①旅1日目~2日目
2010年11月、5年程度勤めた会社を辞めました。
理由は職場の人間関係の疲れと言わせてください。
あとは皆様の想像にお任せします。
と言っても、職場は良い仲間もいまして自分を心配
して引き留めてくれたりもしたのですが、それでも
退職する気持ちは変わりませんでした。
本音で心配してくれた仲間には今でも
感謝しています。
仲間って良いものですよ。
仕事を辞める前から自転車で日本一周を
やってみようと考えていました。
自転車で日本一周をする、この密かな思いは20代
の頃から何度も頭に浮かびながら、実現までは
踏み出せない計画でした。
仕事を辞めて自転車で日本一周をする。
半分は現実逃避だったかもしれません。
自分は両親と弟と4人住まい。
両親にはなんとか理解してもらい出発。
それでも心配だったかもしれません。
我が息子が突然仕事を辞めて自転車で日本一周
ですから、そりゃ心配はするでしょう。
30過ぎても子供は子供。
心配ばかりかけて、両親には本当に申し訳ない
気持ちはありました。
なので、絶対に無事に戻ってくると
決めていました。
なにがなんでも無事に帰宅する。
これが1番大事なんだと思います。
出発前
「帰ってくるまでよろしくお願いします」
と弟に言うと、このような返答がありました。
「どうせ何もないから」
そうであってほしい。
11月10日、故郷の宮城県名取市を出発。
こういう自転車旅は、大概が暖かい時期に
行うものだと思うのですが、仕事を辞めたのが
このタイミングだったので間を置かずに
出発しました。
このあたりも、なんだか現実逃避に近い考え方
だったのかなと思います。
我が家を出発してから最初にどこに行くのかは
決まっていました。
勤めていた会社の上司から出発の時は職場に寄って
くれと、ありがたい言葉をいただいていたので
大切な仲間に挨拶するために仙台市へ。
名取市から仙台市へは自転車で40分程度。
職場では上司と仲間が自分を待っていてくれたの
ですが、なんと契約先のお客様もいまして自分と
しては大変恐縮でした。
激励を貰い写真撮影。
恐縮です。
ありがたい。
自分は仲間には恵まれていたんだなと、
こういう場面で気づくものです。
普段からもっと早くに気づくべきでした。
日常があたりまえなことではなく、
ありがたいことなんだと気づくべきでした。
仲間に見送られ職場から出発。
この旅をはじめるにあたって、ルートをまずは宮城
から青森まで北上、そこから日本海側を沖縄まで
南下、沖縄から太平洋側を宮城まで北上、最後に
宮城からフェリーで北海道へ。
このような旅の計画を考えていました。
旅が11月にスタートなので、北海道をいつ頃
旅するか考えると、冬が終わってからじゃないと
厳しいだろうと思い、真冬の間は北海道以外を
走りきっておこうという計画です。
旅の初日は行けるところまで北上する予定でした。
何度か道に迷いながらも宮城県の築館まで到達。
初日は走行距離102キロ、走行時間11時間。
ちょっと頑張り過ぎです。
初日の宿泊はラブホテル。
とにもかくにも休みたくて、人が存在しないような
場所にポツンと佇むラブホテルに飛び込みました。
初日から見事にラブホテルです。
この旅はラブで始まるんだなと
本当にくだらないことを思いながら、
ひとりラブテルのベッドで眠りました。
2日目、やたら眠くて昼頃まで休んでから
ラブホテルを出発。
岩手県は目の前にあります。
さて、ここで今回の旅の装備品を短く紹介します。
雨合羽、着替え数着、コート、手袋、
あとは忘れました。
自転車はイオンで買ったクロスバイク。
当然、この程度の装備品で乗りきれるわけもなく、
旅の途中でいろいろ買い足していくことになります。
まず、テントを持っていかないあたりが自分らしい。
そしてすぐに岩手県到着。
盛岡を目指して走りましたが坂道が
多くて大変でした。
この坂道やら峠越えやらが日本中にたくさん
ありまして今後も苦労することになります。
2日目は北上というところまで走って
ビジネスホテルに泊まり終了。
2日目の走行距離70キロ。
走行時間7時間。
岩手県は本当に広い。
北海道の次に広いそうです。
旅をする前は気づかない情報でした。
さて、この旅のエッセイを2日目まで書いて
思っていたのですが、旅の全てを書いていたら
とんでもない枚数になり、自分の力量では
絶対書ききれないとわかったので、
申し訳ないですが抜粋しながら
書かせていただきます。
ご了承ください。