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ゴッド・スレイヤー  作者: 山夜みい
第一章 雷霆の誓い
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第十九話 叡智の使徒

 

「か、神になる……? どういう事ですか?」

「ここじゃ場所が悪い。シンケライザ葬送官、頼む」

「はいよ」


 テレサがジークとシェンの袖を掴み、短距離転移する。

 そうしてやって来たのは、訓練場のような場所だ。

 部屋の端にはたくさんの魔導機械がブゥンと音を立てて駆動している。


「さて、じゃあアタシはこれで失礼するよ。戦争物資の運搬を手伝わなきゃならないんでね」

「あぁ、助かった。ありがとな、センパイ」

「ん」


 テレサはそう言って言葉少なに去ろうとする。

 その背中に、ジークは声をかけた。


「あ、あの、師匠! ありがとうございました!」

「全くだよ。あんたも少しは……」

「僕、あなたに拾われてよかった。あなたが師匠で……本当によかったです」

「……!」


 テレサは振り返らず、目を見開いた。

 やがてゆっくりと口元に弧を描くと、ひらひらと手を振る。

 答えることなく、彼女は転移で姿を消した。


「いい師匠を持ったな、新入り」

「はい。僕にはもったいない人です」


 シェンに頷き、ジークは周りを見渡す。


「それで、ここは……?」

「七聖将専用の訓練室だ。最新の設備が揃ってる。隣の部屋には仮眠室もあるからな。今日から泊まり込みで修業してもらうぜ」

「神って、修業したくらいでなれるもんなんですか……?」

「馬鹿、なれねぇよ。アレはあくまで比喩だ」

「???」


 ジークは頭に疑問符を浮かべる。

 苦笑をこぼしたシェンは咳払いし、表情を真面目なものにした。


「時にお前、体調はどうだ?」

「え、別に普通……いや、ちょっと身体が軽い、かな?」


 ジークは手足を動かして見せる。

 身体の内側に意識を張り巡らせてみるが、特に不調はない。


「戦っている時はどうだった?」

「なんか、すごい身体が重かったです。動揺しちゃったからですかね、あはは……」

「メンタルがパフォーマンスに影響するってのは同意するけどな、お前の場合はそうじゃねぇよ」


 シェンは首を横に振り、


「儀式でもらった祝福が完全に馴染んでいなかったんだ。動揺も大きかったんだろうが、一番の敗因そこだと思うぜ」

「祝福……そういえば、なんか貰いましたね……」

「普通は貰った時点で分かるもんなんだが……お前の力はなまじデカすぎるからな。コップの中に水滴を落としたらすぐ分かるが、海の中に水滴を落としてもビクともしねぇようなもんだ」

「なるほど……分かりやすいですね。シェンさん……いえ、シェン先輩!」

「せん、ぱい……!?」


 シェンの全身に電撃が走った!

 彼は驚愕に目を見開き、わなわなと唇が震えだす。


(思えば、後輩に舐められる日々だった……)


 強気なラナには、

「先輩と呼ばせたかったらそれらしいところ見せて見なさい」と言われ、


 眠たげなトリスには、

「センパイより~シェンの方が短くていいよねぇ」と言われ、


 これまで先輩と、そう慕ってくれる同僚がいただろうか。

 否、居ない。きっとこれからも。


「そうだ、俺っちは先輩だ」


 シェンは胸を張る。


「そしてお前は後輩だ。先輩である俺っちが、今からお前に七聖将の何たるかを叩きこんでやる!」

「はい、先輩!」

「よし、新入り、いや、ジーク(・・・)。俺っちについてこい!」


 初めて名前を呼ばれ、ジークは口元に笑みを浮かべた。


「はいッ!」

「まずは俺っちを殴れ! 全力でぶっ飛ばしに来い!」

「はいッ! ……え? でも、そんなことしたら先輩が」

「いいから来い。来ると分かってる攻撃なんか怖くねぇよ」

「……分かりました。じゃあ、いきます!」


 蒼き雷を纏い、腰を落としたジークは刹那にシェンの懐に飛び込んだ。

 目にも止まらぬ速さで拳を振りぬく。

 魔眼を発動し、相手の一挙手一投足を観察。


 ーー入った!


 拳が当たる確信を得たジークはしかし、驚愕に目を見開いた。

 突如、シェンの身体が光を放ったのだ。


「え!?」


 あらゆる可能性の未来は消失し、立ち尽くすシェンだけが見える。

 どれだけ未来を観測しようとしても、未来が見えない。

 シェンの上半身は裸になり、帯のようなものが身体に巻き付いた。

 同時、身体の筋肉が盛り上がり、別人のように筋骨隆々な肉体へと変化する。


(あれ、これ、どこかで)


 一切の無駄が省かれた筋肉、泰然とした構えでありながら隙がない。

 全身に纏う闘気は凪のようだ。むしろ神聖な気配すら帯びている。

 それは、ジークが教えを受けてきた『彼』のーー


「行くぜ、ジーク」


 瞬間、全身の産毛が逆立った。

 シェンの筋肉がぴくりと動く瞬間を、ジークの動体視力は捕らえた。


 ーー来る! このまま攻撃、いや避け、ダメだ、受け止めろッ!!


 鋼鉄のような衝撃が、ジークを襲う。

 咄嗟に両手をクロスさせたジークの腕が、ミシミシと音を立てた。


「……っ!」


 決河の勢いで吹き飛ばされ、ジークは訓練場の壁に激突する。

 腕を伝って防ぎきれなかった衝撃が全身を叩く。

 蜘蛛の巣状にひび割れた壁から落下し、彼は腹の底から血反吐を吐き出した。


「がは、げほ……!」

(めちゃくちゃ重い……! 何なの今の……下手したら、父さんよりも……!)

「……ふぅ。これがお前の目指す領域だ」


 ジークの前に立ったシェンが言った。

 変化していた彼の身体は、元の状態に戻る。

 差し伸べられた手を取ると、彼はジークの全身を見下ろして、


「……タフだな、お前。正直、そんな程度で済んでショックだぞ」

「ゲホ、いやいや、めちゃくちゃ効きましたよ……? 今も腕が痺れてます。しばらく剣は握れないかもです」

「そうか? まぁ、いいか。ともあれ見ての通り、アレが俺っちとお前の違いだ」


 シェンはごほんと咳払い。


「お前は強ぇ。陽力も加護の深度も、あるいはお前の方が上かもしんねぇ。でもな、俺っち達には絶対に勝てない」

「さっきのが出来ないから……?」

「その通り」

「何なんですか、今の、あれじゃまるで……」


 ラディンギル師匠みたいだったと、ジークは呟いた。

 我が意を得たりとばかりに、シェンは笑う。


「ある意味その通りだ。アレは神の力そのものだからな」

「……もしかして、神になるって意味は」

()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ごくりと、ジークは息を呑んだ。

 シェンは続ける。


「俺っちたちは、これを『使徒化』って呼んでる」


 それは終末戦争時代、神の力を求めた人々が辿り着いた至高の御業。

 それは七聖将にのみ許された、神の代理人としての絶対裁定権。


「お前も覚えがあるはずだ。聖杖機に神の力を降ろす、葬送官の到達点を」

「……! 権能武装……じゃあまさか、使徒化って!」

「そうだ。権能武装の代わりに自分の肉体を依り代にする。そして使徒化の利点。それが、」


 シェンは頷き、


「加護を超えた現人神の領域……()()()()()()()()()()


 ジークは息を呑んだ。


「常時展開……そんなことできるんですか」


 今のジークでさえ、権能武装はほとんどの陽力を消費する諸刃の剣だ。

『超越者の魔眼』はあらゆる可能性の未来を消失させ、望む未来を確定する。


 だが、可能性の未来の中に勝利の道筋がなければ話にならないし、そもそもその未来を発生させるためには実力が必要となる。故にジークはここぞという時にしか権能武装を使っていないし、冥王戦などのように使えない場面も多い。ましてや、常時展開なんてもってのほかである。


「オリヴィアさんでも二回目の発動はかなり無理してたみたいでしたし……」

「使徒化すりゃ出来るようになるぜ。ま、使徒化にも時間制限はあるんだけどな」

「……デメリットは?」


 ジークは問う。


「そんな凄い力、メリットだけじゃないですよね。陽力消費だけで済むとは思えないんですけど……」

「……良い質問だが、使徒化に代償はない。なぜならお前が七聖の儀を受けた時点で、そのデメリットを背負っているからだ」

「えぇ、そんなの聞いてないんですけど……どんなものですか……?」


 シェンは肩を竦め、


「年を取らなくなる事。死んだあと、そいつは神の眷属となる事だ」

「年を、取らなくなる……え、じゃあもう背が伸びないって事ですか!?」


 ジークは焦ったように身を乗り出した。

 シェンは引き気味に頷き、


「肉体の全盛期までは成長するけどな。そっからは伸びない」

「あ、じゃあまだ伸びる余地が……よかった」

「……つーかそんな事かよ。普通、もっとなんかあるだろ。年を取らないってどういうことだ!? みたいな」

「いえ別にそれは……なんていうか今さらって感じですし」


 元より半魔として生きてきたのだ。

 自分の寿命は人間と同じなのかと考えたことはいくらでもあるし、兵器であると分かった今、年を取らないと言われても「やっぱりか」としか思わない。むしろ周りにいるリリアやルージュが老けないのに、自分だけ老ける事がないと分かっただけ嬉しいまである。死んだ後の事も、アステシアの側でなら楽しく過ごせるだろう。アウロラの眷属であるリリアにも会える。今度、ルージュも連れていけるか聞いて見なければ。オズワンたちはどうなるのか分からないが……。


「相変わらずお前は……なんつーか、特殊だな、色々」

「そうですかね?」

「普通は大切な人に置いていかれたり、周りの奴らとの年齢差に苦しむもんなんだけどな」

「……七聖将の人たちって結構お年寄りなんですか?」

「俺っちはもう百年くらい生きてんな。まだ百年って感じだが。あとそれ、ラナの前では言うなよ」


 最も、七聖将は不老であって不死ではない。

 大きな戦争が起きるたびに誰かが犠牲になって、七聖将の入れ替えが起きているという。ジークの前任者も、百年前の戦争で命を落としたらしい。


(あの儀式にそんな意味があったなんて……姫様、ちゃんと説明してくださいよ……)


 脳裏にルナマリアの顔を思い浮かべたジークはため息を吐き、


「……デメリットの事は分かりました。たぶん僕は大丈夫です。それで……」

「あぁ、使徒化のやり方だな。これはなんつーか……あれだ。ぶっちゃけ、身体で覚えるしかない」

「身体で……いや、その習得方法を教えてほしいんです、け、ど……ぁッ」


 突然、身体から力が抜け、立っていられなくなった。

 視界が明滅し、意識が遠くなっていく。

 膝をついたジークはそのまま地面に倒れ、必死に意識を保とうとするが、


「……もう呼ばれた(・・・・)か。よっぽど気に入られてんだな、お前」

「シェン、せん、ぱい」

「抵抗しなくていい。行ってこい。身体の方は面倒見てやるよ」


 その言葉が聞こえた瞬間、ジークは抵抗を手放した。




 ◆




 目が覚めると、何かに抱きしめられていた。

 ふくよかな感触。背中に当たる柔らかさは、女性特有のものだ。

 ふわりと漂う大人の色香がジークの鼻腔をくすぐり、おぼろげだった意識を瞬く間に覚醒させる。慌てて顔を上げると、黒髪の女神が顔を覗き込んでいた。


「え、わ、ちょ、アステシア様!?」

「おはよう、ジーク。お寝坊さんね」

「あ、はい。おはようございます……ってそうじゃなくて!?」


 どうして自分が抱きしめられているのか。

 現状の確認をしたいジークだが、彼を抱きしめるアステシアの手はますます強くなり、


「ジークったら、全然こっちに来てくれないのだもの。私、寂しいわ」

「それは申し訳ないというか……色々忙しかったんですよ」

「知ってる。見てたもの。たった一日で色々あったのよね」

「……はい」


 ジークは暴れるのを止め、アステシアにされるがままにした。

 どうせ彼女には情けないところも泣きべそをかいていたところも見られているのだ。今更、少しくらい甘えても許してくれるだろう。


「……アステシア様。あなたは、知っていたんですか?」


 何をと言われなくても、彼の女神は答えた。


「知っていたら、あなたを神域に呼ぶことはなかったでしょうね」

「そう、ですよね」


 未知を尊び、未知を求めるアステシアの事だ。

 神造兵器の事を知っていたら、その時点で興味を失っていたかもしれない。

 少し安心したジークだが、女神は不満そうな顔を隠さず、


「そんな事より、なんで私を頼らなかったの?」

「へ?」

「アウロラの眷属も、妹も、誰にも頼れないなら、私に助けを求めても良かったじゃない」

「そりゃあ……だって」


 ジークは頬を掻いて、


「アステシア様は、僕の答えを欲しがってるでしょ? 僕が何を選んで、何を思って、その結果どうなるのか見たがってるでしょう? いざとなれば神様に頼る僕なんて、見たくないと思ったんですよ。ぶっちゃけ、助けを求めても答えてくれないと思ってました」

「ぐ、ぅ……」

(確かにそうなのだけど……そうなのだけど! 苦悩を乗り越えるジークは見ごたえがあったというか愛しさが増したのだけど……それはそれっていうか!)


 彼の道行く先を見守りたい、女神としての自分。

 彼の支えになりたい、私人としての自分。


 二つがせめぎ合う女神は何とも言えないような複雑な表情を浮かべた。

 その結果、アステシアは視線を逸らして、


「次から何かあったら私に頼りなさい。もうあなたは七聖将なんだから、おのれに加護を与えた神に助けを求めても、それは一つの道と言えるでしょう。えぇ、全く問題ないわ」

「……力を貸すのは、一度だけじゃなかったんですか?」

「さて、何のことだったかしら」


 過去(ヴェヌリスと戦った時)の言葉を揶揄するジークに、アステシアは白を切る。

 ぷくりと頬を膨らませる女神。愛らしい表情に思わず頬が緩んだ。

 ジークは身体の向きを変え、


「じゃあ、早速力を貸してください。僕の女神様」

「もちろん。そのためにここへ呼んだんだもの。私の愛し子」


 ここ、と言われてジークは改めて周りを見渡した。


「わぁ……」


 思わず感嘆の息が漏れる。

 そこはいつもの無窮に広がる空ではなかった。


 大空に浮かぶ雲の上にはいくつもの神殿が立ち、天使たちが行き交っている。

 所々に樹々が生え、雲の上を流れる川のせせらぎが、心地よく耳を撫でる。

 ジークたちが居るのは、塔のように聳え立つ神殿のバルコニーのようだった。


「ここが……」

「えぇ。神域以外では初めてね? ようこそ天界へ」


 そして、


「ここが私の神域の本当の姿。『叡智の図書館』よ」


 バルコニーから中に入ると、先が見えない天井までの書架があった。

 どこに視線を巡らせても、本、本、本、本、本、本、本、本、本、本。

 円形の壁に沿うように無数の本棚が並んでいる。


「なんというか、すごい場所ですね……」

「ふふ。そうでしょう? ありとあらゆる叡智がここにあるのよ」

「こんなにたくさんの本を見たの、初めてですよ」


 驚嘆していると、進む先に一人の天使の姿が見えた。

 黒水晶を思わせる滑らかな髪に、空を閉じ込めたような瞳。

 白雪のようなリリアとは対照的な天使の姿に、ジークは思わず足を止めた。


「ようこそいらっしゃいました。ジーク・トニトルス様」

「あ、はい。えっと……」

「そしてお疲れさまでした。アステシア様」

「ジーク、紹介するわね、この子はティア。私の眷属であり側近の天使よ」

「あ、はい。ジーク・トニトルスです。よろしくお願いします」

「えぇ、こちらこそ」


 ティアは小さく口元を緩め、ジークを見た。

 主を想う従者の瞳。ジークを見て何かを確かめているように見える。


「ところでティア。なんで私の服を持ってるの?」

「お召替えが必要かと思いまして。汗を掻いたでしょうし」

「え、汗……?」


 首を傾げたジークだが、アステシアの方は顔色を変えた。


「ちょ、ティア、早すぎるわよ。そんなのまだ、」

「……まさか、まだ契りを結ばれていないんですか?」


 ティアの瞳が見開かれ、続いて呆れたような目になった。


「全く。どこまで奥手なんですか、あなたは。さっさと押し倒せばいいものを」

「お、押し……!?」

「アウロラ様の眷属が居ない今が絶好の好機。これを逃せば次の婚期はいつになるか……既成事実を作ってしまえばこっちのものです。奥手なアステシア様におかれましては駆け引きなど無用。押して押して押して押し倒す。これしかそこに居る鈍感野郎を攻略する術はありません」

「……ん? なんか僕、すごい馬鹿にされたような?」

「わーわーわーわー! ティア、だまって、ちょっとだまって!」


 アステシアがティアの口を塞ごうとするが、ティアはひょいと避けた。

 指を一本立て、真面目くさった表情で続ける。


「残念ですが、こればかりは譲れません。常日頃、地上を眺めてノロケ話を聞かされる私の身にもなってください」

「ノロケ……?」

「ティア!!」


 アステシアが耳まで真っ赤になった顔で叫ぶ。

 するとティアは、「失礼」とあくまで真面目な表情で、


「冗談が過ぎました。お許しください」

「絶対冗談じゃないわよね。全部本気だったわよね?」

「お召替えは必要になるかと思いますので、お渡ししておきます。では」


 ティアは押し付けるようにアステシアに服を渡して去って行く。

 眷属に翻弄される女神は困ったように服を見た。


「こんなのまだ早すぎるわ……こういうのはもっと順序を踏んでからじゃないと。でも、やらなきゃジークは……」

「アステシア様、どうしたんですか?」

「な、何でもないわよ! そうね、そうよ。覚悟を決めなさいアステシア。全部この子の為なんだから……」


 ぶつぶつと独りごちるアステシアにジークは首を傾げるしかない。

 焦っているような照れているような、こんな女神の表情を見るのは初めてだ。

 もしかしたら、使徒化するにあたって厳しい修業があるのかもしれない。


(もしそうなら、気を引き締めないと)


 ぐっと、ジークは腹の底に力を入れる。

 きっと並大抵の修業ではないと覚悟を決めた。


「さ、さぁ、こっちよ、ジーク。いらっしゃい」

「はい」


 アステシアは上擦った声で書架の一角を押した。

 ずずず、と本棚がズレ、女神は秘密の隠し部屋にジークを招き入れる。

 そこにあったのはーー


「ほえ、ベッド?」


 どこからどう見ても寝室である。

 左側には本棚が並び、ティーセットまで用意してある。

 そちらの方に歩み寄ったアステシアが、テーブルの上に置かれた書き置きに目を留めた。


『お茶で時間稼ぎは禁止です。いい加減、勇気を出してください。ティアより』

「ティア……あなた、未来が見えるの……!?」


 アステシアは戦慄したように肩を震わせ、息を深く吸った。


「……ジーク。上着を脱いで、仰向けに寝転んでちょうだい」

「あ、はい。何かマッサージとかしてくれるんですか?」

「まぁそんなものよ。七聖将が使う『使徒化』に必要なものと思ってちょうだい」

「はーい」


 ジークは躊躇なく服を脱ぎ、上半身をはだけてベッドに寝転んだ。

 修業の背中に見られているし、上だけなら恥ずかしがるような事もない。


(それにしても、このベッドめちゃくちゃ柔らかい……すぐに寝ちゃいそう)


 欠伸を噛み殺したジークだが、


 しゅるしゅる……と衣擦れの音に、ギョッと目を見開いた。


(え、え!?)


 次の瞬間、ごそごそ……と音がして、誰かが身体の上にのしかかってくる。

 いや、誰か、ではない。それは間違いなくーー


「あ、アステシア様!?」

「な、なに?」

「なに、じゃないですよ、どうして裸なんですか!?」


 アステシアの肌の感触が、背中越しにダイレクトに伝わる。

 たわわに実った果実が背中の上でぐにゃりと形を変えた。

 均整の取れた肢体がジークの足に絡みつき、またたく間にズボンも脱がされる。


(ちょ、ちょ、ちょ……!? こ、これは……!)

「あ、あの、アステシア様、これは不味いというかダメというか」

「あら、どうして?」

「どうしても何も僕にはリリアが居るし、浮気は絶対ダメって母さんが」

「浮気じゃないわ。必要なことなのよ」


 背中から首筋へ、指先がゆっくり動いた。

 見慣れた女神の指先が顎を捉え、愛おしそうに頬を撫でられる。


「神の力を直接叩き込むことで、魂を変質させる。これは神聖な儀式なの」

「え、えぇ……でも、こ、こんなえっちなことする必要あるんですか?」

「普通は必要ないわね。手と手を繋いで、時間をかけてゆっくりと神の力を流し込むものよ。あまり急に力を流し込むと、魂の方が壊れちゃうから。でも、あなたの場合、何日も時間をかけている暇なんてないでしょう?」

「それは……そうですけど」

「お互いに密着することで、力と力を行き来させ、力を馴染ませる。これが最短最速の方法よ。最も、あなたのような特殊な身体でしか出来ない方法だけど」


 そう言うアステシアの手は震えていた。

 恐怖か、怯えか、慈しみか、きっと全部がまじりあった感情の渦。

 触れ合う肌から女神の揺れを感じて、ジークは咄嗟に手を掴んでいた。


「……その、アステシア様、嫌じゃない、ですか?」

「え?」

「その、嫌々やってるなら、僕は大丈夫ですよ。なんとか他の方法を……」

「嫌じゃないわ!」


 アステシアは強い声で叫んだ。

 顔をジークの背中に預け、消え入るように呟く。


「嫌じゃない」

「……そうですか」

「あなたは嫌なの?」

「嫌じゃないですよ。アステシア様の事は好きです。でも、」


 ジークは唇を噛んだ。

 アステシアのことは憎からず思っているが、恋愛的な意味ではない気がする。脳裏に浮かぶのは、屈託のない笑みで微笑む最愛の人。


「ごめんなさい。僕にはリリアが居るから……そういうのは、出来ないです」

「……そう、そうよね。分かってるわ、うん」


 アステシアはジークのお腹に手を回し、身体を横たえた。

 ごろんと転がったジークを、彼女はぎゅっと抱きしめる。


「別にソレはしなくてもいいのよ。こうしてくっついて、力を流しあうだけで」

「はい、それなら……」


 リリアもギリギリ許してくれるだろう。

 たぶん、きっと。大丈夫なはず。


 そんなジークの内心を見透かしたように、アステシアはくすりと笑う。

 そして愛おしげに彼のお腹を撫でて……そして気づいた。


「……あら?」


 自分の手に初めて触れる感触。

 数えきれない本を読んできたアステシアは、知識だけでソレを知っていた。


「……あんなこと言ってたのに、ジーク?」

「う……! そ、そりゃ、仕方ないじゃないですか。アステシア様、めちゃくちゃ可愛いし」


 叡智の女神アステシアは絶世の美女である。

 天界では地母神ラークエスタと並ぶ二大美女とされており、彼女との関係を望む男神は多い。だが、処女神であるアステシアは基本的にひきこもりで、他神の干渉を嫌う性格だ。無理やり襲おうものなら、後で死ぬよりも恐ろしい報復が待っている。故に彼女は男神と床を共にしたことはない。


 とはいえ、そんな事情を知らないジークには、美しく可憐な女性であるわけで。

 今こうして同じ布団に入っているのも、一歩間違えば理性がはちきれそうだ。

 身体をいじめる鍛錬よりも、何百倍もキツイ。精神のぎりぎりを試されている感覚。


「……ふふ。そう、私に魅力がないわけじゃないのね」

「あ、当たり前じゃないですか! アステシア様、自分を何だと思ってるんですか!」

「えぇ……その言葉、あなたに言われるのは釈然としないんだけど」


 一瞬の沈黙。

 そしてどちらからともなく、「ぷッ」と噴き出した。

 ベッドの上で、女神と眷属は笑い合う。


「ふふ。あぁ、おかしい。こんなに笑ったの、生まれて初めてかも」

「そうなんですか?」

「えぇ。やっぱり、あなたを選んでよかった」


 顔を覗き込んできたアステシアと、目が合う。

 夜色の瞳が細められ、彼女はジークの額に口づけを落とした。


「ぁ」

「いつかきっと、私をお嫁さんにしてね」

「ふぁい!?」

「それまで、待ってるから」


 アステシアは満開の花が咲いたように微笑んだ。

 その可憐な笑みに見惚れ、ジークはーー


「そ、その……リリアと応相談、という事で」


 拒絶する事が出来ず、逃げるように視線を逸らした。

 ジークにとってアステシアはいつだって自分を見守ってくれる女神で、

 なんだかんだと言いつつも助けてくれる、優しい人だ。

 そして最初から自分を半魔と蔑まなかった数少ない人でもある。


 リリアが大好きな事は変わらないが、彼女に迫られると拒絶も出来ない。

 拒絶するには、彼女に対する恩があまりに大きすぎた。

 そんな眷属の内心を見透かしたように、女神は微笑む。


「約束。楽しみにしてるわね」

 

 ジークが頷くと、二人の額と額がくっついた。

 アステシアの雰囲気が変わる。見た目相応の女性から、女神のそれへと。


 それが始まりの合図だ。


 手と手を握り合い、

 鼻先が触れ合う距離で、叡智の女神は唇を開いた。


「私の眷属。私のジーク。私の力をあなたにあげる。汝の往く道に、あまねく叡智の祝福があらんことを」

「……僕の女神様。愛しい守り神様。僕の力をあなたに。未知と、冒険を、あなたに送ります」


 その瞬間、二人の身体が光を放った。

 アステシアの額からジークの額へ、白い光が流れ込んでいく。

 ジークの手からアステシアの手へ、極彩色の光が流れ込んでいく。


(ーー感じる)

(ーー感じるわ)


 光と光がまじりあい、精神と精神が感応する。

 互いを想いあう二つの意思が、女神と眷属を一つにする。

 混じり合い、溶け合い、境界が消えて、


(ーーアステシア様の力。アステシア様の想い)

(ーージークの力、ジークの想い。嗚呼。これが、)


 二人の身体は光に包まれ、繭のようなものに包み込まれた。

 神聖な光はやがて天に突き立ち、部屋中に風が吹き荒れる。

 隠し部屋を覗いていた天使、ティアは驚愕に目を見開いた。


(なんですか、アレは……あんなの、見たことも聞いたことも、)




 同時刻、異端討滅機構(ユニオン)本部。

 ジークの身体を見守っていたシェンもその異変に気付いていた。

 七色に光りだしたジークの身体を見て、頬に汗を垂らす。


「おいおい、一体何が起きてる……!?」


 身体が光るのは、まだ分かる。

 神の力がジークの魂に流れ込んでいる証拠だ。

 魂を通じて肉体が変化しているのだろう。

 だが、それでも普通は神が持つ魔力単色だし、ここまでのものは見たことがない。


「こいつぁ……!」


 ドクンッ、とジークの身体が脈を打つ。

 全身から極彩色の光を放ち、神聖な力が周囲の空気を浄化する。

 それだけにとどまらず、地上と天界を結ぶ、光の柱が突き立った。


「「何だ、これは!?」」


 天界と地上で起きる、常識を凌駕した現象。

 天使と七聖将が驚愕する異常事態。


 しかし、二人は気付かない。

 心を通わせ、肌を重ね、一線を越えないまでも、その魂は深く触れ合った。

 想いは常識を超え、理解を超え、ありえざる現実を紡ぎだす。


 そしてーー




 パチリ、とジークはまぶたを持ち上げた。

 天界の光に照らされたアステシアが、花のように微笑む。


「おはよう、ジーク」

「おはようございます、アステシア様。えっと……」

「儀式は終わったわ。これであなたは地上でも私の力を振るえるでしょう」

「そう、ですか」


 身体の内側に意識を巡らせるが、特に変わった様子は見られない。

 訓練をすれば自覚できるようになるのだろうか。

 そう思って自分の手を見下ろしたジークは、手のひらの向こうにアステシアの姿を見て、


「~~~~~~~~~っ、ひゃ、ひゃわ!」


 顔を真っ赤にして視線をそむけた。

 急いでアステシアの身体に布をかぶせ、自分のズボンを探す。

 そんな眷属の様子に、女神はくすりと笑った。


「今さら何を慌てているの? もっと深くまでつながった仲じゃない」

「ぎ、儀式とこれとは別なんです!? ていうかアステシア様も顔が真っ赤じゃないですか!」

「……っ、お、乙女の恥じらいはちゃんと無視するのが男の礼儀なのよ!?」

「無視できませんよ!?」


 まるで新婚初夜を迎えた夫婦のように、二人は初々しいやり取りを交わす。

 次第におかしくなって、二人はどちらからともなく笑い出した。

 アステシアは立ち上がり、服を着た眷属を背後から抱きしめる。


「アステシア様……?」

「いつでもいらっしゃい、ジーク」

「ぁ」

「ここはもう、あなたの第二の家であり、あなたの居場所なのだから」

「……はい。ありがとうございます」


 アステシアの手に触れ、ジークは目を瞑った。

 先ほどの儀式で感じた彼女の感情が、暖かな手から伝わってくる。


「……じゃあ、僕、行きますね」

「えぇ、いってらっしゃい」


 ちゅ、とアステシアはジークの頬に口付ける。

 耳まで顔を真っ赤にしたジークは、慌てながらその場から姿を消した。


「……よろしかったのですか?」

「……ティア、もしかして見ていたの?」

「僭越ながら主のヘタレ具合は誰より知っていますので。見守らせていただいておりました」

「うぐ。わ、悪かったわね。眷属一人落とせないダメ女神で」

「いえ、アステシア様にしては頑張ったほうです。その上で聞きます。良かったのですか?」


 女神としての力を使い、無理やりにでも契りを結ぶべきではないのかと。

 そうしなければ、彼女はいつまでも彼の一番になれないのではないかと。

 そんな風に忠言する側近に、アステシアは肩を竦めた。


「いいのよ。どうせ長い付き合いになるんだし。気長にやるわ」

「……そうですか」

「えぇ、今はこれでいい。これで、充分よ」


 アステシアは大事なものを抱えこむように胸に手を当てた。

 先ほどまで触れ合っていた彼の温もりが、まだ自分の中で息づいている。


「それに、言質は取ったもの。知ってる? あの子、約束は絶対に守るのよ」


 未来は見えない。ただ確信だけがある。

 アステシアの神生で類を見ないほど、ジークは特別な人になるだろう。


 これまでも、

 これからも、


「すっと待ってる。頑張ってらっしゃい、ジーク」


 眷属の無事を祈り、アステシアは静かに目を閉じるのだった。




 ◆





 ぽつぽつ、ぽつぽつと、

 泡沫(うたかた)のように浮かんでは消える景色の中を泳ぎ、ジークの意識は帰還する。


「ん……」


 目が覚めると、見慣れない天井だった。

 むくりと身体を起こせば、自分を見守る先輩の姿がある。


「起きたか」

「シェン先輩……」


 シェンは鋭い目でジークを見た。

 一挙手一投足を見逃さないとばかりに、彼は問いを繰り出す。


「確認すんぜ。ジーク。お前なんだな?」

「何言ってるんですか? 僕は僕ですよ、シェン先輩の後輩です」


 本気で首を傾げるジークに、シェンは詰めていた息を吐きだした。

 別に、外見的な変化があるわけではない。

 だがその魂の本質は、見る者が見れば分かるほど決定的に変化していた。


「ったくお前は……色々心配させんな」


 シェンはガシガシと頭を掻く。


(コイツといると常識が狂うっつーか……いちいち驚いてたらキリがねぇな)


 奇しくも彼の仲間と同じことを思っているのだが、シェンは気付かない。

 何があったのか聞きたい気持ちはある。

 どうしてあんなことがあったのかも知りたい。

 だが今は、やるべきことをやるのが先だろう。


 彼は諦めたようにため息を吐いて、


「それで、どうなんだ。随分早かったが、使徒化は出来そうか?」

「はい。修業すれば、いけると思います」

「よし。じゃあいっちょやるか」

「はいっ!」


 ジークは飛び起き、シェンと共に訓練場へ向かう。

 窓から見える空は陰っていて、地平線の先は雷雲が立ち込めていた。

 あの雲の下では、今にも戦いが始めろうとしているのだ……。


 リリア、ルージュ、オズワン、カレン。

 一足先に戦場へ向かったという仲間を想いながら、ジークは呟く。


「みんな、待っててね……必ず、そばに行くから」



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― 新着の感想 ―
[良い点] アステシア様お姉さんキャラだったはずなのに、そういう事はしてなかったんですね笑 あと、ジークが必要なことと言われてもリリアのことを思ってるのなんかいいですね笑 [気になる点] 使徒化するた…
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