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斬罪  作者: 古海 皿
西の橋
16/53

西の橋-6

「そういう怪異の本は……どう、なのでしょう」


 さらりと流れる髪は赤みの強い金色だ。

 指通りの良さそうなさらさらとした髪。金髪の子供は髪が細いとよく言うが、諸々の例外に当てはまりやすいこの少女もそうであるだろうか。

 邦秋は非常にどうでも良さそうなことを考えながら、目の前の華奢な子供のなりをした彼女――司書の言葉の続きを待っていた。ちなみに隣には、腕組みをした自身の同居人がいる。


「似たような事柄なら、いくつか覚えがありますが」


 そう言って司書はいくつかの本を挙げて、更にその該当箇所を諳んじてみせる。諳んじられる文章を、難しい顔でいながらも、静かに聞いていた永弘と邦秋だったが、納得したような表情は浮かべない。

 むしろ、例を挙げられるごとにその表情の険しさは増していく。


 やがて司書が一息入れた際に、邦秋は険しい顔のままにこぼした。


「どれにも正確には該当しないな」

「仕方ない話だとは思うけれど」


 同居人の言葉に、溜息混じりに永弘はそう返した。


「司書が挙げたのも一部だろう。似たような話自体はそれこそ探せば探すだけ、いくらでもあるんじゃないかい」


 永弘はつらつらと言葉を並べ立てる。いつにも増して饒舌だ。


「古今東西、恋愛の成就が判断できるおまじないなんて格好の話の種だ。古くからいつでもどこにでもあっただろう。……まじないは漢字でのろいとも書くわけだし、それこそ吉兆から凶兆まで様々に」


 虚空に指で、呪、と描き記してみせて、そして永弘は肩をすくめてみせた。


「第一、この町は歴史こそ古いけど、それこそここまでの規模で存続していることが奇妙に思えてくるほど交通の便が悪い。こんな辺鄙な町の、ぼろくてちゃちな橋の、そこまで古びてないことを考えれば比較的根付いて時が浅いだろう小さな言い伝えだ。そんなもの如きが、わざわざ書物に取り上げられることはないだろ」

「ううん、それだとお役に立てませんようで……私の記憶力は書籍に関してしか働きませんし」

「司書が悪いわけではないさ。むしろ、これで司書のせいにする方が駄目な人間だろうしね」


 困ったように首を傾げた司書に、永弘はそう柔らかに言って、眉を顰めた。


「……だが、まあ、うん、困ったな」


 沈黙が降りた。


 とんとん、とこめかみを指先で叩いた邦秋は、視線を伏せてふと呟く。


「書籍にされていないというだけで、噂自体は昔からあったということは間違いないよな?」

「……まあ、そうじゃないか?」


 唐突にそんなことを呟いた邦秋を不思議そうな目で眺めながら、永弘は応じる。


「でなければ、鴉も俺に噂のことを教えることはなかっただろう」

「だよ、な」


 頷いた邦秋に「一人だけで納得しないでくれるかな」と永弘が微笑んだ。邦秋はその笑みからそっと目を逸らした。

 逸らしたまま、ぽつりと言葉を落とす。


「……一人、そういう噂を把握していそうな人間を知っているんだが」

「誰……あいつか」


 そういうわけで。


「何か心当たりはないか?」


 上桐と名乗る彼らの自宅を訪問した途端、永弘と邦秋に声を揃えて尋ねられたのは、自らを軍の剣と定義し、上桐たちの監視役だと名乗る少尉その人である。

 何か言おうと口を開いて、そして何を思ったのか閉じて、たっぷりと長い沈黙を取り、更にもう一度口を開いた。


「自分に尋ねる理由が不明です」


 動揺していたのは確かだろうに、いつも通り淡々とした口調であることもまた確かである。少尉とはそういう人間だ。


「前回の波止場についても知っていたようだからな。今回も期待してはみたが」


 邦秋の口調は非常に滑らかだ。

 で、どうなんだ、と再度問われて、少尉はいつも通り、無機質な口調のままに述べる。


「大人しくしていろ、という軍からの命令についてどうお考えでしょう。自分は度々あなた方に軍からの言葉を伝えております」

「死なない程度に動き回っている俺たちなんて、随分と大人しいと思わないのかい?」

「……論外」

「なんだって?」

「はい、なんでもありません」


 少尉は無表情である。永弘は笑顔である。

 この二人の睨み合いはいかせん双方なかなか表情が変わらないだけに怖いな、邦秋は彼らを端から眺めながら内心そんなことを考えていた。口には出さない。どちらに睨まれても怖いのはどうにしろ同じだ。


 はあ、と溜息を吐き出したのは少尉であった。根負けした、と言っても良いかもしれない。


「……自分も詳細は知りません」

「知っていることはいくつかある、という認識で良いんだな」

「……いくつか、というほどでは」


 淡々とした口調は崩さないままだが、邦秋の言葉に諦めたように応じたのは確かであった。

 少尉は、自分が知っていることといえばせいぜい一つくらいです、と前置きした。


「今は忘れ去られているようですが……あの橋の正式な名称は希橋(こいねがいばし)であったことは、自分は知っております」

「こいねがいばし?」

「希望の希に、橋と書いて、希橋と書きます」


 問い返した永弘に少尉はやはり平坦にそう言った。


 希橋。


 永弘と邦秋は視線を交わし合った。希う、請い願う、乞い願う、そしてあるいは冀う。どれも意味は同じだ。

 強く願い望む。切望する。そういう意味合いを持っている。


「恋愛の噂については、よくわかりません」


 少尉は淡々とした口調でそう述べる。


「橋の上ですれ違ったら破局する、という噂自体は随分前から存在しました――それこそ橋が架けられた頃からあったのかもしれませんし、なかったのかもしれません」

「曖昧だな」

「根も葉もない噂話など、そんなものです」


 そうかもしれない――本当に根も葉もないのかは、ともかくとしても。

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