第十二話 普通とサイコパスの違い。
「そういえば、今日はどんな映画みるんですか?」
駅から近い公園で俺と西川は休憩をしている。
と言っても別に疲れていたわけではなく、ただ「どんな映画を見るのか」について話すだけ。
それは映画館についてから話そうと思っていた事なのだが、西川が公園での休憩を所望したことによりそうなっていた。
現在は俺が公園のベンチに座っていて、西川は車椅子のまま隣にいる。
「はい! 先輩!」
彼女がそう言って差しだしてきたのはタッパーに入ったサンドイッチ。
「いや、俺食べてきたんだけど」
「お腹一杯でも、こういう時は黙って食べるものですよ?」
「その、普通の彼氏ならかくあるべき~的なやつを俺に押しつけてくるのやめろ。俺は普通じゃないんだ」
「そうですかね? んー……まぁ、たしかに普通じゃないのかもしれません。先輩ロリコンでしたし」
「ロリコンじゃなく、サイコパスの方で異常にして欲しかったんだが」
「あぁ、サイコパスでもありましたね。異常異常」
言いながら、断ったサンドイッチを押しつけてくる西川。もはや食べてやるしかなかった。まぁ、その程度なら腹に入らなくもない。
「話戻しますけど、映画ってなに見るんです?」
「あぁ、適当に話題になってるやつでも見ようかなとは思ってる。ヒーローものとか最近流行ってるし」
「カップル定番の恋愛映画とかホラー映画じゃないんですね」
「恋愛映画って美男美女が出てくるから劣等感で死にたくなるだろ。あと綺麗過ぎて現実味ない。それならドロドロのサスペンス見たほうがリアリティあってマシじゃね?」
「うわぁ……先輩そういうとこありますよね」
「お前に言われたくないな」
引きぎみの西川に俺は呆れた。
「あとホラー映画だが、俺は幽霊とか信じてないからな? 怖くならないんだ」
「サイコパスって恐怖心がないってよく言いますもんね?」
「いや、サイコパスでも恐怖心はあるぞ? ただ……他の人と恐怖するところが違うだけだ」
彼女の意見を俺は否定した。
サイコパスでも怖いものはある。
「例えばの話だが……今ここで、刃物を持った男がお前に襲いかかってきたとする」
そう言って俺は、何もない虚空を指差した。
「普通の人間なら咄嗟に自分の身を守ろうとするが、サイコパスは迷わず相手に攻撃をする。それは恐怖するところが違うからだ」
「恐怖するところが違う?」
それに頷いた。
「そう。サイコパスってのはいわば『全身の痛覚を失った人』だ。だから、刃物で傷つけられても痛みを感じない。痛くないから傷つけられることに恐怖しない。それでも……出血すれば命の危険に晒されることは理解できる。だから、サイコパスは『身を守る』ことより、相手を攻撃することでそれを回避しようとするんだ」
時にサイコパスが合理的な手段を用いるのはそのため。
彼らは考えて合理的な手段を取っているわけじゃない。
普通の人間が合理的に動けない原因を持たぬために、そう動けてしまっているだけだ。
「恐怖心はある。ただ、それは他の人間と大きくズレているだけなんだ」
そうして説明を終えると西川は唇に指をあてて「うーん」と考えていた。
そして。
「つまり……今ここでわたしが先輩の童貞を奪おうとしたとします」
「……はい?」
「普通の童貞さんなら、素直に童貞を守ろうとしますが、先輩の場合、わたしの処女を奪っちゃうってことですね?」
食べていたサンドイッチを吹き出してしまった。
何を言ってるんだこいつは!?
「わたしが泣いて謝っても先輩はやめてくれないんでしょうね……。なにせ、痛みを感じないサイコパスなので」
「勝手な妄想やめろ」
あと、なんで少し恍惚な笑みを浮かべてるんだよ。俺はお前が怖い。
「そういうことじゃないんですか?」
そして、お決まりの小首を傾けた仕草。もうわざとやってるとしか思えなかった。
「じゃあ……そのたとえで話を進めるとする」
ため息を吐き出して俺は続けた。
西川には言葉で否定してたところで無理なのはすでに承知済みだ。
それでも……そんな彼女に対し少しでも理解させてやるには、その論調に敢えて乗ってやるしかない。
「普通のサイコパスなら、そのままやるのかもしれないが、俺は"自称"サイコパスだからな。ゴムは絶対つけるだろう」
自分で言ってて頭がおかしくなりそう。なんだよ、普通のサイコパスって。矛盾がすごい。
「先輩、優しいんですね……」
「優しいって……そもそもの前提が、お前を襲ってることを忘れるな」
頬に両手をあてて恥ずかしがる西川には頭を抱えるしかない。
なんでこの子、ちょっと反応がズレてるの?
「襲われてもいいのは先輩だけです。普通の人なら本当に怖いですから」
そして、会話の主軸を簡単にねじ曲げてしまう西川。彼女と話していると、何についての議題だったのかを忘れてしまいそうになる。
会話してると「あれ? この話って最初になにから始まったんだっけ?」ってなるやつ。それが思い出せなくてモヤモヤするやつ。
それでも何とか話の取っ掛かりを思い出した俺は、残りのサンドイッチを口に詰め込んだ。
「取り敢えず何を観るのかは、映画館に行ってから決めよう。ここで話していても絶対決まらない」
「そうみたいですね?」
同意が得られたことで、俺は立ち上がり彼女が座る車椅子のストッパーを解除して押し始める。
公園を出ると日曜日ということもあるのか、多くの人が行き交っていた。
時刻は昼前。出かけている人もいるだろうし、この雑多はピークなのかもしれない。
そんな時。
「――あれ? カホじゃん」
近くを歩いていた数人の男の一人が彼女に声をかけてきたのだ。
「あっ……」
それに微妙な反応をする西川。よく見れば、その男は俺と同じくらいの見た目をしていた。
ただ、金髪に染めた髪と今どき風なファッションが、なんとなくヒエラルキーを感じさせる。
「なんで車椅子? ってか、そいつ誰?」
男はひょいひょいと西川を覗きこみ、そのまま俺へと顔を向けた。
「あー……この人はその」
「もしかして彼氏?」
「……はい」
なんとなく歯切れの悪い西川。そんな彼女の姿を見たのは初めてだった。
しかも敬語。……ということはつまり、西川よりも年上なのかもしれない。
「ふーん。お前さ「絶対先輩の学校に進学します」って言ってたのに入学してこなかったよな? んで、付き合ってた俺の事はガン無視して、別の学校で勝手に男つくったわけか」
そういうことか。俺は理解してしまう。
目の前にいる男は西川と同じ中学だった先輩なのだと。
そして、西川の元彼。
「すいません……でも、先輩も連絡くれなくなりました……よね?」
「はぁ? 連絡こなくなったのカホからじゃね?」
「そうでしたっけ」
「いや、そうだろ」
男はそう吐き捨ててから、再び俺のほうを見てくる。
その視線には、攻撃的な感情があるような気がした。
「なんか知らないけどさ、キミこいつとは別れたほうがいいよ。こいつ、他の男とヤりまくってっから」
そしてそんなことを言ってきたのだ。
「そんな! 違います!」
「違わなくね? てか、お前俺と付き合う前にもいろんな男と付き合ってたし事実だろ」
「本当に違いますから」
西川は懇願するような目で俺を見上げてきた。
男は依然として憎悪の視線を絶やさない。
そして、彼の連れであろう他の男たちは……ニヤニヤしながらこちらを見ていた。
……面倒くさい。
俺はため息を吐き出して男をみる。
「忠告は受け取っておく。俺たち行くところがあるから」
そう言い、その場から離れるために車椅子を押す。
正直、彼の言葉が真実なのか嘘なのかなんてまるて興味ない。
俺にとって『西川と別れたほうが良い』というのは一致した答えだ。そして、その理由は俺が自称サイコパスだから。
既に必要なことは出揃っている。
だから、ここで彼と議論することに何の意味も感じなかった。
そうやって彼らから離れていると、男は俺の肩を掴んできた。
「なぁ、おまえコイツの性癖知ってるか?」
振り返ると、彼は悪い笑みを浮かべていた。
「知らないが知りたくもない」
会話を終えるためにそう言って掴まれた手を払った。
なのに。
「まぁ、聞けって。こいつ自分の首絞められるのが快感なんだよ……な? カホ」
え……俺知りたくないって言ったよね? なんで勝手に言っちゃうの?
俺は目の前の男にひいてしまった。しかも、その答え合わせまで西川にしている。
「それは……その……」
「こいつ頭おかしいんだよ。だから、別れたほうがいいぜ?」
まるで「あなたのことを想って言ってます」という親切アピール。
それには嫌悪感しかない。
というか……おそらくこれは親切心なんかじゃないのだろう。
勝手に西川の悪口を俺に吹き込もうとしているあたり、彼は俺に『別れて欲しい』のだろう。
その先にある彼の願いを想像すると、胸糞悪すぎて吐きそうになった。
彼の連れであろう男たちの嗤いが、その気持ち悪さを助長させる。
頭がおかしい? それ今のお前じゃね?
何もかもが気持ち悪くて面倒くさい。
だから、俺はもう彼を殺すことにした。
「一ついいか?」
「なんだよ」
「西川の性癖教えてくれたお礼に、俺のことも教えておいてやるよ」
「……キミのこと?」
「あぁ。実は、俺は独占欲が強くて元カレとか絶対許せないタイプなんだ」
「……は?」
「お前さ、家はこの近く?」
「……なんだよ」
「連絡先交換しないか? もっと西川のこと教えて欲しいんだけど?」
「……まじでなに、急に?」
彼の表情に困惑が見えた。それには笑ってしまいそうなる。
「名前は?」
「……」
「どこの学校?」
「……」
「そこにいる奴等の連絡先もまとめて教えて欲しいんだけど?」
あくまでも社交的に。そして感情は出さず。
男は困惑のまま立ち尽くしていたが、自分が気圧されていることに気づいたのだろう。
ポケットからスマホを取り出した。
「……いいぜ。別に連絡先くらい。電話番号でいいか?」
「そっちの方が助かる。番号言ってくれ。今からかける」
彼が番号を言い、俺は取り出したスマホにそれを打ち込み、電話をかける。
すぐに彼のスマホが音を鳴らした。
「ありがとう。あと、他の情報も全部くれ」
それにはさすがの彼でもおかしいと気づいただろう。
「なんでだよ……」
「なんでって、お前が俺の彼女を取ろうとしてるからだろ?」
聞いてきた男に俺は告げた。
「そこにいる奴等の反応からして……変なこと考えてるんじゃないのか? だから、お前らの情報を先に貰っておく。何かあったときに全部それは学校、警察、ネットに流す準備だけしておく」
「警察って……」
完全に彼の表情が固まった。
「覚えておいたほうがいいぞ。独占欲が強い奴が怖いのは『独占するために手段を選ばないこと』じゃない。『独占したものを取られたときに手段を選ばないこと』だから」
努めて優しく、まるで「あなたのことを想ってますよ」という親切心アピールを忘れずに。
「だから、その時の為に渡せる情報ぜんぶくれよ? もし俺の彼女を取ったら、お前らからそれ以外の全部を奪ってやるから」
彼は言葉を失っていた。
だから、俺は目の前の男を諦めて連れの連中に歩いていく。
しかし。
「……なに?」
彼が俺の腕を掴んだのだ。
「いや……もういいや。なんか……邪魔して悪かったな?」
そうして俺から一歩離れる。
「ダメだ。せめて名前くらい教えて貰わないと」
そう言って一歩詰め寄る。
「いや、本当にもういいって。マジでなんもしない。もう関わらないから! この通り!」
彼は頭を下げた。
そんな彼に俺は、スマホのカメラ機能を立ち上げて一言。
「わかった。顔をあげてくれ」
「あぁ――」
カシャッ。そんな音がスマホから鳴った。
「じゃあ、俺たち急いでるから」
スマホをしまって車椅子を押す。
今度はもう、彼が突っかかってくることはなかった。
「……先輩」
目線下で、西川が弱々しい声をあげる。
「映画館まで黙ってろ。段差あるから舌噛むぞ」
それに、俺はそう返して突っぱねた。
ふと後ろを見れば、彼は連れと合流し俺を指差しながら何かを話していた。
何を話しているのかなんて、聞かなくても想像がつく。
俺は、なんの根拠もなくサイコパスを自称しているわけじゃない。
自分に一定のサイコパシーを自覚しているからこそ自称しているのだ。
彼に言ったことはハッタリじゃない。
本当に何かあったときは、俺は手段など選ばない。
サイコパスは恐怖心が薄いと言われている。そして、他人に対して感情がほとんどない。
だから、誰かに怒ることなど滅多になかった。
しかし、怒らないわけじゃない。それは恐怖心と同じで普通の人間と少しズレているだけ。
たとえば……子供が部屋で遊んでいるとする。
その部屋のゴミを片付けても子供は怒らないが、遊んでいる最中のオモチャを片付けたら子供は怒るだろう。
そして、もしその子供がサイコパスならオモチャを取り返そうとはしない。取ろうとする人を殺すのだ。
彼らにとって怖いのは『オモチャを取られること』じゃない。『オモチャを取ろうとする人』が怖いのだから。
俺は、車椅子を押しながら沸き上がる感情を必死で抑えていた。
そして、そんな感情を持ってしまうことに悔しさを感じた。
俺は、少なからず西川のことを自分のものだと認識し始めているのかもしれない。
そう、思ってしまったからだ。




