移動手段
「トマル殿、トマル殿、起きてください、お願いします!」
必死な声で起こされて目を開けると、ヌガルさんが僕の顔を覗き込んでいた。窓からは光が差し込んでいて、もうすっかり朝みたいだ。さすがにワインの影響はもうなかったけど、深夜に一度起こされたせいで、なんだか寝足りない。
「……あ、おはようこざいます、村長さん」
ぼーっとする頭で、挨拶をした。朝一で、声が出しづらい。うがいしたいな。
「娘が、ジュリエッタが、どこにもいないのです! 私が、村になにかあった時のために、用意していた蓄えもなくなっていて……これは、娘は誘拐されたのかもしれません! トマル殿、なにか不審な物音など、聞きませんでしたか?」
眠気など、一瞬にしてどこかに吹き飛んだ。そして、自分の血の気が、みるみる引いていくのがわかった。うそぉ、ほんとに出てっちゃったの、ジュリエッタさん!? まずい、まずいよね、これは? はぁ~ん、やだなぁ、でも言わなきゃだよね? 言わなきゃ駄目だよねぇ?
僕は意を決して、ベッドを下りた。
「すみませんっ!」
土下座をして、昨晩の出来事を洗いざらい、ヌガルさんに白状する。今にして思えば、ヌガルさんに報告しておくべきだったんだ。ジュリエッタさんは、口も聞いてくれなくなりそうだけど。
「どうか、頭を上げてください、トマル殿」
見上げたヌガルさんの顔は、優しかった。でも同時に、とても悲しげだった。
「そうですか、そんな馬鹿な頼み事を、あの子が。まったく、愚かな娘です。たが、そんな風に育ててしまったのは、私だ。妻を早くに亡くして、一人娘のあの子を、ただ甘やかすことしかできませんでした。どうかお許しください」
「い、いえ、そんな、僕が、もっとちゃんとしてたら……」
逆に村長に頭を下げられて、僕は慌てた。ジュリエッタさんのことが、心配で堪らないだろうに。
「お話からすると、娘は城下町に向かったようですな。村の者と、なんとか追いかけてみます」
「待ってください! 僕が、行きます!」
僕は、咄嗟にヌガルさんを制止していた。村の人を使ったら、ヌガルさんの評判に影響するかも知れないし、お金の件もある。僕が、行ったほうがいい気がした。
「いや、しかし、トマル殿に、これ以上ご面倒をおかけするわけには……」
「大丈夫です! 僕がお嬢さんを、必ず無事に連れ戻して来ます!」
ヌガルさんの言葉を遮って、僕は押し切った。
「まったく、いいっていうなら、任せちまえばよかったのによ」
僕の肩の上で、クロスケがぼやいた。
「しかたないだろ、責任の一端は、僕にもあるんだから」
だいたい、このままじゃ村にもいづらくなるだろ、と付け加えた。昨日、馬車に揺られて来た道を、走って戻りながらだ。城下町はこちらの方向らしい。馬を借りることも考えたが、僕は馬に乗ったことなんてなかったし、乗馬スキルもないので却下した。
「まぁ、ろくに村の外にも出たことがねえ、箱入りの嬢ちゃんだからな。今頃は、足が痛いって、泣きながら戻ってきてる頃かもな」
「だといいけどな……」
確かに、ジュリエッタさんは健脚とは思えなかった。村長さんの家を出た正確な時間はわからないけど、朝、家出が発覚するまで、四、五時間前後くらい? 普通の女性の足で進めたとして、せいぜい十数キロだろうか。走り続ければ、数時間で追いつけそうではあるけど。
「この辺の街道には、モンスターは出ないんだよな?」
「滅多にはな」
絶対じゃないってことだよな。狼だっているし。彼女が危険な目にあっているかもと思うと、気が気ではなかった。もしものことがあったら、僕はどうしたら……。
「なぁ、転移の魔術とかないわけ?」
魔術で好きな場所に移動ができるなら、クロスケも訊く前に教えてくれるとは思うけど。
「あるぞ。おまえなら、使えるだろうけどな。あれは、一度行った場所にしか移動できないから、無理だぞ。だいたい、嬢ちゃんの正確な居場所が、わかんねえじゃねえか」
「じゃあ、飛んだり? 飛行の魔術?」
「飛行の魔術もあるぞ。ただあれは、制御に慣れが必要だからな。ぶっつけ本番で使うのは、おすすめしないぜ。墜落したいなら、別だけどな」
うぅ、少しでも早く、ジュリエッタさんの無事を確かめたい。もう結構な距離を走り続けられているし、スピードも元の世界にいた時より、ずっと早くなっている気がする。それでも、もどかしかった。
「クロスケ、なんかないのかよ? もっと、早く移動する方法」
「はぁ、しょうがねえなぁ」
クロスケが大げさにため息を吐いて、肩から飛び降りたので、僕は立ち止まった。
「俺様の力は、おいそれと使っていいもんじゃねえんだけどな。まぁ、これは、初心者サービスってやつだな」
クロスケの小さな手が僕の靴に触れると、足元から風が舞い上がってローブをたなびかせた。
「おまえの靴に、風の加護を与えてやったぜ。これで飛ぶように走れるはずだ」
クロスケが肩に戻ってきて、告げた。
「飛ぶように走れる?」
半信半疑ながら、駆け出してみる。おおっ、体が軽い! 一歩で、かなりの距離を移動できる。
着地の衝撃も、まったくない。これならすぐに、ジュリエッタさんを見つけられそうだ。
「よしっ」
僕は、飛ぶように街道を駆け出した。