第十五話 朝の渡り廊下。
「日曜日はずいぶんとお楽しみだったみたいですね?」
「変な言い回しはやめてくれ」
初デートから一夜明けた月曜。
朝はやく登校した俺の下駄箱には手紙が入っていて、その内容は「渡り廊下まできてください」というものだった。
「昨日の夜にカホからLINEきましたけど、本人嬉しそうでしたし、うまくいったのは間違いないんですよね?」
渡り廊下で待っていたのは、もちろん武藤咲。
「まぁ……」
そんな彼女の開口一番に、俺は歯切れの悪い返事をしてしまう。
正直なところ、あれを"上手くいった"と解釈していいのかは疑問が残った。
しかし、西川が武藤に「初デートの報告」をした事を考えれば、おおむね成功といえるのかもしれない。
人は、嫌だったことを自分から口にはしたがらない。それを話すことで嫌だった気持ちを思い出してしまうからだ。
「愚痴とかは言ってなかったか?」
「いえ、とくに。まぁ……強いて言えば、映画上映中に先輩が寝ていたことぐらいですかね」
西川が武藤に報告したとおり、彼女が『本当に楽しんでいたのか』どうかはわからなかった。
それでも、誰かに話せたということは総合的にプラスではあったのだろう。
「でもカホは嬉しそうでしたけどね? 「先輩の寝顔が見れた」って」
「なら良かった」
「……普通は呆れるんですけどね。彼女が隣にいて寝るとかありえませんから」
「他には何か言ってなかったか?」
「他は、えーと……面倒臭いのでその時のLINE見ます?」
「見ない」
武藤が画面を見せようとしてきたが、俺は顔を逸らして見ないようにした。
別にプライバシーがどうのこうのと言うつもりはないが、そういうのは守りたいと思った。
もし、それを見てしまったら……俺までそういうものを見せなければならないような気がして。
「先輩って意外と硬派ですよね?」
「……意外とってなんだ。俺はサイコパスだから断罪されないよう慎重に生きてるだけだ。ことわざで石橋を叩いて渡るってあるだろ? あれだ。なんなら石橋を叩いて壊すまであるし、サイコパスだから喜んで壊してるまである」
「なんですか……それ」
武藤は呆れてみせ、それから。
「先輩はどうだったんですか?」
そんなことを聞いてくる。
「なにが?」
「先輩は楽しめましたか? カホとのデート」
「あぁ。楽しかった」
「……楽しかったら普通は寝ないと思いますけど」
「別にいいだろ。極論、俺が楽しむ必要はなかったんだ。大切なのは西川が楽しめたかどうか」
「先輩も楽しむ必要はあったと思いますけどね。わたしは」
「それはお前の意見だろ。武藤は武藤であって西川じゃない」
「わたしもカホも女の子ですけどね?」
「すまんな。俺は老若男女で人を区別しないんだ。だから、それを『女の子の意見』としては受けとらない」
「やっぱり……先輩って硬派ですよね」
「硬派か……?」
「はい。ちゃんと、わたしを"わたし"として見てくれてるところとか」
そう言って武藤は視線を逸らす。
「カホは可愛いから、昔からわたしは『カホの友達』っていう位置付けをされてたんです。あまり……わたし個人を見てくれる人はいませんでした」
そして、声のトーンも落としてしまう。
こんなとき、モテる男子なら「そんなことない」だとか「気にするな」とかの言葉をかけてやるのかもしれない。
しかし、俺はそうじゃなかった。
「別にそれでいいだろ。西川の友達であることは事実なんだから。むしろ羨ましいよ。俺は友達いないからな?」
「そうですかね……」
「そうだろ。それは自信持っていい武藤のアイデンティティだ」
自己の認識と他者からの認識は一致しないことがある。
テストで良い点数を取る奴が「勉強してないよー」とか言うのもそれだ。自分は勉強してないつもりでも、相手から見たら十分勉強している。
そういったすれ違いは世の中に多々あるが、自分も他人も認めている事というのは案外少ないものだ。
俺がサイコパスを自称するのも、他者から見た須黒賽がサイコパスじゃないと知っているから。もし、他人から見た俺がサイコパスだったなら、自称なんてしていない。
そして自称とは常にイタイタしい。
だからこそ「勉強してないよー」とかいう奴らは、無意識に誰かの怒りを買った。
「重要視されるのは事実であって誰かからの評価じゃない。西川にとってお前の存在は"友達である"ということを大切にしたほうがいい」
そう。勉強してるかしてないかなんてのは関係ないのだ。
大切なのは点数を取れるか否か。
そして点数を取れていたのなら、全部認めてしまえばいい。
そうすれば、それは自信にできる。
「なんだか……先輩って変な人ですね」
「変じゃない。サイコパスだ」
「やっぱり変です……」
そんな武藤はクスリと笑った。
「そんなこといってくれる人は初めてでした。なんか、ありがとうございます」
「悪かったな? お前の初めてを貰っちまって」
「……その言い方やめてもらえますか。気持ち悪いので」
「それ言われたのは初めてじゃないな……ははっ」
初めてじゃないのにやっぱり傷つくものなんだね。気持ち悪いって……ははっ。
「でも、正直嫌いじゃないかもしれません……先輩のこと」
「悪いことは言わない。嫌っておけ」
「言われたからって嫌いになれるものでもないと思いますけど?」
「自分に言い聞かせりゃいい。あれだ。可愛い女の子を見て胸がときめいたら「いや、そんなはずない。俺はあの子なんて好きにならない」って何度も何度も自分に言い聞かせればいい」
「……先輩」
なぜか残念そうな視線を送ってくる武藤。ばっ、おまッ……違うよ? 俺の友達の話だから、それ。別に俺の経験談じゃないから。
「……まぁ、なんだ。人を嫌うってのは案外簡単なんだ。その人の悪い所を一つでも見つければいいんだからな」
「それ普通逆じゃないんですか?」
「人の良い所を見つけろって?」
それに俺は笑ってしまった。
そんなこと誰もしてないから。
「たしかに人の良いところは探さなきゃ見つからない。むしろ、悪いところは探さなくたって見つけられる。……なら、無理して探すより無理せず見限ったほうがずっと楽だ」
「うわぁ……なんか最低ですね」
最低って……あなた最初俺のこと殺すって言ってなかった? 簡単に見限ってませんでした?
「とにかく、俺のことは嫌っておいて損はしない」
「ほんと……変な人ですね」
その時、朝礼開始十分前のチャイムが鳴った。
もうこんな時間か……。
「あぁ、そういえば……探すっていう単語で思い出しましたが、カホ……先輩の弱みを調べてみるって言ってました」
「……俺の弱み?」
「はい。なんか「先輩が完璧すぎるから可愛い部分を知りたい」って」
「なんだよ、それ……」
「それだけです。では!」
武藤はそう言い残し、急いで教室へと戻っていく。
取り残された俺は、彼女が最後に言った不穏なことに顔をひきつらせるしかない。
……というか。
「結局……なんで俺はここに呼びだされたんだ……」
武藤が俺をここに呼び出した理由。それが分からなくて、しばらく呆然とするしかなかった。




