第二話 危険な帰り道。
一緒に帰ろう。
女子のそんな言葉に鼓動をトゥンクさせた憐れな男子生徒は数知れない。
この言葉のえげつないところは、『一緒に帰る』という所にではなく『お、オデと一緒に帰ってるトコロ……見られてダイジョブなの?』という、男子特有の醜いゴブリン属性を発動させてしまうところにある。
小学生のころ、男女で帰る人をひやかした者にとってこの言葉は効果抜群だった。なにせ、今度はひやかした側に自分が回ってしまうために『誰かにひやかされないだろうか……』という不安に陥るからである。
その影響なのか、せっかく二人で帰っているというのに会話がまったくできないコミュ障を発病させてしまうケースはままあった。
ちなみにだが、俺は男女で帰る人をひやかしたことはない。
ひやかすという行為は、その後に同意をしてくれる人がいるからこそできる悪行。つまり、ひやかした後で同意、もしくはそれに笑ってくれる同士がいなければ、その行為に及べない。
だから、女子と一緒に帰るという現状において、俺は気後れすることなく会話ができる……はずだった。
「あの……西川? 俺たちは一体、どこに向かっている?」
聞いた言葉に西川は答えず、片手にもつスマホをずっといじっている。
いわゆるシカト。
あれ……俺先輩だよね? そもそも一緒に帰ることを提案したの君だよね? もしかして声をだしてるのは俺の錯覚? それともシカトされていることこそが幻影?
これを放置プレイと呼ぶのなら、どうやら俺は勘違いをしていたらしい。
放置プレイというのは、相互確認があってこそ成りたつものだと思っていたが、もしかしたら一方的に放置されることもまた、プレイとして認識されるのかもしれない。
いや、そもそもプレイという認識でいいんだよね? だって、告白してきたのあなただもの。告白しておいて急に放置って……プレイってことでいいんだよね……?
その時、歩道の向こうから自転車に乗った男がやってきた。
歩きスマホをしている西川はまったく気づいていない。
これではぶつかってしまってもおかしくない。
だから俺は、男に向かって念じた。
チリンチリン鳴らしてくれ! と。
しかし、男は俺の視線にまったく気づかない。
いや、俺が西川に直接注意すれば良いだけのことなのだが、この子、フルシカトしてくるのだもの……。
だから俺は念じるしかなかった。
それでもやはり、その願いは通じることなく自転車は迫る。
そうしてすれ違う寸前、俺は浅く息を吐いてから彼女の肩に手を回すと自分の方へと引き寄せる。
「きゃっ!?」
驚いた西川がようやくスマホから視線を外した。
その直後、彼女の脇を自転車が通り抜けた。
「……歩きスマホはやめたほうがいい」
「あっ、はい。ありがとうございます先輩」
頬を赤らめてお礼を言ってくる西川。
そして彼女は、再びスマホを操作しながら歩き始めた。
いわゆる……シカトだった。
そうして、彼女を抱き寄せたまま歩く数秒。
「えっ……今やめろって言ったよね?」
「やめたら先輩、その手を放しませんか?」
「放すけど」
というより、一緒に帰るなら話して欲しいのだけれど……。
「なら、やめませんッ」
ペロッと舌を出し、ぐりぐりと体を押しつけてきた西川。
不覚にも、そんな彼女をかわいいと感じてしまった自分がいた。
もし、かわいいが正義だと言うのなら、俺がいくら正しい言葉を論じたとしても全ては悪になってしまう。
なるほど。正解は沈黙……というわけか。
つまりは諦めるということ。
しかし、体が密着した状態で歩くというのは中々に大変だった。しかも、俺は今どこにむかっているのかまったくわからない状態。
それでも黙って彼女と共に歩く俺は器のでかい男。
……いや、違うな。その器には穴があいてしまっているだけ。
だから、その器が一つの感情によって満たされることは絶対ない。
サイコパスは怒らない。感情の器が溢れたりしないから。
それでもサイコパスが怒る条件はある。それは――。
「あっ! ここ渡りますね!」
そんな事を考えていたら、突然西川が顔をあげて横断歩道を渡ろうとかけだした。
信号は青だが、既に点滅を始めている。
俺はかけだした彼女の腕を掴んで引きとめた。
「えっ……なにするんですか。はやく渡りますよ?」
「右左確認しろ。轢かれても知らないぞ」
「轢かれるって……まだあの信号赤ですよ?」
そう言って西川が指差したのは自動車に対する信号。
たしかにその信号は赤だったが、俺は首を横に振る。
「横断歩道が安全なのは、人と自動車の両者がルールを守った時だけだ。相手がルールを守ってくれるなんて簡単に信用するな。事故ってから文句を言ったって、相手は金しか払えないぞ」
「……先輩、まじめなんですね」
「俺は自称サイコパスだからな? 自分以外の誰も信用してないだけだ」
そう。これは俺がサイコパスだからこその考え方。
みんなはそうじゃない。
誰もが簡単に相手を信用するし、誰もが簡単に相手を決めつける。
しかし、俺は違う。
俺は誰かを信じたりしない。信じられるのは自分をおいて他にいない。
だから、相手が当然のように交通ルールを守ってくれるなんて考えたりできなかった。
点滅していた信号は赤に変わる。
西川は渡ることを諦めた。
「さっきといい、今といい……先輩の評価高めです」
彼女はスマホで口元を隠しながら言った。
「お前の意識が低いだけなんだよなぁ」
「うわっ……せっかく褒めたのに……」
「褒められても俺は嬉しくなれない。それよりも危なっかしいからちゃんとしてくれ」
「わかりました。先輩の言うことなら何でも聞きます」
「……ん? いま、何でもって言った?」
「はい。ここで脱げと言われても先輩のためなら脱ぎます」
「なるほど……な」
どうやら、この子は頭がおかしい。
考えてみれば一目惚れという時点でおかしかった。
俺は一目惚れなどしたことがない。最初に会った人物はまず『敵か否か』という目で見てしまうから。
だから、俺は外見で人を好きになったことがなかった。
そして、内面を知ってなお誰かを好きになることもない。
彼らは俺を理解できない。まぁ、俺も彼らを理解できないのだからイーブンではある。
目の前にいる西川という女の子は、俺にとってそういう人間だった。
「じゃあ一つ教えてくれ。俺たちは今どこに向かってる?」
「どこって……私の家ですけど」
「家?」
「はい。なにかおかしいことありました?」
「お前は……告白したその日のうちに男を家に呼ぶのか?」
「じゃあ……先輩の家に行きます?」
「違う違う。そういうことじゃない。俺は、お互いの事をほとんど知らない状態でプライベート空間に他人を連れ込むのか、と聞いたんだ」
「他人って……恋人じゃないですか」
「正確に言うなら恋人じゃないけどな……。そもそも家に行ってなにをするんだ」
その時、西川は口元のスマホを下げた。
そこには、イタズラっぽく微笑む唇があった。
「ナニすると……思います?」
なぜか、ナニという単語が強調されている気がした。
そこには何か意味が込められてる気がした。
それは明確にされてはいないものの、西川の雰囲気が……その笑みが……ナニなのかを具体的に想像させる。
ゴクリと生唾を飲む。醜いゴブリンが顔を覗かせた。
「……プッ……ッッはははは! もしかしてエッチな想像しました? 先輩?」
そしたら、突然その笑みが崩れて爛漫に笑いだす西川。
からかわれた……。
その事実に気づいたとき、俺の中ででてきた感情は怒りではなく安堵。
「ママに紹介しますね」
「紹介って……いや、だから俺はお前と付き合うつもりは――」
「あっ! 信号変わりましたよ! 右よーし! 左よーし! はっきょーい、のこった!」
大げさに指差し確認をしてから、彼女は意味不明なかけ声とともに横断歩道をかけだす。
それを引き留める理由はもはやない。
そして俺は……ため息を吐いたあとに横断歩道を渡りだす。
西川をとめるには、彼女の親に忠告することが一番かもしれないと、そう考えたから。