第十話 拾いもの
葬送官支部を出ると、街の壁は夕焼け色のグラデーションに染まっていた。
通りゆく人々のざわめきが耳朶を打ち、酒飲みや仕事帰りの人々で大通りはごった返している。
「なんか流れで大変なことになっちゃいましたけど……テレサさん、人に教えることって出来るんですか?」
「当たり前だろ。こう見えてアタシは葬送官の教官として有名だったんだ」
「へぇ……」
テレサのぶっきらぼうな言い方からして人にものを教えていたとは思えないのだが、それが本当なら任せていいかもしれない。
どのみち他の選択肢はないのだから、修業をつけてくれるなら有難い話だろう。
「じゃあよろしくお願いします」
「うん。とはいえ諸々の準備をしたいからね。アタシは少し買い物をしてから帰る。あんたは家まで走って帰りな」
「え、えぇ!? ここからですか!?」
「五十キロも離れてないから余裕だろ。王都の外まで送っていくから、太陽に向かって走りな。そしたら着く」
「ちょッ!?」
テレサは有無を言わさず、ジークを掴んで空間をまたぐ。
言いしれない感覚にめまいがして膝をつくと、
「じゃあね。ちゃんとまっすぐ帰るんだよ」
と言って彼女は消えた。
ぐわんぐわんと揺れる頭の痛みが治まってから、ジークは毒づく。
「嘘でしょあの人、唐突すぎるよ……」
後ろを見れば王都の外壁が見える。
王都の周りは広大な原野が広がり、南東には森葬領域アズガルドが見えた。
「うぅ……とりあえず行かないと、だよね」
既に修業は始まっていると考えたほうがいいだろう。
だとすれば、これも自分のためだとジークは自分に言い聞かせる。
「よし」
立ち上がり、方角を確認してジークは走り出した。
夕暮れの涼しい風が肌を撫で、ぐん、ぐん、とテレサの家を目指して走っていく。
途中、何人かの葬送官が見えたが、ジークが走るスピードに追い付ける人はいなかった。少しだけ愉しくなってきて、ジークはさらに走り続ける。
だが、原野を走っているのは彼だけではなかった。
「グォオオオオオオオオオオ!!」
王都に近づいていた魔獣の一体が、ジークに飛び掛かってきた。
猛スピードで近づいてくる、赤い瞳の猿ーー魔猿だ。
「っと……いいや、このまま突っ込むッ」
聖杖機を抜き放ち、ジークは真っ向から突っ込んだ。
徐々に近づいていく彼我の距離。
猛スピードで体当たりをかます魔猿に触れる寸前、ジークは身を沈めた。
「……ッ!?」
スピードを緩めないまま、スライディングのように姿勢を低く。
そして魔猿の足が踏む場所に聖杖機を置きーー両断する。
「グォオオオオオオオオオオオオ!?」
悲鳴を上げる魔猿が身体を再生しようと身をよじる。
そうして獣が天を仰いだ瞬間、ジークは空を飛んでいた。
「『哀れな魂に、光あれ』ターリルッ!」
ーー爆散する。
白い光の粒子となって消えた魔猿。
下一級悪魔を難なく葬魂したジークは「ふぅ」と息をつく。
「まずは一体。この調子でがんばるぞー!」
悪魔と戦い実戦経験を積みつつテレサの家に帰る。
それが今回の修業だ。たぶん、きっと。
幸先のいいスタートにジークは口元を緩ませた。
その時だった。
「ーーお、応援はまだですか!?」
「……っ」
切迫した声が聞こえた。
咄嗟に岩陰に隠れたジークが顔をのぞかせると、白髪の少女が悪魔と向かい合っていた。錫杖を振り回し、今にも悪魔に食べられそうな様子だ。
『あと五分で着く! それまで持ちこたえろ!』
「む、むむむ無理です! 魔猿は下一級の悪魔ですよ! 下二級の私なんかが一人で勝てるわけが……!」
『黙れ! やる前から諦めるなこの役立たずめ! 倒せないならせめて足止めだけでもしてろ! そんなんだからお前は追放されたんだよ!』
「そんな……」
錫杖から聞こえていた声が途切れ、少女は絶望に顔を染める。
(あれは……葬送官? 一人なんだ)
年のころはジークと同じ、十五、六歳くらいか。
修道服を着ているし、聖杖機を持っていることから葬送官なのは間違いない。
(どうしよう。助ける? でも……)
十年前のアンナが、頭をよぎる。
最初、親しく話していた彼女でさえジークのことを悪魔だと叫んだのだ。
彼女を助けたとしても、どうせ半魔だとバレて嫌われるに決まっている。
最悪、助けた彼女がジークを殺しに来る可能性もあるのだ。
ここで見捨てたほうがいい。そのほうが賢明だ。
(……そうだよね。どうせすぐに救援が来るだろうし、放っておこう)
触らぬ神に祟りなしだ。
ジークは内心で少女に謝りながら、くるりと背を向け、走り出した。
ーーだが。
「ううぅうう……怖い、怖い、怖い……死にたくない……!」
カチカチと歯の鳴る音が、ジークを踏みとどまらせる。
振り向けば、少女は魔猿の群れに囲まれ、今にも食い殺されそうだった。
先ほど聞こえた『役立たず』『追放』という言葉が脳裏をよぎる。
(追放……あの子も、僕と、同じ?)
ーーやめろ。
ーー放っておけ。また痛い目に遭いたいのか。
内なる心が声を上げるのに、ジークの足は動かない。
そうしている間にも、魔猿の牙は少女に届きそうでーー
「~~~~~っ、あぁ、もう。僕の、大馬鹿野郎っ!」
ジークは走り出した。
倒れている少女と大口を開ける魔猿に向かって。
「ぁぁあああああああああああああああああああああッ!!」
『……ッ!?』
裂帛の叫びをあげ、気をひきつけたジークは魔猿の一匹に奇襲する。
額に穴が空いた魔猿は倒れ、白い光の粒子となって爆散した。
ジークは魔猿と少女の間に割って入った。
少女は死の恐怖に耐えきれず失禁し、すでに気絶している。
しまった、とジークは思う。
(気絶してなかったら僕がひきつけるだけでよかったのに……戦うしかないじゃんか)
魔猿の群れが、敵意の籠った目でジークを射抜いた。
彼らが雄たけびを上げて突っ込んできたのは次の瞬間だ。
「~~~~ッ、アステシア様、力を貸してください……!」
覚悟を決めたジークは加護を発動させ、魔眼で未来を見る。
(右から一体、〇.三秒後に接触、左から三体は右の一体が隙を作った瞬間に突撃……迎え撃つ)
剣術を修めていないジークにできるのは、未来に魔猿が踏む場所に剣を置くこと。
向こうはスピード頼りの一辺倒。
剣に重さは要らない。スピードは向こうが作ってくれる。
「……しッ!」
まずは右の魔猿の足を切断、左の処理に移る。
脳裏に描いたイメージ通りに戦いを運ぼうとするジークだが、魔猿は一筋縄ではいかない。
ーーボキッ!
「いっづッ!?」
ジークの剣を避けた魔猿が、体重の乗せた後ろ蹴りを放ったのだ。
思いっきり手首を蹴られたジークは剣を取り落とし、その間に魔猿が殺到する。
(やばいやばいやばいやばいやばいやばい……!)
ジークは本能に従って上に飛ぶ。
獲物を狙った猪突猛進な魔猿たちは仲間の頭を串刺しにした。
ーー残り二体。
ジークは嫌な汗が浮かぶ額をぬぐい、痛みを抑えて剣を持つ。
「ぁぁあぁああああああああああああ!!」
ジークは走った。
魔猿は雄たけびを上げた。
そしてーー
「ハァ、ハァ……ぜぇ」
五体の悪魔を葬魂し終えたとき、ジークは血まみれになっていた。
魔猿に蹴られた左手は折れている。肋骨に皹が入り、口の中には血の味が滲んでいた。
「なんとか、なった……」
身体中が熱を帯びている。
緩慢な動きで傷口が再生を始め、だんだんと痛みが引いていく。
「こういう時だけ、半魔の身体が有難くなるよね……」
ジークは息をつき、倒れている少女のもとへ向かう。
苦し気に呻いている少女の顔に「あのー」と呼びかけるが、起きる気配はない。
「……どうしよう」
完全に日が暮れるまでそう時間はない。
ジークは迷った末、少女を背負いあげる。
「テレサさんならなんとかしてくれるよね……僕も助けてくれたんだし」
呟き、ジークは再び走り出した。