第十一話 闇を斬る
「「「「ジーク!」」」」
驚愕する神霊をよそに、ジークは振り返った。
怪我の具合はさまざまだが、全員がボロボロだ。
「ごめん、みんな。待たせちゃったね」
「全くだぜ、オイ。もうちっと早く来いや……ったく、よ……」
最後に減らず口を叩き、オズワンは気絶した。
全身が血まみれ、肉が抉れ、骨も露出している彼の姿を見れば、
彼がどれだけヒュドラ相手に奮闘していたかが良く分かる。
(ありがとう、オズ)
心の中で礼を言ったジークに、リリアが水を向ける。
「ジーク、すいません。わたしたちの力不足で……」
「ん-ん。アレはしょうがないよ。神霊と未踏破領域の主の組み合わせじゃ、ね」
「……やはり分かりますか」
「分かるよ。未踏破領域の主も神霊も、独特の気配してるし」
四人がやられたのは仕方がない話だ。
むしろ、誰も死んでいないだけ素晴らしい戦果だと言える。
特にーー
「おにい、ちゃ」
「ルージュ」
手足が焼け焦げ、全身に皹が入ったルージュの足元にジークは膝をついた。
愛する妹の、可愛らしい顔は煤で焦げている。血だらけの身体が痛々しい。
この中で一番消耗が激しいのがルージュだ。魔力不足で暴れる身体を、どうにか抑えている。
「……頑張ったね」
「ぁ」
「君は、僕の自慢の妹だよ」
暖かな言葉を受け、ルージュの眦に涙が浮かぶ。
光の粒を指先で掬い取って、ジークはルージュの額にキスをした。
触れた唇から陽力を送ると、ルージュの傷は見る間に塞がっていく。
「ゆっくりお休み。あとは僕に任せていいから」
「うん、う”ん……っ!」
ジークは微笑み、立ち上がった。
氷漬けになったカレンを雷で溶かし、せき込んだ彼女の背中をさする。
「カレンさん。みんなを支えてくれてありがとうね」
「げほ、げほ、ジーク様、そんな、わたくしは……」
「悪いけど、リリア。あと少し、みんなをお願い」
「任せてください」
信頼の笑みを交わし、ジークはヒュドラの前に向かい合う。
先ほど仲間に言葉をかけた時と違い、彼が纏う闘気は怒りに震えていた。
(……なるほど。これがジーク・トニトルス、冥王を傷つけた強者か)
ダルカナスは噂の男を見ながら内心でつぶやいた。
(とんでもない闘気だ。確かにこれは、迂闊に手を出せば火傷じゃ済まんだろう)
ヴェヌリスやメネスの話を聞いて気にはなっていたのだ。
まさか退屈な冥界から羽を伸ばすためにしつらえている拠点に来るとは思わなかったが。
(こいつに勝てるか……?)
先ほどからダルカナスが考えているのはそれだった。
その場にいるだけで、震えが走るほどの覇気!
運命の子。ゼレオティールの使徒。
なるほど。彼を前に死徒が敗れたのも頷ける。
だからこそダルカナスは迂闊に動けなかったのだがーー
「さぁ、やろうか」
構わず、ジークは足を踏み出した。
神霊と龍脈の力に対し、一片の恐れを抱くことなく。
突然の乱入者に、ダルカナスはゆっくりと言葉を紡いだ。
【……ここに来るには我が拠点に住まう眷属たち全てを倒せねばならなかったはず。そやつらはどうした】
「ああ、その人たちなら」
双剣を構え、ジークはニヤリと嗤う。
「今ごろ、楽園でゆっくりしてるんじゃないかな」
【ーーなるほど。殺す】
怒りの沸点を超え、ダルカナスは迷いを断ち切る。
(こやつの力は想定以上なれど、龍脈の力をもってすれば!)
足元から魔法陣が浮かび上がり、ヒュドラの身体を包み込んだ。
【グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!】
ヒュドラは闇の神の眷属。
終末戦争の折から五百年、龍脈に住まい続けた番人である。
器が破裂する限界まで龍脈の力を溜め込み、神霊と同化することで今、その限界を超えた。
「あれは……」
黒々とした体表はより禍々しく、鱗は鋭く尖り、
それぞれの首に供給される魔力は先ほどの十倍以上。
もはや常人では息をすることすら許されない、絶対王者の風格を纏う。
【グルル……】
ばさりと翼を広げ、九つの首は同時に言い放つ。
【闇の神ダルカナス、暗黒竜と共に、いざ、いざ、参るぞ、運命の子よ!】
回転と共に繰り出された尾が、大気を裂いて迫る。
尾の先端はもはやナイフより鋭い刃物と化し、触れるもの全てを切り裂いた。
無論、その延長線上にいるジークとて例外ではなくーー
ジークの身体は、真っ二つに切り裂かれた。
「ジーク!?」
【ダハハハッ! 例え運命の子といえど龍脈の力を以てすればこの程度よ!】
龍脈の力を使う神獣は神の力に匹敵すると言っていい。
冥王を傷つけたといっても、未だ人の領域にあるジークが届く高みではない。
【さぁ、さぁ、死んだ貴様の前で、貴様の女を抱いて
「どこ見てるの?」
【!?!?!?!?】
ヒュドラの首が一斉に振り返った。
その視線は胴体。自分の胴体の上に、ジークが立っている。
【ばか、な。貴様は、確かに真っ二つにしたはず】
ヒュドラの首が真っ二つになったジークを見やりーー
その死体が、バチッ、と弾けて消えた。
「『雷の化身』。僕の姿を電子で投影した分身だよ」
【ありえない……姿すら見えなかったぞ!?】
「見せてないし。さぁ、当ててみなよ」
胴体の上に居るジークの姿が歪み、無数のジークが生まれた。
数十人いるジークが同時に口を開く。
『どれが本物だと思う?』
【小賢しい! 舐めるなよ、ジーク・トニトルス!】
大きく広げた翼がはためき、全てのジークが吹き飛ばされた。
電子の揺らぎはそれだけで消失し、後には本物だけが残される。
【小細工などで我に敵うとでも!? 貴様には、
ヒュドラの足元に居る、本物だけが。
【ーーーーーは?】
「正解は、全部ハズレ」
ジークが構える双剣が、やけにスローモーションに流れる。
一切の無駄なく、流れるように振られた剣が、
「外した人には、罰ゲームだ」
【…………………………ッ!】
ヒュドラの首を、容赦なく叩き落とした!
鮮血が噴き出し、くるくると舞うヒュドラの首が落ちていく。
驚愕に打ち震えたダルカナスはしかし、すぐさま首を再生しようと、
【馬鹿な】
「どうしたの?」
ーー再生、出来ない。
ダルカナスは咄嗟に斬られた首を見る。
バチバチと蒼い紫電が弾けていた。
(そうか、切断面に電子流を作り、絶えず焼き続けているのか……!)
【貴様、ヒュドラの特性をなぜ……!】
本来、ヒュドラは一つの首を落としても別の首がある限り再生する不死の怪物である。
九つの首が同時に落ち、コアを破壊されなければ死ぬことはない。
だが、今しがた現れたジークにはそんな特性を看破する暇などなかったはずだ。
「普通、神霊は再生するものでしょ? なら、再生しないように防ぐのは当たり前じゃん」
(……! 潜り抜けた修羅場の経験値か……!】
「じゃあ次行くね」
【させるかよ……! 喰らえ、『波王烈砲』!】
ヒュドラの首が人の可聴域を超えた超音波を発生させる。
いかにジークが英雄の力を持っていようと、所詮は人の身を出ない。
皮膚を裂けば血が出るし、三半規管をやられれば平衡感覚を失って転倒する。
神霊が奏でる不可視の音波攻撃であればなおさら防げないはずだった。
それなのに、
【馬鹿め、なめてかかったなッ!?】
あろうことかジークは真っ向から突っ込んできた。
剣を片手で宙へ放り投げ、自身の身体はまっすぐに。
(音波よりも早く動けば躱せると思ったのだろうが、甘いッ!)
ヒュドラが放つ音波は普通の超音波とは訳が違う。
普通の音波が大気を振るわせて人間の可聴域を超えた音を出すのに対し、
ヒュドラの放つものはこの場に存在するエーテル粒子を震わせてから大気を振動させている。
いわば魔力が全てものをいうのであり、
神霊の御所という深淵領域においてこの攻撃は必中だ。
ーーだから、回避しなければいいとジークは考えた。
「アル」
「ーーーーーーーーーっ!」
【は?】
ダルカナスは呆然と目を丸くする。
ジークが投げた剣が神獣と化して咆哮したのだ。
神獣の咆哮は、ヒュドラの放った超音波を真っ向から相殺した!
【なんだ、貴様、それは、なんだ!!】
恐らく話に訊いていた魔剣だ。それは分かる。
分かるのだが、ダルカナスの疑問はそこではない。
「何って。簡単な話だよ」
ーー斬ッ!!
超音波を放つ首が切断され、地面に落ちていく。
神速の攻撃を繰り出したジークは剣を肩に乗せ、平然と言った。
「お前の超音波を僕の加護で解析して、同じ周波数をぶつけた」
(しょ、初見の一撃を刹那に看破し、同じ音波をぶつけるだと!? なんだそれは!?)
絶対にあり得ない。雑魚ならまだしも自分は神霊、依り代は未踏破領域の主だ。
魔力を使って奇跡を構成する業の速度は、闇の神々の中でも上位に入る。
いくら本体に大きく劣るとはいえ、不可視の攻撃を初見で見破り、完封するなど出来るか!?
「あと七つだね。意外と弱いし、早く終わらせよっか」
【舐めるなぁあああああああああああああああああああ!】
七つの首が咆哮し、炎と氷と毒が同時に放たれる。
ヒュドラの毒は触れるだけで対象を致死に至らしめる猛毒だ。
その猛毒の塊を氷に混ぜ、吹雪のように放出する。
千を超える猛毒の塊は無論、避けられるだろう。
だがそれでいい。猛毒の塊は炎によって氷解、蒸発し、空間全てに死を振りまく!
【それでもなお、突破してくるよなぁ……!】
毒煙を切り裂き、ヒュドラに迫るジーク。
彼の身体の周りには電子による力場が張り巡らされていた。
電子力場に阻まれ、猛毒の霧は意味をなさない。
だがそこまで、ダルカナスの読み通りだ。
【我が全力、疾く喰らうがいい!】
残り四つの首が雄たけびを上げた。
一つの首は魔力を無効化する絶対防御の首。
一つの首はあらゆる物理攻撃を対象へ跳ね返すカウンターの首。
一つの首は圧倒的な魔力で全てを薙ぎ払う豪の首。
そして最後の首は、ダルカナスの力を余すことなく使う闇の首!
【その全てを受ければ、いくら貴様でも防ぎきれまい!】
雷で突破しようとすれば陽力を無効化し、無防備に。
剣で攻撃しようとすればカウンターで跳ね返えされ、自分の斬撃を喰らい、
判断に迷えばその瞬間、龍脈の力で押しつぶされる。
どれかに対処しようとすればダルカナスの力で瞬時に殺す。
先ほどまでの戦闘と違う、本気の殺意がジークに突き刺さった。
【これで終いだ、ジーク・トニトルスーーーー!】
迷う時間は与えない。既に闇の力で視界は塞いだ。
あとは魔力を具象化し、両手足を縛って上半身を噛み砕くだけ。
それだけで勝てたのに。
【…………なぜだ】
「トニトルス流双剣術迅雷の型」
一刀両断。
「『絶影・雷』」
謀略、
知恵、
罠、
力、
その全てを、ジークは真っ向からねじ伏せた。
【なぜ我の身体がそこにある?】
ヒュドラの首が四つ、地面に落ちていく。
ーー《天威の加護》第二の力、『絶対防御領域』。
ジークはヒュドラの力そのものを無効化し、視界を塞がれたまま剣を抜き放ったのだ。
ヒュドラが四つの首でまとめて攻撃してくるならこちらのもの。
雷速を超えた神速の一撃は、ヒュドラの首をまとめて斬り裂いた。
「その未来は見えていた」
【……ハッ】
叡智の女神アステシアの『先視の加護』。
雷を使った神速の双剣術と、
たった一つのみ神の力や異能を拒絶する第二の力。
これらを合わせたジークを止められる者は、地上を探してもどれだけいるか。
【神を見下ろすか、この不届きものめ……!】
ジークは残る三つの首も、またたく間に両断。
絶叫を上げたヒュドラは龍脈の力を吸い上げて無理やり再生しようとするがーー
既にジークは剣を構えていた。
「トニトルス流双剣術迅雷の型」
腰に構えた双剣の片割れが、バチバチィッ! と唸りを上げ、
「『破轟』!」
世界を染め上げる光が、ヒュドラの身体を呑みこんだ。
ヒュドラの中に居たダルカナス自身も、その攻撃を避ける術はない。
世界が、やけにスローモーションに流れるのを感じた。
(あぁ、そうか。手を出してはいけなかったのだ)
おのれの欲に従ったことに後悔はない。
だが、ジーク・トニトルスの怒りに触れたのは間違いだった。
仮にも冥王メネスを傷つけた強者。
神霊体の身で、敵う相手ではなかった……。
【ふふ、ふはっ、ははは……ダーハハハハハハハハハ!!】
神霊体が崩壊する一瞬、ダルカナスは狂ったように嗤った。
どこか清々しいように叫ぶ。
【よかろう! 我の負けだ! 神霊の身で貴様に敵う者など世界に居ないだろう……だが!】
ヒュドラの中から露出した、ダルカナスの人型本体。
彼の手足は光の粒子と化し、消えていく。
【覚えておけ、ジーク・トニトルス! 我は決して貴様を忘れぬ! 次に出会うときを覚悟しろ。貴様が疲弊し、許してくれと泣き叫ぶまで、貴様の大事な者達を一人一人抱いてやろう! そして最後には、絶望に打ちひしがれる貴様自身を抱いてやる! 我と共に熱き伽の夜を過ごそうぞ!】
「……」
ジークは剣を振り上げるが、
【来たる混沌の時代、生身で相まみえる時が楽しみだ! ダハハハハハッッ!!! ハーッハハハハハハハハハッッ!!】
飛ぶ斬撃がダルカナスに直撃した時、既に神霊の気配は消えていた。
同時、禍々しい闇で包まれていた空間が、ぱぁ、と光に晴らされて消えていく。
清らかな川が流れ始め、荘厳な神殿の柱たちが、精緻に描かれた壁画が姿を見せる。
闇から光の世界へ変遷していく様は、一同の目に色濃く焼き付いた。
ーー神霊、闇の神ダルカナス、
ーー未踏破領域のヌシ、暗黒竜ヒュドラ撃滅。
『最果ての方舟』の初陣は、彼らの完全勝利で幕を閉じた。




