第十一話 バスでのこと。
映画館は大きな駅がある繁華街にしかない。
そのため、俺と西川は家近くにあるバス停でバスを待った。
「車椅子でも利用できますかね……」
「心配するな。事前に調べたら利用可能だ」
ここを通るバスには、車椅子ユーザーでも乗降できるスロープ板が設備されているらしい。それを告げると、不安そうだった西川は驚いたように俺を見上げてきた。
「ちゃんとそこまで調べたんですね」
「当たり前だ。それを最初に調べて、大丈夫そうだったから車椅子を借りたんだ」
「頼りになります」
「誘ったのは俺だからな。義務の範疇」
しかし、到着時刻になっても一向にバスはこなかった。
時間を間違えたのかと何度も運行表を見るが間違えていない。ならば、スマホの時間表示が間違えているのかと思ったが、西川のスマホと見合わせても時刻はピッタリ。
その際、西川のホーム画面が俺の写真であることを知った。それ、いつ撮ったんだよ。
しかも、ロック画面解除は写真にハートをなぞるようなパターン……。
「解除パターン見ちゃいました?」
「お前……わざと見せただろ」
「スマホのなか調べても無駄ですよ? 先輩以外の男の人の連絡先ないですから」
「奇遇だな? 俺もお前以外女子の連絡先はない。もっと言うなら、男の連絡先すらない」
「それ友達いないだけじゃ……」
「あぁ、すまん。LINE公式の連絡先だけはあるぞ? だから友達がいないことにはならない」
「もう止めてください。悲しすぎます」
そんな会話をしていると、たっぷり20分ほど遅れてバスが到着した。
停まったバスの運転席から乗務員が降りてきて乗降口にスロープを設置してくれる。
「すいません……道が混んでたもので」
白髪混じりの優しそうな乗務員だった。それに笑顔で返しバスに乗車すると彼は素早くスロープを外して運転席に戻る。
「こんなにすぐ乗せてもらえるんですね。初めて知りました」
「ん? あぁ、このバスを利用することはバスの運行所に言ってあったからな」
「えぇっ!? そんなことまでしてたんですか!?」
「えっ……いや、車椅子の利用確認したときに聞かれたから答えただけだ」
「はぇぇ……」
西川の眼差しがさらに熱くなった。なんとなくむず痒い。
その時だった。
近くで……大きな舌打ちが聞こえた。
「お前らうるせぇよ! バスが遅れてんのに、さらに遅らせやがって!!」
見れば、小太りのスーツを着たサラリーマンがこちらを睨みつけている。
車内の空気が一瞬にして凍りついた。
誰もが彼と俺たちを恐る恐る見ている。
バスが動きだすエンジン音と「発車します」のアナウンスだけがイヤに響いた。
「車椅子が時間食うことは分かるだろうが! こっちはお前らみたく休みじゃねぇんだよ! 自分のことしか考えられないなら公共のものなんて使うんじゃねぇ!」
そのサラリーマンは片足を忙しなく動かしながら怒鳴った。
そして、腕時計に視線をやってから再びわざとらしい舌打ちをする。
西川は固まったまま声すら出せない。周りもみんなそうだった。
俺は浅くため息を吐いてから、目の前にあった『降車ボタン』を押す。
車内には『次、降ります』という機械的なアナウンスが流れた。
「先輩……」
「いいから。そっちは見るな」
彼女に素早くそう言い、俺は千円札を小銭に変えるため運転席横の両替機までいく。
そしたら。
『お客様は終点の駅前まで利用されると、事前の連絡でうかがってますが?』
運転手が前を見ながら、しかもアナウンスを流したままそう言ってきたのだ。
「あ、いや……すいません。次で降ります」
『目的地は終点の駅前ですよね?』
「まぁ、そうなんですけど」
『なら、このバスをご利用ください。誰がなんと言おうと、正しくバスをご利用頂いている以上はお客様ですから』
わざとアナウンスにしているのだと、ようやく気づいた。
『運行が遅れることについてお客様に非はありません。むしろ事前に連絡までしてくださったことには感謝しかありません。乗せる乗せないを決めるのは誰でもありません。無論、私でもありません。それを決めるのはルールです。そして、そのルールを破るような方は降りていただく必要があります』
そして彼は最後にこうアナウンスしたのだ。
『他のお客様の迷惑になるような行為、発言をされる方は降りていただきます。次からお気をつけください』
誰に言っているのかなんて聞かなくてもわかった。
だから、俺は手にしていた千円札をしまうしかなかった。
西川のところまで戻ると、サラリーマンの男は唇を噛みしめながら頑なに窓の外だけを見ており、そんな彼を周りの人たちは冷ややかな目で見ていた。
「良かったですね……先輩」
西川はそう囁いてくる。
それに俺は、渋い表情をするしかない。
そしてチラリとサラリーマンの男に視線をやり、心の中だけで呟いた。
良かったな……優しい世界で。
そんな俺に西川は不思議そうな瞳を向けていた。
◆◆◆
「――さっきはありがとうございました」
「いえいえ。当然のことをしたまでですよ。では」
終点の駅前で降りたとき、運転手にお礼を言うと彼はやはり優しげな笑みで軽く会釈をして戻っていった。
「先輩、なんか不満そうですね?」
バスが去ったところで西川が聞いてきた。
それに俺は、ようやくため息を吐きだしてから答える。
「まぁな? あのまま降りていれば、もう少しバスを遅らせることができた。そしたらあの男からは離れられたし、あの男がもっとも嫌がる遅延行為に繋がった」
「……」
「それに今回の件で味をしめたら、おそらく次も同じことをやるだろう。それがどこでどんな状況なのかは知らないが、きっと罰がくだるはずだ。そのときに俺たちが危険に晒されることはない。あの運転手は文句が言えない手段をとったが、下手すればあの男から俺たちが逆恨みされてもおかしくなかった」
「……先輩、さすがにそれは考えすぎじゃ」
彼女の言葉に俺は首を横に振る。
「考えすぎじゃないな。なにせ、車椅子だってだけでバスの遅れ全部を俺たちのせいにしようとした奴だぞ? バスが遅れる可能性を考えれば早い時間のバスに乗れたはずだ。そもそも俺たちが乗降するのにかかった時間は数十秒しかなかった。怒るべきポイントを間違えてるような奴が、怒るべき人間を間違えて殴ってきたとしてもおかしな話じゃない。それに……」
俺は、バスに乗っていた時の西川を思いだして告げる。
「あのバスに乗ってる間、お前ずっと居心地悪かっただろ」
彼女の瞳が見開かれた。
「なら、さっさと降りてしまうほうがデートには相応しかった」
そう結論づけ、俺は車椅子を押しはじめる。
こちらを見上げていた西川はぷいっと前を向き、しばらく無言だった。
やがて。
「でも……次からはそういうの止めてくださいね」
前を向いたまま言った。
「わたしの前では格好つけてください。わたしは格好いい先輩が見たいです」
「それもフリか? ……というか、それだと『格好いい俺』じゃなく『格好つける俺』しか見せられないんだが」
「彼氏は、彼女の前で格好つけるものですよ?」
「なんだよ……その彼氏論は……」
勝手な理論を押しつけてくる西川に呆れると、彼女は再び俺を見上げた。
「先輩がそれを守ってくれるのなら、わたしも可愛くあり続けるので。……女の子は、彼氏の前では可愛くありたいものですから」
そして、上目遣いで俺に告げる。
「……好きです。先輩」
それに俺はどう返していいのかわからず、取り敢えず黙って映画館へと車椅子を押した。
西川には動揺がバレたのだろう。
上目遣いをやめてからニシシッと笑ったからだ。
認めてやる。……今のくっそ可愛いじゃねぇか……。




