㉑4月10日、自分
4月10日
今日の新聞に4月29日は
「震災復興キックオフデー」
と定めるとありました。
「過度な自粛は発生1ヶ月をめどに見直したい」
と宮城県知事が述べたそうです。
さぁ、一歩踏み出しましょう
ということでしょう。
こういったことを宮城から発言することは
日本を前向きにさせることになります。
まだまだ余震は続いていますが、
出来ることから少しずつです。
そして、自分がやるべきことのひとつに
北海道の最終日に助けていただいた
イヌイさんのことがありました。
イヌイさんに無事に宮城に帰れたことと
感謝の言葉を手紙に書いて、
あの時に借りた5000円を
失礼かもしれませんが
現金書留で送らせていただきました。
イヌイさんは
「返さなくていいから」と話してましたが、
借りたままではいけないと思ってまして
旅を終えてからお返ししました。
イヌイさんはこの旅で出会った人の中でも
忘れられない人ですから。
旅を終えてから仲間に会ったりしていますが、
話す内容としては
震災についてのことが大半になります。
人に話すことが大事なことなんだと思うのです。
抱えているばかりではなく、
あの大きな出来事を言葉にして人に話すことは
心の解放になるらしいのです。
何かのネット記事で読みました。
おそらく正しいことなんだと思いますが、
自分はそういう難しい理由ではなく、
あの時あれだけのことを経験したのだから、
せめて人に話すことはさせてあげて
という感じに考えています。
じゃあ、自分自身はどうなのか?
正直、自分は言いづらいんです。
自分が自転車で日本一周をしたことを
知っている人はいいのですが、
知らない人との会話で
こんなことを聞かれることがよくあります。
「震災の時どこにいたの?」
宮城在住の人だと震災から間がない時は
よく聞かれることだと思われます。
「職場にいました」
自分はこのように答えてしまうことがあります。
嘘なのはわかっています。
正直に答えても大丈夫なのもわかっています。
「自転車で日本一周をしていて
震災の時はたまたま北海道にいたんですよ」
このように正直に答えることが
あまり出来ないんです。
震災の時に
家族のそばにいてあげられなかったこと、
その理由が自転車で日本一周をしていたから。
そんなこと別に気にすること
ないじゃないか。
被災もしていないのに贅沢な悩みだ。
そう思う人が大半かもしれません。
それでも人にはなかなか話せないのです。
震災の時に家族のそばにいたとして
自分が何がやれたかはわかりません。
それでも、なんでこのタイミングで
旅に出てしまったんだと悔やまれるのです。
普段は何も気にすることなく
過ごせているのですが、
会話の中で震災の話になると
ちょっと気まずくなってしまいます。
誰もあのようなことが
起こるなんてわからないし、
仕方ないことなのかも知れないけれど
簡単に割りきれない気持ちがあります。
だから、この気持ちを抱えながら
この先も生きていくしかないのです。
仲間のひとりにはこう言われたことがあります。
「起こってしまったのだから仕方ない。
大事なのはこの先どうするかじゃないか」
まさにその通り。
自分にやれることは
家族のそばにいてあげること。
まずはそこからはじめて、
自分がやれることを考えて行動していきます。
こんなこと小さな悩みです。
悩んでもどうしようもない。
それも理解しています。
それでも
なかなか人に話せないことだったので……。




