第二十七話 愛に逝く
ばたん、と。テレサ・シンケライザは倒れた。
腹から致命的な血が流れ、赤い血だまりが出来る。
誰が見ても手遅れと分かる最悪の事態に、ジークはようやく我に返った。
「ぁ、し、師匠ぉッ!」
「おっと」
テレサに手を伸ばしたルプスが、彼女の身体をひょいと抱きかかえた。
そのまま彼はジークの手が届かない場所へ移動する。
「葬魂はさせねぇぞ、クソガキ。ま、出来るか怪しいが」
「や、やめて。父さん、今ならまだ、まだ間に合う。助かる。だから、離してーー」
「やだね。離さねぇ。転移持ちは厄介だしなぁ……」
実際、この場に治癒術師が居たとしても間に合うかどうかは自明の理だ。
それでもと、懇願するジークをルプスは取り合わない。
轟々と降りしきる雨が身体を濡らし、戦場の音を遠ざけていく。
ルプスの手刀は、テレサの首にかけられていた。
「こいつはここで確実に殺す」
「やめろ」
ジークは手を伸ばした。
使徒化の反動であと一分は満足に身体を動かせない。
どれだけ手を伸ばそうとも、助けを呼ぼうとも、間に合わない。
「お願い、お願いします。僕はなんでもする。どうなってもいい。お願いだから、」
大切な師匠なんだ。
大切な家族なんだ。
テレサは自分を拾ってくれた恩人で。
自分に居場所が出来るきっかけを作ってくれた師匠で。
ずっと自分を見守ってくれる、もう一人の母さんで。
「間違えんなよ、クソガキ」
だからこそ運命は、理不尽に牙を剥く。
「俺様がこいつを殺すんじゃねぇ。オメェの甘さがコイツを殺すんだ」
「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ルプスがテレサに何かを囁いた。
テレサはジークの方をちらりと見て、仕方なさそうに微笑む。
あとは頼んだよ、と。
ーー斬ッ!
くるくる。くるくると、
何かが宙を舞って、そして落ちていく。
ぼとり、と。鈍い音が響いた。
「ぁ」
やめろ、見るな。
見たくない。見ちゃダメだ。
そう思っているのに、ジークの頭はぎぎぎ、と地面に落ちたものを見る。
微笑みを張り付けたまま死んだ、テレサの首だった。
「ぁ……」
膝から力が抜け、視界がチカチカと明滅する。
最愛の師の変わり果てた姿に、頭が痺れて思考が働かない。
「俺様もやられる寸前だったからな……今回はこれで終わってやる」
ルプスの声が、どこか遠く響いて。
「あぁ、そうだ」と。
「後始末はオメェがやれよ、クソガキ。じゃねぇとーー死ぬぜ?」
ドクンッ、とテレサの身体が脈打った。
死した運命の理は死の神によって逆転し、魂は現世に縛られる。
禍々しいオーラがテレサの身体を包み込み、やがて離れた首と一つになる。
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、
「ぁ、ぁあ、ァアアアアアアアアア!!」
魂が産声を上げる。
生前の記憶と死の記憶がぶつかり合い、激しい火花を散らす。
ジークは動けない。ただその決定的な瞬間を、見る事しかできない。
「ァアアア……あぁ、ふぅ……」
ゆらりと、テレサの身体が起き上がった。
その肌色は若々しく、薄紫色の毒々しいものに変わり、耳は鋭く尖っている。
血に濡れた赤い瞳が、ジークを射抜いた。
「よぉ、ジーク」
耳慣れた声が、耳朶に響く。
往年の姿ではない。若く、全盛期の姿で。
「どうしようねぇ。悪魔になっちまったよ」
それは死の記憶に打ち勝ち、人の意思を残した悪魔。
それは冥王の眷属にして不死の都の住人、エルダー。
人外となったテレサ・シンケライザは、ジークに笑いかけた。
「師匠……」
ジークは声を詰まらせた。
まさかルージュのように、冥王の魔力を遮断したのか。
そう、そうだ。そうに決まってる。
だってあのテレサ・シンケライザだよ?
酒飲みで、口うるさくて、すぐに殴ってきて。
ぶっきらぼうだけど人一倍熱い心を持っている、あのテレサ師匠だよ。
冥王の支配なんて簡単に跳ね返してくれるに決まってるじゃないか。
そしていつものように。
自分に笑いかけるのだ。「この馬鹿弟子」と。
「いつまで夢見てんだい、馬鹿弟子?」
その声が聞こえたのは、ジークが我に返った一瞬だった。
目の前にテレサの拳があった。
「アタシは悪魔だ。あんたは葬送官だ。ならやる事は決まってんだろ?」
凄まじい衝撃が、ジークを襲う。
「アタシを殺しな、馬鹿弟子」
「が、ぁ」
水切り石のように地面を転がり、ジークは吹き飛んだ。
次の瞬間、宙を飛ぶジークの頭上にテレサが転移する。
「ほら、反撃しないと死ぬよ。もう身体も動くだろ?」
「やめて……やめてよ、師匠ぉ!」
慌てて身体を横に避け、テレサのかかと落としを回避する。
顔を上げた次の瞬間にはテレサが迫っていた。
「ほら、ほらほらほらほらほら、ほらッ!」
「が、は……!」
「どうしたどうした、加護を使わなきゃ殺すよ!?」
顔、肩、首、喉、膝、肘、あらゆる部位を殴打される。
だがテレサの恐ろしさは格闘技術などではない。
「まずは腕、イッとくか」
ジークの右手にある空間が揺らいだ。
神の加護は魂に紐づけられ、例え宿主が悪魔となっても加護は残る。
テレサのそれは空の神ドゥリンナの加護。彼女が最も得意とする空間切断術。
「ーー避けなさい、ジッくん!」
その瞬間、ジークの身体をすさまじい風が叩いた。
暴風にあおられたジークは地面を転がり、彼の前に猫の尻尾が揺れる。
「ジっくん、大丈夫?」
「イズナ、さん」
イズナ・エルブラッドは鋭い目でテレサを見やった。
「……変わり果てましたね、クソババア。やっと死にましたか。エルダーになった感想はいかがですかにゃ?」
「ハッ! 最高だよ猫娘。若返って清々してるくらいさ」
その言葉に、イズナは一瞬だけ眉を伏せて、
「……そっか。ほんとに死んじゃったんだ、お師匠」
「そうだよ。今のアタシは悪魔だ。葬送官ならどうするか教えたねぇ?」
「もちろん、きっちり殺してあげるよ。でも、それをするのはイズナちゃんじゃない」
イズナはジークに振り返った。
「立ちなさい、ジっくん」
「イズナさん……」
「あれは悪魔だよ。七聖将であるキミが倒さなくてどうするの」
「違う! あれは、あれは師匠です! テレサ師匠の意思があるんです! 僕の、僕の力なら、冥王の魔力だって……!」
「ジッくん。現実から逃げるのは止めなさい」
「ぁ」
まだ助かるのだと、
そう思いたいジークに、イズナは無情に告げた。
「分かってるでしょ? 妹ちゃんの件は例外中の例外。あんな奇跡、もう起きないの」
「そん、な……」
ジークは拳を握りしめた。
あのテレサが。自分を育ててくれた師匠が。
自分が甘えを見せたせいで殺されて、悪魔になって。
その師匠を、自分が殺さなちゃいけないなんて……!
「いやだ、僕は、僕は……!」
「--ジークッ!」
葛藤するジークの耳朶を、愛する人の声が打つ。
テレサの背後からリリアやルージュ、オズワンやカレンが走ってきていた。
彼らの疲労はかなり回復しているように見えるが、全快とは言えない。
生々しい包帯を見せる仲間に、
「リリアぁ……」
今のジークは、泣いて助けを求める事しかできない。
彼らはジークとイズナ、そして悪魔となったテレサを見比べた。
「まさか……お師匠様……」
「テレサさん……嘘……そんなの、そんなのってないよ」
くしゃりと顔を歪めるリリアやルージュに、テレサはつまらさそうに鼻を鳴らす。
「見れば分かるだろ、リリア、ルージュ。今のアタシは冥王様の悪魔だ」
「…………マジかよ」
「……無情な」
オズワンやカレンは痛みを堪えるように目を逸らす。
リリアやルージュも辛そうに涙を堪え、唇を噛み締める。
固く目を瞑って、そして目を開いた時、彼女たちは決意した。
「……例えお師匠様でも、悪魔になったなら敵です」
「お兄ちゃんにやらせるくらいなら……あたしたちが……!」
「……強くなったね、二人とも」
テレサはふっと微笑む。
だが、
「アタシに勝てると思ってる所が、まだ未熟な証拠だよ!」
「……っ!」
叫び、テレサはルージュの足を空間ごと斬り落とした。
「~~~~~~~~~!?」
「ルージュ!?」
「よそ見してんじゃないよ、リリア!」
「……っ!」
自身を凍らせる攻撃の予兆を察知し、テレサは転移する。
背後で翼を掴まれたリリアは、テレサに宙へ投げ飛ばされた。
「きゃッ……!」
「あんたの力は厄介だからねぇ。そのまま飛びな」
空中にいるリリアの姿が、一瞬で消えた。
「リリアッ!」
「安心おし。ちょっと遠くまで行ってもらっただけだよ」
だが、とテレサはルージュを睨みつけた。
既に彼女は足を再生させており、魔力を練り上げている。
「あんたは別だ、ルージュ。冥王様に逆らう異物。ここで排除する」
「……っ!」
テレサの猛攻が始まる。
右に、左に、下に、縦横無尽に転移する。
ルージュは全方位に重力を張り巡らせて対応するが、効果は薄い。
「ははッ、ははははッ!」
悪魔となったテレサは空間ごと切り取って、重力を無意味にしてしまう。
彼女が転移するたびルージュは傷つき、ばさり、ばさりとフードが揺れる。
ルージュは必死でフードを守っていた。
「おいルージュ、なにして……なんで反撃しねぇんだッ」
「……っ、そういうことですか。なんて残酷な……」
「どういうことだよ姉貴!?」
援護の隙を見計らっていた獣人の姉弟。
カレンはテレサの狙いを看破して、
「考えても見なさい。あなたが列車で言った事です。もしも七聖将であり英雄のジーク様が、悪魔を庇っている事がバレたら?」
今この戦いは、ほとんど全ての葬送官が見守っている。
「上層部だけではありません。この場で彼女の存在が露見すれば、その話は聖なる地全体に広がる」
そうなれば、ルージュだけじゃない。ジークも終わりだ。
ルージュは処刑され、下手をすればジークは一生軟禁状態。
悪魔を倒すための武器として扱われるかもしれない。
テレサはそれを狙っていて、身体を傷つけるよりフードが外れることを狙っているのだ。
「クソ、援護しようにも隙が……」
無尽に空間転移を繰り返すテレサはどこに現れるか分からない。
こうなると近接専門のオズワンや、精霊に呼び掛ける溜めが必要なカレンは手を出せない。この場で唯一、突破口があるとすれば。
「どうするの、ジっくん」
「………………っ」
「妹ちゃんは決意したよ。リったんも、きっと同じ気持ち」
イズナ・エルブラッドは弟弟子の甘えを許さない。
「君は見てるだけ?」
「僕は……っ」
いやだ、戦いたくない。
「二人にお師匠を殺させるの?」
まだ、なんとかする方法があるはずだ。
例え今はなくても、きっとどこかに、方法がーー
「また繰り返すの?」
「ぁ」
ひゅっと、ジークは息を呑んだ。
イズナの目はかつてないほど真剣に、ジークを見つめていた。
「今、誰かにお師匠を殺させても、きっと君は同じことを繰り返すよ」
アンナ・ハークレイを思い出す。
最初は嫌われていた彼女と和解し、ようやく手を取り合えそうだった。
そんな時に彼女を殺されて、ジークはアンナを殺せなかった。
「君の甘さはいつか致命的な間違いを生む。次に誰か死んだとき、その甘さで全部を失くすんだ」
ルージュの時を思い出す。
母の細胞を使って作られた人工的な半魔。
彼女たちの境遇があまりに可哀そうで、同じ半魔として助けたくて。
人間の悪意で悪魔になったルージュを、ジークは殺せなかった。
「僕は……ッ」
決められない覚悟、ままならない思い。
葬送官としての自分と、師匠に甘えるダメな自分。
思い出と義務感がせめぎ合って、身体が動かなくて。
それでも現実は、覚悟を決める暇など与えない。
「ははッ! いつまでくっちゃべてるんだい、馬鹿弟子共ッ!」
「……っ!」
周囲の空気が歪む。
空間ごと潰される寸前、イズナの精霊術が炸裂した。
「『風の子よ、風の子よ、叫べ!』」
圧縮されそうな大気が爆発し、魔力が霧散する。
空間術を無効化したかつての弟子に、テレサは舌打ちした。
「あんたも邪魔するねぇ、イズナ」
「まぁね~。クソババアには負けませんし?」
「ハッ! 言ってくれるじゃないか。そっちの腑抜けは立ち直らないようだし」
テレサはジークを一瞥し、
「まずはこっちを片付けるか。ルージュ、カレン、オズワン、それからリリアだ」
「ぁ」
「全員殺す。そんでその次はあんただ、ジーク」
殺す、殺す、殺す……。
残響のように、テレサの声が脳裏に響いていく。
(殺す、誰が、誰を?)
決まっている。
テレサが、リリアを。ルージュを、みんなを。
またあの絶望を味わうのだ。
母が死んだときのように。リリアが死んだときのように。
冷たくなっていく身体、粘つく悪意、助けられなかった無力感と後悔……。
力を求めた。大切な人を守れる力を。
強くなりたかった。もう二度とあんな思いをしないために。
でも、それはみんな同じなんだ。
リリアや、ルージュや、みんなも、きっと辛いはずなんだ。
ーー自分だけだろう。逃げているのは。
「そうだ……僕は、逃げたいんだ」
テレサを殺すなんてしたくない。そんなのあんまりだ。
だから全てを仲間に押し付けて、自分だけ綺麗なままでいようとしている。
ーーそれでいいのか?
「ダメに、決まってる……」
同じくらい悲しんでるリリアに、何度手を汚させる。
自分の為に戦ってくれる妹に、テレサを殺させる気か?
『現実から目を背けるな、自分から逃げるんじゃないよ』
テレサとの思い出が、泡沫のように頭に浮かんでは消えていく。
『アタシはコイツの解体方法なんて知らないんだよ。こんな年寄りにやらせるつもりかい?』
最初に拾ってくれた日のこと。
ぶっきらぼうで、一人去ろうとするジークを止めてくれたこと。
彼女が居なければ今の自分はいない。そんな彼女はもう居ない。
『あとは頼んだよ』
ーー立て。立ち上がれ。
「ぁ、ぁぁああ……ッ!」
大好きだった。
ずっと見守ってほしかった。
ーー立って、戦え。
でも、テレサに仲間を殺させるくらいなら。
大切な人たちに、テレサを殺させるくらいなら。
ーー戦え、戦え、戦え、戦え!
「ぁああああああああああああああああああッッ!!」
葛藤と思いを振り切り、ジークは飛び出した。
イズナの横から剣を振り上げたジークに、テレサはふっと笑う。
「そうだ。それでいい」
決着は一瞬だ。
「権能武装『超越者の魔眼』!!」
最後の一滴を残し、ジークは陽力を使い切る。
その瞬間、ジークの視界が黒く染まった。
あらゆる可能性の未来が、無数の光る道を作りあげる。
ーーそのどこにも、テレサを元に戻す道はない。
ジークは涙ながらにその中の一つを選び取った。
他のあらゆる道は消滅し、ジークが選んだ未来が現在に索引、反映する。
「………………ッ!」
転移先を限定したジークの魔剣が、彼女の胸を貫いた。
愛する師の胸を刺しながら、ジークは呟く。
「アルト、ノヴァ……!」
魔剣は使い手の意思に応え、陽力の一滴を使って雷を発動する。
テレサの全身は雷に包まれ、再生しようとする魔力を吸い尽くす。
「ぺ、『死は生への旅立ち。終わりは新たな……始まりとならん……!』」
滂沱の涙を流しながら、ジークが祈祷を開始する。
ただそれだけで、限界まで絞りつくしたテレサの身体は光の粒へ変わり始めた。
ぐらりと。テレサの身体が前のめりに倒れる。
「ぁ」
ざしゅ、と魔剣を抜き、ジークはテレサを抱き留めた。
もはや彼女に力は残っておらず、弱々しい手が控えめに背中に回った。
「よくやった」
「ぅ、うう、ぁ、ぁぁあああッ……!」
師の胸に顔を埋め、嗚咽を漏らすジーク。
ゆっくりと身体を倒すと、仰向けになったテレサの手がジークの頬に添えられる。
「なんて顔、してんだい、馬鹿弟子……」
「師匠……師匠……!」
「あんたは相変わらず、泣き虫だねぇ」
テレサの身体が足の先から徐々に光の粒へと変わる。
やがて決着を見たルージュが、オズワンが、カレンが、イズナが。
そして転移先より飛んできたリリアが、テレサの元に降り立った。
「お師匠、さま……!」
「あぁ、リリア……最後に顔が見れて……ひひッ、嬉しいよ」
「……っ!」
リリアは瞳に涙をためて俯いた。
テレサは首を巡らせ、
「オズワン、カレン……この子たちのこと、頼んだよ……」
「ま、任せろ……お、おれが、しっかり……クソッ」
「この命に代えても、お仕えいたします」
最後まで言葉にならないオズワン、そして決意を胸に秘めるカレン。
獣人の姉弟に満足そうにうなずいてから、テレサはイズナを見た。
「猫娘……久しぶりに会えて……元気そうで、よかったよ……」
「お師匠……」
イズナは一瞬だけ俯き、やがて二パっ、と笑みを浮かべた。
「ま、イズナちゃんだからにゃー。お師匠は向こうでゆっくりしなよ。きっと……きっとみんな、待ってる、から……ッ」
「そうだねェ。ずいぶん長い、旅だった……」
テレサの腰から下が消えた。
母と同じように消えゆく師の胸に、ジークはすがりつく。
「いやだ……いやだよ……ずっと、そばにいてよ、師匠ぉ……!」
「馬鹿、だねぇ」
「お義母さん……!」
テレサは目を見開き、ふっと微笑んだ。
悪夢にうなされる子供をあやすように、ジークの頬を優しく撫でる。
「ジーク……良くお聞き」
「ぁ」
「人は、いつか死ぬもんだ。アタシはもう、充分、生きた……特に、あんたと過ごした、この数か月……悪く、なかったよ」
「ぼ、僕だってッ!」
ジークはテレサの手を必死に掴む。
「僕だって、楽しかった。嬉しかった! あなたが手を差し伸べてくれた時、救われた……! だから、だから……ッ」
「そばには居れないよ……分かってるだろ」
「……っ、いやだ、いやだ、いやだよぉ……!」
「もう少し……見守って、やりたかったが……ヒヒッ、これが年貢の納め時って奴さ……」
テレサの手を掴もうとするが、その手が淡い光になって消えた。
止まらない涙に溺れるジークから目を離し、テレサはフードの少女へ目を向ける。
「ルージュ……あんまり、ジークを困らせるんじゃ、ないよ……あんたも、命を大事に、ね」
「うん……うん……!」
ルージュは涙を流し、テレサの言葉に何度も頷いた。
テレサは微笑み、
「リリア……」
「はい」
「あんたは本当に、強くなった」
「……っ、お師匠様、わたし、わたしは……!」
「いいんだ。それでいい。あんたが、ジークを支えておやり……そして、二人で……幸せに、なるんだよ……ひひッ、子供の顔、見たかったねぇ」
「お師匠様ぁ……!」
我慢の限界が達したかのように、リリアはテレサの身体に抱き着いた。
胸から下が光の粒に変わり、彼女の手は虚空を抱く。
「あぁ、もうお別れだ……」
「……お願い、お願いだよ……僕たちを、置いていかないでよぉ……」
「全く……しょうが、ないね……あんたは。最後の、言葉だ……よく、お聞き」
慈愛に満ちた目が、ジークを見据える。
「生きろ、馬鹿息子」
「…………っ!」
「これから……辛い事も……嬉しい事も……いっぱい、あるだろう……でも、どれだけ死にたくなっても……生きて足掻いて……泥だらけになって、そして、強く、なりな。英雄なんて……どうでもいい。七聖将なんざ、やめたっていい。ただ、思うがままに……幸せに、生きろ。それが……アタシの、ただ一つの……願いだ」
「ぁ、ぁあああぉ…………!」
縋りつくジークの手は届かず、テレサの視界が真っ白に染まる。
やがて光の向こうから、小さな子供が現れた。
「あぁ、エヴァン……」
テレサの眦から、一筋の涙が流れていく。
「ようやく、会えた……今、母さんが、そっちに、行くからね……」
子供は両手を伸ばして、母に抱き着いた。
『もういいの?』
「あぁ、充分さ。たくさん、みんなから……
もう一人の息子から、大切なものを貰ったからねぇ」
テレサは胸にあるロケットを握って微笑んだ。
子供を強く抱きしめ、立ち上がり、共に光の向こうへ歩いていく。
最後に振り返り、笑って言った。
「じゃあね、元気にやるんだよ」
そしてテレサの意識は、光に溶けて消えた。
◆
握った手のひらの温もりが消えていく。
跡形もなく消えた師の姿をかきあつめるように、ジークは両手を伸ばした。
ーー何もない。
もはやテレサの身体はそこになく、魂は楽園へ旅立った。
「師匠……」
消えゆく師の魂を仰いで。
「師匠ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
ジークの絶叫が、どこまでも響いていく。