第十六話 師の想い
『カンパーイ!』
グラスを合わせる音が響き渡る。
聖地カルナックの住居区画、とある一角。
貸し切り飲食店の中に、ジークたちの姿はあった。
「ぷはーッ、うめぇ! ひっさしぶりに落ち着いたメシが喰えるぜ!」
「ゴリラ、魔獣ばっかりだったもんね。いっそゴリラに転職したら?」
「ゴリラゴリラうっせぇんだよクソきゅうけ……クソが!」
吸血鬼、と言おうとしたオズワンが慌てたように言い直す。
イズナに紹介してもらった店であり、料理を配膳してもらった後は店員に下がってもらっている。
だからルージュも出てこられているのだが、大声でしゃべっていては外に漏れかねない。
「気を付けてよ、オズ」
「わぁってるよ、めんどくせぇ。こんなチビ、普通の人間と変わんねぇのに」
「まぁ、僕も色々あったし、そう簡単じゃないんだよ」
「ハンッ! 世話が焼け……この肉うめぇ!」
カレンが苦笑して、
「怒るか食べるかどっちかにしなさいな、お行儀が悪いですわよ、愚弟」
「まぁまぁ、今日はそういうのはナシで、楽しんじゃおうよ」
「そうだね。せっかく馬鹿娘が紹介してくれたんだ。ひっく。存分に呑ませてもらおうじゃないか」
テレサが酒瓶を引っ掴んで琥珀色の液体をグラスに注ぎ込む。
景気のいい呑みっぷりに、彼女の隣にいたイズナがじと目になった。
「お師匠、相変わらずだにゃん。そんなに飲むと太りますよ~?」
「ひひッ、もうそんなことを気にする年じゃないからいいさね。あんたと違って」
「にゃにゃ! べ、別にイズナちゃん太ってませんし!? ちょこーっと太もものお肉がついただけだし?」
「それを太ってるっつーんだよ、猫娘」
喧々囂々とやり取りを交わす一行。
笑い声が絶えない空間が居心地よくて、ジークは思わず口元を緩めた。
「たまにはいいもんだね、外で、こういうのも。イズナさんも呼んでよかった」
「はい。いつも家ばっかりだと息が詰まりますしね」
舐めるようにお酒をたしなむリリアである。
普段は料理を作る彼女も今日はゆっくり楽しんでいるようだ。
「にしても、ジっくんが七聖将かぁ。お師匠、なかなか有望株育てたね~?」
「ぁん?」
「ほらほら、リったんもイズナちゃんも居る事ですし? 実績としては充分でしょ。いっそカルナックで道場でも開いて、さっさと隠居したらどうですかにゃん?」
「ハッ! 道場なんざ開かなくても、アタシはとっくに隠居の身だよ。ここに居るのは……」
そこでテレサは口を開きかけ、閉じた。
口元を緩めて笑う。
「……ま、もう少し、馬鹿弟子の成長を見守るのもいいかと思ってね」
「えー。イズナちゃんに会いにきたわけじゃないんですか~? ねぇねぇ~」
イズナは耳まで真っ赤になっている。
開いた口から漂う酒気に、テレサはギョッとした。
「……おい誰だいこの猫娘に酒呑ませたの!?」
「いいじゃないですか~ふふふ。聖地のアイドルに絡まれて喜ばない男はいないですよぉ~?」
「誰だ男だ、誰が!」
「あだぁあ!?」
がっこん!
小気味よい音を響かせたテレサは、拳に息を吹きかけた。
相当な力で殴ったのか、イズナは白目を剥いて倒れている。
「ったく、相変わらずの馬鹿娘だ」
「あはは。仲がいいですね、師匠」
「どうだかねぇ。絡まれてるだけな気がするが」
「イズナさんの話じゃないですけど、僕、師匠が居て心強いですよ?」
右も左も分からないカルナックで見知った人間が居るのは心強い。
それが誰より信頼できる師であるなら尚の事だ。
ーーそんな弟子の心を理解しつつも、テレサは思う。
(アタシが居る事で、あんたの足枷にならなきゃいいんだがね……)
カオナシがテレサを連れてきたのは、冥界行きを咎める為ではない。
ましてや戦力にするためでも、ジークを安心させるためでもない。
いざという時に人質にするためだ。
四柱の神々の加護を持ち、死徒をも圧倒する力を持ったジーク。
彼が暴れだした時、この聖地で止められるのは七聖将くらいだろう。
だがもし彼らが任務で出かけていたら?
誰も居ない時に、ジークが暴走し、異端討滅機構を攻撃し始めたら。
決まっている。止められるものなど誰も居ない。
だから自分が選ばれた。いざという時、ジークを止める盾とするために。
(弟子の足を引っ張るしかない……老いたもんだよ、アタシも)
苦笑し、酒を煽るテレサ。
(こんな身体じゃ力にもなれない。いっそ、アタシが居ない方が……)
どれだけ度数の高い酒を呑もうが、一向に気が晴れない。
やれやれとため息を吐いたテレサに、ジークやリリアが顔を見合わせた。
頷き合い、彼らはにんまり笑う。
「そんな師匠に、僕たちからプレゼントがあるのです!」
「ぁ?」
「いつもお世話になってるお礼ってやつですよ。ふふん」
テレサは目を丸くする。
見れば、リリアが買い物袋の中から酒瓶を取り出していた。
「わたしからはこれです。大陸で一番の養命酒だそうですよ」
「……」
「お酒を呑むのもいいですけど、身体は大事にしてくださいね」
テレサは呆然としながら酒瓶を受け取る。
いまだ頭に理解が追いつかなかった。
「あ、あたしからはこれ!」
ルージュが意を決したように近づきながら、手に握ったものを差し出す。
テレサ好みの、紫水晶をあしらったイヤリングだ。
「その……テレサさん、おしゃれに興味ないわけじゃないでしょ。だから……」
「あんた……」
「えへへ。付けたら似合うかなって」
なぜ、どうして、
そんな言葉が次々と頭に浮かんでは消える。
言葉にならない思いを抱えるテレサに、ジークが近づいて、
「僕からは、これ」
差し出された手の中にあったのは、一つのロケット。
亡き息子と映っているテレサの写真と、レギオン結成の証明時に撮られた写真だ。
「ぁ」
「えっと……師匠には、過去も今も、大切にしてほしいなって」
「……っ」
「息子さん……ですよね? 彼の事だけじゃなくて……僕たちの事も……その、ずっと一緒に居るような気分で居てくれたらなって」
テレサの瞳に涙がにじむ。
ーーどうして、この子は、この子たちは。
辛く、厳しい修業を課したはずだ。
すぐに手が出るし、怒鳴るし、説教をする、口うるさいババアだったはずだ。
サンテレーゼではその場に居ないことで随分と彼らに苦労をかけた。
リリアに至っては死んでしまったというのに、その場に自分は居なかった。
ルージュなど、初めのうちは殺した方がいいと思っていた。
そのほうがジークの、ひいては世界の為であると。
けれど彼女とジークを見ているうちに、だんだんと考えが変わっていった。
「……」
どうしてと、喉元まで出かかった言葉を止める。
そんなの分かり切っている。彼らの瞳が語っている。
自分が彼らを大切に思うように、彼らも自分を大切に思ってくれているのだ。
七十年の歳を重ねたテレサはそれがどれだけ得難い関係か知っていた。
けれど、そんなことを口にするのは気恥ずかしくて。
涙を見せるのが嫌で、テレサは酒瓶に口をつけた。
「ひっく。あーあ。全く、しょうがない馬鹿弟子どもだ。まだまだ甘えたがりだと見える」
「あ、ひどい。僕、もう七聖将になったのに」
「七聖将だろうが何だろうが、馬鹿弟子は馬鹿弟子だよ。まだまだ甘ちゃんだね」
「ぬう……否定できない」
不満げに唸るジークに思わず噴き出し、テレサは笑う。
貰ったものを噛みしめるように胸に抱き、「だがまぁ、」と視線をそむけた。
「気持ちは、伝わったよ……いいもんだね、こういうのも」
ありがとう、と彼女は僅かに口元を緩めた。
その素直じゃない師の言葉にーー
ジークもリリアもルージュも、顔を見合わせて笑った。
「んだよ。任務が終わっても一向に来ねぇと思ってたら、んなもん買ってたのか」
「サプライズ、というわけですね。日用品だなんて嘘ついて。すっかり騙されましたわ」
「あはは」
オズワンやカレンを仲間はずれにして申し訳ないが、彼らも理解している様子だ。
言葉とは裏腹に、口元には微笑ましさが浮かんでいる。
(いい仲間を持った。もうアタシが居なくても……この子は、きっと大丈夫)
テレサは養命酒の蓋を開け、口に含む。
大陸一を謳うだけあって、生薬のほろ苦さはかなり抑えられている。
口当たりは甘く、少しだけしょっぱかった。
(いつものお礼……か。全く、バカだねぇ)
楽しそうに談笑する彼らの顔を見ながら、テレサは微笑んだ。
(そんなの、こっちの台詞だよ)
◆
三時間に及ぶ宴会は瞬く間に過ぎていった。
途中、酒に手を出したオズワンが酔いつぶれたり、
イズナが起きだしてリリアを押し倒したり、
ルージュがジークにくっついて離れなかったりと色々あったが。
「楽しかったね……」
「そうですね。みんなの息抜きになってよかったです」
宴会からの帰り道。
大勢の葬送官たちが行き交う中、ジークやリリアは歩いていく。
オズワンは途中で酔い潰されたため、カレンが先に背負って帰っている。
イズナの方はテレサが送っているので、今はルージュ含めて三人だけだ。
(またやろうよ! 貸し切りならあたしも外に出られるし!)
「そだね。次はリリアの誕生日会しよっか」
葬送官はいつ死ぬかも分からない身の上である。
悔いなく、やり残したことがないように、今を全力で生きて行きたい。
そもそも、仲間を死なせないようにするのが、ジークの仕事でもあるのだが。
「七聖将になったから、お給料も増えるだろしね」
「でも、しょっちゅう貸し切りは出来ませんよ? わたしもルージュもお給料がないんですから」
「分かってる分かってる、無駄遣いしないよ……あ、アレ美味しそう」
「言ったそばから買い食い!? デザートならさっき食べたでしょう!」
(……お兄ちゃんの財布の紐はお姉ちゃんが握ってた方がよさそうだね)
そんなやり取りをしながら帰路に着く。
『最果ての方舟』の拠点は異端討滅機構本部からほど近い所にある一等地だ。
住民たちの視線から解放されながら、ジークが拠点を視界に収めた瞬間だった。
──ゾクッ!!
「…………っ」
ジークは思わず足を止める。
突然立ち止まった恋人に、リリアは首を傾げた。
「ジーク? どうかしましたか?」
「……リリア、ちょっとここに居て」
「え、でも」
「お願い。ルージュもリリアの影に移って」
いつになく硬い声でそう言ったジーク。
未踏破領域でも聞いたことのない声に、リリアは虚空から錫杖を呼び出した。
彼の目を見れば分かる。この先に何かが現れたのだ。
「悪いですけど、お断りします。わたしも」
「ーーリリアッ!」
ビク、とリリアは震え、ぎゅっと口元を結ぶ。
「……分かりました。でも、何かあればすぐに飛んでいきますから」
「うん。援護もお願いしたいけど……戦いの音が聞こえたら応援を呼んで。出来れば七聖将の人に」
(お兄ちゃん)
「ルージュ、ちょっと我慢してて。いい子だから」
ジークは駄々をこねるルージュをリリアに預け、拠点に走った。
ーーとてつもなく、嫌な予感がした。
それは、猛獣の牙を前にした小動物のような。
それは、死という抜き身の刃を前に立ったような。
死徒にも、神霊にも、未踏破領域のヌシにも感じなかった。
冥王を彷彿させる、次元の違う気配がそこにある。
だからジークはリリアたちを追いて走るのだ。
本当にナニカが居た時、七聖将に助けを求められるように。
(……二人とも、無事で居て……!)
どうやって聖地の監視を潜り抜けたのかとか。
誰が何の目的で自分たちの拠点を襲ったのかとか。
そんな事を考える余裕は、ジークにはない。
ただおのれの力を全開にして、雷の速度で走った。
「ーー二人とも、無事!?」
拠点の扉を開けると、玄関ホールは嫌な静寂に満ちていた。
慌ててリビングの扉を蹴破る。
そこには──
「オズ!? カレンさん!?」
意識のないオズワンやカレンが倒れていた。
二人とも血だらけだ。家具や床に傷はない。
つまり、彼らは抵抗する間もなくやられたのだ。
どうやら生きてはいるようだが……。
「は、早く手当てを……オズ、カレンさん、起きて、起きてよ!」
「そいつらなら起きねぇぜ。ちぃっと眠ってもらったからな」
「……………………………………………………ぇ?」
その瞬間、ジークの時間は凍り付いた。
ーー聞き覚えのある、どころじゃない。
それは追憶の彼方から蘇る、ありえない声だ。
ぎぎぎ、とさび付いた歯車のような動きで、ジークは振り返る。
「カカッ! なに呆けたツラしてんだ。寝起きかっつーの」
バサバサと、窓が揺れている。
月明かりが、その男を照らし出した。
「ぁ」
それは獅子のような男だった。
たてがみのように逆立つ黒髪、筋骨隆々とした体躯は野獣を思わせる。
黄金色の瞳がジークを見据え、そして嗤った。
「相変わらずだな、クソガキ」
「とう、さん……?」
死んだはずの父が。
ルプス・トニトルスが、目の前に立っていた。




