自我を喪っていた悪魔です」
「……は?」
ジークは目を見開いた。
もう一度彼らを見る。確かに、自我を喪っているようには思えない。
むしろこちらを見てクスクスと笑いながら、誘うように手で招いている。
(本当に、自我を……?)
カリギュラの言葉が本当なら、世界を変える大発明だ。
エルダーとは違う下級の悪魔が危険視されるのは、無条件に人を襲うがゆえ。
そのことが改善されるとしたら悪魔排斥の風潮への切り口になりうる。
そこまで上手く行かずとも……。
無条件に殺すべきという意見は少なくなるかもしれない。
「まぁ薬の副作用で少々本能が強くなってしまっているようですが。
代償としては軽すぎる……そうは思いませんか?」
「どうやって自我を……今まで誰も自我を取り戻した事なんて」
「いいえ。一人だけ居ますよ。あなたの身近にいる」
ジークは固まった。
「……まさか、ルージュ?」
「そう。あなたの奇跡のような業のお陰で、私たちは新たな可能性を発見出来た。礼を言っても言い足りませんよ。あなたはまさに、運命を切り開く混沌の申し子だ」
カリギュラは上機嫌に笑う。
二人はそうして会話を重ねながら、塔の最上階へ赴いた。
最上階はステンドガラスが目立つ明るい空間だった。
普段は教祖が一人で祈りを行う、神聖な場所なのだと言う。
「ここまで話した通り、私の理想は、悪魔が悪魔と呼ばれる日が来なくなる世界です」
「……」
「誰もが死を恐れず、むしろ二度目の生を謳歌出来る世界。
異形の姿を持ちながら人の心を忘れず、誰もが人を超越した力を持つ。
友と語らい、恋人と愛を囁き、家族と戯れる。争いも差別もなければ排斥もない。
誰もが平等で自分らしく生きられる……そんな普通の世界に、私は変えたい」
そのために、
「あなたの力を貸してくれませんか、ジーク・トニトルス。我らの英雄よ」
カリギュラが手を差し出してきた。
「あなたの力があれば変えられる。私とあなた、闇と光が力を合わせれば容易い。
異端討滅機構はあなたにとって狭すぎるでしょう。おいでなさい。我らの元に」
共にエルダーを、獣人を、虐げられた全てを救いましょう。
そう言ったカリギュラの手を、ジークはじっと見つめる……。
◆
同時刻。
ーー中央大陸西部『聖なる地』カルナック。
ーー異端討滅機構本部。謁見の間。
「あの裏切り者が逃げたってどういうことですか!?」
ごうッ、と口から炎を吐き出す女の怒声が響き渡る。
全身に怒りの炎を纏う女は、ギロッと後ろを振り返った。
「そう、つまりまんまとしてやられたってわけね……。
アンタたちは囮で! 全部アイツを逃がすための芝居って事でしょう!?」
一歩、足を踏み出すラナ・ヘイルダム。
全力の戦闘態勢を整える女を前に、リリアたちは武器を構えた。
しかし、彼女らの前に立ちふさがった男が一人。
「落ち着け、ラナ」
眼鏡をクイ、と上げた男に、ラナは吐き捨てた。
「落ち着く? あんた、このワタシに落ち着けって言ったのアレク?
七聖将になったアイツが! よりにもよってエルダーを逃がして裏切ったのよ!
どうして落ち着いてられるの。退きなさい。せめてコイツらを燃やさないとーー!」
全身から炎を吹きだしたラナ。
その瞬間、いくつもの刃がラナの首筋に突きつけられた。
「アンタら……」
刃を、銃口を持っているのは四人の七聖将だ。
冷たくラナを見据える彼らの口から、凍えるような声が響く。
「ちっとは頭冷やせっつーの、馬鹿が。そいつらは無関係だ」
「そうだよラナちゃん~。さすがにそれはやりすぎぃ~」
「ヤるなら後であたいが相手してやっからよ。何ならベッドの上でもいいぜ?」
「姫様の御前だ。跪き頭を垂れ崇めたてろ」
ギリッ、とラナは奥歯を噛みしめた。
「シェン、トリス。元はいえばアンタらがまんまと逃がすから……!」
シェンとトリスは顔を見合わせ、肩を竦めた。
「いや、あれはしゃーねーだろ」
「だよねぇ~。あれは止めようがないよ~」
「どいつもこいつも……!」
さらに怒りを滾らせるラナだが、さすがに四対一は厳しいと思ったらしい。
フン、と鼻を鳴らして炎を収め、聖杖機をしまった彼女は玉座に向き直る。
視線の先に居るのは、じっと様子を見守っていたルナマリアだ。
「それで、どういう状況? アイツを連れて逃げたクズは誰なの?」
「ようやく落ち着いたか……だから言っておろう。
悪魔教団じゃよ。ジークが逃げた場所に奴らの紋章が刻まれておったからな」
ラナは目を見開き。
「……あのドブカスの中に沸く蛆虫みたいなアイツらが……虚仮にしてくれるわね。
それについていくあの男も同類かしら。蛆虫以下の裏切り野郎」
「お言葉ですが」
リリアがムッとして、
「エルダーを逃がした事はともかく……。
ジークがなぜ悪魔教団について行ったのかまだ分かっていません。
軽々な発言は慎んでください。ねじくれた頭の悪さが滲み出ていますよ、ラナ様」
「なんですって……?」
「気が立っているのは分かるが、挑発するのはやめい、リリア殿」
「ルナマリア様……ですが」
白髪の幼女はため息を吐いて、
「残念ながら、ジークがエルダーを逃がしたことは事実なのじゃ。
そこに悪魔教団の紋章など現れてみい。誰であっても裏切りを疑うじゃろう」
「……っ、確かに、そうですが」
口惜しそうに唇を震わせたリリアの肩に、オズワンやカレンが手を置く。
ゆるゆると首を振る彼らの表情はここでの発言が無駄だと言っていた。
力なく肩を落とすリリアを横目に、シェンが発言する。
「……で、どうなんだ実際。アイツは向こうについたのか?」
「分からんが、そうなってもおかしくない材料は揃っているじゃろう……。
放置してはおけん。既にアイリスの部隊が各地の悪魔教団支部に向かっておる」
「!?」
ルナマリアがにやりと笑ってリリアを見た。
まさか、彼女はこの事態を予見していたというのか。
「ふふん。伊達に『神の巫女』と呼ばれているわけでもないのじゃよ」
「なんで支部の場所が……奴らの居場所を掴めてない筈じゃないの?」
なにせ五百年間も彼らのテロ活動を阻止できなかった異端討滅機構だ。
訝しげなラナの言葉に、ルナマリアは肩を竦めた。
「悪魔教団にスパイがおってな。リリア殿、お主らにもすぐに向かってもらいたい」
「……分かりました。すぐに行きますッ」
「行っても無駄かもしれないわよ」
嘲笑うようなラナの声が響いた。
「エルダーを逃がすような奴だもの。とっくに悪魔教団になってるかもね……?」
◆
「……あなたがなんで僕を此処へ招いたのかは、分かった」
差し伸べられた手を見つめながら、ジークはそっと息を吐く。
「……具体的に、どう変えるつもり?」
「まずは人類に敗北を。偏見に満ちたこの世界を変えるには圧倒的な力が必要だ。
冥王閣下に協力し、人類を殲滅。しかる後に全人類を悪魔にするのが手っ取り早い」
「……その全員がエルダーになるわけじゃないだろ。
半分以上は自我を失うかもしれない……それでも、自我を取り戻せると?」
「そのために五百年間、準備をしてきました」
自信ありげな言葉に、ジークはさらに言葉を重ねる。
「一気に全部変えたら、すごい混乱が起きるよ。
君たちにそこまでの混乱を収める力があるとは思えないけれど」
「心配無用です。我らになくとも、闇の神々の力があれば可能でしょう。
全てを終えた後は異端討滅機構の代わりとなる超人類統治機構を設置し、
地域別に悪魔を管理します。そこで我ら悪魔教団が住民たちの自我を取り戻し、
人類の営みを送らせるための仕事を割り振る。しかしそれも一時的なことです。
数十年もあれば安定するでしょうから、その後の事は各々に生き方を任せればいい」
異端討滅機構を滅ぼし、人類を次の高みに至らせる。
それが、それこそが、ジークが理想を叶える唯一の手段なのだと。
「私たちの元へ来れば、あなたの望む全てが手に入ります」
金も、
女も、
権力も、
「あなたの胸先三寸で世界が動く。これほどワクワクすることはないと思いませんか。
あなたの志は素晴らしいですが、今のまま進めば待っているのは破滅だけです。
こちらに来れば具体的な戦略を与えてあげられる。友と、恋人と一緒に生きられる」
あなたの妹も。とカリギュラは言った。
世界中から拒絶される妹に、居場所を与えられるのだと。
その甘美なるささやきは、ジークの産毛を総毛立たせた。
そして、
「さぁこの手を取りなさい。そして共に世界を変えようではありませんか。
誰に蔑まれる事もない、苦しみも、痛みも悲しみもない、穏やかで優しい世界に」
「…………そう、だね」
ジークはゆっくりと頷き、手を伸ばした。
ニィ、とカリギュラの口元が三日月に弧を描く。
何体もの神霊を屠り、冥王と刃を交わした伝説の英雄はーー
悪魔教団教祖の手を、しっかりと握りしめた。
「……素晴らしい決断です。今、世界の運命は大きく変わりましたよ」
感激したように、カリギュラは言う。
ジークは応えた。
「一緒に世界を変える……そうでしょ」
「えぇ、その通りです」
「うん。良かった。君も僕と同じだ。じゃあ」
ジークは微笑みを浮かべ、
「世界のために死んでくれるかな?」
「は?」
その瞬間、カリギュラの視界は逆転した。
天井が見える。目まぐるしく動く景色、風を切る音。
ステンドグラスに衝突するその前に、カリギュラは宙を回転し、受け身を取った。
「……っ」
ずざぁ……と足を地面にこすり付ける。
着地した視線の先、自分を投げ飛ばしたジークの姿があった。
「これは……どういうことでしょうか?」
ジークは視線を鋭くする。
(手加減したつもりはないんだけどな……)
簡単に受け身をとられたのは不覚だ。
やはり只者ではない……とジークは認識を新たにする。
「どうって、見ての通りだけど」
「あなたは私の手を取ったのでは?」
「うん。油断してくれるかなと思って」
しれっと言ったジークに、カリギュラは奥歯を噛みしめた。
「私の世界に共感し、理解してくれたのではなかったのですか」
「理解はした。素晴らしいと思う。僕が理想とする理不尽がない世界だ」
「だったら……!」
「でも共感はしない。だってさ」
ジークは乾いた笑みを浮かべ、
「君が目指す世界、気持ち悪いんだもん」
「は?」
「争いもない、差別もない……そうやって上っ面を綺麗な言葉で塗り固めてもさ。
ようは異端討滅機構が人類を管理している状況が気に入らないだけでしょ?
超人類統治機構って……笑わせてくれるよね。彼らに成り代わりたいだけじゃん。
人類を管理する代わりに悪魔を管理するだけ。やってること同じだし」
「愚かな。私は本気で、争いのない世界をっ!」
「だからさ。それが気持ち悪いんだって」
ジークはため息を吐いた。
見る者全てを凍えさせるような、紅色の眼光が煌めく。
「差別のない世界? 争いのない世界? 痛みも悲しみもない?
無理に決まってるだろ。人が人である限り、争いも差別も、絶対に無くならない」
エル=セレスタで蔑まれていた獣人たちを思い出す。
彼らは人を襲うわけじゃないのに蔑まれ、忌み嫌われていた。
ーー彼らが人類に何かをしただろうか?
否だ。
リエッタ村で静かに隠れていたエルダーたちを思い出す。
彼らは人と敵対する存在であることに苦しみながら、必死に生きていた。
ーー彼らが人類に牙を剥いただろうか?
否だ。
ーー半魔として生きてきた自分が、人類に何かしただろうか?
断じて、否だ。
「人は違うものを差別する生き物だ。良いか悪いかじゃなく、そういう風に出来ている。全人類がエルダーになったとしても、その中で序列が生まれ、誰かが差別される」
人が人の心を持つ限り、本質は変わらない。
姿形がどうであろうと、超常的な力を持っていようとも。
人も悪魔も等しく命であり、その魂の本質は人なのだ。
「僕らがすべきことは差別をなくすことじゃない。例え差別が生まれても、
差別を受けた人がその人らしく生きられる。誰かが隣に寄り添ってあげられる。
孤独に負けず自分を認めてあげられる。偏見と迫害に負けない世界を作るべきだ」
半魔として生きてきたジークが、テレサやリリアとの出会いで変わったように。
絶対になくならない事をなくす努力よりも、環境を作る事に心血を注ぐべきなのだ。
一人じゃ耐えられないけれど、傍に誰かが居てくれれば耐えられる。
これまでの人生の中で、自分はそういう風に教わったから。
「君の目指す世界は綺麗すぎるんだよ。夢物語はよそでやってくれるかな」
「綺麗ごとを目指して何が悪いっ、理想を目指して何が悪いと言うのです!」
「悪いとは言わない。でも、僕とは相容れない」
「……っ」
口惜しそうに顔を歪めたカリギュラだが、
「あなたは、自分の体質の事を分かっているのですか……?」
直後、その口元に嫌らしい笑みが浮かぶ。
ぴくりとジークが肩を揺らしたのを見て、彼の予感は確信となった。
「あなたは人でもなければ悪魔でもない。
しかしその在り方は、悪魔そのものだ。人の血を求めずにはいられない」
「……」
ジークの目が細まっていく。
(やはりそうだ……彼はまだ、人を捨てきれてはいない!)
カリギュラは歓喜に打ち震えた。
悪魔教団教祖として、ジーク・トニトルスの事はずっと目を付けていた。
忌まわしきセレスが死に、ルプスが悪魔になったことでようやく手を付けられるようになった。
そのためにヤタロウ・オウカを通じて悪魔教団に来るように仕向けたのだ。
その利用価値も日増しに大きくなり、ついには世界が無視できないまでになった。
その巨大な力が自分の手に入る……そう思うだけで口元がにやけて来る。
「あなたは恋人に罪悪感を作らせないために此処に来た。そうでしょう?」
ジークの吸血衝動を抑えるための薬は悪魔教団にしかない。
大方、その製法を知るために此処に来たのだろうが、
「お生憎ですね。あの薬の製法は私しか知りません」
「……そうなんだ」
なにしろ、人造悪魔創造計画の過程で生まれた特殊な薬だ。
その数は限られているし、今後二度と作ることは出来ない。
こちらの手を拒絶すれば彼は吸血衝動に苦しみ、大切な人を傷つける事になる。
「あなたには私たちが必要のはずだ。今すぐ撤回なさい。今ならまだ、」
「もういいいんだ」
間に合うのだと、喉まで出かかった言葉は形ならず消えた。
「……………………………………は?」
カリギュラは驚愕に目を見開いた。
ーージーク・トニトルスにとって身近な人間は誰よりも大切なはずだ。
ルージュ、カレン、オズワン、何よりも恋人関係にあるというリリア・ローリンズ。
彼女を蘇らせるため、自らを省みず冥界に行ったことは忘れもしない。
恋人に罪悪感を背負わせる。
それ防ぐためだけにこんなところまで来たのが彼という人間を示している。
そんな彼の性質を利用し、自分たちの側に引き込む……筈だったのに。
「今、なんと」
「だから、もういいんだ」
ジークは微笑みすら浮かべてそう言った。
カリギュラは歯ぎしりして、
「こ、恋人に一生消えぬ苦しみを背負わせて、それでいいと言うのですか!」
「うん」
「……な、ぁ」
ジークはあっさりと肯定した。
絶句するカリギュラの前で、彼は胸に手を当てる。
「最近さ。ずぅっと考えてた。僕にとっての英雄って何なのか。人間って何なのか。
人も悪魔も変わらない。等しく命だ。なら人と悪魔を分けるものってなんだろう?」
生まれ、姿形、能力、環境、属する集団、
元は人である悪魔と純粋な人である人類。
そのどちらでもあり、どちらでもない自分は。
兵器であり半魔でもあり、人でもある自分がこの体質になった意味とは。
考えて、考え抜いて、分からなかった。
「分からなかったから、自分で決める事にした」
「なに、を」
「人と悪魔の間に、違いなんてない」
「は? どこをどう見ても違うでしょう!?」
「他人から見たらそうでも、僕から見たら同じなんだ。それでいいと決めた」
傲然と、ジークはそう言い放つ。
誰に何を言われても揺るがない、絶対の確信がそこにあった。
ギリッ、とカリギュラは歯ぎしりして、
「傲慢すぎる。他者の認識を意に介さず、自分の意志を押し付けるなど!」
「押し付けてはいない。ただ、僕は僕のやりたいようにやる。
例え世界がエルダーを拒んでも、僕だけは手を差し伸べてやる。
それが、それこそが、誰の意志も関係ない、僕が望む英雄の在り方だから」
それが、ジーク・トニトルスの答えだから。
もはや揺るがない英雄に対し、カリギュラは苦し紛れに叫んだ。
「ならっ! あなたは! 自分が良ければ恋人が苦しんでもいいと言うのですか!?」
「うん。リリアには、一緒に苦しんでもらう」
「……!」
先ほどまで暗かったジークの顔は吹っ切れていた。
憑き物が落ちたような爽やかな笑みを浮かべ、彼は言う。
「リリアを助けるためにこうなったなら、もういい。
しょうがないじゃん。あの時、他にどうする事も出来なかったんだから。
それよりも今、彼女と一緒に居られることを喜ぶべきなんだ。感謝すべきなんだ」
きっとリリアなら受け入れてくれることは分かっていた。
受け入れられなかったのは自分だ。自分の意思だけが問題だった。
例え血を欲するとしても、彼女の恋人である資格があるのかと。
ちっぽけな男の意地を張って、悩んで、足掻いて、そして決めた。
「もしもリリアが罪悪感に苦しむなら、僕も一緒に守れなかったことを苦しむ。
もしも彼女が俯いてしまうなら、大丈夫だよって肩を叩いてあげる。
例え血を吸う事が必要になったとしても……僕たちの絆は壊れたりなんてしない」
「人との絆など、あやふやなものです。すぐに壊れるに決まっている!」
「いっぱい謝る。相談しなかったこと、何も話さなかったこと、
ちっぽけな意地を張って心配かけたこと、全部謝る。謝って、仲直りする」
「だから、謝って済む話では……!」
「済むんだよ。彼女だけは、この世の誰よりも信じられる」
呟き、ジークは戦意を高めた。
「悪魔教団。人を人とも思わないお前たちを、僕は許さない」
ひゅっと息を呑み、カリギュラは目を見開いた。
「まさか。元よりこのつもりで……!」
「うん。そうだよ。最初から潰すつもりだった」
元より、人造悪魔創造計画に携わった彼らをジークが許すはずもない。
たくさんの妹たちが殺された。たくさんの人々が運命を狂わされたのだ。
ヤタロウ・オウカに招待されたあの時から、ジークはこうするつもりだった。
「私たちは罪のないエルダーを救済し、導いている。
あなたは彼らの唯一の居場所まで奪おうと、そう言うつもりなのですか!
先ほどエルダーに手を差し伸べるといったいのは嘘ですか!?」
「嘘じゃない。僕はどうにかして彼らを救いたいと思っている。
葬魂せずに済む方法を探したいし、彼らの居場所は探してやりたい」
「だったら……」
「でも、お前は別だ」
ーー……ゾクッ!
カリギュラの背筋に悪寒が走った。
容赦のない殺気。それは彼がこちらを敵と見定めた何よりの証拠だ。
「くだらない計画の為に命をもてあそぶお前は、僕の敵だ。
例えこの街に住む人たちの居場所を壊そうと……。僕は自分の道を貫く。
お前を殺して、この街の人をどうにか助けた後、ゆっくり世界を変える」
「……はっ」
カリギュラは鼻を鳴らした。
「世界を変える……? あなたこそ、きれいごとの夢物語ではないですか。
具体的なプランもなく曖昧な理想で世界を変えられると思ってるんですか!?」
「具体的に、か。まだあんまり考えてないけど、一つだけ言える」
「それは、」
「冥王を倒す」
「……!?」
世界の頂点に君臨する存在へ、真っ向から挑むと。
英雄としての道を歩み始めた少年は宣言する。
「あの人を倒して、この狂った世界を、歪んだ死の理を元に戻す。
それからの事はまだ考えていないけど、これだけはハッキリしている。
お前たちのやり方は間違っている。そのやり方じゃ、世界は変わらないんだよ!」
自分の道を示した英雄に対しーー
「はっ……はっははははは、はっははははははははははっ!!」
悪魔教団の教主は嗤った。
陰惨に、凄惨に、おかしくてたまらないと。
「よもや、よもや。たかだか十数年しか生きていない若造に此処まで言われるとは。
底抜けの愚か者……いえ、やはり『孤高の暴虐』の息子、という事でしょうか」
「……父さんを知っているのか」
自然と低くなった声に、カリギュラは肩を竦めた。
「私に知らない事などありません。あなたより遥かに多くを知っている。
それにしても……くくっ、私が異端討滅機構に成り代わりたい?
勘違いここに極まれりですね。何も知らない愚鈍な若者が言いそうなことだ」
「違うって言うの?」
「えぇ。違います。そもそもあなたはアレが何なのかも分かっていない」
カリギュラはゆっくりと腕を上げ、ジークを指差した。
「この戦争には真実と裏がある。そのどちらも知らないあなたに、世界を変える資格はありません」
「真実と、裏……?」
「仲間になるなら教えるつもりでしたが……どうです、考え直しませんか?」
「いや、いいよ。お前の言葉は信用できない」
「……そうですか」
元よりダメ元だったのだろう。
カリギュラはため息を吐き、禍々しい魔力を身に纏う。
ピリピリと震える大気が、ジークの肌を粟立たせた。
「残念です。非常に残念ですよ。地上の英雄を殺す事になるとは」
「……君が僕に勝てると?」
「私だけなら……無理でしょうね」
カリギュラが意味深に笑い、
「ですが心配いりません。私には神がいる」
そして彼は長い法衣をまくり、手袋を投げ捨てた。
ーーそれは、黒い腕だった。
闇がそのまま固まって腕になったような、真っ黒な腕。
得体のしれない不気味さを放つ腕が、ドクンッ!と脈打った。
その瞬間、カリギュラの身体が禍々しい光に包まれた。
ぐん、ぐん、ゴキッ、と。身体が変化を始める。
体格はより大きく、頭からは二本の角が生え、腰から尻尾が揺れた。
「お前、それは……」
彼の一挙手一投足を観察していたジークは驚愕を隠せなかった。
魔眼に映る全ての未来が、一気に消失したからだ。
以前にも覚えのあるその現象ーーシェン・ユが見せた業と同じ。
「まさか、使徒化……!?」
【使徒化? いいや、違うな】
姿形と口調まで変化した敵を前に、ジークは最大限まで警戒を引き上げた。
使徒化は天界の祝福を得た七聖将が至れる究極の業だ。
まさかカリギュラは元七聖将なのかとも考えたが……。
(使徒化じゃない……でもだとしたら……なんでこいつが)
ジークも、薄々感じてはいたのだ。
彼の変化を使徒化だとすれば、神をその身に降ろす時間がなさすぎると。
だが、だとすれば正体が分からなさすぎる。
異端討滅機構の元老院に通じ、大陸の各国で暗躍し、
五百年間も捜索の手を逃れ続けてきた。それはもはや伝説の領域だ。
「お前……一体、何者だ」
【我輩が何者か……? 分からぬなら教えてやろう。運命の子よ】
不気味に法衣を揺らし、男の口元が弧を描く。
【我が名はカリギュラ・ゲルニクス・ネファケレス
五百年前、神の巫女と共に立ち上がった『始まりの七人』の一人であり、
悪魔教団の教祖にして伝道者。世界を変革し、導くものなり】