閑話 水面下の陰謀
ーー中央大陸最西端『聖なる地』カルナック
ーー異端討滅機構本部、元老院。
「……今回も、なんとか持ちこたえたか」
薄暗い室内の中で、円卓に老人たちが座っていた。
一段低い彼らの中心には、ルナマリアが佇んでいる。
「活躍したのはアレか。英雄として担ぎ上げておいてよかったな」
「葬送官の犠牲者も少ない。よくやってくれた」
「神造兵器という話だが……使えるうちに悪魔を減らしたいところだな」
「例の研究を再開をさせてみては? あれが量産できるなら人類の勝利は……」
「ことは神々が関わっている。無理だろうな」
好き勝手にほざく元老院たちの面々を見ながら、ルナマリアは胸中で思う。
(安全な後方から我が子らを見下ろす老害共め。人を家畜か何かだと思っているのか)
そう言いたいのをぐっと堪える。
ここで奴らの機嫌を損ねれば何を言われるかもわからない。
そもそも人造悪魔創造計画は失敗しているのだ。
既に計画の根幹であるセレスの細胞は全て失われ、ルージュという遺産を残すのみとなった。もう一度再開しようものなら、どれだけ無辜の子供たちが犠牲になる事か。
「今回の戦争はこれで終わりだと思うか、ルナマリア?」
「……恐らくそうじゃろうな。トリスからの報告によれば、悪魔共は暗黒大陸に帰投したらしい」
「……ふむ」
元老院の一人は顎に手を当てて考え込む。
恐らくルナマリアと彼が考えていることは同じだろう。
(今回の戦争、葬送官側の被害が少なすぎる)
冥王側にはまだ四〇〇万の軍勢が残っていた。
対して葬送官側は七〇〇〇人弱。
いかにジークが脅威であり、七聖将の大半が使徒化という手段を残していたとはいえ、充分物量で押しつぶせる数だ。冥王が出てくれば尚のことである。
(メネスめ……妾の身を案じたのか。いや、それとも……何か他に企みがあるのか?)
今回の戦争は全軍を使った陽動で、
何か得体のしれない計画が中央大陸で芽吹いているのではないかと。
ふと、気付いた。
「そう言えば……コルドー議員の姿が見えないが」
「体調不良という事だ。我らの中で一番年配だからな。仕方がなかろう」
「……そうか」
ルナマリアは思案げに俯いた。
その時だ。
「例のジーク・トニトルスだが……危険ではないか?」
元老院の一人が呟いた言葉に、ルナマリアはぴくりと眉を震わせた。
「危険、というと?」
「そのままの意味だ。制御できるのか?」
彼は続ける。
「限定的にとはいえ、あの『孤高の暴虐』を圧倒出来るようになったバケモノだぞ。しかも聞くところによれば、冥王の血を引いているというではないか。そんな危険人物を我らが手元に置いておいて、いつ牙を剥かれるか分からん。兵器として鎖を付けた上で軟禁。使う時だけ出すべきだ」
「なんじゃと……」
ぶわりと、ルナマリアの髪が揺れた。
彼らが言っているのは完全に兵器としての在り方だ。
必要な時に使い、閉じ込め、不要になれば処分しろと。
怒りに震えたルナマリアに気付かず、元老院の面々は続ける。
「完全拘束はやりすぎではないか? 広告戦略として使えなくなるぞ」
「ならばカオナシたちに常時監視させては?」
「仲間たちを人質にとればいい。歯向かえば殺すと言えば従うだろう」
「アリだな。もしくは人質を自由にさせた上で身体に爆弾を埋め込むか?」
「そうすれば遠距離からも殺せるか。なるほど、その案はいいかもしれん」
「奴のレギオンは中々に強者ぞろいと聞いている。例の生き残りが居るのだろう。アレなら爆弾を埋め込む大義名分は立つ」
「アレは悪魔になったと聞く。爆弾を埋め込んでも再生する可能性がある。やるなら獣人の姉弟だ」
「なるほど、では早速手配を、」
そう元老院が結論付けた時だった。
「--おい、貴様ら」
ルナマリアの身体から立ち上る陽力の光が、天井を突き破った。
『…………ッ!』
「先ほどから聞いておれば好き勝手に言いおって……ジークを拘束? 仲間に爆弾を埋め込む? ふざけるな。あの子にこれ以上の重荷と苦しみを背負わせるのか。この世界に巣食うダニ以下のゴミ虫めッ! 貴様らのような存在が居るから冥王が生まれたのじゃと、まだ分からんのか!?」
「ルナマリア、落ち着け」
「黙れヴォルフ。妾は充分耐えた。その考え捨てぬなら妾にも考えがある」
「その考えとやら、やれるものならやってみればいい」
フン、と元老院の一人が鼻を鳴らす。
「我らは人類を守る崇高な存在。人類存続の為なら手段は選ばぬ。
貴様が非情だと罵る手段を取っているからこそ、人類は生きながらえている。それに……」
「ぐ……ッ」
その瞬間、ルナマリアの胸が強烈な痛みを放った。
ドクン、ドクン、と嫌な鼓動が鳴り響く。脳髄に鋭い痛み。
「五百年前の盟約を忘れたのか、光の巫女よ。貴様は我らに縛られているのだ。
それも自ら望んで課した縛りだろう。忘れたとは言わせぬぞ」
「……っ」
「……爆弾の件は保留にしておく。だが努々忘れるな。貴様が庇う兵器は我らの一存でどうとでも出来るのだ。最前線の監獄島に飛ばすこともな」
その女の言葉は、どこまでも重く、汚泥のようにまとわりつく。
「もしもあの子供が我らに歯向かうのなら、殺すまで」
ニヤァ、と口元が三日月に歪んだ。
「アレの母親のように、この手でな」
◆
「ま、待ってくれ! いや、待ってください!
鍵は渡した。約束は果たしたではないか! なぜこのような……!」
「我が主の命です。お覚悟を」
闇に包まれた空間の中、紅蓮の劫火が燃えさかる。
ぱち、ぱちと火花が爆ぜるたび、痩せぎすの男が姿を見せた。
「そもそもなぜ……! なぜあなた様がこのようなことをするのですか!」
「……」
「英雄のあなた様なら、我らの使命もご存じであろう!
あの鍵がどんな意味を持つのか、分からないあなたではないはずだ!」
「意味を決めるのは私ではない。全ては冥王様の意思によるものだ」
紅い軌跡が弧を描き、男を一閃する。
ばたり。と重い音を響かせた男は、息も絶え絶えに上を見上げた。
「堕ちる所まで、堕ちましたな……ファウザー様……
いや、今は第一死徒ニア、だったか……あぁ、何とも、世界は……」
最後まで話すことなく、男は息絶えた。
直後、歪められた死の理が男の魂を変質させる。
ーーその前に、ニアは男の身体を燃やし尽くした。
人が焼ける嫌な臭い。立ち込める汚臭。
やがて火が消えた空間に闇が満ち、声だけが響いていく。
「対象の消滅を確認。冥王様、帰還します」
『ご苦労だったな、ニア。よくやってくれた』
「もったいなきお言葉」
ニアが応えると、全く別の声が響いた。
『--ちょっとヴェヌリス! あなた知ってたわね!?
あの子の雷が神霊体を通して本体にダメージを与えるのを!
とっても痛かったんだから! どうしてくれるのかしら、かしら!?』
『キヒッ! 人の獲物に手ェ出そうとするからだ、バーカ』
ニアは一拍の間を置いて、
「……何やらそちらが騒がしいようですが」
『……まぁ、少しもめているようだが。すぐにおさまるだろう』
「そうですか。では、私は」
『あぁ、帰投してくれ。こちらはそれまでに終わらせる』
「了解しました」
ニアが応えると、冥王の声は聞こえなくなった。
魔力の糸が切れているのを確認してから、第一死徒ニアはつぶやく。
「……これで準備は整った。あとは汝の答えを待つだけだ。ジーク」
その言葉は、誰にも聞こえない。
「全ては『終末計画』の為……汝はどう動く……?」
今は、まだ。
◆
「なぜ戦争に参加しなかったかって? 今じゃないからさ」
風が吹きすさぶ丘に二つの声が響いている。
「今回のゲームの結果は見えていた。今の彼に父親は殺せないと思っていたからね」
「予定通りだと?」
声は一拍の間を置いて、
「予想できたのは結果だけさ。彼の成長は想定以上だったし、テレサくんの件は残念だったよ。彼女は使える駒だった。でもお陰で彼は立ち上がり、甘さを捨てるだろう」
「ならば次こそ決着か」
「さぁ。どうなるかな。今度こそ殺すかな? それとも死んじゃうかな?」
「貴様でも分からぬか」
「分からないよ。俺はアステシアじゃないんだ。俺はただ楽しむだけさ」
「……」
一瞬の沈黙。
「そう睨まないでくれよ。君から話しかけてきたんだぜ?
いや、いいよ。詮索はしないさ。でも分かるぜ。疼くんだろう?
疼きが止まらないんだろう? 分かるよ。俺も同じだからね」
「……何を企んでいる」
「違うね。既に企み終えている。種は蒔いていたんだ。もう芽吹くだろう」
「……」
「あぁ、君の願いだっけ? あと三か月待ちなよ。今は違う。まだ彼は輝ける」
「ならば」
「その時こそ、君が彼を殺せばいい。存分に暴れなよ」
声の一つは遠ざかっていく。
「最後に聞く。貴様はどちら側だ?」
「どちらでもない。言ったろ? 俺はただこのゲームを楽しみたいだけさ」
「……道化め」
吐き捨てるように言って、声は消えた。
「最後に罵ってくれるじゃないか。否定はしないけどね」
丘の上から全てを見渡し、声は言った。
「さぁ、次のゲームを始めよう。ジーク・トニトルス。決める時が来たぜ」
ーーキミは人と悪魔、どちらを選ぶのかな?
第二部第一章『雷霆の誓い』了
第二部第二章『紅娘の祈り』始