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斬罪  作者: 古海 皿
西の橋
11/53

西の橋-1

「ごめんください」


 戸口をくぐって響いた永弘の声に、貸本屋の受付にいた人影が顔を上げた。きょとりと瞬きしたその目は、一見ではただの濃い灰色。光の角度によっては銀にも見えるかもしれない。

 だが、その瞳を覗き込めば誰であろうとそれが異形であることに気づくだろう。


 ――その両眼には、瞳孔が存在しない。


 硝子玉のような煌めき。あるいは澄んだ伽藍堂。機械仕掛けの人形に嵌め込まれたような瞳。

 いつ見ても、と永弘は内心独り言ちて、それでも至って普通に声をかけた。何故って、そりゃあ、知人であるからして。


「久しぶりだね、司書」

「お久しぶりです、上桐永弘さん」


 司書は永弘に向かって微笑んだ。柔らかで親しみやすいような微笑みだ。その微笑みが彼女の本心から出ていると知っているから、異形であっても永弘はこうやって普通に接することができる。普通に接することができるからといって、警戒心が皆無というわけでもないが。

 少なくとも、こうして共存できる程度には無害な生き物だ。


 赤みの強い金髪の少女。司書の外見を簡潔に評せばそうなるだろう、なにせ異国によくある髪色は目を惹くからだ。

 外見年齢は十二、三歳程度。丸みを帯びた目を特徴としたやや幼めの、それでも整った顔立ち。着物の上からエプロンと、いわゆる女給服という服装だ。

 周囲の人間からは貸本屋に奉公に来ている娘と思われがちな司書ではあるが、その口調はどちらかといえば年寄り特有ののんびりとした声色に似ていた。


 貸本屋の面々はもちろん、上桐の彼らを筆頭とした一部の人間たちは、司書こそがこの貸本屋の主であることを知っている。


 司書の正体について永弘はわざわざ尋ねたことがない。彼女本人から聞いたこともない。それは自身の同居人である邦秋も同様であることだろう。

 貸本屋で働いている鴉、鮎河、扇沢の三人は知っているのかもしれないがその点について興味はない。司書との付き合いに今まで支障が出たことはなかったので。


「一月も開けていたんだから新鮮な感じがするんじゃないかい?」

「そうかもしれませんねえ」


 のんびりと言った司書はそこでふと、こてりと首を傾げた。


「……そういえば、鴎ノ岬にあった呪術の気配が消えていましたが、あなたがたが?」

「……君はよく見抜くよね、そういうの」


 永弘が、君、と指して呼ぶのは司書くらいのものだ。


 あると知っていたのに対処しなかったことについては咎めやしない。上桐たちのように積極的に動くような人間の方が、少なくとも彼らの周囲では稀なので。


「まあいいや」


 気のない声で永弘は言ってのけた。


「確か、上桐の小説が新しく入荷してただろう。頼めるかい」

「わかりました」


 頷いた司書はそこでふと、どうしてか不思議そうに永弘を見上げた。視線に気づいて永弘はぱちくりと目を瞬かせた。


「……お互いに貸し借りはしないのですか?」

「ははは、あいつとものの貸し借り? 冗談だろ」

「……仲がいいのか悪いのか」


 司書の呟きに永弘は微笑んだ。司書は「人の関係は千差万別ですからねえ」とのんびりと述べた。


「やあ、上桐永弘、来ていたのか」

「鴉」

「もうちょっと驚いたように呼んでくれ」

「……」


 貸本屋の入っているこの建物は三階建、うち一階と二階は貸本屋らしく所狭しと本棚が並べてあるが、三階は司書と鴉の居住区域になっている、らしい。永弘は上がったことがないのでその話が真実かどうかは知らないが、嘘をつく理由もないだろう。


 二階へ続く階段から顔を出した鴉の戯言に、永弘は生温く微笑んだ。

 そんな仕方のない子供を見るような目で見るんじゃない、と鴉は抗議した。


「……まあいいさ」


 手すりの上で両手を組み、鴉はその上に顎を乗せる。にっこりと微笑んだ彼に反射的に何か面倒そうなものを感じ取って、一歩と言わず三歩後ずさった永弘。

 どうしたんでしょうと一人だけほのぼの首を傾げるのは司書くらいしかいない。その場にいるのは三人のみなので当たり前といえば当たり前ではある。


「なんだ、厄介ごとかな」

「厄介ごとではないぞ? きみが興味を持ちそうな話だ。正確にはきみたちか?」

「そう、別に話してくれなくてもいいんだけど」

「つれないことを言うなよ」


 にやにやと口端を吊り上げる鴉に「そういうところは子供っぽいよな、鴉の爺さん」と永弘は苦々しく呟いた。爺さんじゃない、と返されるのは織り込み済み。


「むう……まあいいさ、町の西に橋があるだろう」

「いや、どの橋だ。西に橋はそこそこあるぞ」


 西には川が流れているので、橋がないと向かい側に渡れない。


「隣町に続く橋さ。ほら、あの……」


 少し視線を彷徨わせ、そして鴉は指を立てる。


「人がすれ違えない橋」

「ああ……あのほっそい橋だね」

「そうそう」


 あまりにも橋の幅が狭いせいで、人一人通るのがやっとなのだ。しかも手すりがない。そもそもそんな橋がどうして作られたのかも、どうして取り壊されずに残されているかも不明だ。

 さほど古い――つまり歴史的建造物として重要性がある――ような橋でもなさそうなのだが。


「あの橋で誰かとすれ違うと、今している恋は叶わない、という噂があるんだ」

「そもそも物理的にすれ違えないだろうに」

「奇妙だろう?」


 にこにこと笑う鴉。先ほどから覚えていた嫌な予感が、いよいよ警鐘を鳴らしてくることに永弘は更にもう一歩後ずさった。

 後ずさったところで逃げられるわけもなく、せめて貸本屋から踵を返していれば何かが変わったかもしれないが、借りた本を置いていくような真似ができるわけもない。


「気になるから、確かめに行こうじゃないか!」

「そういうやつだよ、お前は!」

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