閑話 七聖将の慟哭
ーー中央大陸『聖なる地』カルナック。
ーー異端討滅機構本部、七聖の間。
「七聖将第五席ラナ・ヘイルダム。参上しました」
「入れ」
遠慮がちに扉を開けると、七体の神像が楕円形に並んでいる空間がラナを迎えた。
中央の上座に姫がいて、それぞれの神像の前に同僚の七聖将たちが座っている。
二人足りないが、恐らく任務だろう。
「ラナ。はようお主も座れ! みなでジークの晴れ舞台を鑑賞しようぞ」
楕円形に置かれた椅子の一角を示し、ルナマリアは晴れ晴れとした顔で言った。
ラナは露骨に顔を顰める。
「そういえば昨日出発って言ってましたね……そろそろ着く頃か」
ラナは頭痛を堪えるように額を抑えた。
突然呼び出されたかと思えば、まさか用件がそんなことだろうとは。
件の新人には思うところがあるラナは今すぐ帰りたい気分だった。
「言っときますけど、ワタシはまだ反対ですからね。あんな奴」
「貴様、まだ言っているのか」
呆れたように言ったのは眼鏡をかけた短髪の男だ。
七聖将第二席、アレクサンダー・カルベローニ。
鍛え上げた刃のように鋭い目が、ラナを射抜いた。
「姫様の決定だ。七聖将である貴様がそれに逆らうというのか?」
「姫様も人間よ。間違うこともある。主を諫めるのも臣下の努めでしょう」
平然とラナは言った。
薄い胸を張った彼女に周囲は処置ナシ、とばかりに肩を竦める。
ただ……強情な彼女を、ルナマリアだけは微笑ましそうに見ていた。
「そんな事を言いつつ、ジークの出立日は覚えておるんじゃな」
「……!」
ぎく、とラナが肩を跳ねる。
「奴らは妾たちに何も言わず、翌日には出立したが……どこで調べたのかの?」
「べ、別に、調べたわけじゃありませんから! ただあいつがいつ失敗するか確かめたたかっただけで、童貞のあいつがどうなるとワタシの知ったことじゃ……ちょっとそこ、何よその目は! 張り倒すわよ!?」
「姫さまぁ~。準備できたよぉ~」
「聞きなさいよ!?」
ラナの主張を無視し、一同の視線は妙に間延びした声の元へ向かう。
声の主は女だ。彼女の前には、投影モニタがいくつも並んでいた。
彼女はそのうちの一つを皆の前に投影し、カルナック北方を走る魔導装甲車を示した。
「街中の監視モニタを追ったし~、魔力紋が一致するからぁ~、これで間違いないかも~」
「でかした、トリス! あとで褒美をやろうぞ」
「キャンディー三日分でよろしく~。味は全部違う奴ね~」
トリスと呼ばれた女は棒つきキャンディーを咥えながらピースサイン。
「うむ!」と応じたルナマリアに、その場にいた別の男が口を出す。
「出立から一日だっけ。随分なペースで飛ばしたんだな?」
「どこからの誰かさんが~、無茶な期限を決めるからぁ~」
「それな。さすがに一か月でSランク一ヶ所とAランク九ヶ所は無理無茶無謀すぎんだろ。俺っちでも無理だぞ。殺す気か?」
言葉とは裏腹に男の言葉は羽のように軽い。
面白がっている様子すらある同僚に、ラナはフンと鼻を鳴らした。
「当然よ。半魔が七聖将になるってんだから」
実際のところ、ラナがジークに課した条件は無理難題に等しい。
一つの未踏破領域を攻略するのには通常、どんなに早い者でも五日はかかる。
まず事前調査と哨戒探索に一日ずつかけ、ゆっくりと攻略するのがセオリーだ。
特に未踏破領域のヌシと戦うには体力が万全の状態でなければ危うい。
七聖将の面々ですら、ジークに課された課題をこなせるものはいないだろう。
「ま、どうせ無理だろうけど。それくらいじゃないとみんな納得しないでしょ?」
「つまり七聖将になったアイツが苦労しないようにわざと条件きつくしたのか。優しいねぇ全く」
「ばッ、違うわよふざけんじゃないわよ張り倒すわよ!? あんた、ばッ!? ばッ!?」
「馬鹿ぐらいちゃんと言えよ。まぁ俺っちも無理だとは思うけどな」
男は軽く息を吐き、映像に目を戻してーー目を見張った。
「おいトリス、ドローンを避けさせろ」
「え~? なにも異変はないけど~? 悪魔も魔獣も反応なし~」
「いいから避けーー
その瞬間、男の背筋はぞっと粟立った。
投影された映像に映るジークの瞳に、まっすぐ射抜かれたからだ。
バチ、と紫電が迸る。次の瞬間、ザァッ、と音を立てて映像が途切れた。
「む、トリス。映像が途切れたぞ! これではジークが見えん!」
「……途切れたんじゃなくて~、壊されたんですよ姫様ぁ~。これ、保証出ますよね~?」
作るの高いんですよぉ~? と文句を垂れるトリスをよそに、男は戦慄していた。
「なぁ……あいつ、十キロ離れた空に浮かんだドローンに気付いたぜ?」
「「「……」」」
七聖将の面持ちは厳しい。
彼が行ったことがどれだけ常人から逸脱しているか理解したのだ。
「ウチのドローンがぁ……」
七聖将第六席、トリス・リュート。
稀代の天才魔導工学者としても知られる彼女のドローンは特別製だ。
完全自立機能、光学迷彩を搭載し、有事の際には魔導ミサイルも搭載できる優れモノ。
特に今回用いられたのはただのドローンではない。
隠密機能に特化しており、エーテルによる迷彩補助、風圧操作、消音機能などを持つ。
これまでも異端討滅機構に敵対する国や組織を監視してきた、組織を支える一点ものだ。
今まで一度も、このドローンに気付いたものは存在しない。
彼ら七聖将であっても、十キロ離れた先のドローンに気付くのは無理だろう。
そしてそれは、全ての葬送官にとって不可能である事と同義だ。
ーー今の、今ままでは。
「ねぇトリス。あんたの機械壊れてたんじゃないの?」
ラナの言葉に、トリスは形のいい眉を顰めた。
「絶対にありえない。ウチの作品は絶対」
間延びした口調を引っ込め、強く断言したトリス。
それを聞いて、そうだよな、と男は嘆息した。
「となると余計に問題だ。あの半魔の事は、正直もうちょい様子を見たいんだけどな」
「……七聖将の中でも偵察に優れた女の業が効かないなら、監視は無意味……か」
全く、アレクは苛立たし気に舌打ちする。
「姫様の気遣いを無下にしおって……あの男めッ」
「おいおい、今はそんな事言ってる場合か? それよりアイツの事をーー」
「そんな事とはなんだ!?」
突如、アレクが声を張り上げた。
ずいずい、と机に身を乗り出したアレクは眼鏡を押し上げ、
「いいか。我ら七聖将は姫様の為に存在し姫様の為に仕える集団だ。つまり姫様の言うことは至上命令であり神々の命令をも凌ぐ勅命だ。分かるか? 見ろ、この悲しそうな表情を! 昨日からずっと楽しみにしておられたのだぞ。あの半魔と話す時間がないからせめて姿だけでも見ようと堪えていたのが今にも泣きそうではないか! 許さん。断じて許さん。姫様の愛らしい笑顔は我らが取り戻さねばならん! おい、全軍に召集をかけろ! 聖都に住まう全葬送官を以てジーク・トニトルスの様子を何としても映像におさめーー」
「やめろっつーのこの馬鹿がッ!」
「ぐぉ」
血走った目をしたアレクの頭を、同僚の男はがつんと殴りつけた。
暴走状態にあった彼の眼鏡がズレ落ちるのを見て、ハァア、と深く長い溜息を吐く。
「ったく……お前は姫さん関連になると暴走しすぎだっつーの」
「実はこの中で一番変態よね。ロリコン疑惑があるの自覚してる?」
ささ、とおのれの胸を隠して後ずさるラナ。
眼鏡をかけ直したアレクは「それはない」と断言する。
「私が愛するのは年齢と中身のギャップが醸し出す姫様の独特のオーラであり、積み重ねた経験が見せる思慮深い表情や時折見せる姿相応の少女のような笑みが
「あーはいはい、もういいから。おいトリス、他のドローンで追えねぇか?」
「聖都の監視塔から映像は送れるけどぉ~。若干映像は荒くなるよぉ~? あと遮蔽物があったら映らないし~」
「とりあえずそれでいいだろ。これ以上お前のドローン壊されても困るしな」
同僚の言葉を受け、トリスは聖都の監視塔カメラを遠隔操作する。
すぐに投影映像に拡大された魔導装甲車の姿が映った。
「おぉ、映ったぞ! さすがトリスじゃな!」
「まぁね~やっぱりちょっと画質荒いけど~我慢してね~」
「ていうか。あいつなんでドローン壊したの? 普通気付いてても無視するでしょ!」
不満そうに地団駄を踏むラナ。
正気に戻ったアレクが口を開いた。
「干渉するな、という事だろうな」
「というと~?」
「奴は身内に干渉されることをひどく嫌う。距離感を間違えた者には容赦がない」
「いやぁ、単純に不快だったのかもしれんぞ? あの子は優しいが、父親似じゃからの」
どこか楽しげに、ルナマリアが発言する。
「こちらの都合で呼び出された上、勝手に広告戦略として使われた挙句、七聖将に任じられて勝手に条件をつけられ、未踏破領域の踏破なんて面倒なことを押し付けられたのじゃからな。半魔として虐げられた過去が、手のひら返しで英雄扱いされることを忌避しているのじゃろう。そのうえ監視などされてみろ。あの子じゃなくても怒るぞ」
「……百歩譲って情状酌量の余地があるとしても。あの目は半魔というより……」
独りごちたラナは首を横に振り、
「それよりどーすんのよ。ずっとこのカメラ眺めてるわけ? つまんなくない?」
「問題ない。こういう時の為に手は打ってある」
ずい、と眼鏡を持ち上げたアレクの言葉と同時、通信音が響いた。
『はいはーい。こちらイズナちゃんでーす』
「……真面目に応答しろ、エルブラッド葬送官」
立体映像が浮かび上がり、ぴこぴこと尻尾を揺らす獣人が現れた。
彼女は不満そうに頬を膨らませ、
『もう。相変わらずアレク様は硬いんだからぁ。それで、なに?』
「頼んでいた件が必要になった。お前に監視任務を申し渡す」
『えぇー……? イズナちゃん、弟弟子に嫌われるようなことしたくないんですけどぉ』
しょうがないなーと言いながら、彼女はため息を吐き、
『風の民よ、風の民よ、私を運んでおくれ。彼方まで』
次の瞬間、ざざ、彼女の姿が掻き消えた。
かと思えば、すぐに彼女の姿が投影され、ふいーと間延びした声が響く。
『着いたよー。じゃあ映すね、トリスせんぱい?』
「確認した」
トリスの言葉と同時に一同の前の投影映像が切り替わる。
場所は深淵領域周辺の荒野だ。すぐそこに巨大な穴が見えている。
『精霊に頼んで姿は隠すけど、ジっくんに気付かれても知らないですよー?』
「その時は妾が責任を取る。安心せい」
『りょーかいです姫様! じゃあ遠慮なく……といってもにゃぁ』
イズナは困ったように眉を下げ、
『これ、一度潜ったら当分戻ってこない奴ですよー? しかもまだ着いてないしぃ。それまでじっとしてるんですか?』
「むぅ……そうさな。残念じゃが、今日は解散にしようかの」
ルナマリアが残念そうにつぶやく。アレクは言った。
「何かあれば連絡しろ、エルブラッド。いいな」
『えぇ……イズナちゃん、もしかして徹夜? 夜更かしは美容の大敵……ってあ、ちょ、切らないでー!?』
ぶつん、とイズナの立体映像は途切れた。
「それにしてもまさか深淵領域を選ぶなんてな。豪胆なのかよほどの馬鹿か」
「愚かなんでしょ。アイツは自分の力に過剰な自信を抱いている童貞野郎よ。シェン・ユ」
小馬鹿するラナの言葉はどこまでも辛辣だ。
最も。彼女とてジークの実力を認めていないわけではない。
その上で、言っているのだ。
「アイツに七聖将は早すぎる。未踏破領域はそんな甘いところじゃないわ!」
「ほーん。まぁお手並み拝見といこうや」
ニヤニヤ笑いながら、七聖将第四席、シェン・ユは手を上げた。
「俺っちはあいつが諦める事に賭ける。期間は十日だ」
「ウチも諦めて帰ってくることに一票かな~。さすがに深淵領域は無理っしょ~。期間は一か月」
次々と手を上げて賭けごとを宣う七聖将たち。
そんな同僚たちを眺めてアレクは嘆息した。
「下らん。仮にも仲間の葬送官が命懸けでやっているのにーー」
「妾は三日じゃ! 三日で踏破する事に賭けるぞ!」
「私は十日で諦める事に賭ける。仮にもSランク領域は伊達ではないからな」
姫が参戦した瞬間に一秒で意見を翻したアレクに周りは白い目を向けた。
とはいえ、これで姫を除いたラナ以外の面々もジークが諦める事に賭けた形だ。
先ほどジークの実力を垣間見てなお、この判断。
ある意味当然である。
彼らは七聖将。未踏破領域の厳しさを誰よりも分かっている。
深淵領域は、何代か前の七聖将ですら死亡した記録がある難所中の難所なのだから。
当のラナは腕を組んで言い放った。
「ハッ! ワタシの答えは決まってるわよ、あいつはあそこで死ぬ。あんな童貞野郎に七聖将の資格はないんだから!」
七聖将全員が無理だと断じたその翌日ーー
焦りに焦ったイズナの通信が、聖都に居る七聖将の元に届いた。
ラナは本部の廊下を歩きながら眉を顰める。
「はぁ? なに、どういう事よ」
『だから大変、大変ですって……! ジっくんたちが……!』
「何? 死んだの? 悪魔になった? ならあんたがちゃんと始末をつけなさい」
『だから違うって言ってるじゃない、ラナちゃん! 早く映像を確認してってばぁ!』
もはや敬語をかなぐり捨てたイズナの叫びに、ラナは仕方なく応じる。
彼女とは親しい間柄だから敬語云々を言うつもりはないが、公的な場では自分は上司だ。
せめて周りに聞こえないようにしなさいと小言を言いつつ、本部の七聖の間に向かい、
「急ぎ探索隊を向かわせろ! なに、編成? 以前リストにまとめた筈だ!」
「物資の調達が間に合わない? んなのいい。あとで運搬用の車むかわせっから」
「周辺の警戒はやったげるから~、早く出発しな~? 間に合わないよぉ」
愕然とした。
「は……?」
慌ただしく部下に指示を飛ばす同僚たちの姿があった。
七聖将たちから指示を受ける部下たちは大慌てて何らかの準備をしている。
「はっはははは! さすがジーク! 妾は何かやってくれると信じておったぞ!」
ルナマリアは腹を抱えて笑っている。
傍らに佇むメイドがラナに気付き、目礼した。
ラナは頷きを返しながら、自席で通信端末をいじるアレクを捕まえる。
「ねぇちょっと、どうなってんのよ」
「どうもこうもない。あの半魔め。全く厄介なことをしてくれた」
「だからどうしたっていうのよ!?」
アレクは手を止め、鋭利な瞳でラナを射抜いた。
「たった一日で、『深淵領域ニクセリス』を踏破したのだ」
「…………………………………………………………………………は?」
真剣な気配を感じ取り、ラナは自分の耳がおかしくなったのかと思った。
耳をほじり、額をおさえ、頬をつねって夢ではないことを確認する。
「ワタシの聞き間違いかしら。誰が何を踏破したって?」
「序列七位、ジーク・トニトルスが前人未到の未踏破領域を踏破した」
「……嘘、でしょ?」
「嘘だったらどんなにいいか……全く」
アレクの視線をラナも辿る。
扇状に設置された椅子のど真ん中、投影映像には深淵領域が映っている。
地面に空いた巨大な大穴は底知れず不気味な雰囲気を放ってーーいなかった。
「…………」
今この時、深淵領域には映像越しでも分かるほど神聖な空気が漂っている。
それは正しく、聖霊石によって瘴気が浄化され、神の力がいきわたっている証拠だ。僅かな期間ではあろうがーー今、前人未到の領域は人の住める土地へと変貌している。
「……なによ、あれ」
映像の中にイズナが居た。
まぁそれは問題ない。彼女は監視役なのだから。
問題は、彼女の隣にある山と積まれた光の数々だった。
「魔晶石……もしかして、たった一日であれだけ集めたの!?」
魔獣の素材、魔晶石、その他、異彩を放つさまざまなモノ、モノ、モノ。
それが何かは分からないがーー
そのどれもが高純度のエーテルを秘めているとカメラ越しにも分かる。
「ありえない……こんなの、こんなの何かの間違いよ!」
「そう言いたくなる気持ちは分かるが、現実を認めろ。七聖将第五席、ラナ・ヘイルダム」
アレクは無情に切り捨てた。
「奴は我々が想定している以上の実力者だった。それだけの話だろう」
「でも……深淵領域よ!? 今まで誰も踏破したことなかったのよ!?」
「だからこそ我らがこれほど忙しく動いている。お前も手を貸せ」
「…………」
未踏破領域は踏破して「はい終わり」ではない。
むしろ踏破してからが本番で、裏方が最も忙しくなる時だ。
何より、今回ジークたちが踏破したのはSランクの『深淵領域』。
たくさんの探索者や葬送官たちが挑み、倒れていった前人未到の秘境。
この領域をくまなく探索するのに、一体どれだけの人手が必要か!
環境調査の識者に地質学者、魔獣学者、エーテル学者、悪魔学者、考古学者、
探索係に発掘班、運搬班、そして彼ら全員の警護を葬送官たちが行う。
聖霊石もそう長くはもたない。急いで発掘・調査・探索を行わなければ深淵領域は再び魔の領域に戻るだろう。
現在、七聖将たちはそうした諸々の手続きや手配で大忙しだった。
前人未到の領域故、事務員たちが七聖将たちに都度指示を仰いでいるのだ。
「お、ジークから通信が届いたぞ!」
メイドが持つ通信端末を見て、ルナマリアが声を弾ませた。
彼女の声に視線が集中し、ラナは事務を放り出してそちらに向かう。
見れば、彼女が映す投影映像には何らかの文字が書き連なっていた。
「姫様、それは?」
「うむ。未踏破領域で何があったか知りたかったのでな。ジークには未踏破領域を踏破するごとに手紙を送るように言づけておいたのじゃ」
孫からの手紙を喜ぶ祖母のように、ルナマリアは笑って見せる。
その無垢な笑顔をよそに、ラナは思案げに眉を伏せた。
(未踏破領域で何があったか、ね)
そんなもの、知りたいに決まっている。
あの前人未到の領域を踏破したならば、きっと様々な魔獣と遭遇しているはずだ。一体いかにしてそれを乗り越えたのか……。
知りたい。けど素直にそう言うのも癪である。
どうしたものかと、迷ったラナの横から三人の人影が通り過ぎた。
「つまり報告書ですね姫様。第二席として読ませていただきましょう」
「ウチも~。新作のアイディア浮かぶかもしれないし~」
「ま、今後背中を預けるなら、どんな奴か知っておいて損はねぇだろうしな」
アレクが、トリスが、シェンが姫の後ろに回り込む。
一人呆気に取られているラナに、シェンがニヤリと笑う。
「お前は来ねぇのか?」
「だ、誰が……っ、別に、興味なんてないし!」
チラ、チラチラ、と腕を組みながら様子を伺うラナ。
ニヤニヤとしている彼らに痺れを切らし、「あーもう!」とラナは姫の後ろに回り込んだ。
「別にあの童貞野郎のことなんて微塵も興味ないんだけど! これは七聖将として後輩のやっていることはしっかり把握しておかないと駄目だから。それだけなんだから!」
「誰に言い訳してんだお前」
「ほんと素直じゃないんだから~」
「よいよい。それでは一緒に読んでいこうぞ」
ルナマリアは楽しげに笑い、投影映像を拡大して見せる。
『深淵領域を踏破しました。色々ありましたけど何とかなってよかったです』
「色々って何よ!? こっちはその色々が知りたいのよ!?」
一行目から力が抜けるような言葉に、ラナは思わず叫んでいた。
「まぁ待て、続きがあるようじゃぞ」
ルナマリアが笑い、続きを読んでいく。
『リリアに怒られたので詳しく書いていきます。えーっと、まず最初にコウモリが襲ってきたのでカレンさんが倒しました。後で丸焼きにして食べたら美味しかったです。カレンさんはすごく頼りになります。精霊使いとして獣人の中でも強い方だと思うので、弟のオズワンと一緒に葬送官にしてあげてほしいです』
「カレンやオズワンとは誰じゃ、ジークの仲間か?」
「恐らくそうでしょう。連れに獣人が二人いるとカオナシが言っていました」
「深淵領域で活動できるほどの実力者か。やはり獣人の待遇改善は急務じゃな」
「ていうかコウモリの丸焼きについてはスルーなの? なんで襲ってきたコウモリ食べるの? おかしくない?」
ラナの言葉はスルーして、一同はさらに手紙を読み進める。
『でっかい蜘蛛が襲ってきた時はびっくりしましたけど、弱かったので良かったです。あ、でも、影蛇には苦労させられました。なかなか本体の位置が掴めなかったので。ただ……みんなには内緒ですけど、影蛇って綺麗な黄金色をしてるから、ちょっと綺麗だなぁって思いました』
「ねぇ、ワタシの聞き間違い? 影蛇ってあの影蛇よね? 深淵領域が踏破不可って判断された原因って奴よね?」
「無限に自己増殖する機能を持つ異質生命体。魔獣を超えた存在故にエーテルの濃い場所でしか生きられないやつだね~」
「待って。その先、見て!」
先を読み進めていたラナが悲鳴のような声を上げる。
続けて、七聖将全員が目を見開いた。
「「「闇の神ダルカナスに襲われた!?」」」
深淵領域に潜んでいた闇の神ダルカナス、そしてヒュドラとの交戦。
かの闇の神が深淵領域を寝床にしていた事もそうだが、彼の取り巻きである眷属、モルゴスや他の一派を全て倒したと言うジークの報告の方が驚きであった。天界の神々がそばに天使を侍らせるように、闇の神々は悪魔を眷属としてそばに侍らせている。その中でも闇の神の眷属は強力な事が報告されていて、七聖将たちも苦労させられていたのだ。
「……恐らく一軍ではないとはいえ、戦力を削れたのは大きいな」
「あのクソ神、いやらしい目で見てくるから嫌いなのよね。あいつをぶっ飛ばした事だけは童貞野郎に感謝しても良いわ」
「つーかもう驚き疲れたんだけど……さすがにヌシと神霊同時に相手して余裕って、アイツ、どんだけだよ」
七聖将としてアレクが分析し、ラナが感情的にコメントし、シェンが肩を竦める。一方、ルナマリアの方は「さすがはジークじゃな」とご満悦の様子だ。
「ふぅ。叶うならあの子の活躍を一つ一つビデオに収めて鑑賞したいものじゃ」
「完全におばあちゃんの言動になってますよ、姫様」
「…………」
「トリス。さっきから黙りこくってるけどどうしたのよ?」
てっきりジークの手紙に呆れているのかと思ったが、どうやら違うようだ。
疑問に思ったラナが水を向けると、トリスの肩が震えだした。
「ふ」
「ふ?」
「ふ、ふふふふふふふふふふ。思いついた、思いついちゃった……!」
「あ、やば」
トリスの目は完全に彼方の世界に飛んでいた。
「なんで思いつかなかったんだ……そうだよ完全に魔導炉内部で相互に補完し合うエーテル増殖システムを作ればいいんじゃない。いやかねてから『無限自己増殖型戦闘ドローン』の構想はしていたけどどうしても大型になりやすいし実現性に乏しいっていうか設計に耐えられるエーテル純度の素材がなかったんだもの。でもあの子が採ってきた素材があればやばいよめっちゃ色々出来るじゃんまずは動力炉のエーテル密度を上げて……しかもこの子の採ったあの宝石……紅宝兎の珠だよ家五個買える値段だけど今すぐ引き取らなきゃあと魔晶石も買い占めて……やばいやばいアレ超々高純度の魔晶石だよ天界にしか生えていない値段がつけられない奴だよ早く買い取らなきゃとりあえず一兆あれば足りるかな。ううんまずはシステムを再構築して魔導回路の核となる魔導術式の開発と増殖源に使われる魔獣を吸収解体してその素材を元に新たな個体に生み出して……ブツブツブツブツ」
(あぁ。始まった……こうなると暫く戻らないわね)
新たなアイディアを得た技術者は止められない。
こうなったトリスを邪魔すれば、彼女は烈火のごとく怒るだろう。
「つーかよ……俺っち、思ったんだが」
戦慄したように、シェンがつぶやいた。
「このペースで未踏破領域を踏破されると……俺っちたち、死ぬんじゃね?」
「「「…………………………」」」
トリスを除く七聖将が黙りこくった。
もちろん彼らとて、ジークが未踏破領域を攻略した際に備え、探索隊の手続きは進めていた。Sランクはともかく、Aランクならば踏破するだろうと判断していたからだ。だがそれにしてもペースが早すぎる。
異端討滅機構で未踏破領域が踏破されるのは一か月に一度あれば多い方。
このペースで未踏破領域を踏破されてしまっては、探索隊の方が追いつかない。
何より、探索隊を手配、指揮する七聖将は一週間……下手をすれば一か月は家に帰れないだろう。
残業地獄である。
「あ! そういえば俺っちお腹が……」
「嘘をつけシェン。妾はお主が腹を壊したところを見たことがないぞ」
「ぐッ」
逃げようとしたシェンはルナマリアに襟首をつかまれた。
彼女はにっこり笑って、
「散々ジークを馬鹿にしてくれたのじゃ。覚悟は出来ておろうなぁ?」
ジークを孫のように可愛がるルナマリアはいい笑顔である。
側近である七聖将にも容赦なく、
「アレク。お主は罰として全探索隊の指揮をしろ、分かったな?」
「姫様の仰せのままに」
アレクは神妙な様子でうなずき、
「シェン。お主はアレクの補佐。並びにジークの教育係じゃ。帰ったら世話をしてやれ」
「あのー、俺っち、絶対に教育係とか向いてねぇと思うんだけどー……」
「何か言ったか?」
「分かりました、分かりましたよ。ったく。それくらいなら罰としちゃ軽い方か……」
そう呟くシェンだが、あのジークの教育係である。
実際はかなりの大仕事になるとルナマリアは確信していた。
もちろんそんな事はおくびにも出さず、
「そして、ラナ」
ぎくッ、とラナは肩を跳ねた。
目が笑っていないルナマリアは満開の花が咲いたように笑った。
「散々妾のいう事を無視した挙句、ジークを罵ったお主じゃ。お主には、ジークが踏破した全未踏破領域の調査資料のまとめ、攻略地図、事務手続き、素材の整理、分散、魔晶石の配分、その取りまとめを命ずる。期限は一か月じゃ。元々お主が言い始めた事じゃから、まさか文句は言うまいな?」
「ひ、姫様……それ、死……あ、あのですね、未踏破領域の踏破資料をまとめるには普通一か所につき十日くらいかかって……」
「なんとッ、アレクの探索指揮も手伝いたいとな? そうかそうか! ならばーー」
「あぁぁあああ! わ、分かりました! やります、このラナ・ヘイルダム、喜んでやらせていただきます!!」
「うむ! 分かればよろしい」
ルナマリアは良い笑顔で頷いた。
トリスには何も言っていない彼女ではあるが、もちろんトリスとて例外ではない。
思考の泉に潜る彼女を引っ張り出せば面倒になる為、あとで申し渡すつもりだ。
(ふむ。哨戒任務の担当を二か月ほど延長してやろうかの)
そうして七聖将への罰を考え終えたルナマリア。
満足げな彼女に対し、ラナはげっそりとため息を吐いた。
元はといえば自分が一ヶ月などという無茶な期限を付けたせいなのだが、
まさかこんなことになろうとは思わなかった。
前半は何とかなるが、Aランク領域のいくつかは探索隊が間に合わないだろう。
ラナは改めてジークの手紙に目を通した。
「……ねぇ、アイツ、姫様との謁見で普通に生きたいとかほざいてなかったっけ」
「言ってたらしいな」
「アイツの言う普通って、一体何……?」
「俺っちに訊くな」
普通。それはジークに一番似合わない言葉だった。




