プロローグ:事例0「男」
男は歩いていた。
草臥れたジャケットを羽織り、首のネクタイをだらしなく緩め、右手にはコンビニの袋を提げている。
仕事帰りは必ずコンビニに寄り、ロング缶のビールを2本購入する。1本は帰りながら飲み、もう1本は帰ってから一緒に買ったホットスナックを肴に飲む。
これがここ数年の唯一の楽しみである。
「そういえば、いつも挨拶してくれてたバイト君最近見なくなったな」
コンビニを出て10分、既に空になったビール缶を軽く潰しながら3ヶ月ほど顔を見ない店員の女の子を思い出していた。
「まぁ、どうでもいいんだけどな」
酔いのせいか思ったことが声に出てしまう。前を歩く女性が怪訝そうな顔で振り返ると早足で距離を取っていった。
周囲、特に女性からこういった対応をされるのには慣れていた。人から見ると男の容姿はきっと不審者同然なんだろう。身長185cm体重66kgのヒョロヒョロノッポ、長すぎる前髪でどこを見てるか分からない。オマケに人見知りなのだから不審がられる心当たりは大いにある。
だからこそ、そんな自分に分け隔てなく屈託のない笑顔で接してくれたバイトの女の子を好意的に思っていたのかもしれない。
「そういえばあの子の名前なんだっけ」
2年以上週に3回は顔を合わせ、ちょっとした世間話をする事もあったのに男は彼女の名前すらも知らなかった事に気付いた。名前だけではない、あのコンビニでバイトをしていたという事実以外、男は彼女について何も知らなかったのだ。
その事に気付いてしまった瞬間、男は彼女の事が気になって仕方がなくなってしまった。
「彼女は誰なんだろう」
そんな漠然とした疑問が頭に浮かび、居ても立っても居られなくなった男は潰したビール缶をゴミ箱にねじ込み、コンビニにUターンする事にした。
「せめて彼女がバイトを辞めたのか辞めてないのかだけでも確認したい」
まるでストーカーみたいだなと自嘲しながらも早歩きでコンビニへ向かった。しかし、男が再びコンビニを訪れることはなかった。
翌日、男は遺体で発見された。