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ゴッド・スレイヤー  作者: 山夜みい
第一章 雷霆の誓い
109/231

第十八話 闇の中の光

 


 ーーいつかの夢を、見ていた。


「ハァ、ハァ……父さん、ダメだよ、もう逃げようよ!」

「誰が逃げっかよ、クソガキ。やられたまま逃げちゃ男が廃るだろうが」


 ーー母が死んでから五年が経ち、荒廃した都市を歩いていた時だ。


 都合一万体以上の悪魔や魔獣を蹴散らしながら、彼らは歩いていた。

 父の側で怯えるだけしか出来ないジークは、涙ながらに叫んだ。


「廃れたっていいよ! このままじゃ死んじゃうよ!」


 ルプスの全身は傷だらけだった。

 天上天下唯我独尊を地でいく父の傷ついた姿に、ジークは動揺を隠せない。

 彼は自分を庇い続けた結果、そうなったのだから。


 母と同じように。


「お願いだから逃げてよ、いやだよ、父さんまで居なくなったら、僕、嫌だよ!」

「カカッ! 甘えんなよクソガキ。オメェ、男だろうが。シャキッとしろや」

「無理、だよぉ……!」


 未だに彼らの視界には数万体を超える悪魔が蠢いている。

 暗黒大陸南方、不死の都に続く道に、彼らは飛び込んでいるのだ。


「大体、なんでこんなところに……嫌だよ、もっと戦わなくていいとこ行こうよ。ねぇ!」

「ゲホ、ゲホッ、るっせぇな。そんなに逃げたきゃ一人で……」

「いやだよ! 父さんと一緒がいい。一緒にいたいんだ!」


 ぎゅっと、ジークは父の裾を握る。

 強い瞳に、彼は思わずと言った様子で目を見開いた。

 しばし固まっていた父は、「ったく」と深く息を吐きだす。


「オメェは、いつまで経っても……」

「な、なに? なんて言ったの?」


 父は天を仰いだ。

 ここではないどこかを見上げた父は、「いや」と首を横に振って、


「悪いがここまでだ。オメェ、こっからは一人で生きろ」

「…………は? む、無理だよそんなの! 僕が一人でなんて」

「甘えんなッ!」


 ガシッ、と襟首をつかまれた。

 顔の高さまで持ち上げられ、


「いいかクソガキ。人間ってのは簡単に死ぬもんだ。ここじゃなくてもいつか死ぬ。絶対に死ぬ。癪だが、俺様の命はここまで。それだけの話だろうが。たかが父親の一人や二人、居なくなったところで生きて行かなきゃいけねぇんだよ」

「い、いやだよ……僕を、置いて、いかないで、よぉ」

「生きる術は叩き込んだ。狩りの仕方も教えた。オメェは一人で生きろ、いい加減面倒なんだよ」


 呟き、ルプスはジークと聖杖機(アンク)を放り投げる。

 十字架の先に輪っかのついたそれは、空中で変形してジークを包み込んだ。

 透明な球体の中で、ジークは「父さん!、父さん!」と何度も叫ぶ。


「……ったく。オメェは世話の焼けるガキだったぜ」


 眼下、荒野に佇む父は泰然とした様子だ。

 数万体を超える魔獣を前にしながら、彼は口元を緩めた。


「あばよ、ジーク(・・・)

「~~~~~~~~~~~~!」


 息子の意思に反して聖杖機は動き、彼を包んだ球体は空を飛んで遠ざかっていく。

 やがて蒼白い閃光が天に立ち上り、視界の全てが白く染まった。


「とうさぁぁあああああああああああああん!!」


 ジークは叫んだ。

 喉から血が出るほど泣き叫んだ。


 だから、聞こえなかった。


「ーー」


 白い光の中に消えゆく最中ーー

 父がこちらを見て、何かを呟いていた。



 ーー……あの時、父は何と言ったのだろう?




 ◆



 ザラザラ、ザラザラと、何かが頬を舐めている。

 湿った感触が意識に触れ、ジークはゆっくりと目を開けた。


「ここは……」

「きゅーー!」

「アル……? どうして……」


 神獣の顔を見て目を丸くしたジークは起き上がろうとしたが、


「いづッ!」


 その瞬間、全身に激痛が走った。

 箪笥の角をつま先をぶつけたような痛みが、腕や足のあちこちで延々と続いている。

 見れば、自分の身体には血のにじむ包帯が巻き付けられていた。


「アル……僕、どうなったの?」

「きゅうう」


 アルトノヴァを抱きしめるが、神獣の顔からは心配そうな感情しか読み取れない。

 外にはざぁざぁと雨が降っていて、窓を叩く雨音だけが響いていた。


「そっか、僕……負けたんだ」

「ーーようやく目が覚めたみたいだな、新入り」


 声が聞こえて、ジークは弾かれるように顔を上げた。

 シェンが扉から背を話し、こちらに近寄ってくる。


「シェンさん……」

「おう。記憶は? 自分がどうなったか思い出せるか」

「はい……」


 直前の記憶をまざまざと思い出し、ジークは奥歯を噛みしめた。


 ーーお前の正体は、神が造った神造兵器。


 ーー俺様は生涯一度たりとも、お前を愛したことはない。


「…………っ」


 身体の奥から震えが走る。

 肩を抱き、膝の間に顔を埋めても、ちっとも震えは止まらない。

 寒くて、冷たくて、世界に映る全てがモノクロに染まっている。


「何があったかは聞いている。だがな、お前は戦い続けなきゃいけない」


 ベッドのそばに立ちながら、シェンは言葉を選ぶように言った。


「なぜならお前は七聖将だからだ。七聖将たるもの、何がなんでも姫様の為に……」

「無理、ですよ……」

「なに?」


 ジークはおのれの手を見つめ、首を横に振る。


「相手はあの、ルプス・トニトルスですよ……父さんには、誰にも勝てない」

「いいや、勝てる。いいか、七聖将の中でお前だけが……」

「--何より僕は、人間じゃない」


 シェンの言葉を聞かず、ジークは言った。

 涙に濡れた、切実な瞳がシェンを射抜く。


「それどころか、半魔でも悪魔でもない、バケモノですらないんです」

「……兵器って奴か。話は聞いたが……それが本当からどうかもーー」

「嘘だとしたら、どうして僕は神様の加護を四つも受け入れられるんですか? 無理ですよね」


 しかもそのうちの一つは三つの力を秘めたゼレオティールの加護だ。

 他の神の加護を抑えていようが、どう考えても人の枠を超えている。


「こんな兵器に、人間を守れますか? 守っていいと思いますか?」

「……」


 悲鳴のように、ジークは続ける。


「こんな僕が、誰かの側にいていいと思いますか?」


 半魔であるならまだよかった。

 人と悪魔の間に生まれた子供であるなら、種族の違いというだけで済む。

 だが、そもそもの目的が兵器として生まれたなら、自分はどうすればいい?


「こんな僕が、友達と一緒に居られますか? 恋人を、妹を守れますか?」

「それは……お前がどう思うかじゃなく、周りの奴らが……」

「周りが気にしなくても、僕は……気にしますよ」


 リリアなら、ルージュなら、オズワンなら、カレンなら。

 きっとレギオンの仲間たちなら、それでもジークを受け入れてくれるだろう。

 兵器なんかじゃないと、お前はお前だと言ってくれるかもしれない。


「ずっと、大切な人たちを守るために戦ってきました……」


 けど、もう無理だ。


「僕には、『普通』を望む資格なんてなかったんだ!」


 生き物ではなく、ただ兵器として。

 偽物の愛情を受けて育った自分が、誰かと共に在る事を望んではいけなかった。


 だって、彼らは傷ついたじゃないか。


 自分と共に居る事で、戦いに巻き込まれて、あの『最強』に殺されかけた。

 これからも自分がそばに居れば、きっと彼らを巻き込むだろう。

 そして、いつの日か、取り返しのつかない事態を招くことになる。


 あの時のように。


 そうなるくらいなら、


「僕はもう……戦いたく、ありません」


 戦うことを止め、逃げればいい。


 痛くて、辛くて、どうしようもない事だって、きっとあるはずだ。


 戦えば戦うほど、自分が兵器であることを自覚してしまう。

 加護の力を振るえば振るうほど、おのれの異常性を思い知らされる。

 お前は、人ではないのだと。


 そんなのは嫌だった。

 もう剣を握る事も戦場に立つことも嫌だった。

 何より、あのルプスの前に立つと思うだけで、腹の底から震えが走る。


「きゅう……」


 気遣わしげなアルトノヴァの視線から、逃げるようにジークは顔をそむける。

 おのれに従う神獣に、情けないところを見せたくなかった。


 それでも、シェンは。


「……自分をどう思おうがお前の勝手だ。けどな、お前は戦う。戦わなきゃいけねぇんだよ」

「無理、です」

「無理でも何でも、立て! 今ここで立たなきゃ、俺っちがお前を殺すぞ!」


 ガシッ、とシェンはジークの襟首をつかみ上げた。

 睨み殺すような瞳に射抜かれ、しかし、ジークは自嘲げに笑う。


「殺してください」

「…………」

「こんな気持ちになるくらいなら、いっそ、殺してください」


 シェンは息を呑んだ。

 未踏破領域を踏破し、意気揚々と聖地へ帰還したジークは見る影もない。

 絶望を煮詰めた瞳の中に、彼は過去のおのれを見た。


(コイツ……こんなに、こんなに脆かったのか?)


 恋人を悪魔に殺され、絶望の底に沈んでいた自分を思い出す。

 意識が喪うまで悪魔と戦い続け、死に場所を求めていた時代を思い出す。


 あの時、周りの声をシェンは一顧だにしなかったがーー

 あの頃の自分も、こんな顔をしていたのだろうか。


 あの時にかけられた言葉は、果たしてどんなものだったか……。


「……」


 ざぁざぁと、雨音だけが二人の間に横たわっている。

 アルトノヴァが二人の間に視線を行き来させているが、二人とも反応しない。

 やがて最初に口を開いたのは、虚ろな瞳をしたジークだ。


「殺せないなら……もう放っておいてください」


 一向に手を下さないシェンに愛想をつかしたのか、ジークは手を弾いた。

 そして窓を開け放ち、降りしきる雨の中、幽鬼のように飛び降りた。


「お、おい!」

「きゅううううー!」


 神獣が後に続く。

 シェンは慌てて窓を覗くが、ジークは屋根の上を走っていて無事だった。

 三階から落ちてびくともしないとは思っていたものの、なんともない様子にシェンはほっとする。

 同時に、口下手な自分の頭をガシガシと掻きむしった。


「あ~~。だから俺っちに教育係なんて向いてねぇっつーんだよ。クソ。他人を励ますとか、どうやったらいいか分かんねーっつーの」


 何を言っても、何をやっても自分では届かない。

 上っ面の言葉がどれだけ人を傷つけるのか、シェンは知っていた。


「ハァ……助っ人呼んでおいてよかったぜ」


 ため息を吐き、シェンはジークが消えた窓を見る。


「頼むぜ、おい。この戦争、お前が居なきゃ勝てねぇんだからよ……」




 ◆




 暗闇の中をひたすら走っているような気分だった。

 どこに行けばいいのかもわからず、ありもしない焦燥感に駆られてジークは走っていた。


「ハァ、ハァ」


 血の中に鉛を流し込まれたように、身体が重い。

 一歩進むのも億劫になって、腹の底から吐き気がこみ上げてくる。

 降りしきる雨は体温を奪い、濡れた視界は絶望だけを映していた。


 そうして、だんだんと走るのを止める。

 あてどなく、路地裏の闇に溶け込もうとするジーク。

 その彼の前に、小さな影が現れた。


「あ、えーゆうのおにーさん!」

「……?」


 屋根の下で雨宿りしていた子供は、ジークの前に進み出た。


「おにーさんも戦いに行くの?」

「たたかい……?」

「うん、みんなゆってるよ。あくまが攻めてきたから、戦いに行くんだって!」

「……そう」


 そんな話になっていたのか。

 そもそもあの再会からどれくらい時間が経っているのだろう。


(でも、どうでもいいか、そんなの……)


「おにーさんは行かないの?」

「僕は……」

「おにーさんは行くよね。だって、えーゆーだもんね!」

「……っ」


 英雄なんかじゃないと、叫びだしたい気分だった。

 いま、お前の目の前に居るのは人の形をした兵器で、

 一つ間違えば、すぐにお前を殺してしまうバケモノになると言いたかった。


「こら、何してるの!」

「あ、おかーさん!」


 一向に口を開かないジークを前に、子供の母親が姿を見せた。

 家の方から飛び出してきた彼女は「もう」と子供を叱りつける。


「びしょ濡れになっちゃうでしょ。ほら、早く入りなさい!」

「でもでも、おかーさん、この人えーゆーさんだよ! ほら、テレビでやってた!」

「え? ぁ」


 母の方もジークに気付いたようだ。

 恐縮しきったように、彼女は頭を下げる。


「七聖将の……ジーク様。あの、子供が何か失礼を」

「……ううん、何もしてないよ。元気でいい子だね」

「あ、ありがとうございます。この子ったらいつもやんちゃで……」

「子供は、お母さんが好きだから……仕方ないですよ」


 ーー自分は今、上手く笑えているだろうか。


 自信はない。周囲に鏡はなく、自分の姿も確認できない。

 視界に映る全てに色はなく、遠くから自分を俯瞰して見ているような感覚。

 機械的に笑うジークに、けれど女性は特に思うところはないようで、


「あ、ありがとうございました。戦争、頑張ってくださいね」

「……うん。頑張るよ」

「では」


 ぺこりと頭を下げ、女性は子供の手を引いて去って行く。

「またね、おにーさん!」と手を振る子供に、ジークは、頷きを返した。


「お母さんは大事にするんだよ」と、

 喉まで出かかった言葉は声にならずに消える。


(母さん……あなたも、父さんと同じだったの?)


 ただその疑問だけが、胸に渦巻いて。


(神が言ったから僕を育てたの? 僕を愛してはいなかったの?)


 何もかもが信じられなかった。

 何もかもが嘘と虚構にあふれているように見えた。


「ねぇ、誰か教えてよ……」

「きゅう」

「……アル」


 いつの間にか傍に飛んできた神獣に、ジークは首を横に振る。


「付いてくるな」

「きゅ、きゅー! きゅうう!」

「来るなって言ってるだろっ!?」

「……っ」


 怒声に、アルは怯えたように翼を縮こまらせた。

 ハッ、とジークは顔を上げるが、勢いに任せた言葉は呑み込めない。

 

「……お願いだから、僕の事なんて放っておいてよ」


 呟き、逃げるように再び走り出す。

 先ほどの女性が言っていた『戦争』の影響だろうか。

 幸いにも周囲に葬送官は少なく、びしょ濡れになりながら雨の中を奔るジークを咎める者はいなかった。


 やがて彼は、街並みを見下ろせる時計塔に足を運んでいた。

 時計塔から見える聖地は雨のヴェールに覆われ、薄く煙っている。

 ジークは時計塔のバルコニーで雨に濡れながら、誰に言うでもなく問う。


「ねぇ。あなたたちは、知っていたの……?」


 冥王メネスは、自分の叔父は知っていたのだろうか。

 あるいは彼を『運命の子』と呼ぶ神々は、ルナマリアは知っていたのだろうか。


 自分がナニモノでもない、ただの兵器であると。


「僕は、一体何なの……?」


 呟きに、誰も答える事はない。


「僕は、何のために生きてるの?」


 ジーク・トニトルスとは何なのか。

 運命の子とは。神々の思惑は、冥王は、母は、父は。

 おのれの存在意義を揺るがされ、ジークは絶望の沼から抜け出せない。


「誰か、答えてよぉ……」

「ーー誰も、答えてなんかくれないさ」


 ハッ、とジークは振り向いた。

 見慣れた立ち姿。いつも厳しい女の眉間には皺が寄っている。


「……師匠」


 テレサ・シンケライザは憔悴する弟子に冷たく言い放つ。


「あんたの求める答えなんざ、誰も持ち合わせちゃいない。だから、」

「……師匠も、僕に戦えって、言うんですか」


 ジークは拳を握りしめた。


「僕は兵器だからッ! 神霊や死徒を倒せるから、必要だから戦えって、そう言うんですか!」

「あぁ、言うよ(・・・)


 ひゅっ、とジークは息を詰めた。

 言葉にならない声が半ば開いた口から洩れていく。

 なんで、どうしてと、もの言いたげな視線にテレサは応えた。


「でも、兵器だからじゃない。あたしが言ってる戦う相手は、悪魔じゃない」

「じゃあ、誰だと」

自分(・・)に決まってんだろ。馬鹿弟子」

「……っ」


 一歩、テレサは近づいた。


「七聖将の義務? 戦争? 兵器? 知ったこっちゃない。アタシが怒ってんのはね、あんたが自分自身から逃げてるって事だ。両親への想いに縛られて、目の前にあるもんも見えなくなっちまってるその馬鹿さ加減に怒ってんのさ」

「……そんなの、どうしようもないじゃないですか」


 射殺すような目で、ジークは雷を迸らせた。


「師匠たちに出会う前、父さんと母さんは僕の全てだった。あの人たちに愛されている自覚があったから、半魔の自分を受け入れられた! どんなに辛くて苦しくても、どんなに痛い思いをしても、あの人たちの想いに応えなきゃって、そうやって自分を奮い立たせて生きてきた! 母さんの、父さんの死が無駄になっちゃいけないって、生きていていいんだって、そう思って……!」


 だけど、


「それが全部嘘で! 本当は愛なんて無くて! ただの兵器だったと言われて! これから僕は、どうやって生きればいいんですか!?」

知るか(・・・)


 ジークの慟哭を、テレサは一顧だにしない。

 また一歩、テレサは近づいた。


「さっきから聞いていればウダウダと。やかましいんだよ、この馬鹿弟子が」

「それ以上近づくなッ!」


 テレサの頬横に、蒼い閃光が奔る。

 頬に赤い線を作ったテレサにズキリと胸が痛む。

 それでも後には引けず、ジークは師を睨みつけた。


「つ、次は、当てます」

「……」

「ぼ、僕の事なんて放っておいてください。もう僕は、戦ったりなんか」

「おい、ジーク」


 その瞬間、テレサの顔が目の前にあった。

 ぎくりと動揺するジーク。雷を奔らせる、その前に。



「歯ぁ、食いしばりな」



 がっこんッ! と豪速の拳がジークの頬を直撃した。

 骨が砕けるような勢いで吹き飛んだジークの身体は、時計塔の外へ。

 数十メートルの高さから落下したジークは、しかし、落下による怪我はない。


 ただ頬だけが、ジンジンと熱い痛みをもたらしている。

 雨に濡れた全身は冷たいのに、そこだけは、いやに熱くて。


「……なん、で」

「なんでもへったくれもない。あんたが馬鹿だから殴った」


 目の前に現れたテレサは、ジークの襟首をつかんで持ち上げる。


「バケモノだ英雄だなんてもてはやされてもね、あんたはアタシにすら負ける、ただのガキだ」

「……っ」


 ジークの瞳に涙がにじむ。


「師匠には、分からないですよ……」

「両親の愛がそんなに大事か? 自分が何者かがそんなに大事かい?」

「そりゃあ、そうですよ。当たり前じゃないですか!」


 ジークは叫んだ。

 雨に濡れた視界は靄がかって、テレサの顔がよく見えない。


「さっき言ったでしょう!? 僕には、あの人たちだけが……!」

それは過去の話だろ(・・・・・・・・)


 パチン、とテレサはジークの頬を叩いた。


「今、あんたを兵器だって言ったのは、過去だ。死人だ。悪魔だ。なら仲間(いま)は? あんたが自分の人生を歩き出してから、一度でもあんたにそう言った奴がいたか? リリアや、ルージュや、オズワンやカレンが少しでもそう言ったのかい?」

「言ってない。けど……僕が、そばにいたら、みんなが」

「きっと傷つくって? いつか死んじまうって? だから、」


 テレサは大きく手を振り上げた。



「それが馬鹿だって言ってんだよ、この馬鹿弟子がッ!!」



 一喝と共に、ジークは再び殴り飛ばされた。

 両の頬を赤く腫れあがらせた彼は、勢いよく跳ねあがって、


「さっきから、何するんですか、僕の事はもう放っておいてって……!」

「やかましいッ!!」


 再び殴られ、モノクロの視界がチカチカと明滅する。

 雨音は激しさを増しているというのに、テレサの声がやけに頭に響く。




()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()




 一喝され、ジークは言葉を詰まらせた。

 空気を求めるように口をパクパクと開くが、何の反論も出てこない。


「何度でも言う。あんたが求めてる『答え』は世界中の誰も持っていない」

「……っ、じゃあ、どうすれば!」

自分で考えろ(・・・・・・)


 テレサは指先を、ジークの額に突きつけた。


「その頭で、心で、魂で、考え続けろ。いいかい、馬鹿弟子。生きる意味も両親からの愛も、他人から決められるもんじゃないんだよ。答えはいつだって、あんたの中にしかないんだ。過去を意味付けるのは、いつだって生きている人間なんだ。あるのはただ、あんたが体験した事実だけなんだ」

「じじ、つ……?」

「そうだ。それが全てだ(・・・・・・)。それ以外に理由なんて要らないし、あっちゃならない」


 例えそれが、実の父親であろうとも。

 例えそれが、最愛の恋人であろうとも。

 例えそれが、どれだけ親しい友であろうと。



「なぜならあんたの人生は、あんただけのものだからだ!」




 がつんと、魂をぶん殴られたような気分だった。

 光を隠していた暗雲が風に流され、闇におびえる心を暴き出す。

 絶望の底で膝を丸めるジークを、テレサはひっぱたく。


「誰にも答えられない。でもあんたにはその答えがあるはずだ。あんたがアタシに言ったんだよ。現在(いま)を大切にしてほしいって」

「……っ」


 テレサはジークの襟首を掴み上げ、射殺すように睨みつけた。


「答えろ、あんたはどうしたい!?」

「ぼく、は」

「七聖将でも英雄でも、半魔でも兵器でもない!」


 ーー肩書(レッテル)を脱ぎ捨てた自分が、何をしたいのか。


「ここに居るアタシの愛弟子は、一体何を望む!?」」


 ーー何を、望んでいるのか。


「殺してほしいならアタシが引導を渡してやる。でも、少しでもまだ生きたいって思うなら」


 息を吸い、彼女は叫んだ。


「心から望むことを、言え、ジーク(・・・)ッ!!」

「……っ」


 震える指先に力が戻る。

 冷たい身体に熱が戻ってきて、じわじわと、胸が熱くなる。

 唇を結んで、開いて。涙ながらに、ジークは呟いた。


「ふつうに、生きたい」

「……」

「妹や、友達と、遊んで……恋人と、でーとして、大切な人たちとご飯が食べられるような、普通の暮らしがしたい……!」

「ならどうする。望むモノを叶えるために、あんたが賭けるのは何だ?」

「僕の、全てを」


 この心も、魂も、力も。

 ただ平凡な幸せを得るために、おのれの全てを懸ける。


「誰に馬鹿にされたっていい」


 例え世界中の誰から嫌われようと。


「誰を敵に回したっていい」


 例え悪魔になった父親と戦うことになろうと。


「僕はただ、普通に生きたい!」

「……!」

「リリアや、ルージュや、オズやカレンさんと、みんなと一緒に居たい!」


 そう、そうだ。

 自分はそのために剣を振るうのだ。


 生きる意味だとか。

 自分の正体だとか。

 バカげた力だとか。


 そんなこと、どうでもいいじゃないか。


 今までも、

 これからも。


 おのれの望む未来のために、立ちはだかる運命をぶっ壊す。

 例え相手が誰であろうと、大切な者に手を出す奴には容赦はしない。


 それが、それこそが、ジーク・トニトルスの在り方なのだから!


「……ようやくマシな面になったじゃないか。馬鹿弟子め」

「……師匠」


 濡れた視界が晴れ渡り、テレサの顔が露わになる。

 彼女は優しく微笑んでいた。


「下ばかり見てないで、上を見な。空を見るってのは、気持ちいいもんだよ」


 言われて空を見上げる。

 暗雲が晴れ、雨は止み、雲から顔を出した光が地上を照らし出す。

 モノクロだった世界は極彩色に色づき、全てが光輝いて見えた。


(あぁ、そうか。僕は……)


「もう、手を貸す必要はないね?」

「……はい」


 ジークは大事なものを握りしめるように、胸に拳を当てた。

 初めから自分の中にあった『答え』を噛みしめるように。


「……全く。世話が焼ける弟子だよ、あんたは。いつまで年寄りをこき使うつもりだい」

「……お手数かけてすいません」

「全くだ」

「きゅぅううう!」

「わ、アル!?」


 テレサが嘆息すると同時に、彼女の背後からアルが飛んできた。

 ジークの胸に飛び込んだ神獣は、頭を頬にこすり付けている。


「アタシにあんたの居場所を知らせてくれたのはソイツだよ」

「……アルが?」

「泣きそうな面してやがったからね。すぐにピンときたよ」

「……そっか」


 ジークはアルトノヴァの背中を撫でながら、翼に顔を埋めた。


「……酷いこと言って、ごめんね」

「きゅう! きゅ、きゅー!」

「あはは! くすぐったいよ、アル!」


 舌で鼻先をくすぐるアルと戯れながら、ふとジークは首を傾げた。


「アル……君、ちょっと大きくなった?」

「きゅ?」

「悪いが、ジーク。ぼやぼやしてる時間はない」


 テレサは深刻な顔で、


「あんたが寝てから丸一日経ってる。リリアたちは最前線に出発した。冥王の奴らが攻めてきたんだ」

「……! じゃあさっき聞いた戦争って言うのは」

「言葉通りさ。あと五日すりゃ、戦いの火ぶたが切って落とされるだろう」

「じゃあ僕も……!」

「待ちな、あんたは居残りだ」

「どうしてですか!? 早く行かなきゃみんなが……ッ」」

「ーー元気になった途端にこれかよ。忙しない奴だな、新入り」


 音もなく、ジークの背後にシェンが現れた。

 貫頭衣を揺らす彼は「よう」と軽い調子で手を上げる。


「もう大丈夫みたいだな」

「シェンさん……あの、さっきは……」

「あー、そう言うのはいい。俺っちもかけた言葉が悪かった。はい終了。その件はこれでお終い。今はそんな事より、もっと重要な事があるんでな」

「……それは、僕が居残りって言われたことと関係が?」

「大アリだ。むしろそれしかねぇまである」


 シェンはゆっくりと手を上げ、



「新人。今からお前には、()()()()()()()()

「…………………………………………は?」



 そう、言ったのだった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] リリアがルージュの両方かどっちかが来ると思ったけど師匠だとは思いませんでした笑 怪我してるジークを時計台の上から叩き落とした時はびっくりしたけど流石師匠っす [一言] 更新お疲れ様です…
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