第三話 七聖将の日常
「七聖将の仕事は多岐にわたる」
眼鏡をくい、と上げ、アレクは真剣な顔で言った。
「その中でも一番目立つのが、貴様の得意な上位悪魔の葬魂だ。並の葬送官では太刀打ちできないもの、各国に点在する支部では対処しきれない大量の悪魔たち。そういった悪魔の出現報告を受け、七聖将が処理する。英雄と呼ばれている貴様には分かりやすいだろう」
「それはまぁ。でも、それだけじゃないんですよね?」
「無論だ」
異端討滅機構本部の廊下を歩き、アレクはとある扉を開ける。
そこでは投影画面とにらめっこしてカタカタと指を動かす事務官たちの姿があった。
「葬送官の活動状況、部下の健康状態、受けた任務の処理、未踏破領域の探索資料まとめ……その他多数。一見地味だが、裏方として事務仕事をするのも七聖将の立派な仕事だ。なかには部下にほとんど押し付けて自分だけ鍛冶に打ち込む馬鹿もいるが……」
(トリスさん、そんな感じなんだ……)
「アレはアレで人類の貢献になるから文句も言えん。貴様がそうでないことを祈る」
「えーっと、頑張ります……」
正直に言えば、事務仕事など自分に出来るだろうかと思う。
テレサに拾われてから戦ってばかりで、葬送官の手続き等も任せていたからだ。
けれどアレクの目はギラついていて、問答無用といった様子だ。
(あぁ、きっと人手が足りないんだろうなぁ)
ジークをしてそう思わせてしまう迫力が彼にはあった。
七聖将が処理するような事務仕事だ。きっと自分の判断で多くが動くことになる。
事務仕事に関する説明を聞きながら、思わずため息が漏れた。
(責任重大だなぁ……)
テレサに拾われたころが懐かしい。遠い所に来てしまった気分だ。
そんな感慨に浸っていると、アレクが書類の一つを見て言った。
「ではここでテストを行う」
「えっ」
咳払いし、彼は続ける。
「悪魔に呑まれた街を解放するため、三日前に出立した部隊との連絡が途絶えた。
直前まで送られた映像では強力な悪魔に襲われたと思われ、街の解放状況は不明だ。
部隊の誰とも連絡がつかないが、応援を送るべきか否か。もしくは我ら七聖将の出番かどうかを答えろ」
そう言ってアレクは書類を渡してくる。
言われた通りの内容が書かれており、ジークは内心で冷や汗をかいた。
(ぼ、新人に判断させるの? 模範解答は……ないよねそんなの。ん~~)
ジークは五秒ほど悩み、二、三、質問を重ねる。
「この部隊が出立する時点で把握している悪魔の情報は?」
「小隊規模のエルダー、一級悪魔が数十体、残りは雑魚だ」
「周辺に街は?」
「十キロ離れたところに二つの村がある。五十キロ離れた時点にも街があるな」
「出立した葬送官たちの序列は?」
「百位以下が一名、残りは千番台と四千番台、それから新入りだ」
「なるほど……」
ぶっちゃけて言えば自分が行って処理するのが一番早い。
ゼレオティールの加護を使えばそれほど時間はかからないだろう。
だが、ここで求められているのはそんな力業ではないはずだ。
「……まず赤燐竜部隊での偵察をすべきです。応援の判断は早いかと」
「ほう。なぜそう思う?」
「連絡が途絶えたのは二つの可能性が考えられます。一つは部隊全員が負けて悪魔になったこと。この場合の最悪は、彼らがエルダーになってこちらの情報を相手に渡してしまう事です。そうなれば、こちらが応援に向かうルートに待ち伏せされる可能性がある。もう一つは聖杖機が故障して通信機能不全になったこと。この場合の最悪は街が解放されているにも関わらず僕らが無闇に応援を送って、他の送るべきところに応援を送れないこと。彼らがどういう状況か不明な以上、派手な動きは慎むべきです」
ふむ、とアレクは眼鏡を光らせる。
「だが、悪魔に呑まれた街だ。すぐに周辺の村を動かさないと悪魔はすぐに次の村を襲うぞ。貴様にとってはそれが最悪の状況ではないのか?」
「いじわるな質問ですね。街が悪魔に呑まれた時点で、その村には既に連絡がいっているでしょう?」
確か、両親と旅をしている時に母がそう言っていた気がする。
街と街の間には通信網が敷かれていて、数時間連絡が途絶えた場合、その周辺の街はすぐに避難を始めるのだと。
悪魔の大量発生はさらなる悪魔を呼ぶため、そうやって相互に関係を持っているのだと。
アレクが言った村は、既に応援を呼びつつ、避難しているはずだ。
実際、そうやって避難している人々にジークは会った事がある。石を投げられたが。
「なるほど」
迷いのない回答に、アレクは口の端を緩めた。
「なぜ貴様が短期間で未踏破領域を十個も踏破できたのか。その理由が分かった」
「えっと、それで?」
「合格だ。既に偵察部隊を送ってある。結果、街の解放には成功した、部隊の内、二名が死亡したらしい。貴様の言う通り、聖杖機を壊されたようだな」
「そうですか」
それが良い結果なのか、悪い結果なのかは分からない。
彼らにとっては最悪だろうし、アレクには数ある結果の一つに過ぎないのだろう。
淡々と言う彼からそんな印象を覚えたジークだが、
「エッダもトルトリーノも、将来有望な人材だった。残念だ」
「え?」
ジークは顔を上げ、
「……もしかして、全員の名前を憶えてるんですか?」
「無論だ。名前だけではなく、顔もな」
「……任務に送った部隊だけですよね?」
「葬送官全員に決まっているだろう。地方の新入りの顔も覚えているぞ」
「……」
異端討滅機構に所属する葬送官は総数十万人はくだらない。
その全員の顔と名前を覚えている?
馬鹿なと言いたいが、アレクからは嘘の気配を感じられない。
(なにそれ……どんな頭してるの……?)
自分には到底そんなことできない。真似しようと思っても出来ない。
彼が七聖将の中で智将と呼ばれている意味を、初めて理解した。
「すごい、記憶力ですね……」
「貴様も七聖将なのだ。これくらいは出来るようになれ」
「絶っっ対に無理です」
頑張っても無理なのは分かっているから、あらかじめ言っておく。
そんな事が出来るのはあなただけです、と呆れつつ、
「でも、関わった人は覚えようと思います」
「……とりあえず、それでいいだろう。励め」
「はい」
「では、明日から事務仕事を任せるからな。一人で判断するように」
「はい。わかり………………はい!? 明日!?」
ジークは悲鳴を上げた。
アレクは不思議そうに片眉を上げる。
「当たり前だ。葬送官は人手不足。まともな判断が出来るなら早めに独り立ちさせる」
「早すぎますよ!? たった一個聞いただけで! 僕がどうしようもない判断をしちゃったらどうするんですか!」
「もしそれで事態が悪化すれば、貴様の責任という事になるな」
アレクはこともなげに言った。
「貴様に与えられる報酬がいくらか知ってるか? 小さな街の年度予算に匹敵する額だ。貴様にはその額に見合った責任が求められている。七聖将とは人類の守護者。貴様の判断一つで、街の命運が分かたれる。それだけの能力を、皆が貴様に求めているのだ」
「……っ」
分かっていたはずだった。
けれど、本当に分かっていた『つもり』だったとジークは痛感していた。
死徒や神霊を倒すだけが英雄というわけではない。
あらゆるものの命運を背負ってこそ、英雄と呼ばれる資格があるのだと。
(今までは無意識だっただけで、なんかすごい重圧……でも、)
きっと一人では折れていたけれど、自分には仲間が居るから。
もう間違えない。誰がなんと言おうが、彼らが居るなら自分は頑張れる。
(そうだよね、ルージュ)
(ふっふふっふ。お兄ちゃんの仕事風景を傍で見られる……これぞ妹の特権……!)
(いやなに言ってんの!?)
影の中に潜む妹に思わず突っ込みを入れるジーク。
アレクはふっと口元を緩め、
「まぁ安心しろ。今日で一通りの事務は叩き込んでやる。
責任の重さは痛感しただろうから、すぐに覚えるだろう。何かあれば教育係のシェンも居る」
「が、頑張ります」
「うむ。少し脅したが……我らでしか判断できないような事はそれほどない。基本的には部下に恵まれていればこなせる量だ。トリスのようにな」
「部下、ですか。事務を行える人なんて、僕の仲間には……」
「ローリンズ審問官が居るだろう。彼女に頼めば恐らく喜んでやってくれると思うぞ」
「そうかな……一応頼んでみますけど」
(あたしの特権が五秒で崩壊した!?)
何やらルージュが悲鳴を上げているが、ジークは努めて無視する。
どのみち自分一人で事務を全てをこなせるとは思えないし、誰かに手伝ってもらう必要はあるのだ。
(それとも、ルージュ、やってみる?)
(やだよ。あたしはお兄ちゃんが仕事で悶々としている姿を一番近くで見ていたいだけであって、事務仕事を手伝いたいわけじゃないもん。えっへん!)
(ロクでもない理由で胸を張らないでくれるかなっ?)
ルージュに頼むのは無理か。
リリアに頼んで、もし無理ならカレンにやってもらおうとジークは脳裏にメモする。
そんなジークに、アレクは「それと」眼鏡をクイ、と上げて、
「貴様は既に七聖将になったのだから、レギオン以外にも仲間を作るべきだ」
「レギオン以外に……? でも……」
「葬送官が七聖将になった場合、レギオンは七聖将の一小隊として数えられる。が、七聖将なら最低でも大隊規模の部下は必要だ。私の所で言うなら直属で五百人ほど部下が居るし、トリスで言うなら工作部隊として千人以上の部下を受け持っている。シェンもラナも、貴様よりずっと多いぞ」
「そう、ですね……」
まだ、ジークには仲間以外に部下を持つことを考えていなかった。
必要なことだとは分かっているが、部下を持つという事は彼らの命を預かるわけで、
信頼関係も築いていない者達の命を預かるなど、冗談ではないという気分だ。
ーーと。以前までの自分なら考えていただろう。
(それが、英雄になるって言う事なら……やらなきゃいけないよね)
世界の在り方を変えるという志は、並大抵の努力では叶えられない。
時には自分や今の仲間だけでは対処できない事も出来るだろう。
そのために、信頼できる人手や部隊はあったほうが良いに決まっている。
「参考になるかは分からんが」
アレクは眼鏡を上げ、
「明日は第三席……イチカの部隊を見ていくといい。奴の部隊はシェン同様、武闘派だからな。強力な相手との戦いを得意とする貴様にとって、いい刺激になるだろう」
「分かりました。ありがとうございます」
「あぁ。ともあれ、まずは事務仕事だ。今日で徹底的に覚えていけ」
そう言って、アレクは付きっ切りで事務仕事を教えてくれた。
魔導機械に文字を打ち込むのは慣れない事ばかりだったが、未踏破領域の資料や葬魂任務の基本などはジークが慣れ親しんだ者だったから、すんなり覚える事が出来た。といっても、魔導機械に文字を打ち込むことには慣れず、指で一本一本ボタンを押していくことにアレクが呆れた場面もあったが……。
ともあれ、こうして七聖将としての一日は瞬く間に過ぎていった。
「ーーと、いう事だからリリア、事務仕事のお手伝い、お願いできる?」
「もちろんです。むしろわたしを指名してくれなかった怒りましたよ」
仕事を終えて拠点に帰ったその日の夜。
晩御飯を食べながら切り出したジークに、リリアは微笑んだ。
「ジークは放っておくと何をするか分かりませんからね。ルージュが見ているとはいえ、ルージュも無茶しがちですし」
「つーん。あたしはお兄ちゃんほどじゃないもん。ちゃんと分別を弁えてるんだから」
「「……それはどうかな」」
「なんでみんなハモる!?」
全員から首を傾げられて、ルージュは抗議の声を上げる。
食卓に響く穏やかな笑いが疲れた体に染み渡り、ジークはホっと息をつく。
「そういえば、オズたちは大丈夫かな?」
「初めての哨戒任務でしたっけ。あの二人なら問題ないですよ」
「そうそう。ゴリラはともかく、カレンさんだっているしね」
「いやぁ、実力的な話じゃなくて……」
ジークが言いたいことを察し、リリアは苦笑した。
「その点も、問題ないと思いますよ」
リリアは居間のテレビをつけた。
途端、もはや見慣れた猫耳の女性が、ひらひらの服を着て踊っている番組が映る。
『にゃん♪ にゃん♪』とリズムに合わせて揺れる尻尾が可愛らしい。
「この通り、獣人の差別をなくそうと、姉弟子さんが頑張ってくれてますから。
カルナックの獣人たちは、他の街よりかなりマシな扱いを受けているはずです」
「そうなんだけど……ううん、そうだね、大丈夫だよね」
ジークは自分が葬送官になったばかりの頃を思い出していた。
あの時、自分は半魔だからという理由で蔑まれ、疎まれていたが……。
獣人である彼らも、負けず劣らずの迫害を受けているかもしれない。
カルナックに来たばかりの頃、ウォーレンが突っかかってきた時のように。
そう考えると、気が気でなかったのだ。
「まぁ……もぐもぐ……大丈夫じゃない? もぐもぐ……何があっても……もぐもぐ……あの二人なら何とかするし、それに……」
ごくり。とルージュはフォークの切っ先をジークに向ける。
「お兄ちゃんの仲間に表立って敵対するような真似、ここの人たちはしないでしょ」
「それは確かに」
今日の事で痛感したが、聖なる地で七聖将が持っている権力は絶大だ。
受け持っている部隊をどう動かすかも、どの任務に向かうかも彼らの胸先三寸。
ジークが受け持っている部隊は今のところないが、必要とあれば他の誰かを通じて動かす事も出来る。
下手な真似をすれば間接的に殺されてもおかしくはないのだ。
「じゃあ大丈夫かな」
「そうだよ……もぐもぐ……心配しすぎ……もぐもぐ」
「ルージュ、食べながら喋るのは止めなさい。お行儀が悪いですよ」
「はーい。もぐもぐ……」
「もう」
食べかすを付けたルージュの口元をリリアが拭い取る。
「んむー」「ほら、じっとして」
不意に、リリアが振り向いた。
「さっきの部隊の話ですが、ジークの部下はもう決まっているんですか?」
「ううん。他の七聖将が受け持っていない人たちをスカウトしていくんだって。僕が」
「スカウトですか……」
ジークの事だから経歴や功績ではなく人となりで判断しようとするだろう。
事務仕事を手伝うとなれば、彼らの経歴を確認するのはリリアの仕事だ。
(気を付けないといけませんね)
ジークを好ましく思っていない勢力、悪魔教団の内通者、その他不穏な勢力。
そういった者達を近づけさせないようにしなければならない。
彼に万が一はないと思うが、彼の心を守るためだ。
(それに……今の七聖将が受け持っていない人達という事は……)
乱暴な言い方をすれば、彼らの目に留まるような力がなかったという事でもある。
中途半端な力を持つ者なら邪魔なだけ。
いっそ部下など居ない方が楽という事態は避けたい。
今やジークは、単独で国を救える力を持っているのだから。
(責任重大ですね。忙しくなりそうです)
「わたし、頑張りますね」
「……? うん、ありがと」
恋人の内心を理解していないジークは首をかしげる。
ともあれ、
「明日、第三席の所に見学に行くことになったからさ。
その時に部隊作りのコツとか聞いておこうかなって」
「なるほど……」
リリアは顎に手を当て、
「それ、わたしもついて行っていいですか?」
「ほえ?」