第十話 初デート。
日曜日、俺は西川の家を訪れていた。
チャイムを鳴らすとすぐにカチャリと解錠の音がしてそっとドアが開く。
「おはようございます……先輩」
「なぜ声をひそめる?」
「ママが寝てるので」
「あぁ、なるほど」
スマホ画面を見ると時刻は午前9時になる直前。
武藤から教えてもらった西川のLINEには、『朝9時に行く』と告げていたために宣言通り。
「……というか、お前ドアの前で待機してただろ。開くの早すぎだから」
「そういう先輩も、9時になるまでドアの前で待ってましたよね? わたし、ドアレンズからずーっと見てたんですよ?」
「見てたのなら開けろよ……」
「なんだか、わたしの知らない先輩を覗いているみたいで興奮しちゃいましたっ」
上目遣いで笑う西川。心なしか息が荒い。もう怖い。
「でも……まさか先輩のほうから誘ってくれるなんて思ってもみませんでした。デートは足が治ってからだと思ってたので」
彼女はお出かけの準備万端で、可愛くオシャレをしていた。
ただ、その両脇には松葉杖があり、履いているスニーカーの片方はテーピングをしており、履けないためかサンダルになっている。
「やっぱり松葉杖が邪魔ですね。これなかったら、ドアの前でウロウロしている先輩覗きながらオナニーしてました」
「とんでもない性癖でいきなり畳みかけてくるなよ……」
息が荒かった理由を恥ずかしげもなく告白してくる西川。
松葉杖とは本来補助するための道具なのに、今の彼女にとってはブレーキの役目を果たしている事実には、もはや呆れるしかない。
「まぁ、松葉杖はたしかに邪魔だろうな? だからコイツを借りてきてやった」
そう言って、自分の後ろを親指で指してやった。
気分としてはバイクの荷台に彼女を乗せてやる感じ。ただ、俺はバイクの免許など持っていないため、そこにあるのは勿論バイクじゃない。
「車椅子なんて借りれたんですね」
「調べたんだ。買うのは高かったからな」
俺の後ろにあるのは折り畳まれた車椅子。
これを借りるため、昨日はとある施設に行って使い方の講義を受けていた。その講義に参加していたのは俺だけじゃなく、「彼女を乗せるため」と正直に話すと他の参加者にこっぴどくひやかされてしまった……。
「松葉杖で出かけるのは負担が大きいだろ」
「先輩……優しすぎです」
「自称サイコパスだからな。周りの人間のことを考えるのは当然だ」
「先輩ッッ……」
感動している西川をはた目に俺は車椅子を拡げて乗せる準備をした。
彼女は松葉杖を壁にたてかけると片足だちになる。その両脇に腕を入れると抱き抱えるようにして車椅子へと乗せてやる。お風呂あがりなのだろうか? 石鹸の香りがしました。
その間、彼女の体がビクリと強ばっていた。
「……びっくりしました。押し倒されるのかと」
「おまえ……思考回路どうなってるんだ。……ここでそんなことするわけないだろ」
「説明もなくそんなことするからですよ! たまに、いきなりお姫様だっこして女の子がドキッとするシーンとかありますけど、あれ実際やられたら恐怖ですからね! あと、壁ドンとかも普通に怖いだけなので絶対やめてください。いいですか? ……絶対ですよ?」
「丁寧なフリじゃねぇか……」
ため息混じりに突っ込むと、西川は頬をふくらませた。
「フリが効いてる状態でやってもらわないと、本当に怖いだけなんですよ? 彼女が喜ぶと思って間違った正義感出しちゃう童貞さんには、このくらい分かりやすいフリをしておかないと」
「見損なうな。俺は童貞だがサイコパスというオプションがついてる。そこらへんの童貞と一緒にされては困るな?」
「サイコパスを自称してる先輩はサイコパスじゃないですよ」
「自称したらサイコパスにはならないのか……。ということはつまり、童貞を自称する俺は既に童貞じゃなかった……?」
「イタい童貞さんですね」
「……あぁ、そう」
名推理をたった一言で覆されてしまった……。
突きつけられた現実に絶望しながらも、俺は立てかけられた松葉杖を手に取る。それは車椅子同様折り畳めるようになっていて、背負っているバックパックに入れることができた。
最悪松葉杖は置いていくことを考えていたため、これは嬉しい誤算だ。先ほどの発言から彼女の行動は物理的に縛る必要があると考えられるため、持ち運びできるのはありがたい。
「そういえば、今日は逃げられないわたしをどこに連れていくつもりなんですか?」
「変な言い回しをするな……。取り敢えず映画館だ」
「なるほど……。取り敢えず薄暗いところにわたしを連れ込むわけですね?」
「どう説明しても変な言い回しから逃れられないの怖すぎるだろ……。他の人がいるところで迂闊に会話できなくなっちゃうよ」
「もうっ! 他の人がいたらこんなこと言いませんよぉ! ……あっ、大家さんおはようございます!」
「あら、カホちゃんおはよう。その人は彼氏さんかい? 若いっていいわねぇ」
いつの間にいたのかアパートの通路には人の良さそうなお婆さんが掃き掃除をしていた。西川との会話に夢中で気がつかなかったらしい。
「はい。そうなんです!」
「車椅子まで借りてきて優しい彼氏さんだねぇ」
彼女はそう言って微笑むと俺に顔を向けた。
「気をつけてね? カホちゃんのお父さんは金持ちの社長さんだから、何かしたら社会的に消されるよ?」
人が良さそうなだけで内面は真っ黒でした。
「もうっ、やめてください! わたしのお父さんの話はまだしてないんですから!」
「あら、そうだったのね。……すごくイチャイチャしてたから、てっきり、もう話してるものだと」
「もう大家さんったらぁ。その感じだと、わりと初めのほうから会話を盗み聞きしてましたよね」
「あらぁ、バレちゃったねぇ……。まぁ、その彼氏さん、ドアの前でずっとウロウロしてたから、もう少しで通報するところだったんだよ」
サラリと怖いことを言ってくるお婆さん。
どうやら俺は、ドアの内側と外側、両方から監視されていたらしい。
あれだな……時間は守るべきだが、ピッタリを演出するのもいけないのかもしれない。
新たな教訓を得ました。
「それじゃあ気をつけてね」
もはや『気をつけて』が別の意味にしか聞こえない見送りの言葉で、俺は車椅子を押し始めた。
今日は西川との初デート。
これは、彼女と"ちゃんと"付き合うために俺が導きだした答えだった。
武藤は言っていた。そのうち西川から飽きるだろうと。
だから、それを早めるため、ちゃんと付き合わなければならないと考えたのだ。
「楽しみだなぁ」
嬉しそうに呟く西川。そんな彼女に俺の頬も自然と弛んでしまう。
天気はとても良く、その日曜日はとびきりのデート日和だった。




