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斬罪  作者: 古海 皿
空の骸
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空の骸-2

 ばしゃ、と柄杓で地面に水を撒く。

 とてとてとゆったりとした歩みを進めながら、あくびをこぼした朔弥は眠たそうに瞬きを繰り返した。


 朔弥の朝は早い。夜明けとともに起床して朝食を作り、弟を叩き起こしてから畑の様子を見に行く。

 弟と共に畑の世話を一通り行った後は、飼っている犬に餌をやって、境内を掃除して、時折訪れる参拝客の相手をする。朔弥の親は早くに流行病で亡くなっているので、神職としての仕事のほとんどは彼女に一任されていた。


 もちろん、神職は基本的に男社会であるが故に、時折男でないとできない仕事というものも存在するのだが、少なくとも朔弥の勤める五月雨神社では、男女の垣根が比較的低い祭儀ばかりなので、よっぽどのことがない限りは彼女の弟に仕事を割り振ることはなかった。

 弟は弟で、現在遊び盛り。自分の最低限のやるべき仕事を終えると弾丸のように飛び出していくものだから。

 朔弥自身もそれを許しているわけではあるけれど。


「さーくやー!」

「うわ来た」

「なんでそう嫌そうな顔をするのさ……」


 そんな折、境内に飛び込むようにして登場した友人の姿に、朔弥は思わずあからさまに顔を顰めてしまった。ちなみにいつものことである。別に歓迎していないわけではないが、それより「面倒くさいのが来よった……」と思ってしまうのもいつものことである。

 普通領主の娘に対してこの態度はないが、友人だからこそ許される雑さだ。


 いつも構ってくれる人間が来たということで、吠え立てて自分の存在を主張する朔弥の飼い犬。出雲はその体をわしゃわしゃと乱雑に撫でる。


「つるぎは相変わらず良い子良い子。それに引き換え、ひどいよねー君の飼い主は」

「そうかな……?」


 当てつけのような言葉を吐きながら朔弥の飼い犬、つるぎを構う友人に、朔弥は生暖かい目を向けた。


「自分の行いをいっぺんとは言わず百遍ぐらい振り返ってごらん?」


 いろいろと――そういろいろとやらかしてきたこの友人。朔弥が身構えるのも致し方ない程度には様々にやらかしてきたこの友人である。


「うーん無理かな……」

「なんで」

「え? この僕の行いに間違いなんてあるわけないでしょ? ちょっと朔弥にしては鈍いんじゃない?」

「そうだね間違いはないといえばないけどアホなやらかしは何度も見てきた身としてはだいぶかなり同意し難いかな」

「そこは数えないんだよ……わかるでしょ?」

「いや全然全くなんにもわかんない」


 漫才ですか? いいえ、通常運転の日常会話です。

 会話のついでに朔弥が天を仰ぐのは当然のことであり、出雲がにっこにこの笑顔を崩さないのもまたいつものことである。お前いい加減にしろよ? 何度本気で激怒しようと思ったことか、数えると精神衛生上良くないので朔弥は黙秘を選択するわけである。


 ただ少なくとも彼女の従者となった肇曰く、主人の考えること言うことやること為すこと、全て意図を勘繰るだけ無駄な時間を消費します、だそうだ。これは出雲が決して考えていないというわけではなく、考えたところで振り回されるのは同じなのでそれよりかは悟りを開いた方がまだ幾分早い、という意味である。

 従者に諦められる主人とは。というか本人の――あるいは本神の――自己申告が正しければ、御本尊の曽孫をそのように取り扱っているわけで。


 そんな出雲という友人がいる時点で、朔弥の胃は休むことなくキリキリと痛んでいる。黙祷を捧げるべし。


「それで――」


 朔弥は溜息を吐き出して、尋ねた。


「今度は何に追われてきたのさ」

「うーん、なんだろうね」


 ぱんぱんと服の裾を叩いて埃を払い、出雲は小首を傾げた。朔弥は呆れ顔で出雲を見下ろしている。

 彼女らの身長は、少々朔弥の方が高い。


「なんか妙なものだったのは確かだよ」

「そりゃあ妙なものだろうよ……うちに逃げ込んでくるぐらいだし」

「いつもお世話になってまーす」

「お世話してまーす。じゃなくてだな」

「たぶんまだそのへんに漂ってると思うから朔弥も弟君もしばらくは敷地内から出ない方がいいよ」

「そっか……」


 どう足掻いても話してくれるつもりはないらしい、そう悟って朔弥は諦めた。

 にこにこと出雲は笑っている。いつも通りの笑顔に少し腹が立ったため、指で額を弾けば「いったい!」と出雲は大袈裟に痛がった。


 出雲は少々特殊な体質を患っている。様々な、人ではないものに好かれやすい体質だ。

 たとえば妖怪だとか――人外の中では有名だろう――幽霊だとか――人ではなくなったもの、だ――そのへんに蔓延っている怪異だとか――もはや現象や概念と呼ぶべきものではあるが――とかくに、そういう様々なものを引き寄せる。


 出雲自身、自分で浄化あるいは浄霊、もしくは追い払うことは可能なのだが、対処が面倒だと認識した場合、曲がりなりにも神が支配する領域であるこの五月雨神社の敷地内に飛び込んでくるのが日常茶飯事だった。

 朔弥としては、何でも一人で解決してしまう出雲がたまにとはいえ頼ってくることは素直に受け止めるべきことなのだが――いかんせんいつもはぐらかされて終わるために心配が募るわけでもある。

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