第四話 自称サイコパスのやりかた。
翌日の昼休み。西川が手作りのお弁当を持って教室にやってきた。
緑の校章、緑のリボンをつける二年生たちの中に堂々と侵入してくる一年生を表す橙色のリボン。
それは、誰の目にも珍しい光景として映ったに違いない。
「須黒先輩っ! 一緒にご飯食べましょう! お弁当もつくってきました!」
じゃじゃじゃじゃーん! と、なぜか交響曲第五番のリズムで可愛らしいお弁当を出してくる西川。
俺は、彼女がお弁当をつくってくるなど聞いてなかったため、机の上には自分のお弁当が一つある。
そのお弁当に視線を向けた西川は一言。
「誰よ、その女」
「俺がつくった弁当に決まってるだろ……誰につくってもらったわけでもない」
というか、なぜ弁当を見てすぐに他の女を想像するんだ。
想像したとしても母親だろう。
「えっ……須黒先輩、料理なんて出来たんですか!? てっきり今日もさもしい昼食ライフを過ごしているのかと……」
「てっきり今日もって……お前は昨日以前の俺を知らないだろ……」
「まぁ、たしかに知らないですけど知りたいとは思います。好きな人のことは全部知りたくなるものですから!」
一瞬で周りがザワついた。
どうやら、西川が俺に好きと言ったことに驚いたらしい。
「無理だな。たとえ肉親であったとしても、人は人のことを全て理解できない」
「できなくても知りたいとは思ってしまうものです! そういう気持ちはわかりますよね?」
「わからないな。なにせ、俺はサイコパスだから」
「……昨日あまり気にしてなかったですけど、自分でサイコパス言ってるのサムいですよ?」
「潔いと言ってくれ。俺は俺のことをよく知っている。それを口にして何が悪い」
「はいはい。そうですね」
西川は言いながら、勝手に前の席の椅子を俺の机へとくっつけてきた。
それから、そのつくってきた弁当を置いたあとに自分用のお弁当まで机に乗せてくる。
図々しいことこのうえない。
しかも、彼女が勝手に開けた弁当の中身はかなり豪華な内容で、質素な俺の弁当はその二つの弁当に挟まれて少し情けなく見えた。
LOVE。
鮭フレークとタラコで敷き詰められたピンク文字の圧がすごい。
「せっかく彼女がつくってきたんです。全部食べてくれますよね?」
「なんでお前そんなにも厚かましいんだ。普通なら「無理しないでください」みたいな気遣いをするところだろう……」
「普通なら無理してでも食べるところですよ?」
「無理させることを普通にしてる時点で普通じゃないんだよなぁ……」
常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクション。それはアインシュタインの有名な言葉だが、本当にそうだと思う。
当たり前のように押しつけられる普通は普通じゃない。そう思い込んでいるただの偏見だ。
それでも、食べ物を粗末にすることはあまり良くない気がして、俺は笑顔で差し出された弁当をつまんだ。
「……うまい」
素直な感想。それに西川は顔をほころばせた。
「お口にあって良かったです」
「これなら全部食べきれるかもしれない」
胃もたれしそうだけど。
「そう言ってもらえるのは嬉しいです」
西川は本当に嬉しそうに笑う。そして、自身のお弁当も「いただきます」と言ってから食べはじめた。
おそらく、普段から料理をしているのだろう。
なにせ昨日家に行った時に見た母親があれだ。夜の仕事をしていることは聞かなくてもわかる。
「先輩、今度お休みの日にデートしましょう」
「デートって、なにするんだ」
「そういうのは先輩の人が決めてくださいよ。私は先輩と居られればそれで十分なので」
「まぁ、考えておく」
「やった!」
他愛ない会話。周囲から見れば、それは本当の恋人のような会話に見えただろう。事実、俺は西川の恋人発言を本気で否定しているわけじゃない。
まぁ、肯定しているわけでもないが。
とりあえず俺は、つとめて彼女の会話に合わせた。
そうすることで、その場をとり取り繕った。
「――じゃあまた放課後に」
昼食を食べおわり西川が教室をでていく。
それに軽く手をあげた俺は、その手をそのままふくれた腹に当てた。
「やっぱり食い過ぎたな……」
その時だった。
「まだ昼だっていうのに見せつけてくれるねぇ?」
ふと顔を上げると、そこには同じクラスメイトの男子生徒が一人。名前はたしか……松田……なんとか。
サイコパスである俺は他人の顔と名前を覚えるのが苦手だ。
理由はいたって単純。興味がないから。
「須黒に彼女がいたなんて知らなかったなぁ。しかも、一個下の上物じゃん?」
うっわ、上物とか言ってしまうあたりコイツ最低野郎だ。
とはいえ、西川が可愛いのは俺も認めているところ。
そして、俺は彼のような人間を待っていた。
「そうか? 別に女なんてみんな一緒だろ」
「うっわ、最低野郎だなお前。今の聞いたらさっきの子悲しむぞ?」
どこかで聞いたようなセリフだと思ったらさっきの俺だった。
「好意を寄せてきてるのは向こうだからな。勝手に好きになられて、勝手に悲しまれて。……可哀想なのは俺の方だろ」
ニヒルにそう言ってのけると、それを聞いていた女子たちが嫌悪感を露骨にする。
「……おい、今のはさすがに聞き捨てならないぞ。早いうちに否定しておいたほうがいい。噂って怖いからな」
彼の良心が疼いたのか、顔を寄せて囁いてくる。
話しかけてくれたことには感謝するが、どうやら俺が望んでいたような者ではないらしい。
……仕方ないな。
心配をしてくれる松田なんとかに、俺は困ったような表情を返す。
「実は、俺はあの子と付き合ってるわけじゃない。勝手に告白してきて、勝手に付き合ってると向こうが勘違いしてるだけだ」
「……おいおい、それはマジで最低だぞ。好きじゃないなら断れよ」
「断ったんだよ……なのに、ガンとして聞かないんだ」
「なんだよそれ……じゃあ、さっき仲良さげにしてたのは?」
「ああやってないと不機嫌になる。それで付きまとわれてるんだ」
「まじか……」
「まじだ」
松田なんとかの表情には、少しの恐怖が浮かんでいた。
それに俺も神妙な顔をして頷く。
「こんな俺を助けると思って……お前に一つ頼みごとをしたいんだが」
「……なんだよ突然……俺、怖くなってきちったよ」
「大丈夫。お前には一切被害がない」
そして、俺は彼に提案をした。
「今さっき発言したように、俺が『最低野郎であること』を噂で流して欲しい」
「……は?」
「できるなら、一年にも伝わるような経路で」
「お前……なに言ってるんだ」
「俺がどんなに拒絶しても、向こうはまったく聞いてくれないからな? 向こうが自らの意思で離れるよう、俺がいかに最低な人間かを噂で流してほしいんだ」
松田なんとかの表情は、驚きに変わっていた。
「お前……正気か?」
正気なわけないだろ。サイコパスだぞ?
「それに噂なら、向こうの友達も俺から彼女を引き離そうとするだろう。俺は……いろいろ言われるかもしれないが、長期的に考えればそれがベストなんだ」
「肉を切らせて骨を断つ……ってことか」
「そういうことだ。俺には噂を流せるような友達がいない。だから、お前に頼みたい」
「なるほど……」
そして、その驚きの表情は決意のものへと変化した。
それに俺は心の中で嗤った。
人は正義のためなら悪魔にだってなれる。
それがどんなに悪いことだと分かっていても、正義を掲げれば人は殺人だってできた。
「本当に……いいんだな?」
「あぁ。思いきりやってくれ」
そう答えると、彼は笑みを浮かべる。
「その心意気……受け取った。思いきりお前が最低な奴だって噂……流してやるぜ!」
クラスメイトに見えぬよう親指を立ててくる松田なんとか。
それに俺も満面の笑みで親指を立てる。
なぜだか、俺と松田なんとかの間に友情というものが芽生えた気がした。
うまくいって良かった。
心から安堵する。
人は直接罵倒されると『本当に自分が悪いのではないか?』と思ってしまう。
しかし、その罵倒を他人経由で聞いたときにはそう思わない。
直接自分には言ってこず、陰で悪口を言っている相手に怒りを感じるものだ。
これこそが、西川に俺を諦めさせる方法。
作戦名『悪意ファンネル』。
俺が直接拒絶してもダメなのなら多勢に無勢。
印象操作をすることによって、意図的に周囲の力を借りる作戦。
まぁ、その悪意が向けられるのは俺自身。
しかし、他人の評価などまったく気にしない自称サイコパスな俺には最適な方法。
しかも、これなら西川が傷つくことはない。
いや、「最低な男を好きになってしまった自分」に傷つくかもしれないが、それはすぐに切り替えられるはずだ。
人は弱い。しかし、だからこそ強くありたいと願い前を向くことができる存在でもある。
「善はいそげってな? さっそく最低な噂をながしてくるぜ」
「俺が彼女を引き離せるかはお前にかかってる……頼んだぜ」
「まかせろ!」
俺は、まるで戦場へおもむく戦友を見送るかのように親指をかかげた。
それに松田なんとかも親指をかかげて応えてくれた。
……さぁ、西川はじめようか。お前と俺の戦いを。
そしてわからせてやろう。自称サイコパスを恋人にしてはいけないのだとな。