第十一話 辺境の洗礼
「中央大陸でエルダーになった悪魔は、まず、連絡係と接触することから始めるのです」
村の近辺で空の旅を終えた一行。
荒野を歩きながら、ジークは得意げに話すヤタロウの話を聞いていた。
「冥王閣下からそういう行動を取るように誘導されるのです。もちろん、意識的に語りかけてくれるわけではなく、本能のようなものらしいですが……ともあれ、その連絡係は大陸中に存在しています。それこそジーク殿たちも行ったことがある場所で……」
「未踏破領域だね」
ヤタロウは目を丸くし、口元を歪める。
「いやはや、ジーク殿には隠し事が出来ませんなぁ」
「サンテレーゼで大侵攻が起こった時、生き残ったエルダーたちは未踏破領域に逃げ込んだって言うしね。異端討滅機構だってそれくらい知ってるんじゃないの? それでも見つからないのはーー」
「影の神スカージアの加護を受けて隠密行動に特化した悪魔だからでござるな」
ヤタロウは訳知り顔で頷いた。
「話を戻しますが、連絡係に接触したエルダーは、異なる二つの行動を取ります。まず一つ、冥王様の兵となってさらなる力を手に、人類と戦う道。もう一つが、戦うことを望まず、暗黒大陸へ渡り、不死の都で穏やかに暮らす道です。今回、ジーク殿に救っていただきたいのは後者ですな」
「……選択肢があるんだ」
「もちろんですとも。そして意外なほど、戦う道を選ぶ者達は多い。人の枠を超えた超人的な力に酔ってしまうんでしょうな」
「でも、強制されることもあるんでしょ」
「当然です。冥王様に従う事は、二度目の生を受けた者達の義務ですからな。
冥王様に権限を与えられたエルダーに従わされることもありますぞ」
「……ようは都合よく使ってるだけじゃないか」
ぼそりと呟くと、ヤタロウは「それは言ってはいけませんぞ」と声をあげて笑った。
笑うようなことでもないと思うが、何がそんなにおかしいのだろう。
「……そろそろ街も見えてきたし、ルージュ、隠れてくれる?」
ジークは振り向き、妹の手を取った。
フードに隠れた妹の顔は見えない。そう言えば、空の旅でも殆ど喋らなかった。
いつもならジークに甘えて来るのに、今日だけはそれもない。
「ルージュ?」
「ぇ、あ」
ルージュは顔を上げ、「ごめん、何?」と苦笑した。
「どうしたの、ルージュ。なんか様子が変だけど……」
「……何でもないよー。コイツの前じゃイチャイチャする気にならないだけ。あ、それともお兄ちゃん、そんなにあたしが恋しいの? ちょっと喋らないだけで寂しくなっちゃった? ふふーん♪ ね、チューしてあげよっか?」
「それはダメ。あと街が近いから、悪いけど……」
「ちぇ。分かったよ。あたしは隠れてるね」
「うん」
ルージュはジークの手を取り、影に沈んでいく。
姿が見えなくなった妹に、ジークは首を傾げた。
「ルージュ。やっぱり様子が……」
「ジーク殿、そろそろ着きますぞ」
「あ、うん。分かってる」
思考はヤタロウに寸断され、一行は通報のあった山間の村に到着する。
サンテレーゼよりも二回り小さい、全周一キロほどの小さな集落だった。
錆の付いた小型ドローンたちが周囲を巡回し、申し訳程度に壁が出来ている。
近付くとその脆さが一目で分かった。
今、悪魔が攻め込めばこの村は簡単に滅ぶだろう。
「『リエッタ村』と言います。かつては宿場町として栄えていましたが、人口減少と共に徐々に衰退。隣にもっと大きな町が出来たことで完全に廃れました。今、この集落に住んでいるのは七百人ほどと訊いています」
「へぇ……」
「まずはこの村で情報収集し、それからエルダーの集落へ向かいましょう」
ジークは頷き、門番のように佇む葬送官の所へ近づいていく。
こちらに気付くと、彼らは剣を抜き放ち、誰何の声を上げた。
「止まれ! 何者だ!」
「応援要請を受けたジーク・トニトルスです。通してくれますか」
名乗ると、二人は露骨に顔を顰めた。
「ジーク・トニトルスだと? 嘘をつくなッ!」
「へ?」
大柄な一人が叫ぶと、やせ型の一人が地面に唾を吐いた。
「ジーク・トニトルスってのは敵を睨んだだけで悪魔を葬魂して、デコピン一発で死徒をぶっ飛ばしたっつー奴だぜ? それがこんなチビ? 嘘も大概にしろ!」
「いやいやいや……葬送官の服着てるでしょ。ほら、七聖将の紋章。分からない?」
「それに、本部へ応援要請をしてからまだ三日と経っていない。こんな早く来るはずがない!」
「急いできたんですけどね……」
はぁ、とため息をつき、ジークはおのれの耳を見せつけた。
葬送官たちはギョッとする。
「「悪魔!?」」
「ジーク・トニトルスを知っているなら、彼が半魔だという事も知っていましょね? 僕がそうです。この耳と赤い目。それと……」
ジークはアルトノヴァを神獣形態に変化させた。
「きゅー!」
「「剣が魔獣に変わった……!?」」
ころころと表情が変わる葬送官たち。
だが……白い翼を広げるアルを肩に乗せても、ジークの事は信じられないらしい。
「いよいよもって怪しい……悪魔が化けているに違いないッ」
「奴から禍々しい魔力を感じる……やばいぞ。やり手だ」
彼らが何らかのスイッチを押す気配。
その瞬間、けたたましい警報音が集落中に響き渡った。
「えっと?」
「小賢しいエルダーのクソがっ! お前は俺たちがぶっ飛ばす!」
「うっそん……」
ジークは思わず呟いていた。
曲がりなりにも英雄として担ぎ上げられてきた自覚はある。
どこに行っても顔が知れ渡っているし、彼らも分かると思っていたのだが。
「どうやら彼らはジーク殿を知らないみたいですな」
ヤタロウは声を潜め、
「ここは通信設備も満足に整っていない辺境でござる。本部からの情報は何か月か遅れで届くこともあると聞きます」
「そうなんだ……本当に辺境なんだね。良く応援要請が届いたな……」
「それは我らが仕組みましたので」
「誇らしそうに言うなよ……」
ヤタロウにげんなりするジーク。
だから、気付くのが遅れてしまった。
「え」
足元から影が這い出てきた。
その影は、まっすぐ葬送官たちの元に向かっている……。
(……っ! ルージュ!?)
その影が葬送官たちに直撃する直前、ジークは足を振り上げ、影を踏み潰した。
驚愕する彼らをよそに、ジークは内心で足元に叫ぶ。
(ルージュ、今、何しようとした?)
(あいつら、お兄ちゃんを馬鹿にした)
(だからって殺すことないじゃん、いつも言ってるでしょ?)
(いいじゃん殺したって。あんな奴ら、どうせすぐ死ぬよ)
(ルージュ!)
先ほどから様子がおかしいとは思っていたが、これほどとは。
もしかしたら自分が何かしただろうか。
けれど何が彼女を怒らせているのか分からないし、心当たりもない。
(どうしちゃったの。僕、何かしちゃった?)
戸惑っていると、ルージュは我に返ったようにおどけてみせる。
(もう、何言ってんのお兄ちゃん。あたしはいつも通りだよ?
だって、あいつらムカつくじゃん。ムカつく奴はとりあえず殴ろうよ)
(……)
悪戯っぽく言う彼女はいつもの彼女だ。
けれど、彼女はなんだかんだ言いつつも人類を直接殺そうとはしなかった。
いつもジークに許可を求めてきたのに、今回はそれがなかった。
ーールージュ……どうしちゃったの?
瞬時に思考を巡らせるジークだが、
「本性を見せやがったな、悪魔野郎ッ」
危うく死にかけた葬送官たちは、決意を瞳に滲ませる。
斧型と剣型の聖杖機を抜き放ち、切っ先を向けた。
「大方、油断させて我らを滅ぼそうとしたのだろうが、そうは行かぬぞ!
その服からして元葬送官か? 哀れだが、容赦はせん!」
軍靴の音を響かせ、門の中から大勢の葬送官たちがやってくる。
都合三十人ほどだろうか。彼らは皆、敵意に満ち溢れていた。
「エルダー……一人でやってきたのか。舐め腐りやがって」
「近隣の村から応援を要請した。この人数に独りで勝てると思うな!」
「…………おい、ちょっと待て。アイツは……」
一人か二人、ジークに気付いた者達もいたようだが……いかんせん少数過ぎる。
彼らの声はかき消され、門番の叫びが響き渡った。
「かかれッ!」
「あぁ、もう……。ねぇっ、どうしたら信じてくれますか!?」
「エルダーの言う事なんか誰が信じるか馬鹿! でもそうだな、元葬送官だったことに免じて言うなら、お前一人で、誰も傷つけず、全員制圧出来たら考えてやるよ!!」
「え? そんなことでいいの?」
「!?」
飛び掛かってきた門番の一閃を、ジークは指一本で受け止めた。
切っ先に触れる陽力が、バチバチと火花を鳴らす。
(なんだコイツ……動かねぇ……!)
「そんな簡単なことでいいんだ。でも、それじゃ簡単すぎるんじゃない?」
「この……!」
「七聖将に会ったことないもんね。信じられないのも無理はない……かも。うん」
ジークは自分を納得させる。
ルージュの事や他にも気になる事はたくさんがあるが、全て後回しだ。
彼らには悪いが、八つ当たりさせてもらおう。
「分かった。君たち全員、傷一つ付けずに制圧してあげる」
「な……! テメェ、舐めんのもいい加減に」
「でも、それだと簡単すぎるからさ。条件を付けてあげるね」
次々と襲い来る葬送官の攻撃を避けながら、ジークは指を立てる。
「この指一本で、君たち全員を無力化する。加護も武器も使わない」
「な……っ」
驚愕に目を見開く葬送官たちに、ジークは申し訳なさそうに眉を下げた。
「えっと……ごめん。まだ簡単すぎるね。
どうしよっか……あ、指も使わないっていうのは?」
「「「ぶっ殺すっ!!」」
葬送官の心が一つになった瞬間だった。
雄叫びを上げ、三十人もの敵手がジークを襲うーー。
◆
「ーー本当に、申し訳ありませんでしたぁ!!」
リエッタ村の広場の中心。
そこでは三十人ほどの大人が、地面に跪いていた。
その中心にいるジークは「あはは」と頬を掻いている。
「分かってくれたようで何よりです……いやほんとに」
とある母子が「ママ、なにあれー?」と指差すと、
「しっ、見ちゃいけません。男には見られたくない事もあるの」と宥める。
彼女ら以外の周りも似たような反応だ。
「ほんとに男は馬鹿だね……だから新聞は読めって言ったのに」
「まさか応援に来た人に集団で襲い掛かるなんて……しかも、完敗したって」
「「「馬鹿だねぇ……」」」
井戸端会議をしていそうな主婦たちが言った。
その言葉に「ぐっ」と奥歯を噛んだのは、門番の一人である男だ。
「うっせぇぞ女どもッ! 見世物じゃねぇんだ! 散りやがれ!」
「うるさいのはアンタだよ。ガジル。村で一番強いとか豪語してたのに負けただろ」
「そうよそうよ、いっつも偉そうにして。家庭を守る女舐めんじゃないわよ!」
ガジルと呼ばれた門番は頭が痛そうに額を抑えた。
女たちだけではない。仲間の葬送官たちも彼に非難の目を向ける。
「何をしている、ガジル。早く跪け。この方を誰だと心得るんだ!」
「先の大戦争で大活躍したジーク・トニトルス様だぞ、人類の守護者に無礼を働く気か!?」
「うるせぇぞ馬鹿ども! 強い奴だって分かった途端、手のひら返しやがって!」
吠えるガジルに苦笑し、ジークは問いかけた。
「それで、この村の責任者は?」
「儂でございますじゃ。長老と呼ばれております」
村人の中からやってきたのは一人の老人だ。
「この度は、うちのモンが大変に失礼をば……」
「あ、いえ。過ぎたことはいいんです。慣れてますので」
跪こうとする老人を手で制し、
「そんな事より、状況を教えてください。 この近辺にエルダーの集落が確認されたと聞きましたけど、間違いありませんか?」
「はぁ。その通りですじゃ。ここから西の山奥に滝があるんですがの。どうやらその滝の中に空間があるようで。その中で暮らしているようですじゃ。ほれ、山に鹿を取りに行ったときに葬送官の一人が滝の中に入る人影に気づきましての。あとを付けて見たら……というわけですじゃ」
「なるほど。西の方に……それ以降、誰かその滝の中に入った人は?」
「おりません」
「彼らの規模は?」
「大体五百体ほどと訊いております」
「少ない……いや多いのか? ちょっと分かんないな。
まぁ状況は把握しました。行ってきます。今日中に終わらせますので」
頷くと、周りが「おぉ」とざわめいた。
長老はホっとしたように顎髭を撫でた。
「でしたら、案内の者をつけさせます。葬送官たちも同行させますので……」
「あ、結構です。もう感知しましたから。僕一人で充分です」
「は……? あの、偵察などでエルダーの能力を確認されては……」
「強そうな相手は居ないようですし、問題ないです。それでは」
ぺこりと頭を下げ、ジークはその場を後にする。
嵐のように過ぎ去った小さな英雄を、葬送官たちは感慨深く見つめた。
「すげぇ自信……あれが七聖将って奴かよ」
「ここからペンネギス山まで何キロあると思ってんだよ。それを感知って……」
「死徒を何体も殺してるって噂だからな。だから俺は言ったのに……」
最初にジークに気付いた葬送官がげんなりとした声で言った。
かくいう彼の頭にもたんこぶが出来ており、きっちりジークにやられている。
ぼやく仲間たちの姿を見ながら、ガジル・ボーンは舌打ちした。
「クソが。あのガキ……ほんとに指一本で制圧しやがって……!」
ガジルは先ほど見せたジークの戦闘力を思い出す。
自分が半生をかけて鍛え上げた剣術を、彼は一顧だにしなかった。
休む暇も与えない、避ける隙間もない連続攻撃だった。
右、左、下、上、加護を駆使した総攻撃だった。
全て、無意味だった。
彼は指を払うだけで、自分を取り囲んだ十人の葬送官を転がした。
彼が指を突くだけで、葬送官たちの加護が破られた。
ーーそれだけならまだ良かった。
ギリ、とガジルは奥歯を噛みしめる。
「あの野郎……一歩も動いていなかった……!」
そう、指一本ならず、彼は動きすらしなかったのだ。
その場で身体を動かすだけで、足は地面に着いたままだった。
あれが七聖将。あれこそが人類の守護者。
葬送官の中でも一パーセントの天才の、
さらに一パーセントが至れる序列一桁台の高み……!
あの戦いのあと、彼が本物の七聖将であるという事は付き添いの神官が新聞を持ってきたことで判明した。おかげで村中が大騒ぎだ。
仲間の葬送官たちも手のひらを返したように平伏していた。
だが……。
「気に入らねぇ……!」
ガジルは激怒していた。
「ここは俺たちの村だ。よそ者に解決されてたまるかよ……!」
あと三日もあれば攻略計画を立てて攻め込んでいるところだったのに。
村の馬鹿女どもが勝手に応援なんて要請しやがって。
しかもやけに来るのが早すぎる。
普通、こんな辺境の村の要請なんて一向に無視されるはずなのに。
「何もかも気に入らねぇ……このままで終わらせられっかよ……!」
舌打ちし、ガジルは歩き出す。
彼の瞳には、暗い光が宿っていた。