第十五話 常闇の都
悪魔教団は人類の裏切り者と言われている。
その理由はエルダーを保護するだけではなく、彼らが行うテロ活動故だ。
薬物、人身売買、布教、運び屋、街の破壊、調教魔獣の貸し出し、などなど……。
監視カメラに映らないところが無くなった街中でも、彼らは裏社会の闇を担う。
街の発電施設を破壊、停止し、監視カメラを機能不全にするのは彼らの十八番だ。
終末暦二五三年には、彼らの活動のせいで国一つが悪魔の都と化した。
悪魔教団を有名にした歴史的事件の一つだ。
最も、その国は当時の七聖将が総出で片づけたらしいが……。
ともあれ、
人類にとって最悪な組織にも関わらず、異端討滅機構は悪魔教団の足取りすら掴めていない。その理由はジークを嵌めたような元老院と通じているのもそうだし、ある神からのバックアップを受けているからだ。
隠し神インクラトウゥス。
攻撃能力がない代わりに、隠すことに特化した力を持つ神である。
旧世界で『神隠し』などと言われていた現象は、この神が遊んでいたからだ。
その力は絶大で、悪魔教団の本拠地は誰にも見つけられない隔絶した空間と化していた。
ーー聖なる地より東へ百キロ。
ーー中央大陸北部、ドゥリンテミアーナ湿地。
その地下に、悪魔教団の本拠地はあった。
聖なる地の近くにある森。
その地下にある、旧世界の地下鉄道を利用して作られた大トンネル。
幾重にも曲がりくねった道を進んだ先に、湿地帯への道がある。
ジークたちはそこを通って悪魔教団本部へ向かっているわけだが……。
「僕でも気付かないよ、こんなの」
「そうでしょう。なにせ五百年間も隠し通してきた場所ですからな」
スパイの入り込む余地はない。
嘘を見抜く権能を持つ裁定神さえ関わっていると言うのだから驚きだ。
「うー、なんか寒い。お兄ちゃん、暖めて?」
「はいはい」
「もっとぎゅっとして!」
「もう……」
ぎゅっと抱き着いてくるルージュの相手をしつつ、一行は湿地帯の地下を進む。
薄暗い洞窟の中はじめじめしていたが、進むにつれて足元が人工的なものに変わり始めた。やがて松明が要らないほど、天井に魔晶石の灯が現れ始める。
「ここでござるな」
「ここって……」
ルージュが呟き、
「行き止まりじゃん。ふざけてるの? 殺すよ?」
ルージュの言う通り、ヤタロウが示したのは行き止まりの岩壁だった。
ヤタロウはニコ、と微笑みながら、壁の中の一角を押す。
その瞬間、ごごごご、と音を立てて、足元が動き始めた。
「……!」
だんだんと足場が下がっていく。
やがて行き着いたのは、リノリウムの床で整備された廊下だ。
まるで研究所のようなありように、ルージュがぎゅっとジークの裾を握った。
『合言葉を』
人工的な廊下の先、壁に背を預けているのは巨大な像である。
冥界の門番を模して造られたそれに、ヤタロウは応えた。
「闇に森、光に影あり」
『汝の魂はいずこにあらんや』
「インクラトウゥスの前に」
『認証完了。権限レベル10を確認しました。おかえりなさい、ヤタロウ・オウカ』
「えぇ、ただいまでござる」
巨大な像が真っ二つに割れて、扉が開いていくーー。
「……っ」
そこに広がった光景に、ジークは思わず息を呑んだ。
闇があった。
どこまでも広がる闇。魔晶石の光だけが人々の顔を照らしている。
薄暗闇の中でひときわ目立つ塔が、街の中央に聳え立っていた。
「さて、ようこそおいでくださいました。ジーク・トニトルス殿」
ヤタロウは振り返り、両手を広げる。
「ここが我ら悪魔教団の本部ーー『常闇の都』でござる」
都と呼ぶだけあって、街の中にはサンテレーゼと変わらない人々の姿があった。
ヤタロウによれば、総人口は五万人を超えているという。
街の中央を目指しながら、ヤタロウは語った。
「悪魔教団と言っても、全員が我らの教えを受け入れているわけではありません」
むしろそうした者達は全体の半分にも満たず、残り半分は居場所を求めた人々だ。
異端討滅機構に追われる犯罪者、ジークのように規範から逸脱した元葬送官、
街が悪魔に呑まれた者。異端討滅機構から見捨てられた都市の生き残り。
そうした、大多数からあぶれた人たちを抱き込んでこれほどの規模になったのだ。
「……意外とちゃんと街をしているんだね」
ヤタロウはかなり有名らしく、通りすがりの住民たちが彼を見て頭を下げていた。
その中にはジークを見てギョッとした者もいた。
陽力の質から言って、恐らく元葬送官だろう。ジークの知らない顔だ。
酒場で賑わう人々、男を誘う娼婦の声、客を呼ぶ露天商、行き交う荷馬車……。
リエッタ村とは比べ物にならない規模と活気だ。
地上の街と何ら変わらない街並みの中には、当たり前のように獣人も暮らしていた。
だが、地上とは何よりも違う点がーー
「お兄ちゃん、見てアレ」
「……エルダー」
そう、この街にはエルダーが普通に生活をしていたのだ。
普通の人間のように物を買い、時には人間と会話をしている。
「どうしてここに……非戦闘員は暗黒大陸へ逃がすんじゃなかったのか?」
「彼らは連絡係の隊員や、その候補でござるよ。本人たちのたっての希望でしてな」
ヤタロウは困ったように、
「ジーク殿の仰る通り、他大陸で生まれたエルダーは基本的に暗黒大陸へ送られます。ここは人間が多すぎる。エルダーを憎む人間もおりますから。ですが、そうした逆境を承知の上で、自ら……あるいは家族に望まれてここに残る者も居る。無論、いざという時は冥王様の僕になりますから、戦いを強いられる事になりますが……」
それでも、家族と離れたくないエルダーは居る。
もし暴走して一家ごと全滅する事になっても……それでいいという者たちが。
「……追われた人たちの居場所、か」
きっとこの場所は、彼らにとって最後の楽園なのだろう。
誰に助けを求める事も出来ず、藁にも縋る思いでここに辿り着いたのだ。
例え、空が見えない暗闇に閉じ込められたとしてもーー。
「それで、お兄ちゃんをどこに連れていくつもり?」
「我らの教主に会ってもらいたいでござる」
「教主……いきなり会うなんて、随分急だね」
悪魔教団は長きにわたり異端討滅機構を苦しめてきた。
そのトップともなれば、容易に会えるものではないと思っていたのだが、
「もちろん。普段の教主様は世界中を飛び回っておられます。ですが、今日だけはジーク殿にお会いする為、時間を作っていただいたのです。教主様は以前からあなたに興味を持たれておりましてな。お会いするのを楽しみにしておりました」
「ふーん……」
ジークは興味なさげに返事をして、
「そんなのと会ってどうするの」
「ジーク殿次第でござるが、我らの仲間になっていただければと思います」
「はぁ?」
ふざけているのか、とジークは思う。
誰が好き好んで自分を騙した男の仲間になりたいと思うのか。
ましてや悪魔教団は人類にテロ活動を働く不届き者達だ。
「なんで僕が……」
「おや。仲間になるつもりでここに来たのでは?」
「いや、それは……」
「では、他に行く当てがあるのでござるか?」
「……ないけど」
ジークは言葉に詰まった。
ヤタロウは得意げに、
「行く当てがないならここへ身を寄せればよろしい。あなたは英雄でありたいだけであって、異端討滅機構に特別な思い入れはないでござろう? 別に我々の事が嫌いでもいいでござらんか。むしろ嫌いな者だからこそ、存分に利用すればいい」
確かに、ヤタロウの言う通りだ。
ジークはリリアを始めとした仲間たちが大切なだけであって。
異端討滅機構に恩があるわけでも、思い入れがあるわけでもない。
むしろ母を殺された恨みさえ持っていると言っていい。
それに、
(ここは人も、獣人も、エルダーも、みんな同じように暮らしている。お互いに思うところがあっても妥協し、尊重し合ってる。それは、僕の理想と同じなのかも……)
そんな事を考えているうちに、目的地へ到着する。
街の中央にある、百メートルを超える塔である。
行き交う人たちは皆、満月の中に十字架が描かれたロザリオをぶら下げていた。
「ここが悪魔教団の本部って事か……」
ジークが呟いたその時だった。
「ーーさよう。ここが寄る辺なき者達の楽園」
「……!」
一人の男が、塔の中から現れた。
痩せぎすの男だ。手のひらがすっぽり隠れる上等な神官服を着ている。
男が手袋をつけた手をあげると、ー住民たちの囁きがさざ波のように広がっていった。
「教祖様だ」
「あぁ、教祖様」
「なんと神々しい。我らをお導き下さい」
「今日は最高の日だわ……」
教祖と呼ばれた男に、住民たちが次々と跪いていく。
教祖は整った顔立ちをしているが、彼らの反応はまるで神か何かを目にしたようだ。
いや、実際、彼らにとっては神なのだろう。
ジークはじっと教祖を見つめながら、その身に宿る禍々しい力を見抜いていた。
(この人……人間じゃないな)
かといってエルダーでもない。神そのものでもない。
どちらかといえば神霊に近い。一体何者なのか……。
(特にあの腕……なんだ、アレ)
その時、教祖と目があった。
蒼い目が細められ、ジークを捉える。
「ヤタロウ。その方が?」
「えぇ、ジーク・トニトルス殿です」
「なるほど……こうして間近に見ると、やはり只者ではありませんね」
全身を見定めるような視線を送る男。
ジークがじっと見返すと、彼は「申し遅れました」と一礼する。
「初めまして、ジーク・トニトルス殿。お噂はかねがね」
「悪魔教団の教祖に知られているなんて、光栄だね」
皮肉っても男は動じず、ただ微笑んだ。
「この厳しい大地の中であなたの事を知らない者はいないでしょう。
最も、私はあなたが有名になるもっと前から知っていましたがね……。
改めて、自己紹介をしましょう」
そう言って、男は胸に手を当てた。
「私の名はカリギュラ・ゲルニクス・ネファケレス。
悪魔教団の教祖を務めております。以後、末永くお見知りおきくださいますよう」
教祖の名乗りに、ルージュがぴくりと眉を動かした。
(ネファケレス……そうか、こいつが冥王の言っていた……裏切り者のユダ)
誰もがそれに気づかない中、カリギュラは笑って塔の中を示した。
「さぁ、おいでください。我らの教団を案内いたします」
念のため武器は預かりますよ、と言われ、塔の守衛に魔剣を預ける。
塔の一階は地上の神殿と同じような祈りの間となっていた。
まつられているのは隠し神インクラトウゥスを始めとした闇の神々だ。
大小さまざまな神像が左右に並んでおり、その最奥にインクラトウゥスの像がある。
「ヤタロウ・オウカ。ジーク殿をよくぞここまで連れてきてくれた」
「もったいないお言葉でございます」
「あなたの働きには報いなければなりませんね。
どうです、かねてから打診していましたが、そろそろ枢機卿の座についてみては?」
「せっかくのお話ですが……」
ヤタロウは苦笑して、
「今の地位で充分に満足しておりますれば。これ以上の地位は望みませぬ」
「そうですか……分かりました。では、下がりなさい。ここからは私が引き継ぎます」
「は。ではルージュ殿、あなたもこちらへ参りましょうか」
「……でも」
ルージュに見上げられたジークは「大丈夫」と頷いた。
「僕はこの人と話すから……ちょっとだけ、お願い」
「ん。じゃあ何かあれば」
「うん。影を繋いでおいて。それで飛べるでしょ」
あの戦争を経てルージュが新たに獲得した新技だ。
距離の制限はあるが、繋いだ影と影の間を転移のように行き来できる。
最も、本人しか入れないし、他人を影に入れる事は出来ないのだが。
「……分かった。また後でね」
ヤタロウに連れられたルージュはジークの影に触れて、ヤタロウと共に去って行く。
これでこちらの声は丸聞こえだし、何があっても彼女なら分かるだろう。
ジークはそう判断して、カリギュラに向き直るのだった。
◆
「さて、ルージュ殿。あなたはこれからどうするつもりでござるか?」
「……なんのこと?」
不意に立ち止まったヤタロウに、ルージュは眉を顰めた。
大嫌いな男は「簡単でござるよ」と肩をすくめる。
「ジーク殿と共に悪魔教団につくか、それとも……」
ヤタロウは意味ありげにルージュを見る。
その瞳は何もかも見透かしているようで、不快感が胸の中に広がった。
「やっぱりあたし、あんたの事嫌いだ」
「それは残念でござるな。拙者はルージュ殿の事、結構好きなのでござるが」
「気持ち悪すぎて殺したくなるからやめて」
どこまでが本気でどこまでが冗談なのか。
きっと全てが本気なのだろうとルージュは思う。
彼は、おのれが望む全ての為に邁進する兄と同じ目をしている。
だからこそ、気に喰わないのだろう。
その目的が何なのか知りもしないし、知りたくもないが。
「あたしは好きにするよ。あんたと同じように」
「……おや。ルージュ殿はどこまでご存じで?」
「何も知らない。でも、あんたがこそこそしてるのは分かる。
そうじゃなきゃ、ここまであんたの思い通りにはならないはず」
一拍置いて、ルージュは低い声を出した。
「何を企んでいるか知らないけど、お兄ちゃんを傷つけるなら殺す。
目ん玉をほじくって殺してくれって泣き叫ぶまで、身体中を虐め抜いて殺してやる」
「……ルージュ殿にとって、彼はそこまで大切な相手なのですか?」
「当たり前でしょ」
ルージュは鼻で笑い、勝手知ったるといった様子で明後日の方向に歩いて行く。
「例え、世界を、みんなを裏切ったとしても……」
「……」
かつ、かつ、と。
暗闇の中を歩くルージュの歩みは、誰にも止められない。
「お兄ちゃんは、あたしの全てだから」