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ゴッド・スレイヤー  作者: 山夜みい
第二章 紅娘の祈り
128/231

第八話 すれ違う想い、男の意地

 


「オラァアアアアッ!」

「はぁ──っ!」


 訓練場の中に、重い拳打の音が響き渡っている。

 二人の獣人は時に尻尾を使い、時に牙を用い、時に爪を閃かせる。

 実戦を想定した本格的な訓練を見て、ジークは呟いた。


「オズもカレンも、頑張ってるね。昨日未踏破領域に潜ってたばかりなのに」

(あの戦いで一番堪えたみたいだから……そっとしとこ?)

「そうだね……」


 二人のそばをそっと後にする。

 異端討滅機構本部の回廊を歩いていると、同僚の一人が現れた。


「む。アンタ……」

「あ、ラナさん」


 赤髪の少女、七聖将第五席、ラナ・ヘイルダム。

 左半身に包帯を巻きつけた彼女の姿に、ジークは首を傾げた。


「もう大丈夫なんですか、それ」

「手術自体はとっくに終わってるわ。今は、リハビリをしてる所よ」

「そうですか……」

「むしろこれで前より効率的に悪魔を殺せるようになったんだから、安いものよ」


 そう言って彼女は包帯を取り、鋼鉄の腕を露わにする。

 腕を持ち上げると肘から剣が突き出し、手のひらには穴が開いていた。

 得意げに、彼女は笑う。


「今ならこれであんたもぶっ飛ばせるかもね?」

「それはないですよ。腕がもったいないのでしまってください」

「ぐ……っ、アンタ、ちょっとは動じなさいよ!」


 がるる、と凄むラナだが、ジークは笑って受け流す。


「それより、今から姫様の護衛ですか?」

「えぇ、そうよ。明後日はアンタの番なんだから、ちゃんとしなさいよね」

「それは分かってます。あ、そういえば第一席って戻ってませんか? 僕、まだ挨拶できてなくて」

「アイリスならとっくに任務に向かったわよ。あの子、任務漬けだから」

「そうですか……オリヴィアさんがお世話になると聞いて、挨拶したかったんですけど……」


 まぁ、今の状態で会うよりはいいか。とジークは思い直す。

 悪態をつくラナの相手をしてから、ジークは異端討滅機構本部を出た。


「じゃあ、アステシア様の所に行こっか」

(お兄ちゃん、本当にお姉ちゃんに相談しなくていいの?)

「……うん、知られたくないもん」


 恋人が人の血を求める悪魔になったと聞いたら、リリアはどう思うだろう。

 きっと受け入れてくれると思う。だが、無意識下でどう思っているかは話が別だ。


「普通、嫌でしょ。こんなの……あ、僕は平気だけど。ルージュのは大丈夫だから」

(そう、だね……でも、相談しなかったらお姉ちゃん、怒るかもよ)

「それはそうだけど……」

(行ってみようよ。ちゃんと話せば、分かってくれるよ)

「…………でも」

(ほら行こ! 恋人でしょ!)

「………………うん」


 ルージュに影を操られ、ジークは半ば強制的にリリアの元に向かう事になった。

 本音を言えば今は会いたくないのだが、やけに強引なルージュにはかなわない。

 確かこの時間は冬の女神の代理として神殿に行くと聞いた。

 神殿地区を少し歩けば、彼女に会えるだろう……。


「ーー本当に、光栄です。熾天使(セラフィム)殿に訪ねていただけるとは」

熾天使(セラフィム)といっても、私はまだ若輩者ですから、お手柔らかにお願いしますね」


 予想違わず、冬の女神の神殿前にリリアはいた。

 彼女の前には整った顔立ちの、どこかそわそわした男天使が佇んでいる。


「それで、リリア殿は天使としての戦い方を教えてほしい、とのことですが……」

「えぇ、神殿長。長らく天使として在り続けたあなたなら、分かるかと思いまして」

「それはもちろん。天使と人間では違いますからな」


 男天使の頬はどこか紅潮しているように見える。

 その翼はせわしなく動いていた。


「私でよければ、何なりと聞いて下さい」

「はい。あ、じゃあ早速手合わせしてもらっていいですか?」

「もちろん、と言いたいところですが……その綺麗な身体に傷がついてはいけない。防具を持ってこさせましょう」

「まぁ、お上手ですね」


 リリアと男天使は楽しそうに談笑を交わす。

 ジークは何も言わず、神殿に背を向けて歩き出した。


(お兄ちゃん……その、今のは)

「分かってる。リリアはあの人に対して何も思ってない。そんなの、分かってる」


 気遣わしげなルージュの言葉に、ジークは奥歯を噛みしめる。

 リリアのことを疑っているわけでも、嫉妬しているわけでもない。

 自分は彼女を心の底から信じている。

 恐らく彼女は、自分の為に天使として強くなろうとしているのだ。


 それでも。

 今、見たい光景ではなかった。


 自分が居なくても、リリアは天使の中に居場所があるのだと。

 もしも彼女が自分から離れた時の事を、想像してしまったから。


「……ダメだ、僕、弱いね。こんなんじゃテレサ師匠に怒られるよ」

(身体の異常に心が引っ張られてるんだよ。早くアステシア様の所に行こう?)

「……うん」


 頷き、ジークは足早に叡智の神殿に向かった。



 ◆



「……?」


 神殿長と談笑していたリリアは、不意に動きを止めて振り返る。

 神殿と神殿の間にある路地裏の影。そこには誰も居ない。

 ただ、今感じた気配は……。


(……ジーク?)

「どうかしましたか? リリア殿」


 声を掛けられ、ハッとリリアは顔を上げた。


「あ、いえ。何でもありません」

「そうですか」


 一拍の沈黙。

 神殿長はそこで、意を決したように口を開いた。


「あの、話は変わりますが……よろしければ今晩、お食事でもいかがでしょう?」

「すいません」


 リリアは苦笑で返す。


「わたし、例え同僚でも……親睦を深めるためであっても、

 他の男性と食事はしないと決めてるんです。既に伴侶が居ますので」


 神殿長の表情が曇った。


「そうですか……よほど、大事にされているですね」

「はい。世界で一番大切な人です」

「例え、相手が半魔であっても……?」


 リリアは迷いなく頷いた。


「どんな種族でも、兵器でも。わたしは一生涯、彼を愛し続けます」


 だから、


「その為にも、強くならなければいけないんです。お願いします」

「……分かってはいましたが、これが愛の力という奴ですか。かないませんなぁ」


 神殿長は諦めたようにため息をついた。

 そして頭を上げ、天使をたばねる長の顔で頷く。


「分かりました。この私が知る全てを、あなたに教えます。修業は厳しいですよ?」

「望むところです!」


 そうしてリリアは神殿の奥へ歩いて行く。

 自分の遥か先を行く、英雄であり恋人の力になるために。




 ◆




 ーー天界。アステシアの神域。

 ――『叡智の図書館』バルコニー。


「来ると思っていたわ」


 湯気が立つカップに口をつけながら、アステシアは言った。

 彼女の対面に座るジークは、カップに揺れる波紋を見つめる。


「僕の心に……悪魔みたいな衝動が……無性に、血を呑みたくなるんです」

「……うん」

「僕は、どうなったんでしょうか。悪魔になったんでしょうか?」

「きっかけは、分からない?」

「……分かりません」


 最近身体に起きた変化は七聖の儀、そしてアステシアとの魂の共鳴だ。

 あれ以来ジークの陽力量は倍以上に膨れ上がり、陽力を使い切る事すら難しい。

 だが、あれのせいで悪魔になるかと言われれば、それは違うとジークは思う。


「そうね。七聖の儀ではないわ」


 彼の女神は既に答えを知っている。

 それでも答えないのは彼に自分で答えを出してほしいからだ。

 しかし、憔悴した今のジークに考える余裕などなく。


「アステシア様、教えてください。なんで僕にこんな事が……」

「……原因は一つしかない」


 アステシアはカップを置き、ジークを見つめた。


()()()()()()()()()()()()()

「え」


 そんな、ことが?


 唖然とするジークたちの間に、いやな沈黙が広がっていく。

 一拍の間を置いて、女神は続けた。


「他の人間にとってはそんな事でも、あなたにとってはそうではないの」

「そん、な。そんな前から……きっかけは、あった……?」

「えぇ」


 アステシアは淡々と頷いた。

 立ち上がりかけたジークは、呆然としたまま座り込む。


「なんで……アステシア様は、知っていたんですか?」


 アステシアは一瞬瞑目し、そして頷いた。


「えぇ。知っていたわ」

「じゃあどうしてっ!」

「知っていたら、あなたは冥界に行くのをやめた?」

「……っ」


 ジークは言葉を詰まらせた。

 リリアを助けるために冥界に行った、あの時。

 もしも冥界に行けば悪魔になると言われていたら、リリアを諦めただろうか。

 冥界行きを諦め、彼女の死を受け入れただろうかーー?


「あなたは諦めなかったでしょうね。むしろ周りが反対すればするほど、意固地になって行こうとしたでしょう。でも、気負いすぎたら冥界では死ぬことになる。現にあなたは死にかけた。私、言ったわよね。どんな結末になっても後悔しないようにって」

「……っ」


 苦虫を噛み潰したような味が、口の中に広がった。


「なんで……冥界に行ったら、悪魔になるんですか?」

「あなたが半魔だったからよ。兵器として生まれたことを抜きにしてもね」


 アステシアは語る。

 人と悪魔の間に生まれたジークは肉体を現世に、そして魂を現世と冥界の狭間に置いていた。そうして名を与えられ、現世に存在を許されていたのだと。


 だが冥界に潜ったことにより、狭間にあった魂は冥界で肉体と一つになった。

 これが絶対防御領域が目覚める理由になったらしいが、それゆえに弊害が生じる。

 肉体と魂が冥界側に寄ってしまったことで、在り方そのものが悪魔に近付いたのだ。


 幸いにも次元の狭間にある《魂の泉》で時を過ごしていたことから進行は遅くなっていたが、一度現世に出て、さらに中央大陸に帰るため、冥界を通して現世に戻ったジークの身体はーー


「冥界から魂を得て現世に生き返る。これは悪魔の発生現象そのものよ」

「……エルダーは、血を呑まないと生きられないんですか?」


 アステシアは首を横に振る。


「いいえ。本来、エルダーに人間の血は必要ない。完全に冥王とオルクトヴィアスの眷属になっているからね。人を喰らおうとするのは自我を失った悪魔だけ。でも、あなたにはゼレオティール様の加護がある。半魔であるが故に受け入れていた絶大な加護が悪魔の肉体を受け入れず、拒絶反応を起こしているのよ。だから、どっちつかずになって、他人の陽力を求めて自己を補完しようとしている」


 残酷な答えに、ジークは肩を震わせた。


「……つまり、僕の身体はもう」

「組成的には、人でも悪魔でもない、別のナニカという事ね」

「ぁ」


 でも、とアステシアは身を乗り出し、ジークの手を握る。


「あなたはあなたよ。それは変わらない。そうでしょ?」

「そう、ですけど」


 問題は、吸血衝動の方だ。

 いつか自分がリリアを襲うと考えたら、居ても立っても居られない。


「……アステシア様。これをどうにかする方法って」

ないわ(・・・)


 叡智の女神は断言する。


「あなたの身体を元に戻す方法は、ない」

「……っ」

「けど、その衝動を収める方法ならある」


 ジークは弾かれるように顔を上げた。


「それはーー」

「言わなくても分かるでしょう?」


 アステシアは諭すように、


「人間の血を……いえ、天使であるリリアの血を呑みなさい。そうすれば、あなたの衝動は収まるわ」


 それ以外に、その衝動を抑える術はない。

 女神から受けた宣告に、ジークは力なく項垂れた。



 ◆



 ぱちり、とジークは目を開いた。

 叡智の女神の神殿。荘厳な天井が目の前に広がっている。


「お兄ちゃん、どうだった?」

「うん……」


 身内以外に誰も居ない部屋の中、妹は兄に問いかける。

 ルージュはジークの浮かない顔で全てを察した。


「……そっか。ダメだったんだね」

「うん……ごめんね」

「あたしに謝らないでよ。お兄ちゃんは何も悪くないじゃん」

「そうなんだけど、さ」


 ジークの心はどうやっても晴れなかった。

 妹の顔が曇っているのに、頭を撫でてやる事も出来ない。


「やっぱり、お姉ちゃんに相談したほうがいいんじゃない?」

「アステシア様にも、そう言われたよ」


 ジークは苦笑し、別れ際のやり取りを思い出す。


『ジーク。あの子なら分かってくれる』

『大丈夫。その程度で壊れるほど、あなた達の絆はヤワじゃない』

『血をちょうだい、なんて言ったら、あの子、喜んで協力すると思うわよ?』


(確かに、リリアなら分かってくれる。それは、僕も分かってるんだ)


 でも違う。そうじゃない。

 これは理屈の問題ではなく、感情の問題だ。

 自分を助けるためにジークが悪魔となったと知ったら……彼女はどう思う?

 賢い彼女の事だ。

 熾天使(セラフィム)の立場を使ってジークの身体を調べ上げ、やがて原因を突き止める。


 その時にあの子が自分を責める事が、何よりも嫌だった。

 自責の念なんて欠片も抱いてほしくはない。傷ついてほしくないのだ。

 これはただの、つまらない男の意地だ。


「まだ、なにか方法を探すよ……きっと、あるはずだから」

『でも…………』


 叡智の女神であるアステシアが『ない』と言ったなら、ないのではないかと。

 口にしかけたルージュは言葉を詰まらせ、首を振り、やがて微笑んだ。


『分かった。あたしも協力するから』

「うん……ありがとう」


 ジークは弱々しく笑みを返し、ルージュを影の中に受け入れる。

 部屋を出て、神官たちの仰々しい挨拶に応え、再び街に出た。

 すると、そこには。


「やや、ジーク殿ではありませんか! 来ていらっしゃるなら仰って頂ければよいのに!」


 丸眼鏡をくい、と上げ、ヤタロウ・オウカが近づいてくる。

 ジークは上機嫌な男へ曖昧に頷き、その横を通り過ぎた。


「ごめん、あなたの相手をしている余裕は……」


 その瞬間だった。


「ーー血を呑みたくて仕方がないから、ですかな?」

「……っ!」


 ジークは弾かれるように振り返った。

 ヤタロウ・オウカは、底知れない笑みを浮かべてジークを見ている。


「悪魔のように血が呑みたくて仕方がない。そうでござろう?」

「なんで……」


 このことは、ルージュとアステシア以外、誰も知らないはずだ。

 七聖将の同僚にも言っていないし、ルナマリアも知らない。

 なのになぜ、この男が知っている……?


「ふふ。前に言ったでござろう? 我ら叡智の神殿の情報網は……」

「ふざけないでください」


 いつでも魔剣を抜ける準備をしながら、ジークは鋭く問う。


「あなたは一体、何者ですか?」

「何を異なことを仰いますか。拙者はアステシア様の加護を与えられた……」

「アステシア様の信徒、なんて嘘は止めてください。彼女が……言ったら悪いですけど、あなたのような一般人に加護を与えるとは思えない」

「……クク。これは失礼」


 ヤタロウの口調が変わる。

 彼は丸眼鏡をはずし、髪をかきあげ、神官服の裾を緩めた。


「では改めて名乗りましょう、七聖将第七席『神殺しの雷霆(ゴッド・スレイヤー)』ジーク・トニトルス殿」


 雰囲気が一変し、ジークは初めてその男の顔を見た気がした。

 整った顔立ちに、藍色の長髪、鍛え上げたしなやかな手足。

 別人のように変わった青年は、慇懃に一礼する。



「我こそは悪魔教団大司教が一人、ヤタロウ・オウカ。以後お見知りおきを」




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― 新着の感想 ―
[一言] 色々言いたいことがあるけれど、まずこれだけは言わせてくれ!なんか展開面白すぎぃ!!ジークの体が変質してるとか。ヤタロウが悪魔教団だとかは置いておいて。面白すぎぃ!!! やっぱみいさんすごいっ…
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