第十三話 雷霆の怒り
「死ねぇええええええええええ!」
「きゃぁぁああああ!」
最初に襲われたのは、入り口付近にいた女エルダーだった。
刃の切っ先が彼女の首を狩り取り、ばたん、と重い音が響く。
すぐに再生が始まるが、いかんせん、彼女は並みのエルダーだ。
首と胴が切断されるような致命傷に、魔力の消耗が耐えられるはずもなく。
「『哀れな魂に、光あれ』ターリル」
祈祷詠唱により、彼女の魂は天に旅立った。
「まずは一匹」葬送官の男がニヤリと嗤う。
「皆殺しだ! 七聖将が来る前に片づけてやる!」
「全員、今すぐ逃げろーーーーーーーー!」
フルードの言葉が響くと同時、彼が身体を肥大化させる。
身の丈三メートルを超える筋肉の塊が、葬送官に直撃した。
「腐っても街の管理者! ここは通さんぞ、葬送官共!」
「やれるものなら、やってみな!」
ガジルを含めた三人が特攻する。
フルードの巨躯を生かした攻撃は確かに強い。当たれば相当痛いだろう。
だが、一撃の威力は強くても、当たらなければ意味がないのだ。
ガジルが飛び上がり、フルードの巨腕を走って目を切り裂いた。
悲鳴を上げるフルードの脳天に、彼は大剣を振り下ろす。
鮮血が、シャワーのようにガジルの上に降り注いだ。
「かかったな……!」
その直後、フルードの血が燃え始めた。
血を浴びたガジルが絶叫を上げるが、
「《母なる水よ》《降り注げ》『水雨』!」
葬送官の仲間がすぐさま消火に掛かり、ガジルはすぐさま回復。
大剣からカマイタチを発生させた彼の剣撃は、フルードの身体を粉微塵にした。
「フルードッ! この……!」
「よせ、アヒム!」
管理者の仇を取ろうと立ち上がったアヒム。
口から毒のようなものを飛ばした彼だが、ガジルには当たらない。
距離を詰めたガジルの剣が、アヒムの身体を一刀両断した。
「『哀れな魂に、光あれ』ターリル」
致命傷を受けたアヒムが、光の粒子となって消えていくーー。
「アヒムおじちゃんッ!!」
慣れ親しんだ男の死に、子供たちの絶叫が響いた。
だがその声は致命的なまでに注意をひいてしまいーーガジルが反応した。
ニヤァ、と。彼は歩き始める。
「悪魔風情がいっちょ前に子供気取りか?
ぉ? 泣いて許しを乞えば殺さねぇと思ったか?」
「ぁ、ぁ、ぁああああああああああああああああああ!」
「ヨシュア、ダメぇ!」
「ミーネ、お前だけでも逃げろ!!」
「やだぁあああ!」
ヨシュアと呼ばれた四本手の少年エルダーが突貫する。
だが、フルードとアヒムを倒したガジル達だ。
ジークに手も足も出ずに敗北した彼の階級は、上級。
誇張なく、リエッタ村で一番の実力者である。
「俺はなぁ、お前みたいに子供の振りして襲ってくる奴が、一番嫌いなんだよ!」
ガジルが旋風を起こし、ヨシュアの足を斬り裂いた。
悲鳴を上げ、再生を始めるヨシュアの肩を、膝を、肘を、何度も刺していく。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。
「死ね、死ね、死ね、悪魔っ、ひひ、ひひひひひッ!」
傷ついては再生し、再生しては傷つけられ。
痛みが臨界点を超えたヨシュアは「ころして」と懇願する。
けれどガジルは止まらない。他の葬送官たちも、女を、男を、老人を。
逃げ惑うエルダーを捕まえて、思い思いに蹂躙している。
「ひゃはッ、ひゃっはははははははははははは!」
(なにが、悪魔……)
その様子を家の影から見ながら、ジークは奥歯を噛みしめた。
(お前たちの顔の方が、よっぽど悪魔みたいじゃないか)
子供をいたぶり、老人をいじめ、女をなぶる。
血を浴びた彼らの顔は、人のカタチをした悪鬼羅刹だ。
「……お兄ちゃん、どうする?」
「……」
エルダーたちもなんとか逃げ始めているが、脱出には時間がかかりそうだ。
出口でエルダーたちを誘導するヤタロウの目が、ジークの決断を見守っている。
(さぁ、答えを出してください)
そう言われているようで、ジークは拳を握りしめた。
人と、悪魔と。
立場と、現実と。
永遠にも思える数秒、葛藤したジークは目を開いた。
リィン、と。魔剣の嘶きが街中に響いていくーー。
◆
「おいガジル! あのエルダー共、あっちから逃げようとしてるぞ!」
「あぁ? させっかよクソが。おい、お前らはそっちに回れ! 俺は、」
ガジルは踏みつけにした少年を見て舌なめずりした。
「コイツをいたぶってから追いつく」
「分かった。ほどほどにしろよ」
遠ざかる仲間の声を聞いて、ガジルは嗤った。
「ハッ! 出来るわけねぇだろ。自分を抑えられる自信がねぇよ」
「ぁ、ぅぁ……」
「おいエルダー野郎。俺に勝てると思ったか? 子供の姿で油断すると思ったか?」
ガジルは子供の頭を踏みつけた。
ぐりぐり、ぐりぐりと。
「甘ぇんだよ、ドブカスが。お前が俺に敵うわけねぇだろ。
それとも何か?『頑張ったら仲間が助けに来てくれる』とでも思ったか?」
「ぎゃ」
まずは指を落とした。次に肘関節を踏み砕く。
右の目玉をまるごとくりぬいて、再生途中の頭の中に聖霊石を埋め込んだ。
未踏破領域を浄化するための石だ。聞くところによれば、この石を埋め込んだエルダーは死んだほうがマシだと思うほどの苦痛を味わうという。
それはいい、もっと、もっとだ。
「こんなもんで済むと思うなよ、悪魔が」
「な、ん、で」
ヨシュアは切れ切れに呟いた。
「おれ、たち、は、何も、してない、のに…………どう、して」
ただ、普通に生きたかっただけだった。
両親と共に悪魔に殺され、自我を喪った両親を葬送官に殺され、
なんとか逃げて、逃げて、逃げ続けて、ようやく得た楽園だった。
ミーネという女の子と出会い、子供たちと出会い、居場所が生まれた。
例え、自分が悪魔だとしてもーー生きていていいんだと思った。
誰もが理不尽な絶望を強いられる厳しい大地の中、理不尽に立ち向かえるほどヨシュアは強くない。共に笑い合える相手と暮らす事が、ただ一つの救いだったのだ。
(痛い、痛いよぉ……)
理不尽に殺され、エルダーになり、こうしてまた理不尽に嬲られる。
前世の自分のどこをどう見ても、こんな仕打ちを受けるいわれはない。
それなのに、どうしてこんな……。
「どうして、だぁ? ははっ、はっはははははははははははははは!」
ガジルは額を抑えて笑った。
心の底から楽しそうに、笑った。
「理由なんてねーよ、バーカ!」
ぺッ、と唾を吐き、彼は叫ぶ。
「家族を悪魔に殺されたとでも思ったか? 恋人を喰われたとでも思ったか?
違う、違う! 俺がお前らを殺すのはな、ただ楽しいからだ! 泣き叫ぶ悲鳴!
迸る鮮血! 何度傷つけても勝手に再生してくれるありがたい再生力!
人間相手じゃ出来ねぇ遊びだ、こんなに楽しいものはねぇ。分かるだろ!?」
ヨシュアに分かるはずがない。
彼がただ嗜虐心だけで自分を傷つけてることも。
エルダーを傷つける事を至上の喜びとしていることも。
エルダーとなって未だ若いヨシュアには分からない。
ただ、ひねり狂った醜悪な心だけが、まっすぐに届いて。
「こ、の……!」
ヨシュアは血を吐きながら拳を握りしめた。
「この、悪魔め……!」
「ひひッ! バーカ。悪魔はお前だろうが。もういい。お前、飽きたわ。
次、誰にするかなぁ。そうだ、お前が叫んでいたあの女エルダーはどうだ?」
「……!」
「ひひひひッ! いいな、それ。決まりだ。お前ら二人並べて標本にしてやるよ!」
ヨシュアがじたばたともがき、ガジルが大剣を振り抜く。
その瞬間だった
雷鳴が、洞窟中に響き渡った。
「……!?」
ガジルは眩しい光に目を細め、そして見る。
「なんだ、アレ」
それは、蒼白い光の塊だった。
形で言えば、犬のようにも、一角獣のようにも見える。
まるで雷という意思が獣の形をとったような、不思議なモノ。
だが、その獣に宿る力の質は、自分たちではどうしようもないほど隔絶している。
『ーーーーーーーーーーっ!』
獣が狼のように吠えた。
次の瞬間、悪魔たちを殺そうとしていた同僚たちは吹き飛ばされ、街の外にはじき出される。
「な、んだ……!?」
「アイツ、どっから湧いてきやがった!?」
葬送官たちが驚愕する中、獣は尻尾を振るう。
街の半ばほどから横一線に光の壁が突き立ち、葬送官たちの往く手を阻んだ。
「ふざけんな、悪魔共が逃げちまうだろうが!」
「潰せ潰せ! こんな壁、どうせハッタリに決まってる!」
「おい馬鹿、刺激すんなッ!!」
ガジルが止めるが、もう遅い。
仲間たちが放った水の弾丸が、風の刃が、光の壁に直撃する。
その瞬間、光の壁が膨れ上がり、仲間たちの元へ一直線に光線が走った。
何もしていないガジルの方にも、だ。
「うわぁああああああああああああ!?」
一人は肘を貫かれた。
もう一人は肩を。もう一人は足を。
対し、獣を警戒していたガジルだけは防御に成功する。
来ると分かっている攻撃など怖くはない。
アレが何かは知らないが、こんなものでやられる自分ではないのだ……。
そんな幻覚が解けたのは、三秒後の事だった。
「あ、え?」
ドン、と重たい音が響いた。
腕を見る。ない。
見慣れた腕が、ない。
違う、あった。
良かった、地面に落ちてた。
「え、地面に、落ち、え……?」
ぶしゃぁ、と鮮血が噴き出した。
遅れてやってきた熱が、ガジルに破滅的な苦痛をもたらす。
「が、あぁあああああああああああああ!?」
それだけではなかった。
ーー……ひゅんッ! ひゅんッ!
雷の獣から、幾条もの光が飛んできた。
腕を落とされたガジルはショックで動けない。
まずは指が落ちた。
次に肘関節を貫かれ、右の目玉が光線の熱で溶けた。
「ぎゃぁあああああああああああああああああ!!」
痛い、痛い!
見えない、何も見えない! 痛い熱い痛い熱いあぁああ!?
獣の攻撃は終わらない。
親指の次は人差し指、その次は中指、その次は薬指、小指と続く。
どれだけ手を庇おうとしても無駄だ。
光線は正確無比に、生きているかのように宙を奔り、正確に指を落としてくる。
「ぁ、あぁ、あぁ、やめ、も、やめ、てくれぇ……」
光線が止んだ時、ガジルの左手に指は残っていなかった。
右腕は落とされ、肘も膝も関節が砕けている。
幸いにして光線が傷口を焼いていて、失血死は免れた。
恐らく、治癒術師に頼めば治癒は出来るだろう。
だが……例え治癒したとしても、二度と歩けるようにはなるまい。
「う、痛ぇ、痛ぇよぉ……」
「母ちゃん、助けて、母ちゃん……」
朦朧とした意識の中、仲間たちも同じように呻いているのが聞こえた。
ガジルは息も絶え絶えな状態で顔を上げ、悪魔たちの街を見る。
既に雷の獣はどこにもおらずーー
エルダーたちは、一人残らず姿を消していた。
「ぁ、」
全身に嫌な汗が滴り落ちていく。
本来、ここに住まうエルダーの集団討伐作戦は七聖将が行うはずだったものだ。
それを自分たちの失態のせいで逃がしたとなれば、どうなるか。
「や、やばい。おい、お前らっ、今すぐここから離れーー」
「あれ? 君たち、何をしてるの?」
「…………!?」
ガジルは目を見開いた。
立てつけの悪いドアのように、ぎぎぎ、と彼は首を動かす。
七聖将第七席、ジーク・トニトルスが、洞窟の入り口に立っていた。
「あ、ゃ、これは」
「ここって……エルダーの集落だよね?」
ジークは首を巡らせ、洞窟の中に築かれた街を見やる。
そこにエルダーが一人も居ない事を確認して、視線を元に戻した。
「なんで、誰も居ないの?」
「そ、それはっ」
ガジルは口を開きかけ、高速で思考を巡らせる。
何を言えばいいのか、何を言えば無難なのか。どれが正解でどれが間違いか。
頭の中で正解を探す彼だったが、それより先に。
「お、俺たちがここに来た時、もうエルダーは居なかったんだ!!」
仲間の一人が叫んだ。
「代わりに、なんかすげー奴が居てッ、それで、俺たちがこんな目に……!」
「へぇ……? だから君たちが戦った痕跡があるんだ」
「そうっ、そうなんだ、いや、そうなんです! だから、俺たちは何も悪くな」
「じゃあさ、どうしてあそこにエルダーが倒れてるの?」
『え』
ジークの視線の先、そこには一人の子供が倒れている。
先ほどガジルが痛めつけていた少年エルダーだ。
ついさっきまで確実に消えていたのに、どうしてそこに居るのか。
「あ、あれはっ」
「ちょっと聞いて来るね」
「な、は?」
ガジルが止めようとした時、ジークは既に少年の側にいた。
耳を近づけた彼はエルダーの言葉にうなずき、
「そっか。あの人たちが君をこんなにしたんだ」
「お、おい。ふざけんなッ、エルダーの言う事を信じるってのか!?
俺たちがやったっつー証拠がどこにあるんだよ!?」
「……証拠ならあるよ。君たちの陽力反応があちこちに残ってるんだよね」
ジークの呆れたような言葉に、ガジルはしどろもどろになる。
「ぇ、や、それは、だから、さっきの光のやつが」
「強力な一体が現れたなら、君たちの陽力反応も一ヶ所に固まるはずだよね?
でも、君たちの陽力は色んな所に残ってる……なんで?」
「そ、れは」
「独断専行、したんじゃないの」
「………………っ」
ガジルは奥歯を噛みしめた。
ジークは冷たく言い放つ。
「七聖将が到着しているのを知っていて独断専行。これは立派な任務妨害だよ。
命令違反でもある。このこと、異端討滅機構に報告させてもらうから。
禁固五年……もしかしたら強制労働十年は免れないかもね」
「〜〜〜〜〜っ、ふ、ふざけんなっ!」
ガジルは唾を吐きながら叫んだ。
「俺たちはエルダーをぶっ殺していただけだろうが! 自分たちの村を守ために行動した。それの何が悪い!? エルダーは放っておけば俺たちを殺す。だから、殺される前に殺しただけだろうがよっ! お前、お前が来るのが遅いのが悪いんだ!」
「……確かに、そうかもね」
「……!」
ガジルの瞳に希望が滲んだ。
ジークはつらつらと、思っていることを滔々と語る。
「僕は今まで何万体ものエルダーを葬魂してきた。でも、それを後悔したことはない。
だって戦わなきゃ、僕の大切な人たちが殺されていたんだから。だから、そこはいい。君が自分の大切な人を守るために行動したのを僕は責めたりしない」
どれだけエルダーが可哀想な境遇であってもそれは変わらない。
善悪の判断はつかないが、向かってくる者は倒す。それだけは確かだ。
やらなければやられる。それがこの厳しい大地の現実だから。
それでも、
「これは違うだろ」
爆発寸前の怒りがジークの言葉に宿っていた。
葬送官たちが怪我も忘れて恐怖するほどの形相がそこにある。
「復讐するためにエルダーを憎む気持ちは理解できる。だけど、これは違うだろ。
罪もない人たちを、自分の欲望を満たすために痛めつける。それはただの理不尽だ」
半魔として生きてきた半生。
たくさん石を投げられた。たくさん罵声をぶつけられた。
馬のションベンを呑まされ、泥水をすすり、何度も地面を舐めた。
存在を、生まれを、生きる意味を否定された日々を思い出す。
ーー嗚呼。そうか、僕は。
「何の瑕疵もない人たちが蔑まれ、貶められる理不尽を僕は許さない。
例えエルダーであろうと獣人であろうと……僕は、理不尽な世界を否定する。
異端討滅機構が許しても、僕が許さない。お前たちの行為は、許されざる悪だ!」
ガジルは何かに気づいたように目を見開いて、
「お前、さっきの、雷……まさか、お前がっ!」
「……何のこと?」
「とぼけるな! お前が、お前が俺たちをこんなにしたんだろうが!」
「何のことか知らないけど、僕がやったっていう証拠がどこにあるの?」
ガジルが言葉に詰まり、
「そ、それは、よ、陽力、反応が」
「嘘だね。本当に陽力反応がわかるなら、僕が現れた時点で言っているはず。
それでも言わなかったのは、君にそんな能力はないからだ」
「ぁ、ぐ…!」
ジークはヨシュアをおぶさり、後ろ目で告げる。
「じゃあね。僕は他のエルダーを探すから。逮捕を待ってて」
「ちょ、ま、待ってくれ、お願いだ、それだけはッ」
「待たない」
「…………っ!」
「そこの君、もう動けるよね? 悪いけど仲間全員運んでくれるかな」
じゃあ、後はよろしく。
そう言い残して、ジークはヨシュアを背負い、エルダーたちが逃げた後を追う。
洞窟の外に出ると森が広がっていて、そこから一本道が続いていた。
車が通った後が残っており、ヨシュアが口を開く。
「……ジーク、葬送官、だったんだな。エルダーの、くせに」
「黙っててごめん。僕は、本当は君たちを葬魂しにきたんだ。
信じられないかもしれないけど……君を、君たちを助けているのは、嘘じゃない」
「嘘つけクソ野郎…………って、さっきまで、言おうと思ってたんだけどな」
ヨシュアは弱々しく笑った。
「最初は騙されたと思った。お前のせいだって怒ろうと思ってた」
七聖将であるジークが来たから、彼らがここに来たのだと。
全ての原因はお前にあるのだと責めるつもりで、ヨシュアは力を溜めていた。
けれど。
「お前は……俺たちの、ために……怒ってくれたよな」
もしもジークが来なくても、いずれ葬送官たちは街を襲っただろう。
いや、ジークではない分、きっと容赦なく殺されていたに違いない。
何よりも、
(コイツは……本気だった)
自分たちの為に怒るジークを見て、そんな気持ちは消え失せてしまった。
彼が受けてきた痛みが、彼の心が、まっすぐ心に届いたから。
「……あの状況なら、誰でも同じことをするよ。何も特別なことじゃない」
「特別、だよ。この世界で……誰にも出来ねぇよ。
何だよ、エルダーの為に怒る葬送官なんて…………バカだよ、お前」
「……」
ジークは苦笑する。
バカだと言われているのに、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
それどころか、彼は。
「エルダーなのに人間の味方で……エルダーの気持ちが、分かるなんてさ。
お前……つれぇ生き方だよ。そんなの…………おれには、無理だ」
世界の理不尽に抗うジークを、彼は労うのだ。
「おれ、葬送官は大嫌いだし、死ねばいいと思うけど……
おれも元は人間だったからさ。もしもそっちに戻れるなら、戻る。無理だけど」
だって、と彼は言う。
「戻ったって、人間の中で、一人だろ。
おれには他のエルダーたちが居るけど……お前は、ずっと一人だ。
その上、おれたちの気持ちまで分かっちまうなんてさ……」
そんなの、つれぇよ。と彼は呟いた。
ジークは少し黙ってから口を開く。
「確かに僕は一人……だった。でも、今は違う。仲間たちが居るんだ。
エルダーじゃないけど……僕を受け入れてくれる、大切な人たちが」
その人たちが居るから、僕は生きて居られる。
そう呟くジークに、ヨシュアはたまらず問いかけた。
「……どうして、助けてくれたんだ?」
「英雄だから」
「……英雄は、エルダーなんて助けねぇよ。むしろ殺しに来るよ」
ジークは言葉を選びながら、
「……言ったよね。僕は理不尽な世界が許せないんだ。だから、世界を変えたい。
みんなが笑って暮らせる、理不尽な絶望がない世界に。人も悪魔も関係ないよ。
母さんも、ルージュもエルダーなんだから。兵士として向かってくるなら容赦はしないけど……君たちみたいな、自分から戦う意思がない人は、放っておけない」
「……ますますつれぇ生き方だな。子供のおれにも分かるぞ。
エルダーは殺すべきで、悪魔は悪者って割り切ったほうが……絶対に楽だ」
「そうかもね」
ジークはくすくすと笑いながら、心が軽くなっていくのを感じた。
真っ暗闇の中に、ぱぁ、と一筋の光が差し込んだような心地だ。
話しながら、ぐちゃぐちゃに乱れていた思考が一つになっていくのを感じる。
(そうだ、そうだったんだ。人も悪魔も関係ない。
僕は、僕みたいに誰かが虐げられているのを見過ごせないだけなんだ)
半魔の自分を救ってくれたテレサやリリアのように、
自分も英雄として、理不尽に苦しむ人たちを助けたい。
生まれや種族の違いで迫害を受ける人々を放っておけないのだ。
(エルダーへの向き合い方は、まだ答えを出せないけど)
少なくとも、方向だけは分かった気がする。
まだぼんやりした中にあるそれが、きっと自分にとっての正解なのだろう。
七聖将や葬送官として間違ってはいるだろうが、知ったものか。
元より、七聖将もなりたくてなったわけではない。
本物の英雄になるというなら、誰がなんと言おうと貫くべきだ。
テレサを殺したあの悲しみを、もう誰にも味合わせないために。
例えそれが愚かと言われる道であろうとも、自分は決めたのだから。
(七聖将なんて、嫌なら辞めていいんだ。そうだよね、テレサ師匠)
足掻いて、悩んで、答えを決めよう。
この道は間違っていない。背中に伝わる熱が、それを教えてくれた。
ふぅ、とジークは深く長い息を吐いて、
「ありがとう、ヨシュア。めちゃくちゃ気が楽になったよ」
「……変な奴。礼を言うのはこっちだっつーのに」
「はは。そうかもね」
混乱を避けるため、ジークは途中で葬送官の服を着替えた。
ルージュたちに追いついたのはそれから五分ほど経ってからだ。
朽ち果てた波止場に止められた大きな貨物船が、静かに出発の時を待っている。
「ヨシュアっ!!」
「ミーネ!!」
船の上から少女のエルダーが飛び降りた。
ヨシュアも喜び、二人は再会のハグを交わそうとしていた、
その時だ。
パァン!と甲高い音が響いた。
ヨシュアの頬を叩いたミーネが、涙を溜めて彼を睨んでいる。
「ばかっ!」
「ミーネ……」
「ヨシュアの、ばか、ばかばかばかばか、ほんと、ばか!」
「言いすぎだろ……」
「一人で飛び出すなんて、何考えてるの!? 何かあったらどうするの!?」
「しょうがないだろ。お前が、殺されそうになって、その……」
ミーネはヨシュアを抱きしめた。
「もうどこにもいかないで。私を置いて行かないで」
「……うん。ごめん。ごめんなぁ」
「うぅ……無事で、よかったよぉ……ぁああああ」
「な、泣くなよ。俺まで……ぐすっ、こわ、怖かったのに……!」
泣き叫ぶ子供のエルダーを、周りのエルダーたちは暖かく見守る。
すぐにヨシュアも船に乗せられ、彼らは暗黒大陸へ出発する事になった。
全員を乗せ終わったヤタロウがジークの所に歩いてくる。
「ジーク殿、葬送官たちは?」
「……さぁ。途中で魔獣に襲われてるんじゃない?」
す、とジークは視線を逸らした。
明後日の方向を向いて言った言葉に、ヤタロウは頬を緩ませた。
「やはり、あなたを選んだ私の目に狂いはなかったようです」
「……うるさい。言っておくけど、僕はお前を許したわけじゃないから」
「はっはは! 褒めても何も出ませんぞ?」
「褒めてないよ本気で殺すよ?」
半目で睨むと、ルージュが戻ってきた。
「お兄ちゃん、お疲れさま」
「うん、ルージュも大丈夫だった?」
「あったりまえ。途中で魔獣が来たけど、一発でやっつけたよ。
ガキんちょ共には、お兄ちゃんと一緒に連絡係として残るって説明しといたから」
「さすが。ありがと」
「ルージュ殿は大活躍でしたぞ。この目でしかとその活躍を拝見しました」
「ふん。お前に褒められても嬉しくないし」
べー、と舌を出してルージュは言った。
そんなやり取りをしているうちに、船が動き始める。
「ーージーク!」
船べりから身を乗り出したヨシュアが、大きく手を振っている。
「本当に、ありがとう!! 助かった!」
「……、うん。君たちも元気で!」
「お前もな、頑張れよ!」
ヨシュアに続いて、子供のエルダーたちが身を乗り出した。
「ルージュちゃん、ありがとう!!」「親分、また会おうな~~~!」
「あたしたちはいつでもルージュちゃんの子分だから!!」
「ばいば~~~~~い!」「またねーーーーーーー!」
ルージュは「フン」と偉そうに胸を張る。
「このあたしが助けたんだから、せいぜい生き残りなよ。親分命令だから!」
『分かった~~~~!』
大人たちの一部はジークの正体に気付いたようで、戦々恐々としている。
それでもヨシュアを助けた事が大きかったのか、彼らは何も言わなかった。
ジークもルージュも、船が見えなくなるまで手を振り続けていた。
死の海を越える船の姿を、ずーっと眺めていた。
彼らが無事に、暗黒大陸へ着くように祈って。
ーーそんな彼らを、隠れて見ている存在にも気付かずに。
◆
聖なる地カルナックへ帰還したのは、それから二時間後の事だ。
アルトノヴァで赤燐竜部隊の発着場へ降り立ったジークとルージュ。
ヤタロウは用があるとかで、一足先にどこかへ消えていた。
地平線の空が白く染まり、朝日が彼らを照らしている。
「リリア、怒るかなぁ」
(そりゃあ怒るでしょ。任務のこと黙って行っちゃったんだから)
「そうだよね……」
思えば、昨日の夜は怒涛の一日だった。
リエッタ村へ赴き、エルダーたちの暮らしぶりを目の当たりにし、
そしてあろうことか葬送官たちと敵対し、ジークは彼らを逃がしたのだ。
そのことを後悔しているわけではないが、めちゃくちゃに濃い時間ではあった。
「とはいえ、一時的には吸血衝動もおさまったし……」
まだぶり返してきそうな気配があるのが怖い所だ。
ヤタロウの言葉が正しければ、あの薬は定期的に服用しなければ意味がない。
とはいえ、今は治まっている以上、ジークは安心してリリアに会える。
(早く会いたいな)
きっと何か言われるかもしれないが、それはそれだ。
今はただ、彼女に会いたい。彼女の笑顔が見ていたい。
それだけで、どんなに辛い事でも耐えられるから。
だからこそ、
「止まれ、ジーク・トニトルス葬送官」
だからこそ人の悪意は、容易に牙を剥く。
赤燐竜部隊の発着場を出ようとしたジークを、仮面をつけた者達が取り囲んだ。
(この人たち……カオナシ……元老院の手駒……だっけ?)
一瞬で現れた彼らにジークは動揺を隠せない。
加護を使っていなかったとはいえ、彼らは自分の警戒範囲の外から現れたのだ。
「……僕に、何か用ですか?」
「それは貴様が一番良く分かっているはずだ。知らぬ存ぜぬでは済まさん」
カオナシの一人が懐から通信端末を取り出し、立体映像を浮かび上がらせる。
光の獣が葬送官たちを蹂躙している姿。
それは間違いなく、ジークが先ほどまで戦っていた洞窟の映像だった。
「……それは」
「陽力解析の結果、この光の陽力紋が貴様のそれと一致する事が判明した」
「……っ」
陽力の正体はエーテル粒子によって人類が発現した新たな可能性。
魂からにじみ出る力そのものだ。それゆえに、人によって微妙に波形が異なっている。彼らはそれを解析して、ジークであることを突き止めたのだ。
「なんで……」
とはいえ、十キロ先のカメラの気配すら感知するジークだ。
盗撮されていたなら気付けない道理はない。
それに、陽力紋は現地で採取しなければ解析できないはず。
彼らがジークのそれと一致させるには、あの場に居る必要がある。
「……それを一体、どこで」
「貴様が知る必要はない」
(お兄ちゃん。そんなの一人しか居ないよ)
ルージュと同じ人物を思い浮かべ、ジークは奥歯を噛みしめた。
「ヤタロウ・オウカ……!!」
悪魔教団大司教が一人、ヤタロウ・オウカ。
彼が持つ加護『認識干渉』は、あらゆる対象の認知を歪める。
ジークも人知れず認知を歪められ、気配に気付かないようにされていたのだろう。
警戒はしていたつもりだったが、甘かった。
「アイツ……!」
「大人しくしてもらおう。従わなければ仲間たちがどうなるか……分かっているな?」
「……っ」
元老院の手足であるカオナシは、裏切り者に容赦はしない。
がちゃん、と陽力を封じる手錠がジークにかけられた。
「七聖将第七席ジーク・トニトルス。並びにその影に潜む悪魔、個体名ルージュ。
異端討滅機構の最重要原理違反に基づき、貴様らを拘束する」
◆
ーー某所。
「悪く思いめさるな、ジーク殿」
ヤタロウ・オウカは一人、呟いた。
「これも全てはあなたの為。ひいては世界の為でござる」
「……大司教様。洞窟にいた葬送官の排除、完了です。
一人、エルダーになっていたので拷問官の所に送っておきました」
「うむ。ご苦労。では参ろうか」
大勢の部下を引き連れ、極東の青年は我が道を往く。
誰にも聞こえない声で、彼は誰かに問いかけた。
「……これで反撃の準備は整いました。よろしかったのですか」
『……』
「はい、全て滞りなく。もちろんです。彼には一つ傷つけさせませんとも。
『……』
「仰せの通りに。我が信仰の女神……アステシア様」




