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第三話 西川の環境

 西川の家は古いアパートの一室だった。

 カバンから鍵を取り出した彼女は扉を開ける。


「ただいまぁー」


 そうして見えた室内の床には、ところどころ脱ぎ捨てられた衣類が落ちている。

 そして、そこから漂ってくる独特の臭い(・・・・・)に、俺は思わず顔をしかめてしまった。


 他人の家に上がったときに感じる生活臭じゃない。それよりも強烈な……むせるようなにおい。


「先輩? どうぞあがってください」


 そんな室内で西川は平然と俺を見ている。

 においについて言及したら彼女が傷つくことはわかっているため、何も言わず従う。


 そんな俺を見てから、西川は脱ぎ捨てられている衣類を拾ってまわった。


「もぉー、洗濯機に入れてって言ってるのにー」


 そう言いながら西川はどんどん衣類を拾っていき、その先にある(ふすま)を開けた。

 そこには一枚の布団が敷かれており、その上では下着姿の女性が丸くなって寝ていた。


「はぁ……メイクも落としてないじゃん」


 西川はその女性に向かってぽつり。


 そこで俺は、ようやくこの臭いの原因について理解した。

 香水だ。女性がつける嗅ぎ慣れない臭い。

 それが部屋中に充満していて、生活臭と混ざりあい独特のものになっていた。


「う~ん……あぁ、花帆ちゃんおはよぅ……」


 その女性はのそりと起きて西川を見上げる。


「もう。彼氏連れてきたのにこんなんじゃ恥ずかしいよ!」

「彼氏? んあぁ……君かぁ。花帆ちゃんをよろしくねぇ」


 仮にも俺は男だというのに、下着姿のまま恥ずかしげもなくニコリと微笑む女性。髪を強めの茶色に染めており、あられもなく晒されている体はスタイルが良く、なまめかしい。


「そろそろ起きて準備したら? ママ(・・)


 ママ……だと……。


 外見の若さから、てっきり姉かと思っていたが違ったらしい。


「う~ん……わかったぁ」


 甘えるような声音で彼女は返事をし、なんとその場でパンツに手をかけて脱ごうとした。


「ちょっ! ちょっと! やめてママ!」

「へ? ……あぁ、ごめーん。彼氏さんいたの忘れてたぁ」


 それを慌ててとめる西川と悪びれる様子もなく笑う母親。

 俺は顔を手で覆ってしまった。彼女の母親について思うところもあったのだが、西川についても思ったことがあったから。


 その反応は、襖を開けた直後にすべきものだ……。


 どうやら西川にとって、母親の下着姿は同じ学校の男子生徒に見られても平気なものらしい。


 帰りたい……いろんな意味でこれは刺激が強すぎる。


 心底そう思ってしまった。

 それから西川は母親のいる部屋の襖をピシャリと閉めると、そのまま奥の部屋へと向かう。


「先輩。わたしの部屋に行きましょう」

「部屋って……」

「ママこれからシャワー浴びるので挨拶はその後でお願いします」

「……いや、いい。だいたいわかった」


 俺はその提案を断る。


「もう帰るよ。どうやら俺が間違っていたらしい」

「えっ、なんでですか!? 今きたばかりじゃないですか!」

「突然押しかけて悪かったな。もう少し配慮すべきだった」


 そう言って踵を返すとそのまま玄関へ向かった。


「なにか用事でも思いだしました?」

「そうじゃない」

「じゃあ、なんで急に? ……わたし何かしました?」


 後ろから投げつけられる西川の言葉には、俺が帰ろうとする意図がまるでわかっていなかった。

 それどころか、不満のような感情さえ滲んでいる。


 そうか……。まぁ、考えればわかったことだよな。


 西川をおかしいと感じるのは、彼女自身が原因とは限らない。

 それよりも、彼女がいる環境こそがおかしいのだと考察するほうが妥当だ。


 西川の母親に、彼女のおかしさを説明するのは無理だろう。

 なぜなら、彼女のおかしさを常識としてしまっている原因こそが、母親にあったのだから。


 しかし、俺が西川の環境について言及することはできない。


 おそらく彼女自身がそれを問題視していないだろうし、問題として扱ったところで俺には解決する能力もない。


 何か言ったところで、それは彼女を否定する攻撃にしかならない。


 なら、沈黙してしまうのが一番良い。


「西川。一つ言っておくが、俺はお前と付き合うつもりはない」

「ふーん、まだそんなこと言ってるんですか?」


 靴を履き替えて振り向くと、廊下の真ん中で西川は目を細めて立っていた。


「お前は可愛いから、俺よりももっと良い男を捕まえられると思う」

「知ってますよ。そんなこと」

「……知ってたのね」


 照れたりするのかと思ったらドライに肯定された。

 それは予想外だったため、下手な返ししかできない。

 そんな西川はつかつかと歩いてきて、俺の腕を掴む。


「でもダメです。先輩じゃなきゃ嫌です」

「嫌って……なんでそこまで」

「運命だからです。今日、先輩に一目惚れしたのは絶対運命です!」

「運命……って」


 思わず嫌悪感を表情に出してしまった。

 俺は運命や偶然、奇跡といったものが嫌いだった。

 この世界における結果にはすべて原因が存在している。

 良い結果にも悪い結果にも、追求すればそうなるべき過程がある。

 それを逆算して解明することによって、人は学習してきた。


 だからこの世界に運命や偶然、奇跡は存在しない。


「先輩はわたしの運命の人なので、付き合わないとダメです!」

「それは逆でもそう言えるのか? 俺にとってお前は運命の相手だと……そう言えるのか?」

「言えます!」


 西川の自信満々の返しに、俺は鼻で笑ってしまう。


「いいや、言えないな? もし仮に運命というものがあるとする。そして、その相手が見ただけで分かるのなら、俺にもそれが適応されなくちゃならない。……つまり、俺がお前を一目惚れしていない時点で、お前の言う『運命』にはならない」


「先輩……何言ってるんですか。馬鹿ですか? さっき、先輩はわたしのこと可愛いって言ったじゃないですか!」


 その反論に、俺は頭が痛くなってきた。


 人は分からないものに対し、簡単に思考を放棄する。


 馬鹿と天才は紙一重だとよく云うが、それは、理解できない者に対しての考察を放棄するからだ。


 難しい学業に、ある者は「わたし馬鹿だから」で済ませた。

 共感できぬ者に、誰かは「あいつ馬鹿だから」で済ませた。

 

 そうやって彼らは、大きな分別だけで済ませようとした。


 だから彼らには(ことわり)や法則で論じようとしても無駄なことがある。

 彼らにとって世界の真理なんてどうでもいいこと。

 大切なのは気持ちであり、自分を突き動かす感情そのもの。


 だから、一目惚れという一点だけで運命論を展開できるのだろう。


 俺はこれまで、そうした者たちに言葉で論ずることを諦めてきた。

 そんなことに時間を割くよりも、諦めて別のことに費やしたほうがずっと有益だったからだ。


 しかし、今回はそうもいかない。

 なんとか、俺を諦めさせなければならない。


 そして、言葉での手段はおそらく無理。

 なら、別の手段を取らなければならない。


「わかった……とりあえずこの話は一旦保留にさせてくれ。もしかしたら、俺は西川を好きになるかもしれない」

「好きになりますよ。わたし、そういうの間違えたことないんです」

「……そうか」


 これまでが正しかったからといって、これからも正しいとは限らない。

 今日無事に過ごせたからといって、明日も無事に過ごせる保証はない。


 それは帰納法(きのうほう)による希望的観測でしかない。


 しかし、俺はその言葉を飲み込んだ。


「お前の母さんによろしくな。今度は邪魔にならない時を選んでくるよ」

「そんな、邪魔だなんて」

「俺が勝手にそう思うだけだ。そう思ったから、俺は帰りたい」

「そう……ですか。わかりました」


 素直な気持ちを伝えたら、彼女はおとなしく引き下がってくれた。

 ただ少しだけ落ち込んだ様子を見せて。

 そんな彼女の頭にそっと手を乗せ、俺は精一杯つくり笑いをする。


「また明日な」

「はい」


 自称サイコパスは、時に相手を騙すために笑わなければならない。悲しくもないのに泣いたりしなければならない。


 その嘘はたとえ正しいことであったとしても、俺にはどうしても汚く思えてしまう。


 だから、サッと手を引いて玄関の扉を開けた。

 西川に軽く手を振ると、彼女も笑顔で返してくれた。


 パタンと扉がしまる。

 新鮮な空気を胸一杯に吸い込む。


「さて、と」


 俺を運命の相手だと言い張る西川。

 そんな西川に俺を諦めさせる方法。


 それを、俺は歩きながら考えていた。

【シゾイド/スキゾイド】

・異性に対する関心が薄い。

シゾイドは他者に対する感情を押さえつけているため、異性に対する欲求も薄い。特定の者を特別視することは滅多になく、常に平等な視点で他者を捉えている。故に、自分と他者との違いさえも正確に測ることができるが、そのズレをみずからの意思で戻そうとはしない。

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